召し使い様の分際で

月齢

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第19章 勝敗と守銭奴ごころ

がんば……れ!?

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 大広間では人々が、波が割れたように左右に分かれて、二組のダンスペアを待ち受けていた。
 正面の壇上に貴賓席が設けられているのはわかったが、僕にとっては出入り口から遥か遠い。
 皆が笑顔で迎える中へ、蟹清カニスガ伯爵にエスコートされた壱香イチカ嬢が余裕の笑みで進み出た。先導役の侍従さんはおそらく、貴賓席からよく見える位置まで案内するはず。

 となるとやっぱり、奥まで歩かなきゃならないのか……。
 ダンスという重労働を前に、体力すらケチケチ使わねばならない僕にとっては、ちょっとした試練だ。でも仕方ない。薬湯補給もしたし、大丈夫なはず。

 ……でも不安。
 ここまで積み重ねた競い合いで、心身にけっこうな負担がかかっている。
 大丈夫だろうか。
 本当に最後までもつだろうか。

 無意識に癒しを求めて、白銅くんポケットを探っていた。子猫がそこにいないことはわかっているのに。
 やれやれ……「頑張るね!」なんて言ったのは、ついさっきのことなのにね。
 躰が疲れると、心まで弱くなる。
 頑張れ僕。頑張れ、頑張れ。
 がんば……

「れ!?」
「ん? どうしたアーネスト」

 僕らを先導する侍従さんから、「少し間を空けてご登場ください」と説明を受けていた王女が振り返ったが、僕が「なんでもありません」とにっこり笑うと、「そうか」とまた侍従さんとの会話に戻った。

 ……本当は、なんでもありまくりだけど……。

 僕はそっと、ポケットからマルム茸を取り出した。
 周囲を窺っても、殆どの人は大広間に移動済みなので、こちら側には警備の人たちや女官さんたちがちらほらと動き回っている程度。いま僕に目を向けている人はいない。

 ジェームズから『異変マルムは食べるな』と言われている。
 でもこのマルムは明らかに、『ちょっとかじってひと息入れてよね』という登場の仕方だよねえ? 

 ――だからいいよね? ジェームズ。わかった、ありがとう!

 心で叫んで勝手に了承を得た僕は、いつもの鈍くさい自分からは考えられないほど素早く、サクッとマルム茸をかじるや、ドレスが汚れませんようにとマルムに祈りながらポケットに捻じ込んだ。
 よし、誰にも見られてない!

 それにしても……美味しいー!
 爽やかに甘い果汁たっぷりのオレンジそのもの。
 気持ちまですっきりさせてくれる柑橘の香りが広がって、瞬く間に体内に吸収されていくマルムエキスを、全身が大歓迎しているのがわかった。
 こんなときでなければ王女にも食べさせてあげたかった。ひとりでつまみ食いして申しわけない。

「さあて、行くぞ」
「はい」

 とても良いタイミングで振り返った王女に頷くと、「よっしゃー!」という気合いと共に僕の背後にまわった王女が、突如、軽々と僕を抱き上げた。

「のああっ!?」
「なに驚いてるんだ。言っただろう、体力温存のために運んでやるって」
「言った? いつですか!?」
「たった今、侍従に許可を取らせたろうが。まったくボーッとした奴だな!」

 聞いてなかった! マルム茸を盗み食いすることに夢中で!

「だだだ大丈夫ですので、おろしてくださいぃ」
「お前、軽いな! 白銅と同じくらいなんじゃないのか」

 そんなバカな。なんてツッコミを入れる暇もなく、王女は僕を姫抱っこしたまま扉をくぐってしまい。
 たちまち待ちかまえていた人々から、笑いと大歓声が上がった。
 顔から火が出そうだ!

「なんと、妖精伯爵のお相手は歓宜カンギ殿下であったか!」
「これまた華のある一対だこと」
「恥じらう伯爵様もお可愛らしいわあ」
「キャーッ! 王女殿下素敵ーっ!」
「いやあ! 私も抱いてえぇ!」

 何やら王女殿下への女性たちの嬌声が凄まじい。
 そういえばドレスの仮縫い中の世間話で、ピュルリラさんが、『王女殿下は女性兵士や女官たちからの人気が凄まじい』と言っていた。
 確かに令嬢たちのようなタイプより、現場で働く層に人気がありそうな王女だと納得しながら聞いていたけども、臣下の奥方たちの中にも一部、熱狂的な支持者がいるようだ。すぎょい。

 思わぬ方面で驚いているうちに、王女は力強い足取りでどんどん進み、あっという間に所定の位置へと到着した。
 ようやくおろしてもらったところで、目に怒りを込めて微笑む壱香嬢と視線がぶつかった。
 えっと……目立つための演出とかでは、ないですよ?

 それに貴賓席に近づいて、壇上の双子の顔もはっきり見えるようになったはいいが。
 二人は目どころか全身から、憤怒の炎が立ちのぼっているようだった。怖い、顔が怖い! なぜに王女を見ながら牙を剥く!?

 あぜんとしていたら、浬祥リショウさんの肩に乗った白銅くんも視界に飛び込んできた。後肢で立ち上がって、浬祥さんの頭につかまりながら僕を見ている。
 ……はああ。なんという癒しのかたまり。

 双子は大いに見習ってほしい。
 二人の顔を見ればホッとできると思っていたのに、王女に

「引っ込め歓宜!」
「ダンス以外のおさわり厳禁!」

 などと野次っている。姉に野次るなよ……。
 あ、とうとう王様に扇で頭を叩かれた。
 王女も隣で「あいつら……あとで〆る」と呟いてるし。お、お手柔らかにお願いします。

 そして、いろいろ気にすることが多すぎて失念していたが、ふと気づけば躰がとても軽くなっていた。
 ついさっきまで全身にまとわりついていた澱のような疲労感が、綺麗に消え去っている。これなら途中で息切れし過ぎて倒れる心配もしなくて済みそう。
 ありがとう、マルム!
 しかし一方で、薬湯の限界を思い知らされるなあ……。マルムみたいな薬湯を作れたらいいのに。

 調合について思案していたら、指揮者が笑顔で合図を送ってきた。
 僕と王女は――そして壱香嬢と蟹清伯爵も、互いの手を取る。
 ヴァージナルとバイオリンによる優雅な舞曲が流れてきたのに合わせて、まず王様にお辞儀をして、次にパートナーへも会釈をして、ダンスが始まった。
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