相生様が偽物だということは誰も気づいていない。

文月

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五章.周辺事情

8.父さんの気持ち

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 引き戸になっている玄関の戸を開け、ただいま、というより早く四朗は制服の上着を脱いで腕に掛けた。
 もう‥一瞬でも早く上着を脱ぎたかったんだ。

 運動をするからズボンは体操服に変えたけど、上着を脱いでカッターのままテニスをしていたのが失敗だった。
 正直テニスをなめてた。
 汗だくのカッターが肌に張り付くようで‥不快だ。
 肌に張り付きうっすら肌が透けて見えるカッターのままで帰るわけにもいかず上着を羽織ったんだけど‥、正直気持ちが悪かった。
 帰宅中、人とすれ違う度に不快感を与えていないかと気になった。
 
 一刻も早くカッターを脱いでシャワーを浴びたい。
 焦る気持ちで上がりかまちに足を踏み出した。
 相生家は、上がり框が高い。
 それこそ、大きく一歩踏み出さないと超えられない高さ‥30㎝以上の高さがある。
 現在の一般的な上がり框の高さは18㎝くらいらしいから、だいぶん高い部類に入るだろう。
 ‥紅葉の一般的な「現在の家」に住むまではそんなことに気付かなかった。
 玄関は家族の靴が並ぶスペースが確保されてるだけ。上がり框は、そういえば小さく一歩分上がっているだけだった。
 吹き抜けになっている明るく開放的な玄関ホール。
 白いクロスの張られた壁、フローリングの床。引き戸ではなく扉で隔てられた部屋。
 それらは全て四朗が今まで当たり前だと思っていた住居と違っていた。
 ‥四朗はふと、そんなことを思い出した。

「あら、坊ちゃまお帰りなさい。まあま、汗びっしょり。珍しいですねぇ。
 さあさ、早くシャワーを浴びてこなきゃ風邪をひきますよ」
 お手伝いの清さんが、腕を伸ばして四朗の腕から上着を受け取る。
 珍しい‥そうだろうな。紅葉なら、こんな「失敗」はしなかっただろう。(臣霊がそうさせなかっただろう)
 四朗は苦笑いして、清さんにお礼を言った。

 玄関の扉から、上がり框まで土間が広がっている。
 この土間がやたら広い。
 軽自動車位なら頑張れば横に二台はいるんじゃないか? って位。
 入ってすぐ、6畳ほどの畳の間・玄関間があるが、気安い客人だったら部屋に上がることもなく、框に座って話をする。
 玄関間は‥本当は何に使う間なのか? 机が置いてあるわけでもない。客をもてなす応接間なら他にある。
 玄関ホールの大きい版って感じで認識している。(それにしては無駄に大きい)
 相生の家にはそんな風に色んな「よくわからない空間」があるんだけど、産まれた時からずっと見慣れていたので今までは疑問にも思ったことはなかった。

 その向こうに三つ、襖がある。
 向かって右側が台所に通じる襖(ここは改築されたらしい。以前は土間からそのまま台所に移動できていたらしいが(※昔は調理にかまどを使っていたかららしい)そこら辺はよく聞いていない)、正面が客間、左側が家族が普段使う居間の襖となっている。
 と言っても、客間と居間は襖一枚で隔てられているだけで、法事なんかの際は取り払って一つの部屋として利用することが出来る。
 それは、居間の奥の祖父母の部屋、客間の奥の仏間についても言えた。
 田の字形間取りといって、昔の家によくあった間取りだ。
 
 台所に二階へとつながる階段があり、父親たち夫婦の寝室と四朗たちの部屋、父親の書斎は二階にある。
 昭和に入ってから増設したらしい二階部分は、一階とは全く違った雰囲気をしていた。(といっても古いには違いないが)
 階段を上がると真っすぐ廊下が走っており、左側が窓、右側に四朗たち兄弟の部屋と父親夫婦の部屋の二つが並んでおり、廊下突き当りに父親の書斎があった。
 隣り合う四朗たち兄弟の部屋と父親夫婦の部屋は壁で仕切られており、二つの部屋を繋ぐ襖はなかった。(ここらへんが一階とは違う)
 突き当りの書斎だけがこの家で唯一扉が使われいて、幼い頃の四朗はちょっと憧れたものだった。
 因みに一階のトイレ(入側縁の突き当りにある)も扉なんだけど、それはノーカンだ。(ちなみにこのトイレ、相生家唯一のトイレ。二階はトイレがないのだ)

 一階の改築部にはキッチンと風呂場と洗面台‥水回りが集まっている。
 家族の机が置かれただけのダイニングテーブルの奥にシステムキッチン、その向かい側にバスルームがある。
 キッチンに繋がる襖に手をかけた時、テーブル近くに立つ人の気配がして‥何となく清さんかと思い顔を上げた四朗は、そこにいた予想外の人物に驚き‥目を見開いた。

「あ、父さん。帰ってたんですね」

 帰って来たのは、もう少し前だったのだろう。
 仕事着であるスーツ姿ではなく、彼がいつも家にいるとき着ている着物姿だった。
 因みに、祖父も家では着物で過ごしている。生地を薄いものに変えて、夏でも、甚平や浴衣の様なラフなものではなく、きちんと着物を着ている。それは彼らのすっきりとした日本顔によく合っているが、近所の小学生男子から日曜の夜の某アニメの父親の名前で密かにと呼ばれているのは黙っておこう。(因みに、じいさんとセットで呼ぶときはその名称の前に「ダブル」が付く)
 着物を着ているから‥の仇名であって、別に二人とも頭の毛が寂しいわけでは無い。

 まあ、今時なかなか普段から和服着ている人なんていないしね。
 似合うとか似合わないとか小学生男子は見ないしね! 

 因みに、これは四朗は気付いていないが、道着で道場に通い、素振りを欠かせない四朗は「サムライ」とか「武士」とか陰で呼ばれている。
 ‥同じく小学生男子によって。


「珍しく汗だくだね。今日は道場の日だった? 」
 と、父親が穏やかに聞くと、
「いえ、相崎とテニスを」
 四朗はちょっと言いにくそうに言って、肩をすくめた。
「珍しいね。勝ったの? 」
「ぼろ負けしました」
「それは、また」
 珍しいね、と四朗の父親が静かに、しかし面白そうに笑った。

 絶対、面白がられてる。

「博史に教えてもらってリベンジですね」
 四朗が宣言すると、父親は少し目を見開き、そして少し声に出して笑った。
「じゃあ、今度の日曜は僕も家にいるから三人でテニスをしに行こうか。僕も昔は少ししていたんだよ」
「そうなんですか? 」
 そんな他愛無い会話も何となく敬語になってしまうものの、こんな会話が出来たことに四朗はどこか嬉しかった。
 父親も祖父も仕事で家を開けることが多かったから、二人と話すとき昔はいつも何となく緊張してしまっていた。
 特に祖父には。祖父は厳しい人だったから‥。
 ‥あの時は、もっと子供だったからかな、とも思った。

 それは、しかしながらそれは四朗だけではなかったようだ。
 今、四朗の父親もまた四朗そっくりの端正な顔に、穏やかな笑みを浮かべ、
 ぼそり‥と

 本当に、独り言のように
「正直ね、君の能力が無くなった時、うれしかったんだ」
 呟いたんだ。

 その顔は、今まで四朗が見たことがない程‥肩の力が抜けたような‥穏やかな表情だった。

 そして気付いた。
 そう言えば、紅葉と入れ替わって以来初めて父さんに会うな、と。(というか‥実に8年ぶりの再会なんだが、そこら辺のことについては四朗はスルーだ)
 ‥彼は今目の前にいる俺を「今までの四朗」だと思って話している、と。

 どうしよう。記憶が戻ったとか言った方がいいのかな。‥そう言えば、家族にもそんな話していないな。

 そんなことを考えていたが、目の前の父親はそんな四朗の動揺には気付いていないようだった。
 急にこんな話するのって‥どうだろう。
 そもそも入れ替わりすら気づいてなかったぽいのに‥。記憶喪失は‥でも知ってるわけだから‥でも、なんか「今の君」(紅葉)の方がいい‥とか言ってる人に、「いや、アンタの気に入ってた俺はもう終わりです」とか‥言える??
 記憶の事とか‥そりゃいずれは言わなくてはいけないかもしれないけれど‥

 それは確実に今ではないな。

 と、四朗は判断して口を閉ざした。
 父親の呟きは続いていた。
「変な話だろう? ‥それに、勘違いしないでほしいが、‥それは別に自分に力がないから、とは別の話だ」
「そんなこと‥何言ってるの父さん‥? 」
 父親も「能力が少ない」から、仲間意識を感じて「うれしかった」って言ったって俺が思った‥って思ってる? 
 ‥父さんのことそんな風(能力が少ないとか)に思ったことない。
 そして、父親が‥そんなことで悩んでいることも‥考えたことなかった。

 彼の今の言葉で初めて‥
 ‥彼が自分に力が少ないことをコンプレックスに感じていたことを知った。

 そんな風に思っていたんだ‥って思った。
 ショックを受けて黙り込む四朗に、気を使わせたって勘違いした父親は少し眉を寄せ‥
 そして‥また穏やかに微笑んだ。
「君は何も気にしなくていい。君に力があろうとなかろうと‥僕は君の父親だし、僕らは家族だ。勿論、それは母さんも同じだ」

「そうよ。四朗。記憶なんて戻らなくたっていいわ。相生の跡継ぎとしての力がないのも大したことないわ。私には、そういうことわからないけれどね」
 いつの間に来たのか、母さんが父親の後ろに立っていた。
「あなたは私の大事な息子よ。それは変わらないことよ」
 と言っていつもと同じ‥四朗のこころに残っている7年前の彼女と変わらない明るい笑顔を四朗に向けた。
 
 あの頃と同じで‥今も‥本当に暖かくて、優しい気持ちになれる。

「父さん。‥母さん」
 うるっと来た。
 母親に「大事な息子だ」と言ってもらえたことが‥自分にとって(自分でも驚くほど)うれしかった。
 この7年間、接してきた「本当の母親の」桜からは‥その手の愛情を感じたことはなかったから。
 自分のことを何の目的の為でなく「息子として」本当に愛してくれるのは
 ‥寧ろ静の母さんかもしれないって思えた。

 だけど、同時にちくり‥と心のどこかが痛くなった。

 急に、桜の悲しげな顔が浮かんできた。
 俺が、この人を本当のお母さんと認めるのは、桜にとってはとても悲しいことではないだろうか。

 桜の本当の息子でもある、俺。

 たとえ‥桜が俺に持っている感情が「当たり前な」親子の情じゃなかったとしても‥
 俺は‥そんな理由で桜を切り捨てちゃいけない。
 否、‥切り捨てられるもんじゃない。

 向かい合って話す桜が見ているのが、俺(息子)じゃなくって‥、父さん(元夫)だとしても‥だ。
 桜は‥ずっと俺の向こうに父さんを見ていた。
 母さんにとって俺は「今でも愛する父さん」との息子。
 大事なのは父さんで、‥俺はおまけ(って言い方もどうかと思うけど)

 なぜか、桜は何も言わないけれど、そう思った。
 桜は不器用で、寂しがりで、
 だけど‥桜のことは、何故かよく分かった。


「‥ありがとう‥ございます」
 四朗は小さく微笑んで‥黙って頭を下げた。
 両親が自分を見ながらちょっと困った様に微笑んでいるのが気配で分かった。
「ゆっくりでいい。君は、君なんだ。君が考えて、君が思うように生きればいい。そろそろ‥伝統も、ないのかもしれないね」
「‥‥」
 四朗は、顔も上げずに頷いた。
 頷いたものの、「そんなこと思ってもいないくせに」と心の中では思った。

 「相生の能力がなくなった四朗(紅葉)」がこれ以上傷つかないように、と気遣っているのだろう。
 だけど、今ここに居るのは紅葉ではなく、四朗(相生の能力がある)だ。
 だから気遣う必要なんかない。
 なら、すぐ誤解を解いて安心させてあげないと‥
 ‥とは思えないのは父親が自分の息子の能力がなくなったことについて‥否定的ではないどころか‥どこか嬉しそうにみえるから。

 彼は‥どう考えているんだろう。

 誰よりも頑張って相生の跡取りとなろうとした父さんと、今の「相生の伝統から解放されて、肩の荷をそろそろおろしたい」と感じている父さん。
 どちらが彼の本心なんだろう。

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