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海辺
しおりを挟むドアを開けた先は海だった。
静かな潮騒が聞こえる。鈍色の波が押し寄せては砕けて白い泡になる。
曇天を背景に、沖にはウインドサーフィンの帆影、上空には鳶が飛び回っている姿があるが、よく見るとどちらもスクリーンに投影された映像だった。
ハルトは海の水が本物かどうか確かめようとして、やはりどちらでも良いかと砂浜を歩き始めた。
木製のテラスに行き着いて階段を上る。テラスの上には長いカウンターといくつかの椅子が海の方に向けて置かれている。
ハルトは椅子に座るとカウンターに肘をついて海を眺めた。
ふと、子供の頃に両親に連れて行ってもらった江ノ島の海が思い出された。モノレールに乗って浜辺まで歩いた。途中の店でソフトクリームを買って貰って食べて、スーパーボールも欲しいとねだって泣いた。母親は駄目だと言ったけど、結局父親が折れて買ってくれたのだった。
あのスーパーボール、どこへ行ってしまったのだろう。捨てた記憶は無いがどこへやったか思い出せない。どのみち、M801星への私物の持ち込みは厳しく制限されていた。
あの海から随分と遠い場所にいる自分を思って、ハルトは胸が疼いた。
今日は散々だった。
部屋でシュイに迫られて逃げ、砂丘のフロアでセシルにキスされそうになって逃げ、実技をやり損ね、エレベータは不具合を起こし、統制局員にキスされた。シュイは怒るし、おまけにシュイに借りたままのマントを砂丘に置いてきてしまっていた。うんざりしてハルトは呟いた。
「...帰りたい」
「地球へ?」
振り返ると、金髪の巻き毛とミントグリーンのメッシュが目に入った。
「ロイカ」
「シュイが心配しているよ」
ロイカがハルトの隣の椅子に腰掛けながら言った。海風で舞い上がった巻き毛を邪魔そうに掻き上げている。
シュイの事は聞きづらくて別の事を言った。
「...みんなもそうだけど、その髪の色お洒落だね」
「お洒落だって?これは識別タグみたいなものさ。遠目でも誰か判別できるようにね。メッシュなしのハルトは特別ってわけ」
そうだったのか。皆派手な色のメッシュを入れている理由がやっと分かった。自分は地球人だから不要ということなのだろうか。
「...ロイカは、もう僕にキスしてって言わないの?」
「まあ、今はゼリィが足りているからね」
「ゼリィって?」
「シュイから聞いていない?統制局から配給されるんだけど、中毒性があるんだ。不足すると飢餓感に苛まれて、青白い顔して寝込む事になる」
ハルトは今朝のシュイの青白い顔を思い出した。そういえばゾルドも、シュイはゼリィ切れだと言っていた。
「統制局はゼリィで俺たちを管理しているんだ。罰則として供給をストップすることもあるし、気まぐれにターゲットを決めてゼリィを与えずに見せしめにすることもある」
「そんな...」
「ここは牢獄みたいだろう。俺だって地球へ行けるなら行きたいな」
驚いてロイカの顔をまじまじと見ると、ロイカは笑って言った。
「それで、たい焼きを食べるんだ」
「なんで、たい焼き」
「そういう古い童謡があるだろう?」
「あっ...たかな?」
ハルトが首を傾げていると、ロイカが椅子から立ち上がった。
「さあ、部屋まで送るよ」
「...うん」
ハルトは最後にじっと波打ち際を眺めると、ロイカの後について出口に向かった。
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