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第三章

31:あの……。ご馳走様でした。おかず、残しちゃってごめん

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 常人が人を刺していたら、そんな艶めいた気分に数日過ぎたぐらいではなれない。
 いつ警察がやって来るのか、不安でたまらないはずだ。
 尚の帯を整えながら時雨は思う。
 血のようなものが付着している凶器をリュックに入れていて、そこを探られるのは絶対に嫌なはずだ。
 だから記憶が飛んでいるのは確か。
 誰だってタガが外れてしまえば、人ぐらい殺す。
 時雨的に、尚という男がそうであって欲しくないだけだ。
 新興宗教の二世として翻弄されて、それでも頑張って生きてきたというような苦労を重ねた身体と態度だった。痛む左脇腹の傷や、絶対外さない左目の眼帯のことも気になる。
 とにかく救済チャンスリストに載っていたのに、やってこなかったのだから好きさせることはできない。目の届く範囲に置いておかないと。
「さあ。できた。居間へどうぞ」
 食卓テーブルの椅子に座っていた白猫は、我先に居間へ。
 困ったように尚も付いていく。
 朝食時に尚の周りをウロウロしていた白猫は、そのうちあぐらをかいた尚の膝の中にまで入り込んできて、フンフンと匂いを嗅いで、それに飽きるとじっと見上げていた。
「クレさん。尚が食べ辛いって」
と時雨が言うと、不満そうにそこから降りて尻尾を畳に叩きつけ、縁側から庭に飛び降りていく。
 もうそこから姿を見せなかったので、家に帰ったようだ。
 尚が、半膳の白米を平らげ味噌汁を飲み干した。
 味噌汁は、暑い夏にぴったりのみょうがを刻んだ冷製だ。
「あの……。ご馳走様でした。おかず、残しちゃってごめん」
「予想より食べてくれたからいい」
 すると、尚は顎が鎖骨に付くほどうつむく。
「美味しかった、とても」
「今は悪尚さんじゃなく、素尚さんの方だよね?素直と素尚をかけました」
「変なのをさらに作らない」
と尚が反論する中、時雨は、さて、今からどうしようかなと考える。
 きっと尚は帰る気でいるだろう。
 さすがに監禁は出来ない。
 色ごとは、たっぷり時間をかけないとなびきそうにないし、贅沢な場所に連れ回そうとしても警戒される。
 やっぱり、何らかの作業が無難だ。
 本格的に不幸買い取りセンターの仕事をしてもらうなら、ノート型パソコンがあった方がいい。
 自分のは機密事項がたくさんあるから、貸せない。だとすれば、質流れになったノート型パソコンがあったはずだから、それを初期化して与えればいい。
 となると、店に取りに行かなければならない。
 じゃあ、尚に留守を頼み家を出て、その最中に、タクシー会社に電話すればよさそうだ。
「尚。不幸買い取りセンターの話をまとめる前に、仏壇前にあるお中元の仕分けを頼んでもいい?箱から出して、食品とそれ以外にわけて。洗剤なら洗面所の下の棚に。シーツとかなら押入れに。ダンボールは潰してもらって資源ごみに」
「かまわないけれど」
 時雨が食器を洗っている最中から、もう尚は片付け作業に入っていた。
 何故か、笑っている。
 食器洗いを終えて、時雨は尚の隣に座って話しかけた。
「ご機嫌だね」
「だって、時雨さん。神様設定なのに名字あるんだと思って。白川っていうんだな。母親宛らしきお中元もあったけど?」
「芙蓉さん?まだ届いていた?亡くなって十年は経つんだけどなあ。配達員さんもまとめて持ってきたから確認もされなかった」
「あ。ごめん」
「芙蓉さんは普通の人間。寿命があるんだからしょうがない。でも、神様と関わりを持って生まれてきた人。そして、元はこの家の持ち主。そういう人が死んだら僕ら神様は、彼らゆかりの地から離れなくちゃいけないんだけど、僕はそれが出来なくて居座っちゃったんだよね」
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