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ふわふわ飛んじゃう!
月に向かう影
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先にお風呂に入らせてもらった花菜は家から持ってきたパジャマに着替えた。
アキトの部屋だという二階の和室はでんぐり返しが何度もできそうなくらい広い。大きな窓には分厚いカーテンが引かれている。
『アキトのやつ「おんみょうじ」の技の練習中に障子ごと窓ガラスを割っちまったんだ。これは応急処置』
「ほんとだ、部屋のあちこちに落書きやキズがあるね」
部屋の四カ所に貼られた奇妙なお札。あれもアキトの自作だという。
『修行ギライだったヤツがよくやってるよ。モモクリマチがあんなことになってじっとしていられないよな』
赤ニャンは短い足で反動をつけて勉強机の上によじ登ると机の上に広げられたノートをめくりはじめた。人のものを勝手に見てはいけないと思いつつ花菜もつい興味があって覗きこんだ。
難しい漢字がたくさん並んでいる。青巻紙赤巻紙からはじまる早口言葉も比較的最近のペーシに書いてあった。
(がんばってるんだ。すごいな)
いまはインターネットでなんでもすぐに調べられる時代なのに、すぐ側にいるアキトの故郷のことすら知らない。
(知りたいな。モモクリマチのことも、アキトくんの家族のことも)
この欲張りな気持ちはなんだろう。さみしいのにもどかしいこの気持ちは。
最初のページをめくったときだ。
「……!」
叫び声もあげずに一瞬でノートを閉じた。
(なに、いまの)
心臓がとくとくと早鐘をうつ。
見えた。一ページ目に。鉛筆を何度も何度も押しつけたような筆跡で――角を生やした恐ろしい鬼の姿が。ピンク色の体に、目が三つ、ぎょろりと光っていた。
(まさか、もしかして、ううん、アキトくんの町や家族って――)
「花菜?」
「わっ!」
後ろから声をかけられて腰が抜けてしまった。アキトだ。
つやつやした毛先から水滴が落ちて黒色のパジャマを濡らしている。首に巻いたタオルもぐっしょりと濡れていた。どうやら急いであがってきたようだ。
「どうした? 鬼でも見たような顔して」
「なんでもない。ちょっとびっくりしただけ……アキトくんってお風呂早いんだね」
机につかまりながらよろよろと立ち上がるとアキトがじっとこちらを見ている。
「アキトくん? どうしたの?」
「……あ、いや。花菜ってけっこう髪が長いんだな。ふだん結んでいるから」
「そうかな。長いってほどでもないけど」
髪の長さは腕の付け根くらいだ。
本当は童話のお姫様みたいに伸ばしたいけれどお母さんが「長いと手入れが大変でしょう」とうるさいので仕方なく美容室に行っている。
「この前友美ちゃんが鬼に操られていたときもほどいたと思うけど」
「そうだっけ。全然余裕なくて見てなかった」
アキトはしげしげと眺めたあとニッと笑った。
「いいじゃん。たまにはその髪型でもいいかもな」
「えっ、ええっ」
(そんなこと、初めて言われた。お兄ちゃんは長いと幽霊みたいって言うし、友美ちゃんは髪短い方が楽だって言うから、だからずっと、結んでて)
どうしよう。体の中がお湯みたいに熱くなってきた。
『おや? おやおやおや? 顔が赤いぞ』
赤ニャンが面白そうに笑っている。花菜はぶんぶんと首を振った。ちがうちがう、アキトはきっと不安な自分を励ますつもりで言っただけだ、と自分を納得させる。
「おい赤ニャン。ニヤニヤしてねぇで布団運ぶの手伝え」
「あ、わたし手伝う」
押し入れから綿布団を二組運んで畳の上に広げる。顔を見るのが恥ずかしかったので下の方を見ていたらアキトの首元から巾着袋みたいなものが垂れ下がるのが見えた。
「ネックレス?」
「これのことか?」
黒い紐で首から吊り下げられていたのはお寺や神社で見るようなお守り袋だ。黒い布地に白い糸で「護」と縫いつけてある。アキトは指先で守り袋をはじいた。
「身守り石だよ。親父から預かったって母ちゃんがくれたんだ。これを身につけていればどんな災いからも逃れられるんだってさ」
「へぇ。なんだか安心するね」
「どうせなら町のみんなを守ってくれれば良かったのに。オレなんかじゃなくて」
ぎゅっと守り袋を握りしめるアキトを見ていると悲しくなる。
だっていつもさみしそうな顔をするから。
「おやすみなさい」
「うん。おやすみ」
灯りを消して布団にもぐりこんだ花菜はなかなか寝つけなかった。となりにアキトがいるせいかもしれない。
アキトに出会ってからの最近の日々がとてもふしぎに思えたのだ。
(モモクリマチ。そこでなにかあったからアキトくんは転校してきたんだよね。もしもなにもなかったらアキトくんとは会えなかったんだ)
自分の髪の毛をそっとなでてみる。
(わたし悪い子だ)
アキトに会えて花菜は嬉しい。でもアキトはどうだろう。
「――……母ちゃん」
暗闇の中ですすり泣く声が聞こえた。アキトは背中を向けたまま泣いている。
「ごめん、ごめんな――」
泣いている。夢の中で泣いているのだ。花菜はなるべく音を立てないよう体を起こし、アキトの布団を直してあげた。ぽんぽんと頭をなでる。
(事情は分からないけど、早くお母さんに会えるといいね)
髪に触れるとアキトの目からするっと涙が流れ落ちた。
「ア……リサ……」
とくん、と心臓が跳ねる。
(アリサ? だれのことだろう?)
女性の名前だと思う。
(もしかしてアキトくんの大切な人……)
もやもやする。
こんなに近くにいるのにアキトのことをとても遠く感じる。
(だめだ、考えてもらちが明かない……もう寝よ!)
アキトが穏やかな寝息を立てるのを確認し、花菜は布団にもぐりこんでぎゅっと目を閉じた。
※
──夢を見ていた。
目の前には青い空が広がっている。背伸びすれば雲をつかめそうなくらい近い。
『あぁもうすぐだ』
頭の中でだれかが笑う。はずんだ声で。
『もうすぐ風が迎えにきて、あのまぶしいところにいけるんだ』
それは太陽だった。こちらを手招きするようにきらきらと輝いている。
(もうすぐ空にいくって、この子はいったい──)
がくんと視界が暗転した。
はっと気づいたときには暗くて冷たい地面の上。周りには白い殻がたくさん散らばって中から黄色っぽい液体が流れ出している。
シュルリ、と音がして細長い生きものが現れた。大きな口を開いて殻ごと一飲みにしたかと思うと、今度は花菜に狙いを定めて近づいてきた。
赤黒い眼が、見ている。
「花菜おきろ!」
耳元で呼ばれた気がした。が、実際にはアキトははるか下を走っている。
(えっ、あっ、わたしまた浮いてる!?)
自分の意思とは裏腹にどんどん風に流されていく。いやちがう、どこかに向かっているのだ。花菜の中の影が目指している先に。
(お月さまだ)
まん丸満月が空に浮かんでいる。影はそこを目指しているのだ。
アキトの部屋だという二階の和室はでんぐり返しが何度もできそうなくらい広い。大きな窓には分厚いカーテンが引かれている。
『アキトのやつ「おんみょうじ」の技の練習中に障子ごと窓ガラスを割っちまったんだ。これは応急処置』
「ほんとだ、部屋のあちこちに落書きやキズがあるね」
部屋の四カ所に貼られた奇妙なお札。あれもアキトの自作だという。
『修行ギライだったヤツがよくやってるよ。モモクリマチがあんなことになってじっとしていられないよな』
赤ニャンは短い足で反動をつけて勉強机の上によじ登ると机の上に広げられたノートをめくりはじめた。人のものを勝手に見てはいけないと思いつつ花菜もつい興味があって覗きこんだ。
難しい漢字がたくさん並んでいる。青巻紙赤巻紙からはじまる早口言葉も比較的最近のペーシに書いてあった。
(がんばってるんだ。すごいな)
いまはインターネットでなんでもすぐに調べられる時代なのに、すぐ側にいるアキトの故郷のことすら知らない。
(知りたいな。モモクリマチのことも、アキトくんの家族のことも)
この欲張りな気持ちはなんだろう。さみしいのにもどかしいこの気持ちは。
最初のページをめくったときだ。
「……!」
叫び声もあげずに一瞬でノートを閉じた。
(なに、いまの)
心臓がとくとくと早鐘をうつ。
見えた。一ページ目に。鉛筆を何度も何度も押しつけたような筆跡で――角を生やした恐ろしい鬼の姿が。ピンク色の体に、目が三つ、ぎょろりと光っていた。
(まさか、もしかして、ううん、アキトくんの町や家族って――)
「花菜?」
「わっ!」
後ろから声をかけられて腰が抜けてしまった。アキトだ。
つやつやした毛先から水滴が落ちて黒色のパジャマを濡らしている。首に巻いたタオルもぐっしょりと濡れていた。どうやら急いであがってきたようだ。
「どうした? 鬼でも見たような顔して」
「なんでもない。ちょっとびっくりしただけ……アキトくんってお風呂早いんだね」
机につかまりながらよろよろと立ち上がるとアキトがじっとこちらを見ている。
「アキトくん? どうしたの?」
「……あ、いや。花菜ってけっこう髪が長いんだな。ふだん結んでいるから」
「そうかな。長いってほどでもないけど」
髪の長さは腕の付け根くらいだ。
本当は童話のお姫様みたいに伸ばしたいけれどお母さんが「長いと手入れが大変でしょう」とうるさいので仕方なく美容室に行っている。
「この前友美ちゃんが鬼に操られていたときもほどいたと思うけど」
「そうだっけ。全然余裕なくて見てなかった」
アキトはしげしげと眺めたあとニッと笑った。
「いいじゃん。たまにはその髪型でもいいかもな」
「えっ、ええっ」
(そんなこと、初めて言われた。お兄ちゃんは長いと幽霊みたいって言うし、友美ちゃんは髪短い方が楽だって言うから、だからずっと、結んでて)
どうしよう。体の中がお湯みたいに熱くなってきた。
『おや? おやおやおや? 顔が赤いぞ』
赤ニャンが面白そうに笑っている。花菜はぶんぶんと首を振った。ちがうちがう、アキトはきっと不安な自分を励ますつもりで言っただけだ、と自分を納得させる。
「おい赤ニャン。ニヤニヤしてねぇで布団運ぶの手伝え」
「あ、わたし手伝う」
押し入れから綿布団を二組運んで畳の上に広げる。顔を見るのが恥ずかしかったので下の方を見ていたらアキトの首元から巾着袋みたいなものが垂れ下がるのが見えた。
「ネックレス?」
「これのことか?」
黒い紐で首から吊り下げられていたのはお寺や神社で見るようなお守り袋だ。黒い布地に白い糸で「護」と縫いつけてある。アキトは指先で守り袋をはじいた。
「身守り石だよ。親父から預かったって母ちゃんがくれたんだ。これを身につけていればどんな災いからも逃れられるんだってさ」
「へぇ。なんだか安心するね」
「どうせなら町のみんなを守ってくれれば良かったのに。オレなんかじゃなくて」
ぎゅっと守り袋を握りしめるアキトを見ていると悲しくなる。
だっていつもさみしそうな顔をするから。
「おやすみなさい」
「うん。おやすみ」
灯りを消して布団にもぐりこんだ花菜はなかなか寝つけなかった。となりにアキトがいるせいかもしれない。
アキトに出会ってからの最近の日々がとてもふしぎに思えたのだ。
(モモクリマチ。そこでなにかあったからアキトくんは転校してきたんだよね。もしもなにもなかったらアキトくんとは会えなかったんだ)
自分の髪の毛をそっとなでてみる。
(わたし悪い子だ)
アキトに会えて花菜は嬉しい。でもアキトはどうだろう。
「――……母ちゃん」
暗闇の中ですすり泣く声が聞こえた。アキトは背中を向けたまま泣いている。
「ごめん、ごめんな――」
泣いている。夢の中で泣いているのだ。花菜はなるべく音を立てないよう体を起こし、アキトの布団を直してあげた。ぽんぽんと頭をなでる。
(事情は分からないけど、早くお母さんに会えるといいね)
髪に触れるとアキトの目からするっと涙が流れ落ちた。
「ア……リサ……」
とくん、と心臓が跳ねる。
(アリサ? だれのことだろう?)
女性の名前だと思う。
(もしかしてアキトくんの大切な人……)
もやもやする。
こんなに近くにいるのにアキトのことをとても遠く感じる。
(だめだ、考えてもらちが明かない……もう寝よ!)
アキトが穏やかな寝息を立てるのを確認し、花菜は布団にもぐりこんでぎゅっと目を閉じた。
※
──夢を見ていた。
目の前には青い空が広がっている。背伸びすれば雲をつかめそうなくらい近い。
『あぁもうすぐだ』
頭の中でだれかが笑う。はずんだ声で。
『もうすぐ風が迎えにきて、あのまぶしいところにいけるんだ』
それは太陽だった。こちらを手招きするようにきらきらと輝いている。
(もうすぐ空にいくって、この子はいったい──)
がくんと視界が暗転した。
はっと気づいたときには暗くて冷たい地面の上。周りには白い殻がたくさん散らばって中から黄色っぽい液体が流れ出している。
シュルリ、と音がして細長い生きものが現れた。大きな口を開いて殻ごと一飲みにしたかと思うと、今度は花菜に狙いを定めて近づいてきた。
赤黒い眼が、見ている。
「花菜おきろ!」
耳元で呼ばれた気がした。が、実際にはアキトははるか下を走っている。
(えっ、あっ、わたしまた浮いてる!?)
自分の意思とは裏腹にどんどん風に流されていく。いやちがう、どこかに向かっているのだ。花菜の中の影が目指している先に。
(お月さまだ)
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