上 下
18 / 37
ふわふわ飛んじゃう!

月に向かう影

しおりを挟む
 先にお風呂に入らせてもらった花菜は家から持ってきたパジャマに着替えた。
 アキトの部屋だという二階の和室はでんぐり返しが何度もできそうなくらい広い。大きな窓には分厚いカーテンが引かれている。

『アキトのやつ「おんみょうじ」の技の練習中に障子ごと窓ガラスを割っちまったんだ。これは応急処置』

「ほんとだ、部屋のあちこちに落書きやキズがあるね」

 部屋の四カ所に貼られた奇妙なお札。あれもアキトの自作だという。

『修行ギライだったヤツがよくやってるよ。モモクリマチがあんなことになってじっとしていられないよな』

 赤ニャンは短い足で反動をつけて勉強机の上によじ登ると机の上に広げられたノートをめくりはじめた。人のものを勝手に見てはいけないと思いつつ花菜もつい興味があって覗きこんだ。

 難しい漢字がたくさん並んでいる。青巻紙赤巻紙からはじまる早口言葉も比較的最近のペーシに書いてあった。


(がんばってるんだ。すごいな)


 いまはインターネットでなんでもすぐに調べられる時代なのに、すぐ側にいるアキトの故郷のことすら知らない。


(知りたいな。モモクリマチのことも、アキトくんの家族のことも)


 この欲張りな気持ちはなんだろう。さみしいのにもどかしいこの気持ちは。


 最初のページをめくったときだ。


「……!」

 叫び声もあげずに一瞬でノートを閉じた。


(なに、いまの)


 心臓がとくとくと早鐘をうつ。

 見えた。一ページ目に。鉛筆を何度も何度も押しつけたような筆跡で――角を生やした恐ろしい鬼の姿が。ピンク色の体に、目が三つ、ぎょろりと光っていた。


(まさか、もしかして、ううん、アキトくんの町や家族って――)


「花菜?」

「わっ!」

 後ろから声をかけられて腰が抜けてしまった。アキトだ。

 つやつやした毛先から水滴が落ちて黒色のパジャマを濡らしている。首に巻いたタオルもぐっしょりと濡れていた。どうやら急いであがってきたようだ。

「どうした? 鬼でも見たような顔して」

「なんでもない。ちょっとびっくりしただけ……アキトくんってお風呂早いんだね」

 机につかまりながらよろよろと立ち上がるとアキトがじっとこちらを見ている。

「アキトくん? どうしたの?」

「……あ、いや。花菜ってけっこう髪が長いんだな。ふだん結んでいるから」

「そうかな。長いってほどでもないけど」

 髪の長さは腕の付け根くらいだ。
 本当は童話のお姫様みたいに伸ばしたいけれどお母さんが「長いと手入れが大変でしょう」とうるさいので仕方なく美容室に行っている。

「この前友美ちゃんが鬼に操られていたときもほどいたと思うけど」

「そうだっけ。全然余裕なくて見てなかった」

 アキトはしげしげと眺めたあとニッと笑った。

「いいじゃん。たまにはその髪型でもいいかもな」

「えっ、ええっ」


(そんなこと、初めて言われた。お兄ちゃんは長いと幽霊みたいって言うし、友美ちゃんは髪短い方が楽だって言うから、だからずっと、結んでて)


 どうしよう。体の中がお湯みたいに熱くなってきた。

『おや? おやおやおや? 顔が赤いぞ』

 赤ニャンが面白そうに笑っている。花菜はぶんぶんと首を振った。ちがうちがう、アキトはきっと不安な自分を励ますつもりで言っただけだ、と自分を納得させる。

「おい赤ニャン。ニヤニヤしてねぇで布団運ぶの手伝え」

「あ、わたし手伝う」

 押し入れから綿布団を二組運んで畳の上に広げる。顔を見るのが恥ずかしかったので下の方を見ていたらアキトの首元から巾着袋みたいなものが垂れ下がるのが見えた。

「ネックレス?」

「これのことか?」

 黒い紐で首から吊り下げられていたのはお寺や神社で見るようなお守り袋だ。黒い布地に白い糸で「護」と縫いつけてある。アキトは指先で守り袋をはじいた。

「身守り石だよ。親父から預かったって母ちゃんがくれたんだ。これを身につけていればどんなわざわいからも逃れられるんだってさ」

「へぇ。なんだか安心するね」

「どうせなら町のみんなを守ってくれれば良かったのに。オレなんかじゃなくて」

 ぎゅっと守り袋を握りしめるアキトを見ていると悲しくなる。
 だっていつもさみしそうな顔をするから。


「おやすみなさい」

「うん。おやすみ」

 灯りを消して布団にもぐりこんだ花菜はなかなか寝つけなかった。となりにアキトがいるせいかもしれない。
 アキトに出会ってからの最近の日々がとてもふしぎに思えたのだ。


(モモクリマチ。そこでなにかあったからアキトくんは転校してきたんだよね。もしもなにもなかったらアキトくんとは会えなかったんだ)


 自分の髪の毛をそっとなでてみる。


(わたし悪い子だ)


 アキトに会えて花菜は嬉しい。でもアキトはどうだろう。

「――……母ちゃん」

 暗闇の中ですすり泣く声が聞こえた。アキトは背中を向けたまま泣いている。

「ごめん、ごめんな――」

 泣いている。夢の中で泣いているのだ。花菜はなるべく音を立てないよう体を起こし、アキトの布団を直してあげた。ぽんぽんと頭をなでる。


(事情は分からないけど、早くお母さんに会えるといいね)


 髪に触れるとアキトの目からするっと涙が流れ落ちた。


「ア……リサ……」


 とくん、と心臓が跳ねる。


(アリサ? だれのことだろう?)


 女性の名前だと思う。


(もしかしてアキトくんの大切な人……)


 もやもやする。
 こんなに近くにいるのにアキトのことをとても遠く感じる。


(だめだ、考えてもらちが明かない……もう寝よ!)


 アキトが穏やかな寝息を立てるのを確認し、花菜は布団にもぐりこんでぎゅっと目を閉じた。



   ※



 ──夢を見ていた。

 目の前には青い空が広がっている。背伸びすれば雲をつかめそうなくらい近い。

『あぁもうすぐだ』

 頭の中でだれかが笑う。はずんだ声で。

『もうすぐ風が迎えにきて、あのまぶしいところにいけるんだ』

 それは太陽だった。こちらを手招きするようにきらきらと輝いている。


(もうすぐ空にいくって、この子はいったい──)


 がくんと視界が暗転した。

 はっと気づいたときには暗くて冷たい地面の上。周りには白い殻がたくさん散らばって中から黄色っぽい液体が流れ出している。

 シュルリ、と音がして細長い生きものが現れた。大きな口を開いて殻ごと一飲みにしたかと思うと、今度は花菜に狙いを定めて近づいてきた。

 赤黒い眼が、見ている。




「花菜おきろ!」

 耳元で呼ばれた気がした。が、実際にはアキトははるか下を走っている。


(えっ、あっ、わたしまた浮いてる!?)


 自分の意思とは裏腹にどんどん風に流されていく。いやちがう、どこかに向かっているのだ。花菜の中の影が目指している先に。


(お月さまだ)


 まん丸満月が空に浮かんでいる。影はそこを目指しているのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

本当にあった怖い話

邪神 白猫
ホラー
リスナーさんや読者の方から聞いた体験談【本当にあった怖い話】を基にして書いたオムニバスになります。 完結としますが、体験談が追加され次第更新します。 LINEオプチャにて、体験談募集中✨ あなたの体験談、投稿してみませんか? 投稿された体験談は、YouTubeにて朗読させて頂く場合があります。 【邪神白猫】で検索してみてね🐱 ↓YouTubeにて、朗読中(コピペで飛んでください) https://youtube.com/@yuachanRio ※登場する施設名や人物名などは全て架空です。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

すべて実話

さつきのいろどり
ホラー
タイトル通り全て実話のホラー体験です。 友人から聞いたものや著者本人の実体験を書かせていただきます。 長編として登録していますが、短編をいつくか載せていこうと思っていますので、追加配信しましたら覗きに来て下さいね^^*

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

処理中です...