9 / 192

第4話 工房長の申し出②

しおりを挟む
 まだ乾ききっていない絵の具の状態で持ち帰ってしまったから、こうして少しでも早く乾かそうと思ったのだ。
 汚れないように木枠のケースに入れてくれたものを、上向きに布袋に入れて持ち帰って来たから、絵はキレイなままだった。

 すると窓からヒラヒラと黄色い蝶々が飛び込んで来て、テーブルの上の花瓶にいけられた花のまわりを舞った。
 そろそろ日が落ち始める頃だというのに、今夜の寝床をこの花にでも決めたのかしら?私はとても気持ちがなごんだ。

「次はこの子を描きましょう。」
 私はパレットに絵の具を取り出して、ああでもないこうでもないと、色を作り始めた。
 その時、窓のへりの上に置かれた子猫の絵が、ボウッと薄く光りだしていることに、絵を描くことに夢中になっていた私は、まるで気が付かなかったのだった。

 私はあれから夢中で絵を描いた。
「うん、なかなかいい出来ね。」
 花瓶にさした美しい花の周囲を黄色い蝶々が舞っている姿を、なんとかキャンバスの上にとどめることに成功したと思う。
 もちろんまだまだ拙いけれど、誰が見ても花と黄色い蝶々を描いたことが分かる絵になったと思う。

「これも乾かしておきましょう。」
 私は描きあげた絵を、窓のへりの上の子猫の絵の隣に置き、並べて眺めていたく満足した。ふと気が付くと、すっかり日が落ちている。食事の時間はとうに過ぎている筈だったが、呼びに来たが私が気付かなかっただけなのだろうか。そう思うとお腹が空いてくる。

 いったんキャンバスと画材と小さなイーゼルをクローゼットの中に隠してから、部屋のベルを鳴らしてメイドを呼ぶと、不機嫌な表情のラリサがやって来た。食事を持ってくるように告げると、舌打ちをしてあからさまに面倒くさそうに部屋を出ていき、台車に乗せられた食事を運んで来た。

 料理はすっかり冷めていたが、私の為に料理を温め直すという気持ちがないのは、ロイエンタール伯爵家の料理人も一緒のようだ。
 恐らくは蓋も被せずに置いておいたのだろう、少しスープにホコリが浮いていた。
 私は何も言わず、ラリサが部屋からいなくなったあとで、ホコリを取り除いて冷めたスープをスプーンですくって飲み込んだ。

 食事が終わり、再びベルを鳴らしてラリサを呼んで、食器を下げさせると同時に、今日もベッドメイキングが終わっていないことを告げると、これからやるつもりなのかとたずねた。ラリサは憮然とした表情で、申し訳ありません、とだけ言って部屋を出て行った。

 私は夢中で絵を描いていたので、かなり遅くまで待っていたのだが、いつまで経ってもラリサが戻って来ることはなかった。
 ラリサに頼むといつもこうだ。なにか1つはやってくれるが、それ以上頼むと無視をする。誰か他のメイドに押し付けてやらせるのであればまだいいほうだ。

「仕方がないわね。もう休みましょう。」
 私は小さなイーゼルと画材一式と描いた絵をクローゼットの中にしまうと、ベッドに横たわり、魔道具の明かりを消して休んだ。
 ──深夜、クローゼットのドアが内側からそっと開かれたが、私は疲れていてまったく気が付かなかったのだった。

「──寝不足なのか?」
「あ、はい、申し訳ありません。」
 翌朝の朝食の席で、あくびを噛み殺した私を見てイザークがたずねてくる。
 深夜まで夢中になって新しい絵を描いてしまったせいで、私はすっかり寝不足だった。
 だが今日は絵を描き始めたことをイザークに報告しなくてはならない。

 私は姿勢を正して、イザークをキリッと見つめた。それに気が付いたイザークが、わずらわしそうに視線を上げる。
「……実は絵を描き始めたのです。」
「絵を?」
「はい。
 最近は絵を趣味になさる御婦人方も多いのだとか。私も始めてみることにしました。」

「──確かにそう聞いている。魔石の粉末入りの絵の具を使った魔法絵師が増えたことによる影響だろうな。自分でも描いてみたくなったと言って、絵を始められる方が増えているようだ。それはとてもよい趣味だと思う。御婦人方との話も弾むことだろう。」
 案の定、イザークは社交に影響があるかどうかを気にして、私が絵を始めたことを喜んでいるようだった。

「確かに貴族の御婦人方の中には、習ってまで始められる方もいるとお聞きしました。」
「……習いたい、ということか?」
 金を出せということか、と言いたげなのが見て取れる。イザークは眉根をひそめたけれど、本当に社交の場で貴族婦人たちと話を合わせるつもりで絵を始めるのであれば、習った方が当然よいと思うのだけれど。

「いいえ。とうぶんは自由に描いてみたいと思っております。もちろん、いずれかの御婦人から教室なり家庭教師をすすめられるようであれば、その限りではありませんが。」
「そうだな、そのほうがよいだろう。」
 イザークがうなずく。これで家で絵を描いてもよいという言質は取った。私は思わずホッとして胸をなでおろした。

 あとは魔石の粉末入りの高級な絵の具を使って描いていることを、知られなければいいだけなのだけれど、イザークは夜の営みの義務の時にも、自分の部屋に私を呼びつけるので、私の部屋に近付くことはない。メイドの出入りにだけ気を付けれは済む話だ。

────────────────────

少しでも面白いと思ったら、エピソードごとのイイネ、または応援するを押していただけたら幸いです。
しおりを挟む
感想 89

あなたにおすすめの小説

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

【完】夫から冷遇される伯爵夫人でしたが、身分を隠して踊り子として夜働いていたら、その夫に見初められました。

112
恋愛
伯爵家同士の結婚、申し分ない筈だった。 エッジワーズ家の娘、エリシアは踊り子の娘だったが為に嫁ぎ先の夫に冷遇され、虐げられ、屋敷を追い出される。 庭の片隅、掘っ立て小屋で生活していたエリシアは、街で祝祭が開かれることを耳にする。どうせ誰からも顧みられないからと、こっそり抜け出して街へ向かう。すると街の中心部で民衆が音楽に合わせて踊っていた。その輪の中にエリシアも入り一緒になって踊っていると──

年に一度の旦那様

五十嵐
恋愛
愛人が二人もいるノアへ嫁いだレイチェルは、領地の外れにある小さな邸に追いやられるも幸せな毎日を過ごしていた。ところが、それがそろそろ夫であるノアの思惑で潰えようとして… しかし、ぞんざいな扱いをしてきたノアと夫婦になることを避けたいレイチェルは執事であるロイの力を借りてそれを回避しようと…

王太子妃は離婚したい

凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。 だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。 ※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。 綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。 これまで応援いただき、本当にありがとうございました。 レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。 https://www.regina-books.com/extra/login

前世の記憶が蘇ったので、身を引いてのんびり過ごすことにします

柚木ゆず
恋愛
 ※明日(3月6日)より、もうひとつのエピローグと番外編の投稿を始めさせていただきます。  我が儘で強引で性格が非常に悪い、筆頭侯爵家の嫡男アルノー。そんな彼を伯爵令嬢エレーヌは『ブレずに力強く引っ張ってくださる自信に満ちた方』と狂信的に愛し、アルノーが自ら選んだ5人の婚約者候補の1人として、アルノーに選んでもらえるよう3年間必死に自分を磨き続けていました。  けれどある日無理がたたり、倒れて後頭部を打ったことで前世の記憶が覚醒。それによって冷静に物事を見られるようになり、ようやくアルノーは滅茶苦茶な人間だと気付いたのでした。 「オレの婚約者候補になれと言ってきて、それを光栄に思えだとか……。倒れたのに心配をしてくださらないどころか、異常が残っていたら候補者から脱落させると言い出すとか……。そんな方に夢中になっていただなんて、私はなんて愚かなのかしら」  そのためエレーヌは即座に、候補者を辞退。その出来事が切っ掛けとなって、エレーヌの人生は明るいものへと変化してゆくことになるのでした。

継母の嫌がらせで冷酷な辺境伯の元に嫁がされましたが、噂と違って優しい彼から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
侯爵令嬢であるアーティアは、継母に冷酷無慈悲と噂されるフレイグ・メーカム辺境伯の元に嫁ぐように言い渡された。 継母は、アーティアが苦しい生活を送ると思い、そんな辺境伯の元に嫁がせることに決めたようだ。 しかし、そんな彼女の意図とは裏腹にアーティアは楽しい毎日を送っていた。辺境伯のフレイグは、噂のような人物ではなかったのである。 彼は、多少無口で不愛想な所はあるが優しい人物だった。そんな彼とアーティアは不思議と気が合い、やがてお互いに惹かれるようになっていく。 2022/03/04 改題しました。(旧題:不器用な辺境伯の不器用な愛し方 ~継母の嫌がらせで冷酷無慈悲な辺境伯の元に嫁がされましたが、溺愛されています~)

【改稿版】夫が男色になってしまったので、愛人を探しに行ったら溺愛が待っていました

妄夢【ピッコマノベルズ連載中】
恋愛
外観は赤髪で派手で美人なアーシュレイ。 同世代の女の子とはうまく接しられず、幼馴染のディートハルトとばかり遊んでいた。 おかげで男をたぶらかす悪女と言われてきた。しかし中身はただの魔道具オタク。 幼なじみの二人は親が決めた政略結婚。義両親からの圧力もあり、妊活をすることに。 しかしいざ夜に挑めばあの手この手で拒否する夫。そして『もう、女性を愛することは出来ない!』とベットの上で謝られる。 実家の援助をしてもらってる手前、離婚をこちらから申し込めないアーシュレイ。夫も誰かとは結婚してなきゃいけないなら、君がいいと訳の分からないことを言う。 それなら、愛人探しをすることに。そして、出会いの場の夜会にも何故か、毎回追いかけてきてつきまとってくる。いったいどういうつもりですか!?そして、男性のライバル出現!? やっぱり男色になっちゃたの!?

[完結中編]蔑ろにされた王妃様〜25歳の王妃は王と決別し、幸せになる〜

コマメコノカ@女性向け・児童文学・絵本
恋愛
 王妃として国のトップに君臨している元侯爵令嬢であるユーミア王妃(25)は夫で王であるバルコニー王(25)が、愛人のミセス(21)に入り浸り、王としての仕事を放置し遊んでいることに辟易していた。 そして、ある日ユーミアは、彼と決別することを決意する。

処理中です...