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4. 竜種編
聖域への珍客
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それは、ヴァンド森の屋敷で、いつも通り朝食を取っていた時のことだ。
狼人のフェルナンが気合を入れて焼き上げた、多分今まで食べてきた中でも一二を争うくらいに美味しかった二つ目の丸パンを、僕が思いっきり真っ二つに割ったその瞬間に。
ルドウィグも、リュシールも、アグネスカも、アリーチェも、僕も。同時にそれを聞いた。
「ん?」
「あら」
「あっ……」
「む~?」
「ん……?」
僕達が揃って顔を見合わせて、同席するエクトル、パトリス、アンセルムがきょとんとした表情になった次の時には。
ルドウィグとリュシールがすぐさまに椅子を蹴って立ち上がっていた。
困惑した表情でアグネスカも立ち上がる。
「ルドウィグ、リュシール」
「大丈夫ですアグネスカ様、私どもで確認してまいります」
「皆はそのまま、食事を続けていてくれんか」
やんわりとアグネスカを制し、二人は食堂の外へと駆けだしていく。
所在なさげに再びアグネスカが椅子に座ると、ちょうど焼き上がった丸パンを皿に盛ってキッチンから食堂に入ってきたフェルナンが、首を傾げていた。
「守護者様方はどうしたんですか? 食事もそこそこに慌ただしく駆けていかれて……」
「いや、俺達にはなにも……使徒様、巫女様、なにかあったんですか?」
フェルナンの疑問の声にアンセルムが肩を竦めると、狼人三人の視線とエクトルの視線が、一斉に僕達三人に集まった。アグネスカが視線を逸らし、食堂の窓から外の森を見つつ口を開く。
「聖域の森に……侵入者が出ました」
「侵入者ですって? 確かですか?」
「森に張っている結界を、何かが通り抜ける音がしたんだ。多分、アグネスカもアリーチェも、同じ音を聞いていると思う」
言葉の後を継いだ僕を見て、アリーチェもこくこくと頷いていた。やはり、あれは耳に届いていたらしい。
ヴァンド森の中心部、この屋敷に繋がる転移陣を敷いた泉を中心にして半径30メートルの範囲には、柱状の結界が張ってある。
この結界内には自然神カーンに仕える者、連なる者の中でも高位の者しか入ることが出来ないため、動物も魔物も、獣種の魔物でさえも抜けることは出来ない。だからヴァンド森は内部に結構な数の獣が住んでいるのに、中心部だけはしんと静まり返っているのだ。
その結界を、何者かが抜けてきた。
抜けた際に結界が発した音は、聖域の守護者であるルドウィグとリュシールに加え、カーン神に近いところに位置する僕とアリーチェ、カーン神に仕えるアグネスカにも察知が出来る。恐らく聖域の中で暮らしているルスランとインナにも聞こえているだろう。
守護者の二人が確認に行く頃には、ルスランも現場に行けていることだろう。気がかりだが、さしたる心配要素はない。
無言のままで、もそりと僕が、割った丸パンをかじる。それを契機にして、再び始まる朝食の時間。切り分けられたアプフェルの果実も、湯気を立てる根菜のスープも、再び皆の腹の中へと収まり始めた。
そうして、僕が根菜のスープの入ったボウルを空にしたところで、ルドウィグとリュシールが食堂に戻ってきた。
何やら二人して、随分と疲弊している。
「いやはや、なかなかに面倒じゃなぁ」
「全くです……厄介極まりない」
「ルドウィグ、リュシール、何があったんだ?」
怪訝な表情で問いかける僕に、二人は何とも言えないような、それはもう心底から困った表情で互いに顔を見合わせると、全く同時にこう言ったのだ。
「「……ドラゴンです」」
「……は?」
素っ頓狂な声で聞き返した僕は、決して悪くなかったと思いたい。
リュシールが深い溜息を吐きながら、ゆるゆると首を振った。
「分かります、分かりますよエリク様。
エリク様でなくてもそのように反応されるでしょう、カーン様の聖域に竜種の頂点たる竜が入り込むなど。信じがたいと思われるのも無理のない話です。
実際にご覧になっていただいた方がいいでしょう、朝食を終えましたら聖域までお越しください」
そう僕に伝えながら、再び着席してリュシールはボウルのスープを啜った。放っておかれたそれは、随分冷めてしまっている。
目を瞬かせながら、僕が隣りに座るアグネスカとアリーチェへと顔を向けると。
二人ともが揃って、驚愕の表情を顔に貼り付けたままで、僕の顔を見つめ返したのだった。
朝食を終えて、後片付けをエクトルと狼人三人に任せて転移陣から聖域に移動すると、泉のある開けたところでインナが僕達を待っていた。
『しとさま、みこさま、こちらです』
「インナ、ルスランはその竜のところに?」
『はい、にいさまはどらごんをみはっています』
そう話しながら、泉のある場所からぐるりと回りこむようにして僕達を先導するインナの後をついていくと、明らかに木々がなぎ倒された場所が見える。
上空から落ちてきて、そのままここに不時着したのだろうか、竜が。
そんなことを考えながら歩いていくと、やがてそれは地面に伏せた姿で姿を現した。
ごつごつとした墨色の鱗に身を包み、皮膜を持った大きな翼と、長く太い尻尾を有する魔物。まさしく竜が、傷だらけの血だらけの状態で、目を閉じてそこにいた。
「……」
「わっ……ドラゴンだ……!」
思わず、歓声とも悲鳴ともつかない声が僕の口から漏れる。
何しろ、ドラゴンだ。ルピアクロワでは普通に生きている魔物だけれど、地球上では伝説の魔物として扱われていて、事実僕は実際にこうして目にするのは初めてなのだ。
大きさは9メートルくらいだろうか、僕やアグネスカなら跨って飛ぶこともできるだろうが、ルドウィグくらいになると厳しいかもしれない。ドラゴンのイメージからするとそんなに大きくはない。小型の種か、それともまだ幼いのか。
そこについては、アリーチェの驚愕の声により、後者だと分かることになる。
「ちょっ……これ、死告竜じゃないですか!? しかもこの体格、子供ですよね!? えぇー、まだ生き残っていたんだ……」
「ドゥームドラゴン……?」
「なんですか、それは……」
心底から信じられないといった風のアリーチェの言葉に、僕もアグネスカも揃って首を傾げた。
ルドウィグが両手の指先を合わせながら、静かに息を吐いて口を開く。
「闇属性に適性を持つ竜種の中でも最高位に位置する、神獣に次ぐ位階を持つ強大な竜じゃ。
その翼は死を運ぶとされ、敵対する者悉くを蹂躙するとされておる。
あまりに強大な存在故に恐れられることも多く、120年ほど前に滅ぼされた魔竜王ザンデ共々、その殆どが討ち滅ぼされたのだが……まだ生き残りがいたとはなぁ」
感慨深げに話すルドウィグの顔をまじまじと見ていた僕は、ふっと視線を倒れ伏したままの死告竜の子供に送った。
先程から、身じろぎもしていない。胸元は上下しているのが見えるので死んではいないようだが、全身が傷だらけだし、何があったのだろうか。
僕は僅かに目を細めると、ずっとこの竜を見張っていたルスランに視線を投げかける。
「ルスラン、このドラゴンは最初からこんな傷だらけだったの?」
「左様。周囲の木々をなぎ倒し、下草を血で染めながらこやつはここに落ちていた。
上空で竜どもが争っていた様子もなかった故、いったいどこから来て、どこでこんなに傷を作ったのやら」
フン、と鼻を鳴らしながら死告竜を一瞥するルスラン。
確かにそうだ、ヴァンド森の上空で竜同士が争っているなどあったら、確実にルスランが気が付く。そうでなくてもヴァンドに住む人々の目に留まるだろう。
加えて、この竜が子供だというのなら、親はどうしたのか。
竜種の魔物は総じて家族愛が強い。個体数が多くないこともあって、生まれた子供を大事にする生き物だ。
親竜と一緒に飛んできたのなら近くにいるはずだし、そうであればこんなに騒ぎになっていないはずはない。何しろ成体の竜は体長50メートルにも達する。死告竜のことはよく知らないが、もしかしたらもっと大きくなるかもしれない。
念のために。僕は静かに目を閉じる。
「(生命よ我が声に応えよ)」
生命を探知するスキルを発動させる。領域はヴァンド森全域で。勿論、今ここにいる皆やこの竜、森の外周部で暮らす動物たちも探知されるが、目の前の竜よりも大きな生命反応は、一つもない。
目を見開いた僕は、墨色の身体を見下ろしながら、ぽつりと呟いた。
「親が、いないのかな、この近くに」
「かもしれませんねぇ、どこか遠くから、この子だけで飛んできたのでしょうか……」
目尻を下げながら、アリーチェも答える。
こんな森の中にただ一頭放り出された、竜をどうするか。
僕達は一緒になって頭を捻り始めるのだった。
狼人のフェルナンが気合を入れて焼き上げた、多分今まで食べてきた中でも一二を争うくらいに美味しかった二つ目の丸パンを、僕が思いっきり真っ二つに割ったその瞬間に。
ルドウィグも、リュシールも、アグネスカも、アリーチェも、僕も。同時にそれを聞いた。
「ん?」
「あら」
「あっ……」
「む~?」
「ん……?」
僕達が揃って顔を見合わせて、同席するエクトル、パトリス、アンセルムがきょとんとした表情になった次の時には。
ルドウィグとリュシールがすぐさまに椅子を蹴って立ち上がっていた。
困惑した表情でアグネスカも立ち上がる。
「ルドウィグ、リュシール」
「大丈夫ですアグネスカ様、私どもで確認してまいります」
「皆はそのまま、食事を続けていてくれんか」
やんわりとアグネスカを制し、二人は食堂の外へと駆けだしていく。
所在なさげに再びアグネスカが椅子に座ると、ちょうど焼き上がった丸パンを皿に盛ってキッチンから食堂に入ってきたフェルナンが、首を傾げていた。
「守護者様方はどうしたんですか? 食事もそこそこに慌ただしく駆けていかれて……」
「いや、俺達にはなにも……使徒様、巫女様、なにかあったんですか?」
フェルナンの疑問の声にアンセルムが肩を竦めると、狼人三人の視線とエクトルの視線が、一斉に僕達三人に集まった。アグネスカが視線を逸らし、食堂の窓から外の森を見つつ口を開く。
「聖域の森に……侵入者が出ました」
「侵入者ですって? 確かですか?」
「森に張っている結界を、何かが通り抜ける音がしたんだ。多分、アグネスカもアリーチェも、同じ音を聞いていると思う」
言葉の後を継いだ僕を見て、アリーチェもこくこくと頷いていた。やはり、あれは耳に届いていたらしい。
ヴァンド森の中心部、この屋敷に繋がる転移陣を敷いた泉を中心にして半径30メートルの範囲には、柱状の結界が張ってある。
この結界内には自然神カーンに仕える者、連なる者の中でも高位の者しか入ることが出来ないため、動物も魔物も、獣種の魔物でさえも抜けることは出来ない。だからヴァンド森は内部に結構な数の獣が住んでいるのに、中心部だけはしんと静まり返っているのだ。
その結界を、何者かが抜けてきた。
抜けた際に結界が発した音は、聖域の守護者であるルドウィグとリュシールに加え、カーン神に近いところに位置する僕とアリーチェ、カーン神に仕えるアグネスカにも察知が出来る。恐らく聖域の中で暮らしているルスランとインナにも聞こえているだろう。
守護者の二人が確認に行く頃には、ルスランも現場に行けていることだろう。気がかりだが、さしたる心配要素はない。
無言のままで、もそりと僕が、割った丸パンをかじる。それを契機にして、再び始まる朝食の時間。切り分けられたアプフェルの果実も、湯気を立てる根菜のスープも、再び皆の腹の中へと収まり始めた。
そうして、僕が根菜のスープの入ったボウルを空にしたところで、ルドウィグとリュシールが食堂に戻ってきた。
何やら二人して、随分と疲弊している。
「いやはや、なかなかに面倒じゃなぁ」
「全くです……厄介極まりない」
「ルドウィグ、リュシール、何があったんだ?」
怪訝な表情で問いかける僕に、二人は何とも言えないような、それはもう心底から困った表情で互いに顔を見合わせると、全く同時にこう言ったのだ。
「「……ドラゴンです」」
「……は?」
素っ頓狂な声で聞き返した僕は、決して悪くなかったと思いたい。
リュシールが深い溜息を吐きながら、ゆるゆると首を振った。
「分かります、分かりますよエリク様。
エリク様でなくてもそのように反応されるでしょう、カーン様の聖域に竜種の頂点たる竜が入り込むなど。信じがたいと思われるのも無理のない話です。
実際にご覧になっていただいた方がいいでしょう、朝食を終えましたら聖域までお越しください」
そう僕に伝えながら、再び着席してリュシールはボウルのスープを啜った。放っておかれたそれは、随分冷めてしまっている。
目を瞬かせながら、僕が隣りに座るアグネスカとアリーチェへと顔を向けると。
二人ともが揃って、驚愕の表情を顔に貼り付けたままで、僕の顔を見つめ返したのだった。
朝食を終えて、後片付けをエクトルと狼人三人に任せて転移陣から聖域に移動すると、泉のある開けたところでインナが僕達を待っていた。
『しとさま、みこさま、こちらです』
「インナ、ルスランはその竜のところに?」
『はい、にいさまはどらごんをみはっています』
そう話しながら、泉のある場所からぐるりと回りこむようにして僕達を先導するインナの後をついていくと、明らかに木々がなぎ倒された場所が見える。
上空から落ちてきて、そのままここに不時着したのだろうか、竜が。
そんなことを考えながら歩いていくと、やがてそれは地面に伏せた姿で姿を現した。
ごつごつとした墨色の鱗に身を包み、皮膜を持った大きな翼と、長く太い尻尾を有する魔物。まさしく竜が、傷だらけの血だらけの状態で、目を閉じてそこにいた。
「……」
「わっ……ドラゴンだ……!」
思わず、歓声とも悲鳴ともつかない声が僕の口から漏れる。
何しろ、ドラゴンだ。ルピアクロワでは普通に生きている魔物だけれど、地球上では伝説の魔物として扱われていて、事実僕は実際にこうして目にするのは初めてなのだ。
大きさは9メートルくらいだろうか、僕やアグネスカなら跨って飛ぶこともできるだろうが、ルドウィグくらいになると厳しいかもしれない。ドラゴンのイメージからするとそんなに大きくはない。小型の種か、それともまだ幼いのか。
そこについては、アリーチェの驚愕の声により、後者だと分かることになる。
「ちょっ……これ、死告竜じゃないですか!? しかもこの体格、子供ですよね!? えぇー、まだ生き残っていたんだ……」
「ドゥームドラゴン……?」
「なんですか、それは……」
心底から信じられないといった風のアリーチェの言葉に、僕もアグネスカも揃って首を傾げた。
ルドウィグが両手の指先を合わせながら、静かに息を吐いて口を開く。
「闇属性に適性を持つ竜種の中でも最高位に位置する、神獣に次ぐ位階を持つ強大な竜じゃ。
その翼は死を運ぶとされ、敵対する者悉くを蹂躙するとされておる。
あまりに強大な存在故に恐れられることも多く、120年ほど前に滅ぼされた魔竜王ザンデ共々、その殆どが討ち滅ぼされたのだが……まだ生き残りがいたとはなぁ」
感慨深げに話すルドウィグの顔をまじまじと見ていた僕は、ふっと視線を倒れ伏したままの死告竜の子供に送った。
先程から、身じろぎもしていない。胸元は上下しているのが見えるので死んではいないようだが、全身が傷だらけだし、何があったのだろうか。
僕は僅かに目を細めると、ずっとこの竜を見張っていたルスランに視線を投げかける。
「ルスラン、このドラゴンは最初からこんな傷だらけだったの?」
「左様。周囲の木々をなぎ倒し、下草を血で染めながらこやつはここに落ちていた。
上空で竜どもが争っていた様子もなかった故、いったいどこから来て、どこでこんなに傷を作ったのやら」
フン、と鼻を鳴らしながら死告竜を一瞥するルスラン。
確かにそうだ、ヴァンド森の上空で竜同士が争っているなどあったら、確実にルスランが気が付く。そうでなくてもヴァンドに住む人々の目に留まるだろう。
加えて、この竜が子供だというのなら、親はどうしたのか。
竜種の魔物は総じて家族愛が強い。個体数が多くないこともあって、生まれた子供を大事にする生き物だ。
親竜と一緒に飛んできたのなら近くにいるはずだし、そうであればこんなに騒ぎになっていないはずはない。何しろ成体の竜は体長50メートルにも達する。死告竜のことはよく知らないが、もしかしたらもっと大きくなるかもしれない。
念のために。僕は静かに目を閉じる。
「(生命よ我が声に応えよ)」
生命を探知するスキルを発動させる。領域はヴァンド森全域で。勿論、今ここにいる皆やこの竜、森の外周部で暮らす動物たちも探知されるが、目の前の竜よりも大きな生命反応は、一つもない。
目を見開いた僕は、墨色の身体を見下ろしながら、ぽつりと呟いた。
「親が、いないのかな、この近くに」
「かもしれませんねぇ、どこか遠くから、この子だけで飛んできたのでしょうか……」
目尻を下げながら、アリーチェも答える。
こんな森の中にただ一頭放り出された、竜をどうするか。
僕達は一緒になって頭を捻り始めるのだった。
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