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3. 農園編
罪と罰
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重たい瞼をゆっくり開くと、そこは一面の光だった。
視界一杯に眩い光が広がっていて、全身を照らしていてぬくもりを感じるのに、不思議と目には痛くない。
首も手足も動かせないが、目だけをぐるりと動かすと、まるで光の中に僕だけが浮かんでいるようで、ただ光だけが広がっているのが分かる。
そして視界に入ってくる、僕の長いマズルと黒い鼻。どうやら狼の獣人の姿でいるらしい。全裸で。
こんな感覚、前もどこかで味わったことがあるような。覚醒しきっていない頭で、ぼんやりと思案していると。
「お久しぶりです、高村 英助さん」
僕の見上げる先、頭の上の方から、女性の声が聞こえてきた。慈愛に満ちた、母親を思わせる声。
そして僕の顔を覗き込むようにして、肌の色の薄い、妖精族によく似た若い女性が、僕の視界に映りこんで来た。
その声。その顔。僕はようく知っている。
「……カーン様」
「はい、貴方の主神、ルピアクロワの自然を司る神、偉大なる三神の一柱。カーンです。
また相まみえることが出来て、嬉しく思います、英助さん」
僕の顔を見て、嬉しそうに亜麻色の眼を細めながらも、カーンはゆるりと首を振った。
「……すみません、私にとって貴方は今も、世界の狭間を揺蕩う異邦より来たる魂のままでした。
今の貴方にはエリク・ダヴィドという、人間種としての名前がありましたね」
そう、申し訳なさそうに目尻を下げながら、カーンが僕の顔に触れた。
そのままゆっくりと、撫でるように僕の顔に生え揃った短い毛を撫でてくる。その手には確かに、愛おしさと慈しみを感じる。
「すっかり、獣人族としての姿も板について……この数ヶ月で、貴方は急速に神の力を扱えるようになりましたね。嬉しいことです。
貴方は私の貴き愛し子、ヒトの内にあって神の力を宿すもの、私の意を体現するもの。
貴方の傍には私の意を汲み、貴方を支える巫女が。私の意に準じ、貴方の力となる神獣が。共に貴方の為に力を尽くします。
くれぐれも、仲違いをしないように。彼女たちと仲良くして、人々に我が祝福を届けてあげてください」
「はい、カーン様……あの、一つ、いいでしょうか」
僕の頬を撫でながら優しい言葉を零すカーン。僕はその心地よい感覚に目を細めながら、ゆっくりと言葉を発した。
言葉を切って、僕の次の言葉を待つカーンに、おずおずと僕は問いかける。
「神罰って、どうやって下せばいいんでしょうか。
アリーチェは僕の一存で下していいと言っていたし、アグネスカは僕の身体に神罰術式を施すことも考えていたようですけれど、いざ自分で下すとなると、どうしたらいいのか……」
そう、数日前にアグネスカから話を持ち掛けられた時には「自分でやる」と言ったものの、アグネスカやアリーチェから話を聞いてはいたものの。
僕が自分でやるとなると、どう下せばいいのか、どうしたら下したことになるのか、いまひとつ自信がなかった。
「そうですね、では一つ、神術を授けましょう」
僕の問いに、こくりと頷いたカーンの手が一度僕の顔から離れた。そのまま僕の胸元の痣に――聖印に触れる。
するとすぐさまに、僕の中に神力が満ちるのを感じた。頭の中に神力と共に、神術の知識が流れ込んでくる。
「『汝は罪人なり』。巫女の告げた神罰術式がこちらです。
神罰そのものは私が下しますが、その際の撃鉄となるのが、この神術。受けた者は動きを封じられ、私の手によって相応しい罰を与えられるのです」
「あぁ、よかった……罰の内容まで、僕が決めないといけないのかと」
神術の知識が僕の中に溶け込んでいくのを感じながら、僕は安堵の息を吐いた。
神罰の発動だけを担う形なら、まだそこまで大きなプレッシャーはない。これでもし罰の中身まで自分で決めて下さないといけないなら、どれほど複雑な神術が必要になったことだろうと思った。
やがてカーンは僕の胸元の聖印から手を離すと、その下側、もう一つ僕の胸に刻まれていた黒い痣にそっと触れた。
月輪狼に施され、アリーチオを月輪狼に変え、僕の体内に無力化して封印した『夜闇の呪い』。その封印の痣に触れたカーンの手から、光が放たれる。
「厄呪も抱え込んで、本当によく頑張りましたね、エリクさん。
この厄呪は私が引き取ります。これの無力化に神力を割く必要も、今後は無くなるでしょう」
「……はい、ありがとうございます」
僕の胸から剥がされた痣を手の内に包んだカーンの両の眉が、きりっと持ち上がった。
どうやら、知らず知らずのうちに僕の力は削がれていたらしい。それが無くなるというのなら好都合だ。
「さあエリクさん、もうすぐ目覚めの時です。あとは、貴方自身の目で見て判断するのですよ」
今までしゃがんでいたカーンがすっくと立ちあがると、急速に僕の身体が彼女から離れていく。まるで落ちていくように。
カーンの新緑の色をした髪が見えなくなる中で、僕の意識もまた遠のいていった。
再び意識が覚醒した時、僕は自分がベッドに横たわっていることに気が付いた。背中に感じるマットレスの感触に、尻尾に当たる布団の柔らかさ。
一瞬、僕の部屋に横たわっているのかと思ったが、そうではない。目の前に広がる天井が、石造りなのだ。僕の部屋の天井は木製のはずなのに。
ここは、僕の部屋ではない。そう認識して起き上がろうとするが、腕が何かに引かれて起き上がれない。
何事かと顔を左右に向けると、そこにある僕の手首には縄。それがベッドの柱を渡るようにして、僕の手を縛っている。
何故だ、と困惑するのは一瞬だった。
「お目覚めですか、エリク殿」
僕の足の側から、声がかかる。ぐっと顔を足の方に向けると、そこに立っていたのは。
「……アダンさん。これは、どういうことですか」
「申し訳ございません、私にも……もうどうにも、止めることが叶わないのです」
村長の、アダン・ルヴァリエ。彼がベッドに縛り付けられる僕を、悲しそうな表情で見ていた。
そこで僕は気が付いた。自分が全裸であることと、アダンが上半身裸であることを。僕の視界で存在を主張するモノがあることを。
アダンは自身のズボンに手をかけながら口を動かし始める。
「先程の紅茶に、即効性の興奮薬を仕込ませていただきました。茶菓子のクッキーには、同様に睡眠薬を。
今、貴方の身体は昂って仕方のないことと思います。紅茶を飲んだアリーチェ殿も、今頃は獣同然に乱れておいででしょう……私も、同様です」
アダンがズボンを下ろし、下着を下ろす。そこには確かに、下半身で存在を強固に主張する彼のモノ。
僕は急速に血の気が引くのを感じた。ラファエレも、他の使用人たちも、こうして手籠めにされ、アダンと乱れさせられたのだ。
アダンを睨みつける僕の視線に、嫌悪と侮蔑の感情が入り混じる。
「カーン神の使徒の僕に、こんなことをして……覚悟はできているんでしょうね!?」
「勿論ですとも。私は最早何を恐れることも無い。
物心ついた時から欲情するのは男相手だった。獣人族の男以外には目もくれなかった。魔物も獣種しか魅力には感じなかった。
私を神に背く大罪人だと仰るのでしょう、その通りですとも! 私は生まれながらに罪人だった!
妻も娶れず、子孫も残せず、この世に生きた証を残せないばかりか、ヒトとして神の御許に還ることすらも許されないのは覚悟の上です!」
悲しみを帯びた表情のまま、呪詛を吐き出すようにアダンは叫んだ。
その両の手が僕の足に伸び、ぐいっと押し広げさせる。
そのまま僕に覆い被さるようにしたアダンの顔が、僕の狼の顔へと近づいてきた。
もう間違いない、ここまでやったら誰がどう見ても現行犯だ。
アダンの身体が僕に密着する直前に、拒絶するように僕は叫んだ。
「『汝は罪人なり』!!」
束の間に。
僕を汚そうとしたアダンの裸体が硬直した。
その背中に、天井から一筋の光が差しているのが見える。
バタンと奥側のドアが開く音がして、そこからアグネスカとアリーチェが踏み込んでくるのが見える。
「あーあ、やーっぱり負けてましたねアダンさんってば」
「エリク、無事ですか!?」
「アリーチェ……アグネスカ……!」
部屋に入ってきてベッドの両脇につき、僕の腕を縛る縄を解き始める二人の姿を見て、僕は心の底から安堵した。
しばらく時間がかかったのちに縄を解かれ、両腕が自由になっても、僕はベッドから起き上がることが出来ずにいた。
何故なら。
「あ、あァ、ぁアアガァァ……!!」
僕の目の前には、天から差す光に貫かれ、空中に縛り付けられたアダンが、苦悶の声を迸らせてもがいているのだ。
その全身から、ゴキリ、バキリという、骨が砕かれ、組み変わる音が聞こえてくる。
四肢は既に人間の手足の形をしておらず、顔は醜く変形している。耳は鋭く尖りながら、頭の上側へと移動を始めていた。
その姿はまるで、毛皮の無い犬のようだった。
「う、あ……」
目の前で繰り広げられるアダンの変貌に、僕の喉から引き攣った声が漏れた。思わず視線を逸らした先に、アリーチェの顔が映る。
アリーチェは僕に興奮に滾る視線を向けたまま、口角を持ち上げつつ口を開いた。
「ショックでしょう? エリクさん。さっきまで人間の形をしていたヒトが、人間の形を奪われていく様というのは。
これが神罰です。これが、神に背を向ける罪に対する罰なんです。
カーン様の加護を奪われて、アダンさんは獣に堕とされます。融合士《フュージョナー》の皆さんが時折そうなるように、魔物に堕ちながらも神様の加護を受けるのとはわけが違います。
神様の恩恵を受けられないままに、その命の火が消えるまで、惨めに生きていくしかないわけです」
「なんで……そんなに、楽しそうなんだよ?」
「だって、神罰を下す場面に居合わせるなんて、そうそうあることじゃないんですよ?それもこんな間近で。
これの無様な有様、最後まで見ていたいじゃないですか」
まるで喜ばしいことを話すかのように話し、楽しいアトラクションを見るかのようにアダンの変貌を見るアリーチェ。
嫌悪ではない、拒絶ではない。ほんの少しだけ、僕の心に畏怖が沸き起こった。
神獣として長きを生きてきた彼女にとって、神罰を受ける人間とはすなわち、人間でも魔物でもない下等な扱いをされるものなのだ。
そんな好奇の視線を向けられているアダンだった生き物は、既にその身体の半分以上を焦げ茶色の毛皮で覆っていた。
腰からは短い尻尾が生え、股座にあったモノは小さく萎んでいる。どうやら、メスにされているらしい。
「あぉ、ぉぉぁ……!」
目を剥くようにしながら鳴き声を漏らす生き物。
そして僕は気が付いた。発している言葉がただの音としてしか聞こえない。意味のある言葉だと認識できない。
「あれ……声が、動物なのになんで……」
「声帯が変形している上に、自然神の加護を剥がされているんですもの、喋れませんよ。誰にも、獣種の魔物にさえもこれの声は届きません。
まぁ、人間語を理解する知能が残っていれば、私たちの会話を理解することまでは出来るでしょうけど、ね」
「獣種の魔物は、自然神の加護の力を借りて、獣種語の文法や発声法を習得し、それを理解します。
加護を失った者はその習得の機会と、理解の方法を失う……これが魔物であっても、魔物の言葉はこれには届きません」
表情を真面目なものに戻したアリーチェと、一貫して真剣な表情のままでいたアグネスカが、僕の手をぐっと握る。
その手を握り返して僕は、改めて真正面を向いた。
全身を余すところなく毛皮に覆われ、骨格も内臓も変形し、性別も変わって、雌の犬に作り替えられた、アダンだった生き物が、力なく四本の脚を空中で垂らしている。
やがて天井から伸びる光が消えると、犬はゆっくりと、僕が横たわるベッドの上へと落下してきた。
「わ……!?」
思わず、両手を伸ばして受け止める。
僕の腕の中に納まった犬は、浅い呼吸を繰り返して眠っているようだった。腕にじんわりと温もりが伝わってくる。
すると、アグネスカが僕の方に両腕を伸ばしてきた。腕の中の犬に手を添える。
「この犬をジスラン副村長に引き渡してきます。渡してください」
「……殺したり、しないよな?」
思わず、犬を抱く手に力が篭もる。
アグネスカは柔らかく笑うと、僕の腕に片手をそっと添えた。
「これをどうするかは、副村長や村の人々が決めることです……が、殺されたりはしないでしょう、それはカーン様の望むところではありません」
その言葉に、ちらりと腕の中の犬を見る僕だ。抱かれたままのそれは、未だ目覚めない。
力の篭もったままだった僕の腕が、そうっと緩められた。差し込まれたアグネスカの腕が、優しく犬を抱きかかえる。
そのままにっこり笑うと、アグネスカは僕とアリーチェに背を向けて部屋を出ていった。
それを確認したアリーチェが、にっこりと僕に笑いかけてくる。
「いやー、それにしてもエリクさんが汚される前に神罰適用を確認できてよかったですよ。
エリクさんが怖気づいてされるがままになってたら、罰はこんな程度じゃ済まなかったでしょうからねー」
「確認って、どうやって? というかここはどこなんだ?」
首を傾げる僕に、アリーチェは石造りの天井を指さした。
「天井から、光が差し込んで来たでしょう? あれはカーン様の下ろした光なんです。
その光を通じて神罰を流し込むわけですね、それを察知して踏み込んだわけです。
あ、ちなみにここはお屋敷の地下にある隠し部屋です。アダンさん、食事時に薬を盛った使用人を夜な夜な連れてきては、致していたそうですねー。
アダンさんの部屋に入った時に手を握ったでしょう? あの時にエリクさんに簡単な追跡神術をかけたんです。それを辿ってきました」
「そんなことしてたのか……やっぱり、あの時興奮剤を入れられた紅茶を飲んだのも、僕達に飲ませようとしたのも、分かってやったことだったんだな?」
アリーチェに訝し気な視線を向ける僕。それに対し、にんまりと笑みを浮かべたアリーチェの瞳が、きらりと光った途端。
アリーチェがベッドの上に飛び乗り、僕を押し倒してきた。
「ちょっ、何するんだよ!?」
「なにって、ここまで来たらすることは決まってるじゃないですかー。
二人とも薬を盛られて発散する間もなくビンビン、地下の部屋に二人きり、ついでに揃って全裸。となったら……ねぇ?
大丈夫ですよー、私は200年以上生きてますから手慣れたもんです。優しくしてあげますからねー」
「いやっ、だとしても僕の姉だって普段から言ってるじゃないか!! よくないだろ!?」
「自称しているだけですし、対外的にはエリクさんと私は御者と伴魔の関係ですよ?ほらー何の問題も無いでしょう」
そう言いながら、僕の獣毛に覆われた腹を撫でまわしてくるアリーチェ。
そのたびにビクビクと反応する、すっかり臨界点間際まで立ち上がった僕のモノ。身体が正直なのがなんとも恨めしい。
「それじゃ、エリクさんの初モノ、いっただっきまぁーす」
「やめっ、ちょ、あぁぁぁーーーー!!」
アリーチェの腰が押し付けられ、途端に小さく聞こえるぬちゅりという音。
その記憶を最後に、僕の視界が白く塗りつぶされた。
意識を取り戻した時にはすっかり朝で、僕もアリーチェも汗まみれのままベッドに横たわっていた。
傍には憤怒の表情のアグネスカと、なんとも言えない表情をしたジスランがいて。
アグネスカがアリーチェの頬を全力で張り倒す、バァンという容赦の欠片もない音が、地下室に響き渡ったという。
視界一杯に眩い光が広がっていて、全身を照らしていてぬくもりを感じるのに、不思議と目には痛くない。
首も手足も動かせないが、目だけをぐるりと動かすと、まるで光の中に僕だけが浮かんでいるようで、ただ光だけが広がっているのが分かる。
そして視界に入ってくる、僕の長いマズルと黒い鼻。どうやら狼の獣人の姿でいるらしい。全裸で。
こんな感覚、前もどこかで味わったことがあるような。覚醒しきっていない頭で、ぼんやりと思案していると。
「お久しぶりです、高村 英助さん」
僕の見上げる先、頭の上の方から、女性の声が聞こえてきた。慈愛に満ちた、母親を思わせる声。
そして僕の顔を覗き込むようにして、肌の色の薄い、妖精族によく似た若い女性が、僕の視界に映りこんで来た。
その声。その顔。僕はようく知っている。
「……カーン様」
「はい、貴方の主神、ルピアクロワの自然を司る神、偉大なる三神の一柱。カーンです。
また相まみえることが出来て、嬉しく思います、英助さん」
僕の顔を見て、嬉しそうに亜麻色の眼を細めながらも、カーンはゆるりと首を振った。
「……すみません、私にとって貴方は今も、世界の狭間を揺蕩う異邦より来たる魂のままでした。
今の貴方にはエリク・ダヴィドという、人間種としての名前がありましたね」
そう、申し訳なさそうに目尻を下げながら、カーンが僕の顔に触れた。
そのままゆっくりと、撫でるように僕の顔に生え揃った短い毛を撫でてくる。その手には確かに、愛おしさと慈しみを感じる。
「すっかり、獣人族としての姿も板について……この数ヶ月で、貴方は急速に神の力を扱えるようになりましたね。嬉しいことです。
貴方は私の貴き愛し子、ヒトの内にあって神の力を宿すもの、私の意を体現するもの。
貴方の傍には私の意を汲み、貴方を支える巫女が。私の意に準じ、貴方の力となる神獣が。共に貴方の為に力を尽くします。
くれぐれも、仲違いをしないように。彼女たちと仲良くして、人々に我が祝福を届けてあげてください」
「はい、カーン様……あの、一つ、いいでしょうか」
僕の頬を撫でながら優しい言葉を零すカーン。僕はその心地よい感覚に目を細めながら、ゆっくりと言葉を発した。
言葉を切って、僕の次の言葉を待つカーンに、おずおずと僕は問いかける。
「神罰って、どうやって下せばいいんでしょうか。
アリーチェは僕の一存で下していいと言っていたし、アグネスカは僕の身体に神罰術式を施すことも考えていたようですけれど、いざ自分で下すとなると、どうしたらいいのか……」
そう、数日前にアグネスカから話を持ち掛けられた時には「自分でやる」と言ったものの、アグネスカやアリーチェから話を聞いてはいたものの。
僕が自分でやるとなると、どう下せばいいのか、どうしたら下したことになるのか、いまひとつ自信がなかった。
「そうですね、では一つ、神術を授けましょう」
僕の問いに、こくりと頷いたカーンの手が一度僕の顔から離れた。そのまま僕の胸元の痣に――聖印に触れる。
するとすぐさまに、僕の中に神力が満ちるのを感じた。頭の中に神力と共に、神術の知識が流れ込んでくる。
「『汝は罪人なり』。巫女の告げた神罰術式がこちらです。
神罰そのものは私が下しますが、その際の撃鉄となるのが、この神術。受けた者は動きを封じられ、私の手によって相応しい罰を与えられるのです」
「あぁ、よかった……罰の内容まで、僕が決めないといけないのかと」
神術の知識が僕の中に溶け込んでいくのを感じながら、僕は安堵の息を吐いた。
神罰の発動だけを担う形なら、まだそこまで大きなプレッシャーはない。これでもし罰の中身まで自分で決めて下さないといけないなら、どれほど複雑な神術が必要になったことだろうと思った。
やがてカーンは僕の胸元の聖印から手を離すと、その下側、もう一つ僕の胸に刻まれていた黒い痣にそっと触れた。
月輪狼に施され、アリーチオを月輪狼に変え、僕の体内に無力化して封印した『夜闇の呪い』。その封印の痣に触れたカーンの手から、光が放たれる。
「厄呪も抱え込んで、本当によく頑張りましたね、エリクさん。
この厄呪は私が引き取ります。これの無力化に神力を割く必要も、今後は無くなるでしょう」
「……はい、ありがとうございます」
僕の胸から剥がされた痣を手の内に包んだカーンの両の眉が、きりっと持ち上がった。
どうやら、知らず知らずのうちに僕の力は削がれていたらしい。それが無くなるというのなら好都合だ。
「さあエリクさん、もうすぐ目覚めの時です。あとは、貴方自身の目で見て判断するのですよ」
今までしゃがんでいたカーンがすっくと立ちあがると、急速に僕の身体が彼女から離れていく。まるで落ちていくように。
カーンの新緑の色をした髪が見えなくなる中で、僕の意識もまた遠のいていった。
再び意識が覚醒した時、僕は自分がベッドに横たわっていることに気が付いた。背中に感じるマットレスの感触に、尻尾に当たる布団の柔らかさ。
一瞬、僕の部屋に横たわっているのかと思ったが、そうではない。目の前に広がる天井が、石造りなのだ。僕の部屋の天井は木製のはずなのに。
ここは、僕の部屋ではない。そう認識して起き上がろうとするが、腕が何かに引かれて起き上がれない。
何事かと顔を左右に向けると、そこにある僕の手首には縄。それがベッドの柱を渡るようにして、僕の手を縛っている。
何故だ、と困惑するのは一瞬だった。
「お目覚めですか、エリク殿」
僕の足の側から、声がかかる。ぐっと顔を足の方に向けると、そこに立っていたのは。
「……アダンさん。これは、どういうことですか」
「申し訳ございません、私にも……もうどうにも、止めることが叶わないのです」
村長の、アダン・ルヴァリエ。彼がベッドに縛り付けられる僕を、悲しそうな表情で見ていた。
そこで僕は気が付いた。自分が全裸であることと、アダンが上半身裸であることを。僕の視界で存在を主張するモノがあることを。
アダンは自身のズボンに手をかけながら口を動かし始める。
「先程の紅茶に、即効性の興奮薬を仕込ませていただきました。茶菓子のクッキーには、同様に睡眠薬を。
今、貴方の身体は昂って仕方のないことと思います。紅茶を飲んだアリーチェ殿も、今頃は獣同然に乱れておいででしょう……私も、同様です」
アダンがズボンを下ろし、下着を下ろす。そこには確かに、下半身で存在を強固に主張する彼のモノ。
僕は急速に血の気が引くのを感じた。ラファエレも、他の使用人たちも、こうして手籠めにされ、アダンと乱れさせられたのだ。
アダンを睨みつける僕の視線に、嫌悪と侮蔑の感情が入り混じる。
「カーン神の使徒の僕に、こんなことをして……覚悟はできているんでしょうね!?」
「勿論ですとも。私は最早何を恐れることも無い。
物心ついた時から欲情するのは男相手だった。獣人族の男以外には目もくれなかった。魔物も獣種しか魅力には感じなかった。
私を神に背く大罪人だと仰るのでしょう、その通りですとも! 私は生まれながらに罪人だった!
妻も娶れず、子孫も残せず、この世に生きた証を残せないばかりか、ヒトとして神の御許に還ることすらも許されないのは覚悟の上です!」
悲しみを帯びた表情のまま、呪詛を吐き出すようにアダンは叫んだ。
その両の手が僕の足に伸び、ぐいっと押し広げさせる。
そのまま僕に覆い被さるようにしたアダンの顔が、僕の狼の顔へと近づいてきた。
もう間違いない、ここまでやったら誰がどう見ても現行犯だ。
アダンの身体が僕に密着する直前に、拒絶するように僕は叫んだ。
「『汝は罪人なり』!!」
束の間に。
僕を汚そうとしたアダンの裸体が硬直した。
その背中に、天井から一筋の光が差しているのが見える。
バタンと奥側のドアが開く音がして、そこからアグネスカとアリーチェが踏み込んでくるのが見える。
「あーあ、やーっぱり負けてましたねアダンさんってば」
「エリク、無事ですか!?」
「アリーチェ……アグネスカ……!」
部屋に入ってきてベッドの両脇につき、僕の腕を縛る縄を解き始める二人の姿を見て、僕は心の底から安堵した。
しばらく時間がかかったのちに縄を解かれ、両腕が自由になっても、僕はベッドから起き上がることが出来ずにいた。
何故なら。
「あ、あァ、ぁアアガァァ……!!」
僕の目の前には、天から差す光に貫かれ、空中に縛り付けられたアダンが、苦悶の声を迸らせてもがいているのだ。
その全身から、ゴキリ、バキリという、骨が砕かれ、組み変わる音が聞こえてくる。
四肢は既に人間の手足の形をしておらず、顔は醜く変形している。耳は鋭く尖りながら、頭の上側へと移動を始めていた。
その姿はまるで、毛皮の無い犬のようだった。
「う、あ……」
目の前で繰り広げられるアダンの変貌に、僕の喉から引き攣った声が漏れた。思わず視線を逸らした先に、アリーチェの顔が映る。
アリーチェは僕に興奮に滾る視線を向けたまま、口角を持ち上げつつ口を開いた。
「ショックでしょう? エリクさん。さっきまで人間の形をしていたヒトが、人間の形を奪われていく様というのは。
これが神罰です。これが、神に背を向ける罪に対する罰なんです。
カーン様の加護を奪われて、アダンさんは獣に堕とされます。融合士《フュージョナー》の皆さんが時折そうなるように、魔物に堕ちながらも神様の加護を受けるのとはわけが違います。
神様の恩恵を受けられないままに、その命の火が消えるまで、惨めに生きていくしかないわけです」
「なんで……そんなに、楽しそうなんだよ?」
「だって、神罰を下す場面に居合わせるなんて、そうそうあることじゃないんですよ?それもこんな間近で。
これの無様な有様、最後まで見ていたいじゃないですか」
まるで喜ばしいことを話すかのように話し、楽しいアトラクションを見るかのようにアダンの変貌を見るアリーチェ。
嫌悪ではない、拒絶ではない。ほんの少しだけ、僕の心に畏怖が沸き起こった。
神獣として長きを生きてきた彼女にとって、神罰を受ける人間とはすなわち、人間でも魔物でもない下等な扱いをされるものなのだ。
そんな好奇の視線を向けられているアダンだった生き物は、既にその身体の半分以上を焦げ茶色の毛皮で覆っていた。
腰からは短い尻尾が生え、股座にあったモノは小さく萎んでいる。どうやら、メスにされているらしい。
「あぉ、ぉぉぁ……!」
目を剥くようにしながら鳴き声を漏らす生き物。
そして僕は気が付いた。発している言葉がただの音としてしか聞こえない。意味のある言葉だと認識できない。
「あれ……声が、動物なのになんで……」
「声帯が変形している上に、自然神の加護を剥がされているんですもの、喋れませんよ。誰にも、獣種の魔物にさえもこれの声は届きません。
まぁ、人間語を理解する知能が残っていれば、私たちの会話を理解することまでは出来るでしょうけど、ね」
「獣種の魔物は、自然神の加護の力を借りて、獣種語の文法や発声法を習得し、それを理解します。
加護を失った者はその習得の機会と、理解の方法を失う……これが魔物であっても、魔物の言葉はこれには届きません」
表情を真面目なものに戻したアリーチェと、一貫して真剣な表情のままでいたアグネスカが、僕の手をぐっと握る。
その手を握り返して僕は、改めて真正面を向いた。
全身を余すところなく毛皮に覆われ、骨格も内臓も変形し、性別も変わって、雌の犬に作り替えられた、アダンだった生き物が、力なく四本の脚を空中で垂らしている。
やがて天井から伸びる光が消えると、犬はゆっくりと、僕が横たわるベッドの上へと落下してきた。
「わ……!?」
思わず、両手を伸ばして受け止める。
僕の腕の中に納まった犬は、浅い呼吸を繰り返して眠っているようだった。腕にじんわりと温もりが伝わってくる。
すると、アグネスカが僕の方に両腕を伸ばしてきた。腕の中の犬に手を添える。
「この犬をジスラン副村長に引き渡してきます。渡してください」
「……殺したり、しないよな?」
思わず、犬を抱く手に力が篭もる。
アグネスカは柔らかく笑うと、僕の腕に片手をそっと添えた。
「これをどうするかは、副村長や村の人々が決めることです……が、殺されたりはしないでしょう、それはカーン様の望むところではありません」
その言葉に、ちらりと腕の中の犬を見る僕だ。抱かれたままのそれは、未だ目覚めない。
力の篭もったままだった僕の腕が、そうっと緩められた。差し込まれたアグネスカの腕が、優しく犬を抱きかかえる。
そのままにっこり笑うと、アグネスカは僕とアリーチェに背を向けて部屋を出ていった。
それを確認したアリーチェが、にっこりと僕に笑いかけてくる。
「いやー、それにしてもエリクさんが汚される前に神罰適用を確認できてよかったですよ。
エリクさんが怖気づいてされるがままになってたら、罰はこんな程度じゃ済まなかったでしょうからねー」
「確認って、どうやって? というかここはどこなんだ?」
首を傾げる僕に、アリーチェは石造りの天井を指さした。
「天井から、光が差し込んで来たでしょう? あれはカーン様の下ろした光なんです。
その光を通じて神罰を流し込むわけですね、それを察知して踏み込んだわけです。
あ、ちなみにここはお屋敷の地下にある隠し部屋です。アダンさん、食事時に薬を盛った使用人を夜な夜な連れてきては、致していたそうですねー。
アダンさんの部屋に入った時に手を握ったでしょう? あの時にエリクさんに簡単な追跡神術をかけたんです。それを辿ってきました」
「そんなことしてたのか……やっぱり、あの時興奮剤を入れられた紅茶を飲んだのも、僕達に飲ませようとしたのも、分かってやったことだったんだな?」
アリーチェに訝し気な視線を向ける僕。それに対し、にんまりと笑みを浮かべたアリーチェの瞳が、きらりと光った途端。
アリーチェがベッドの上に飛び乗り、僕を押し倒してきた。
「ちょっ、何するんだよ!?」
「なにって、ここまで来たらすることは決まってるじゃないですかー。
二人とも薬を盛られて発散する間もなくビンビン、地下の部屋に二人きり、ついでに揃って全裸。となったら……ねぇ?
大丈夫ですよー、私は200年以上生きてますから手慣れたもんです。優しくしてあげますからねー」
「いやっ、だとしても僕の姉だって普段から言ってるじゃないか!! よくないだろ!?」
「自称しているだけですし、対外的にはエリクさんと私は御者と伴魔の関係ですよ?ほらー何の問題も無いでしょう」
そう言いながら、僕の獣毛に覆われた腹を撫でまわしてくるアリーチェ。
そのたびにビクビクと反応する、すっかり臨界点間際まで立ち上がった僕のモノ。身体が正直なのがなんとも恨めしい。
「それじゃ、エリクさんの初モノ、いっただっきまぁーす」
「やめっ、ちょ、あぁぁぁーーーー!!」
アリーチェの腰が押し付けられ、途端に小さく聞こえるぬちゅりという音。
その記憶を最後に、僕の視界が白く塗りつぶされた。
意識を取り戻した時にはすっかり朝で、僕もアリーチェも汗まみれのままベッドに横たわっていた。
傍には憤怒の表情のアグネスカと、なんとも言えない表情をしたジスランがいて。
アグネスカがアリーチェの頬を全力で張り倒す、バァンという容赦の欠片もない音が、地下室に響き渡ったという。
応援ありがとうございます!
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