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三日目

好きな香り④

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「マルナには、人生の楽しさを知ってほしいからさ」

 カッコつけるようにそう言った後、自分で恥ずかしくなったのか、照れ笑いが隠せていない様子だった。
 人生の楽しさを教えるために……こんなに色んな経験をさせてくれているのか。
 山奥まで登山をして、ハーブの収穫をさせてもらったり、お菓子作りに挑戦させてくれたり、色んなハーブティーを飲ませてくれたり、たった三日間で、恵那の世界観がガラッと変わるくらいに、色んな経験をさせてくれた。
 藤沢は恵那に、人生の楽しさをもっと知ってほしいと思っていたのだ。

「だから、こんなに色んなことを教えてくれるんですね」

「まあな。もっと生きたいと思わせてやりたいからさ、マルナには」

「本当は死ぬ予定だったのに、藤沢さんのせいでタイミング逃しましたよ」

「ま、作戦成功だな。そんな簡単に死なせるかよ」

 生と死の話が、こんなにもライトに展開されるなんて、以前だったら考えられない状況だ。
 最初に出会った時は、憂鬱さを纏った恵那をしょうがなく迎え入れた感じだったのに、今では人生の行く道を示してくれようとしている。
 恵那も藤沢に出会って、多大な影響を受けたのであろう。
 恵那の唯一の生きる希望だった巴先輩に、もしかしたら会えるかもしれないという願いを植えつけたことや、恵那の人生はまだまだこれからと教えてくれたことが、恵那にとっては貴重なアドバイスだった。
 心の中を独占していた『死にたい』という願望が、藤沢のおかげで薄まりつつある。

「ごちそうさまでした。藤沢さん、今日は私が後片付けしますね」

「マルナが? どういう風の吹き回しだ」

「私だって、これくらいやりますよ」

「ふーん、じゃあ頼むわ」

 二人分の皿とティーカップを持って、キッチンに向かう。
 汚れを隅々まで流すように、スポンジを使って洗っていく。
 その様子を訝しげな目で見ている藤沢に、恵那は気づかないふりをした。
 これくらい自分でもできるというアピールをするつもりはなかったので、あえて無視したのだ。
 数秒間見ただけで、ちゃんとやってくれると判断したのか、藤沢は恵那から目線を切って、テーブルの上に置いてあるアロマディフューザーの蒸気を、ぼんやりと眺め始めた。

「藤沢さん、そういえばその香り、一体何の香りなんですか?」

 アロマディフューザーを、無意識の状態で見続けている藤沢を見て、声をかけずにはいられなかった。
 元々、フローラル系の香りということしか判明していなかったので、気になってはいたのだ。
 恵那は、これを機会に、その香りの謎についても迫ることにした。
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