上 下
26 / 30

26 乗馬練習

しおりを挟む
 ギュスターブ、ルード、フリーデによる恒例となった話し合いのテーマは、春の祭典に関することだ。
 今年は例年よりもずっと予算が潤沢なおかげで食糧や酒の手配をいつも以上に迅速に、大量に行っていた。

「せっかく色々なところから見物客が来るのだから、氷も振る舞いたいわ」

 春と言っても雪が溶けて温かいのは平野部で、氷室のある山は一年を通して雪が残っている。

「そうだな。北部産の氷を国中、いや、大陸中に広めるまたとない機会だ」
「ただ氷を提供するだけでなく、氷の彫像なんかも用意してみてもいい宣伝になるかもしれません」
「面白い趣向だな。ルード、どうだ?」
「かしこまりました。彫刻師と打ち合わせをしてみます」
「頼む」

 こうして会合が終わり、ほっと一息ついてフリーデは廊下に出た。

「フリーデ様、お仕事はもう終わった!?」

 ユーリが待っていたのでびっくりする。

「え、ええ、終わったけど、どうかした? 今日勉強は……」
「じゃなくて、乗馬! この間、約束したよねっ!」
「あ、ああ……そうだったわね」

 ユーリは僕は忘れてないという訴えるように小指を立てて見せる。

「もしかしてこれから?」
「うんっ」
「待って。その前に着替えてくるから」
「えー。そのままでも大丈夫だよっ」
「さすがにドレスで乗馬は……。すぐに済むから」
「じゃあ、早くしてねっ」
「はいはい」

 会合の間中ずっと終わるのを待っていたのだろう。ユーリは焦れったそうな顔をしていた。

 ――急だけどね、今さら断るわけにもいかないわね。

 フリーデは気合いを入れ、乗馬服に着替えた。

「お待たせ」
「行こっ!」
「わわ!」

 ユーリに手を引かれ、馬場に向かう。
 本当にローランを練習に使うようだ。

 ――英雄の愛馬で乗馬の練習なんて畏れ多いわね……。

 原作の中では、ローランのことを戦場を駆け抜ける一陣の黒い風と称したりもしている。

「大丈夫。僕がしっかり轡をもっているからっ」

 ユーリは安心させようと声をかけてくれた。

「え、ええ。そうよね」

 フリーデは台に乗ると、恐る恐る鞍に跨がった。
 仔馬とはいえ、大きい。
 それに跨がると、結構な高さがあって怖い。

「そうして手綱を握って。フリーデ様はただ跨がっていればいいいから。まず馬に乗るっていう感覚を体に馴染ませるんだよ」

 ――得意げに説明してくれるユーリも可愛いっ。

 微笑ましくなる。

「フリーデ様、ちゃんと前を向いてっ。初心者がよそ見をしたらそれこそ危ないんだからっ」
「あ、そうね。ごめんね」

 言われた通り、前を向く。

「背中も曲がってるっ。ちゃんと背筋を伸ばして」
「こ、こう?」
「もっとビシッて感じ!」

 ――ユーリ、以外にスパルタ!?

 ユーリの知らなかった一面に戸惑いつつ、言われた通りにしてみる。

「じゃあ、ゆっくり歩かせるね」

 ユーリは馬の轡を掴み、歩き出す。

「ひ……!」
「大丈夫?」
「ちょ、ちょっと揺れてびっくりしただけ……」

 ユーリはしきりに振り返りつつ、ゆっくりと馬場を一周してくれる。
 最初はびくついていたけれど、少しずつ周りに目をやる余裕がでてきた。

 ――もしかして乗馬の才能がある?

 慣れてくると、気持ちいいと思える余裕もでてきた。

「――なかなか筋がいいじゃないか」
「ギュスターブ様」

 ギュスターブが馬場を囲う柵に寄りかかっていた。様子を見に来てくれたのだろう。

「だいぶ扱かれてるみたいだな」
「そ、そう見えますか?」
「そうとしか見えない」
「そこは微笑ましい親子のやりとり、とか言えないんですか?」

 ユーリは「ダメ!」と真剣な顔で手足を広げてギュスターブの前にたちはだかると、フリーデを背中に庇う。

「ユーリ? どうかしたの?」
「ギュスターブ様、今は僕が教えてるから邪魔しないで」
「俺だって乗馬は得意だぞ?」
「フリーデ様には僕が教えるからっ」

 そう言うユーリはとても微笑ましい。ギュスターブも同じことを思っているみたいで、怒ったユーリとは裏腹に、口元は緩んでいる。

「分かった。じゃあ、ユーリ、頼むな」
「うん!」
「フリーデ、がんばれよ」
「任せて下さい! そのうち、ギュスターブ様も追い抜くほどに上達しますからっ!」
「じゃ、フリーデ様! 次はさっきよりローランが速度を出すからね!」
「え、ええええ……? それは少し早くない……? もう少し段階を踏んだほうが」
「大丈夫。ローランと僕を信用してっ」

 ますますやる気になったユーリのスパルタ乗馬レッスンは結局、日が沈むまで行われた。



 翌日は案の定、全身の筋肉痛と腰痛に襲われ、動けなかった。

「ごめんね、ユーリ。今日からしばらく乗馬はお休みでいい?」

 ベッドに入ったまま、フリーデはユーリに小さく手を合わせる。

「フリーデ様、ごめん……僕……」

 ユーリは今にも泣き出してしまいそうで目を潤ませ、床に正座をしていた。

「そんな顔しないで。ほら、立って。よかれと思ってやってくれたんだから。ただ私が運動不足気味だったから」

 ギュスターブが、ユーリの頭を優しく撫でると、膝を折り、目線を合わせる。

「ユーリ、張り切るのもいいが、これからは気を付けろ」
「うん……」
「これくらい少し休めば治るわ」

 フリーデもにこりと微笑む。

「本当?」
「俺の兵士たちもこれまで馬に乗ってこなかった奴はだいたい、みんなこんな感じだからな。十日も休めば……」
「と、十日……そんなに!」

 ユーリの顔にはそんなに、と書いてある。
 フリーデは咳払いをして、ギュスターブのことをじっと睨んだ。
 ばつが悪そうな顔をしたギュスターブは「仕事があるから、看病を頼むぞ」とユーリに言った。

「任せて! フリーデ様が早く治るようにお手伝いするっ!」
「フリーデ。それじゃ、俺は執務に出てくる。よく休めよ」
「はい、いってらっしゃいませ」

 ギュスターブが部屋をでていくと、フリーデはベッドの背板に背中を密着させ、ベッドに深く腰かける格好で本を読む。
 ユーリはあれやこれやと甲斐甲斐しくお世話をしてくれる。
 食事を運んでくれたり、動けないフリーデの代わりに書類を運んでくれたり。

「ユーリ、ありがとう。でも今日はたしか剣術の訓練があるんじゃなかった? 私のことは大丈夫だから……」
「ううん、今日は先生に休むって伝えたから大丈夫」
「ユーリ」
「フリーデ様もギュスターブ様も優しいから責めないけど、でもフリーデ様の体のことを考えなかったのは僕の責任だから」
「じゃあ、休むのは今日だけにして? ユーリは色々と学ばなきゃいけないことがたくさんあるから。それにスピノザたちだってあなたのために時間を作ってくれていることも忘れてはダメ。私はただの腰痛と筋肉痛なんだから。ね?」
「分かった。でも今日一日はお世話するからっ」

 数時間後、ユーリはさすがに疲れてしまったのか、ベッドに頭を預け、すぅすぅと寝息を立てている。

「ふふ。あなたがそばにいてくれるだけで、癒やされるわ」

 フリーデは頬を緩め、ユーリの頭を優しく撫でる。
 扉がノックされた。

「はい」
「入ってもいいか?」
「どうぞ」

 ギュスターブが入って来る。眠るユーリに、目元を柔らかくし、それからフリーデに視線を向ける。

「具合は?」
「腰は痛いままですけど、それ以外は健康体そのものですっ」
「食欲は?」
「そっちも問題ありません。シオンからよく効く痛み止めをもらいましたから、明日からはそれで何とか」
「無茶をするなよ。痛み止めは痛みを一時的に散らすだけで、痛みの原因を取り除くわけじゃない。下手をすると依存しかねない」
「依存って……さすがに大袈裟だと思いますけど」
「シオンの処方だからそこまで強い薬ではないんだろうが、無理はするな。できるかぎり薬は使わず、安静してくれ。癖になると大変だからな」
「ふふっ」

 ギュスターブの言葉に思わず笑ってしまう。

「おかしなことを言ったか?」

 ギュスターブは首をかしげた。

「ユーリもそうですけど、そんな過保護にならなくても大丈夫です」
「分かってるが、心配なんだよ。ただの腰痛、筋肉痛とはいえ。なにかして欲しことや、欲しいものは?」
「それじゃあ、ユーリを私の隣に寝かせてください」
「分かった」

 ギュスターブは、ユーリをそっと抱き上げて、フリーデの隣に寝かせてくれた。

「ユーリのやつ、また大きくなったんじゃないか?」
「かもしれませんね。また新しい服を仕立てないと」
「すぐに手配する」
「ありがとうございます。子どもの成長は本当にあっという間なんですね」
「だからって今からそんな寂しい顔をするなよ」

 ギュスターブはくすりと笑う。

「ですね。すみません。あ、これ、今日の書類です。ルードに渡してください」
「分かった。今日の夕食は三人で、ここで取ろう」
「はい」
「じゃ、また来る」
しおりを挟む
感想 28

あなたにおすすめの小説

至って普通のネグレクト系脇役お姫様に転生したようなので物語の主人公である姉姫さまから主役の座を奪い取りにいきます

下菊みこと
恋愛
至って普通の女子高生でありながら事故に巻き込まれ(というか自分から首を突っ込み)転生した天宮めぐ。転生した先はよく知った大好きな恋愛小説の世界。でも主人公ではなくほぼ登場しない脇役姫に転生してしまった。姉姫は優しくて朗らかで誰からも愛されて、両親である国王、王妃に愛され貴公子達からもモテモテ。一方自分は妾の子で陰鬱で誰からも愛されておらず王位継承権もあってないに等しいお姫様になる予定。こんな待遇満足できるか!羨ましさこそあれど恨みはない姉姫さまを守りつつ、目指せ隣国の王太子ルート!小説家になろう様でも「主人公気質なわけでもなく恋愛フラグもなければ死亡フラグに満ち溢れているわけでもない至って普通のネグレクト系脇役お姫様に転生したようなので物語の主人公である姉姫さまから主役の座を奪い取りにいきます」というタイトルで掲載しています。

〘完〙前世を思い出したら悪役皇太子妃に転生してました!皇太子妃なんて罰ゲームでしかないので円満離婚をご所望です

hanakuro
恋愛
物語の始まりは、ガイアール帝国の皇太子と隣国カラマノ王国の王女との結婚式が行われためでたい日。 夫婦となった皇太子マリオンと皇太子妃エルメが初夜を迎えた時、エルメは前世を思い出す。 自著小説『悪役皇太子妃はただ皇太子の愛が欲しかっただけ・・』の悪役皇太子妃エルメに転生していることに気付く。何とか初夜から逃げ出し、混乱する頭を整理するエルメ。 すると皇太子の愛をいずれ現れる癒やしの乙女に奪われた自分が乙女に嫌がらせをして、それを知った皇太子に離婚され、追放されるというバッドエンドが待ち受けていることに気付く。 訪れる自分の未来を悟ったエルメの中にある想いが芽生える。 円満離婚して、示談金いっぱい貰って、市井でのんびり悠々自適に暮らそうと・・ しかし、エルメの思惑とは違い皇太子からは溺愛され、やがて現れた癒やしの乙女からは・・・ はたしてエルメは円満離婚して、のんびりハッピースローライフを送ることができるのか!?

私は幼い頃に死んだと思われていた侯爵令嬢でした

さこの
恋愛
 幼い頃に誘拐されたマリアベル。保護してくれた男の人をお母さんと呼び、父でもあり兄でもあり家族として暮らしていた。  誘拐される以前の記憶は全くないが、ネックレスにマリアベルと名前が記されていた。  数年後にマリアベルの元に侯爵家の遣いがやってきて、自分は貴族の娘だと知る事になる。  お母さんと呼ぶ男の人と離れるのは嫌だが家に戻り家族と会う事になった。  片田舎で暮らしていたマリアベルは貴族の子女として学ぶ事になるが、不思議と読み書きは出来るし食事のマナーも悪くない。  お母さんと呼ばれていた男は何者だったのだろうか……? マリアベルは貴族社会に馴染めるのか……  っと言った感じのストーリーです。

我儘令嬢なんて無理だったので小心者令嬢になったらみんなに甘やかされました。

たぬきち25番
恋愛
「ここはどこですか?私はだれですか?」目を覚ましたら全く知らない場所にいました。 しかも以前の私は、かなり我儘令嬢だったそうです。 そんなマイナスからのスタートですが、文句はいえません。 ずっと冷たかった周りの目が、なんだか最近優しい気がします。 というか、甘やかされてません? これって、どういうことでしょう? ※後日談は激甘です。  激甘が苦手な方は後日談以外をお楽しみ下さい。 ※小説家になろう様にも公開させて頂いております。  ただあちらは、マルチエンディングではございませんので、その関係でこちらとは、内容が大幅に異なります。ご了承下さい。  タイトルも違います。タイトル:異世界、訳アリ令嬢の恋の行方は?!~あの時、もしあなたを選ばなければ~

せっかく転生したのにモブにすらなれない……はずが溺愛ルートなんて信じられません

嘉月
恋愛
隣国の貴族令嬢である主人公は交換留学生としてやってきた学園でイケメン達と恋に落ちていく。 人気の乙女ゲーム「秘密のエルドラド」のメイン攻略キャラは王立学園の生徒会長にして王弟、氷の殿下こと、クライブ・フォン・ガウンデール。 転生したのはそのゲームの世界なのに……私はモブですらないらしい。 せめて学園の生徒1くらいにはなりたかったけど、どうしようもないので地に足つけてしっかり生きていくつもりです。 少しだけ改題しました。ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします。

愛されなかった公爵令嬢のやり直し

ましゅぺちーの
恋愛
オルレリアン王国の公爵令嬢セシリアは、誰からも愛されていなかった。 母は幼い頃に亡くなり、父である公爵には無視され、王宮の使用人達には憐れみの眼差しを向けられる。 婚約者であった王太子と結婚するが夫となった王太子には冷遇されていた。 そんなある日、セシリアは王太子が寵愛する愛妾を害したと疑われてしまう。 どうせ処刑されるならと、セシリアは王宮のバルコニーから身を投げる。 死ぬ寸前のセシリアは思う。 「一度でいいから誰かに愛されたかった。」と。 目が覚めた時、セシリアは12歳の頃に時間が巻き戻っていた。 セシリアは決意する。 「自分の幸せは自分でつかみ取る!」 幸せになるために奔走するセシリア。 だがそれと同時に父である公爵の、婚約者である王太子の、王太子の愛妾であった男爵令嬢の、驚くべき真実が次々と明らかになっていく。 小説家になろう様にも投稿しています。 タイトル変更しました!大幅改稿のため、一部非公開にしております。

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。

悪役令嬢に転生したので、やりたい放題やって派手に散るつもりでしたが、なぜか溺愛されています

平山和人
恋愛
伯爵令嬢であるオフィーリアは、ある日、前世の記憶を思い出す、前世の自分は平凡なOLでトラックに轢かれて死んだことを。 自分が転生したのは散財が趣味の悪役令嬢で、王太子と婚約破棄の上、断罪される運命にある。オフィーリアは運命を受け入れ、どうせ断罪されるなら好きに生きようとするが、なぜか周囲から溺愛されてしまう。

処理中です...