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25 幸せの春

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 みんなで雪蛍を見に行って一月も経つと、北部に春がやってきた。
 雪解けの水が街道に流れ、あちこちに水たまりができるようになり、小鳥たちが青空で遊ぶ姿をみかけるようになった。
 吹き付ける風は温もりを帯びて、絹のようにやわらかい。
 どこまで続く平野が草木の緑、花の赤や黄色、ピンクに彩られるさまは胸が高鳴るほどに美しい。

「フリーデ様! 見てっ!」

 ユーリが、愛馬のローランをまるで自分の手足のように見事に操り、草原を駆け巡っていた。ローランも少し見ないうちに、立派な体格になっている。これでもまだ仔馬だというのだから、あとどれくらい成長するのだろう。

「あんまりはしゃぎすぎたら駄目よ」

 フリーデは声をかける。

「これくらい大丈夫だよー! フリーデ様、心配しすぎー!」
「それはそうなのかもしれないけど……」

 見ているほうはハラハラしてしまう。
 今日はユーリと一緒に遊びに来ていた。
 ギュスターブは執務があるというので、不在だ。

「わ、っっっと!」

 ユーリが馬上でバランスを崩す。

「ユーリ!?」
「なんちゃって! 冗談だよー!」

 ユーリは元気良く笑いながらすぐに姿勢を立て直す。

「も、もう……あんまりふざけないで、心臓に悪いわ……」

 ユーリが戻って来ると、馬を下りた。

「フリーデ様もローランに乗ってみたら? ローランは大人しいから怖くないよ」
「む、無理よ。馬には乗れないわ……」
「それじゃ今度、馬の乗り方を教えてあげる。フリーデ様も乗馬ができれば、ギュスターブ様とみんなで遠乗りに出かけれるから! ね?」
「私は馬車で大丈夫。落ちたら危ないもの」

 前世、それほど運動神経が良くなかったから余計にそう思う。

「仔馬なら怖くないよ。あ、練習だったらローランを貸して上げる。ローランはすごく賢いから、絶対に危なくないから。フリーデ様、触ってみて。本当に大人しいんだよ?」

 馬を下りたユーリは轡を取って、ローランを近づけてくる。
 ユーリとローランに、じっと見つめられた。ここで断ったらユーリを悲しませてしまうだろう。それは避けたい。

「じゃ、じゃあ、ちょっとだけ」
「優しく撫でてあげて」

 怖々とローランの顔を撫でる。

「どう?」
「……たしかに大人しいのね」
「言ったでしょ?」
「それに温かい。人より温かいかも」
「そうなんだ。馬って結構、温かいんだ。だから冬は乗馬をしながら、抱きついたりもしてたんだ。いい暖炉になるんだよ?」
「ふふ。ホッカイロみたいね」
「ほっか……いろ……?」
「あ、ううん、こっちの話よ」

 撫でてあげると、ローランは尻尾をパタパタと揺らしながら、心地よさそうに目を細めた。
 その時、ブルルッといななく。

「きゃっ!」
「こら、ローラン。びっくりさせたら駄目だろ。フリーデ様、今のは」

 ユーリは少し慌てる。

「大丈夫。これくらいで嫌いになったりしないから」
「良かった。今のはただのイタズラだから、普段は大人しいから、乗馬の練習をしよ」

 ユーリがうるうるとした目で見つめてくる。そんな目で見られてしまうと、フリーデは弱い。どんな要求も呑んでしまいそうになる。

「分かったわ。じゃあ、ユーリが教えて?」
「もちろんだよ! 約束だよ!」

 ユーリが小指を差し出してくる。約束のゆびきりをすると、ユーリは上機嫌だ。

「それじゃ、乗馬はこのあたりにして、花を摘むのを手伝ってくれる? ギュスターブ様の部屋に飾りたいから」
「分かった!」

 ユーリと一緒に丁寧に花を手折り、侍女へ渡して馬車へおいてもらう。

「うーん、いい香り」
「あーあ。ずっと春だったら良かったのに……」
「本当にね」

 こうして温かな日射しと、やわらかな風、どこまでも広がる青空を前にしていると本当にそう思う。

「ん、フリーデ様? 何作ってるの?」

 ユーリは、フリーデの手元を覗いてくる。

「んー。なんでしょー……できたっ」

 フリーデは花輪をユーリにかぶせた。

「ふふ、可愛い」

 ユーリの美しい金髪によく似合っている。

「は、恥ずかしいよ……っ」

 ユーリはすぐに花輪を取ってしまう。

「似合うなんだから良くない?」
「こーいうのは、男がもらっても嬉しくないから。可愛いって言われるのも……」
「嫌なの?」
「……ふ、フリーデ様に言われると、嬉しい……けど」

 ユーリがぎゅっとフリーデに抱きついてくる。
 フリーデは頭を優しく撫でた。

「ふふ。馬から下りた途端、甘えん坊になるのね」
「……うん」

 ユーリはフリーデが教えた通りに花輪を作ると、フリーデにかぶせる。

「やっぱりフリーデ様のほうがよく似合う。すごく綺麗だから……」
「ふふ、ユーリってば。お世辞でも嬉しいわ。ありがとう」
「お世辞なんかじゃない。本音だよ」

 ユーリの真剣な顔に、胸の奥がくすぐったくなる。

「どちらにしても、ありがとう」

 ユーリは無邪気に微笑んだ。

「それじゃ、そろそろ戻りましょっか」
「今度はみんなで行こう! 馬に乗って!」
「うーん。春が終わるまでに、私が乗馬ができるようになったらね」
「絶対に大丈夫! 僕が保証するから!」
「じゃ、帰りましょう」
「怖いからってわざと練習をサボったりしたら、ダメだからね!」
「そんなことしないわ。約束だってしたでしょう」
「そうだね。あ!」

 ユーリはかがみこんだ。

「どうしたの?」
「綺麗な花を見つけて」
「ん? どんな……ひゃ!?」

 ユーリの両手を覗き込むと、そこからバッタが飛び出した。
 驚くと同時に、尻もちをついてしまう。

「引っかかった!」
「もう、ユーリってば。悪い子なんだからっ」

 フリーデはユーリに後ろからぎゅっと抱きつくと、脇腹をくすぐったい。

「あははは、だ、ダメ! フリーデ様ぁ! あははははは! そ、そこ、くすぐったいからぁ……!」

 ユーリは涙を流しながら一緒に花畑に倒れ込んだ。

「ごめんなさい! もう冗談は言わないから許してぇ……!」

 そんな母子のやりとりを、侍女たちが眺めながら笑った。



 屋敷に戻ったフリーデは執務室を覗くと、ギュスターブが熱心に書類と格闘している。
 邪魔をしないようさっさと用事を済ませようと部屋に入る。

「失礼します」
「フリーデ、戻ったのか」
「さきほど。あ、手はとめなくて構いませんから。私のことは無視して仕事を続けてください」
「そういうわけにはいかないだろ。妻が訪ねてきてくれたんだ」
「離婚予定の、ね」
「翻意させるつもりだから関係ない」

 ギュスターブは笑みを大きくして言った。

「すごい自信」

 フリーデはくすっと微笑む。

「その花は?」

 ユーリと一緒に摘んだ花を生けた花瓶を、フリーデは抱えていた。

「この部屋、ずっと彩りが足りないなって思っていましたので、ユーリと出かけた時に摘んできたんです。花は苦手ですか?」
「まさか」
「良かった」

 フリーデは日当たりのいい窓際に花瓶を置く。と言っても、もう夕方だけれど。
 ギュスターブは立ち上がると無造作に生けられた花のうちの一本を手に取ると、匂いを嗅ぐ。その姿が整った顔立ちもあって、とても絵になる。

「いい香りだな」
「そうですよね。花を見るのもいい気分転換になると思います。それからユーリから伝言です。今度は三人で花を摘みに行きましょうって」
「俺は積むより、積んでいるフリーデを見ているほうがいいな」
「それでも構いません。とにかく出かけたいみたいなんです」
「雪蛍を見に行った時がよほど楽しかったのかもしれないな」
「あれから三人でどこかへ出かけられていませんから、余計にそう思うのでしょうね」

 一緒に香りを楽しむ。

 ――まさか、ギュスターブとこうして一緒に花のことを話せる日がくるなんてびっくり。人生、何が起こるか分からないものね。

「それで、散策は楽しんだか?」
「ええ。北部の春がこんなに素敵だったなんて知りませんでした」

 これまではベランダから緑を眺めて見てばかり。それかメイドが摘んできてくれる花で春を感じていた。
「俺と同じく、北部のことももっと好きになってくれ。で、ユーリのほうはどうだ?」
「私以上に楽しんでいました。冬なんか来なければいいのにって言ってましたよ。それはすごく同感です」
「北部の人間はみんなそう思う」
「それから……」
「ん? 何かあったのか?」
「乗馬をユーリが教えてくれることになりましたので、忙しくなりそうです」
「乗馬? 本気か? どういう流れでそんな話しになったんだ?」

 ギュスターブの目が好奇心で輝く。こういう時、彼はとても子どもっぽい顔立ちになるから不思議だ。

「三人で遠乗りに出かけたいんだそうです」
「それは魅力的な提案だな」
「ユーリがすごく乗り気で。あんな顔を見たら断れません」

 ユーリが笑顔なら、フリーデも嬉しい。彼の笑顔のためなら、多少の筋肉痛は我慢しようという気にもなる。

「俺も付き合おう」
「あなたは領主として仕事をやってください」
「俺だって人生の大半を馬の上で過ごしているようなもんだ。乗馬だったら教えられる」
「それはそうですけど……。もう夕方なのに片付いてはいないじゃないですか。だいぶ仕事が溜まってるみたいですけど、もし私で良かったら手伝います」
「いや、大したことじゃない。確認事項がやたらと多いだけで、難しいことはない。もうすぐ春の祭りの時期だしな」

 北部では毎年、春の訪れを祝福する祭りが開かれる。
 貴族、一般人関係なく、誰もが等しく豊穣の女神に感謝を捧げる。
 大陸のあちこちから商人がやってきて大きな蚤の市が開かれ、朝から晩まで灯りを絶やさず、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎが北部の大小を問わない各都市で行われる。

「ギュスターブ様がちゃんと祭りに出られるのも、久しぶりですよね」
「子どもの時、以来だな」
「そんななんですか!?」
「家を継いでから戦に明け暮れていたから、祭りどころじゃなかった。祭りの準備はなにもかもルードに丸投げしていた。俺の務めは金を工面することで」

 彼は常に領地のため、北部にとって貴重な春の季節も戦いに身をおいてきたのだ。
 領地が豊かになりつつある現在、傭兵稼業をする必要はない。
 今回はしっかり祭りを楽しんで欲しいと思う。

 ――ギュスターブが祭りを楽しむタイプにはとても思えないけど。

「それじゃあ、本当に久しぶりに祭りを楽しめそうですね。お互いに」
「そうだな」

 ユーリと迎えるはじめての春の祭り。
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