806 / 917
断章 かつて廃王子と呼ばれた獣
3.語るには優しさを必要とする
しおりを挟む「俺だけじゃないと、ダメな話なのか?」
前髪から、ぽたりと水滴が落ちる。
よほど深刻な話なのかと思い、髪を掻き上げることも出来ずにじっとクロウの顔を見つめていると、相手は少し身じろぎして頬を掻いた。
「ム……ウム……。その……後で、興味があるなら……ブラックが聞いても良いと、オレは思っている。……だが、一番は……ツカサがいい」
「え……」
こんな暗がりの中なのに、橙色の綺麗な瞳が俺を見ているのが分かる。
彩度が落ちても何故か鮮やかに輝いているように見える瞳を見つめた俺に、クロウは切実に訴えかけるように顔を近付けてきた。
「オレのメスは、ツカサだ。もうそれ以外いらない。だから、一番はお前が良い。オレにとっての一番を、ツカサにも分かち合ってほしい。……だから……今までのオレの“情けない過去”の全てを、ツカサに最初に知って欲しいんだ。自分が一番最初に、過去を知ったんだと……ここに、刻み付けて貰うために」
そう言って、クロウは俺の胸の真ん中に指を合わせる。
骨太で大きい、武骨な指。
だけどいやらしさは感じなくて、ただ触れているだけだ。
俺はその指から伝わる相手の体温を感じながら、今のクロウの言葉を考えた。
……一番最初に、俺に過去を知って欲しい。
その気持ちは、分からないようで……少しだけ、理解できるような気もする。
大事な人に苦しい過去を明かすのなら、せめてそれが相手にとって「特別な事」になってほしい。信頼の証を預けるようなものだと思うくらい、自分の恥部を明かすことは苦しいことだから、代わりに自分の心が落ち着ける証が欲しい。
だから、その人に「貴方を信頼して話す」という重しをつけるんだ。
……望まれて話した過去であっても、やはり苦しい記憶を話す時は、誰だって不安になってしまうものなんだろう。
でもそれは逆に言えば、その苦しさを乗り越えてでも俺に伝えようとしてくれているという事なんだよな。
クロウも、俺に真剣な気持ちで向き合ってくれている。
ならば俺も誠心誠意クロウの気持ちに応えるべきなのだ。
クロウが「俺に一番最初に話した」という実績で安心できるなら、俺も「クロウが一番最初に俺に話してくれた」という自負を持とう。
「相手の特別である」という気持ちは、それだけ人を安心させてくれる。
だから、俺では分不相応かもしれないけど……クロウが俺に対して「ずっと一緒」の誓いを求めているなら、特別な存在になる事で応えてやりたかった。
過去を話すことで、幻滅されるか……もしくは、離れていくかもしれない。
そんな不安を抱くほど、クロウにとっての過去は重い記憶なのだから。
「……わかった。今から……俺が一番最初に、クロウの過去の全部を聞いた男だ。誰に何と言われたって、俺がクロウの一番だって言うからな」
出来るだけ相手が気負わないように、ニカッと笑顔で笑ってやる。
そんな俺に、薄暗い影の中で熊の耳が大きく動き震えたように見えた。
「ツカサ……ツカサ……っ!」
「わっ……!」
ざぱっとお湯が大きく揺れる音が聞こえて、体が熱い何かに押し付けられる。
いや、これは……クロウの体だ。薄暗いからよくわからなくなるが、俺の体を覚えのある逞しい腕が引き寄せてきて、クロウに抱きしめられたんだと分かる。
……ブラックも大概なんだけど、クロウも結構な感動屋だよな。
当たり前だって思ってくれても良いのに、それでも……俺より長く生きてきた人生の中で、それだけ裏切られて苦しい思いをしてきたんだろう。
俺にはその全部を理解してやることは出来ないけど、でも、そういう長い時間が今のこのクロウを作ったんだと思うと、なんだか切なくて俺は抱きしめ返した。
大人だし、俺より年上でオッサンだし、実際情けない姿だとは思うんだけど。
でも、寂しかったり悲しかったりする感情は、誰だって一緒だよな。
大人だから子供以上に抑えていたんだろう。
そう思うと、やっぱり俺には突き離せそうにない。
腕で囲ってやることも出来ない大きな背中をさすり、泣いている子供をあやすように落ち着かせると、クロウは濡れている俺の髪に鼻を埋めてすんすんと鳴らしてきた。
ニオイを吸ってるんじゃなくて、これは動物が甘える時の仕草だろう。
…………やっぱりちょっと、獣人ってズルいと思う。
ブラックの時は色々考えちゃうのに、相手が猫や犬みたいに素直に「好き」の感情を出してくるタイプだって分かっちゃうから、なんだか拒否感が薄れちゃうんだよな。いやまあ、突っぱねる気なんて最初からないんだけど……。
「わかったから。……ほら、ずっとこうしてたらのぼせちゃうぞ?」
「ムゥ……」
「話したいこと、全部聞くからさ。……だから上がろ?」
外は寒いけど、これだけ温まったら十分だ。
そうは言うけど、クロウは離し難いのか横から掻き抱いた俺の肩に硬くて分厚い胸をぎゅうぎゅうと押し付けて、頭を摺り寄せてくる。
むぅとかぬぅしか言わないけど、こういう甘えん坊な所は似たり寄ったりだなぁ。
ったくもう、良いトシしたオッサンのくせに、こんなんばっかするんだから……。
「ほーら、クロウ?」
「なら……でも……」
「ん?」
なんかブツブツ聞こえたな。
何か言いたいのかと視線を上へあげると、クロウは俺のそのわずかな動きを感じ取ったのか、ようやく頭から顔を離して俺を横から覗き込んできた。
またあの橙色の瞳が、闇の中で光ながら俺に向けられる。
何を言うのかとその瞳を見返すと、クロウはもじもじせんばかりに目を動かすと、俺に少し顔を近づけてきた。
「なら……部屋の中でも……こんな風に、くっついてて……いいか……?」
低くて、腹の奥がぞわぞわするような渋い大人の声。
ブラックとは違う声だけど、それでも何度も聞かされたその声には体が勝手に反応してしまう。こんな風にねだる時は、わざと俺を煽るみたいな声になるんだ。
そんなあからさまな要求に反応してしまうのが悔しいけど、これまでの事で二人に本気で迫られたら敵わない事なんてよく知っている。
なのに、クロウもそれを知ってて、あえてこんな風に「おねがい」してきて。
「っ……わ、分かった、から……それやめろって……!」
「ム……ほんとか?」
「ほ、ほんとに!」
だからもう早く風呂から上がろう、と焦って言うと、クロウは暗がりの中で「ふふ」と笑って……急に、俺の体を浮かせて足裏に腕を差し込んできた。
うぎゃあっ、な、なにすんだお前ー!
「そうと決まったら、部屋に行こう。くっついて良いのだから、こんな風に抱きかかえて連れ帰っても構わんだろう」
「ええっ!? そ、そこまで言ってないんですけどォ!?」
っていうか、あの、素っ裸でお姫様抱っこするのやめて。
誰か来たらどうすんだよっていうかこの状況どう説明したらいいんだよ!
やるにしても頼むから服を着てからにしてくれ、と暴れる俺に、クロウは実に不満げだったが……しかし頼み事は一応聞いてくれるのか、体を拭いて服を着ることだけは許してくれた。……その後また抱えられてしまったが。
……なんか知らないけど、クロウは俺をお姫様抱っこしたがるんだよな……。
せめてもの救いは、外に人が居なくて目撃される心配が無いことくらいか。
ああ、家に帰ってきて誰かと鉢合わせませんように。
そんな事を必死で願いつつ帰ってきた俺達は、意外な事に誰にも会うことなく部屋へと辿り着けてしまった。
……部屋は三人分割り当てて貰っていたのだが、結局俺の部屋は誰かしらに襲撃されてしまうようだ。いや、まあ、今回は仕方ないんだけど……。
「ツカサ、ベッドには布が敷いてなくて固いからこうやって座ろう」
「え?」
いや、寝袋は敷いてるから、多少の時間は尻も耐えられると思うんだが……って、ちょっと待て待て待て何でアンタ俺を持ち上げてんの。
どうして降ろすんじゃなくて、抱っこからナチュラルに膝の上に乗せてんの!!
「よし。これでツカサの尻は守られた」
「俺別のモノ失いそうなんですけどねえ!?」
大丈夫だから横に座らせろと暴れるが、しかしクロウの逞しすぎる筋肉質の褐色アームは俺をガッチリ捕えていてウンともスンとも動けない。
そのうち疲れてしまい、俺は降参を余儀なくされてしまったのだった。
「安心しろツカサ、ちょっと触るくらいでいやらしいことはしない」
「いやちょっと触る時点でいやらしいんですがそれは」
「仕方あるまい、好きなメスを抱いてるんだぞ。それに……そうでもしないと、オレが恥ずかしくてうまく話せない」
「…………そう……なの?」
触っていれば安心するんだろうか。
よくわからない感覚だけど、でも人によって安心の度合いって違うし……。
クロウがそうすれば負担無く話せるというのなら、許容するべきなのかな。
ちょっと決めかねて問いかけると、クロウは「もちろん」とばかりに肯定した。
……なーんか怪しいけど……まあでも、クロウは正直者だし……。
「ダメか……?」
「……わ、わかったよ。でも、話が聞けないくらいのことするのはダメだからな」
背後から聞こえる声にそう言うと、俺を捕えている腕の力がぎゅっと強くなった。
そうして、肩口に何かがぎゅっと押し付けられる。熱い風が首筋にかかるのを感じて、それがクロウの顔だと分かった。
う、うぅ……これでも十分にヤバい事のような気がするんだけど……。
でも、これくらいなら、まだ……ブラックも怒らないだろうし……。
「ツカサは本当にやさしいな……」
「い、いいから……心が落ち着いたら、話してくれよ。待ってるから。……な?」
そう言うと、クロウは数分たっぷり沈黙して動かなかったが――ようやく、俺の肩口から顔を離して、今度は髪に顔を埋めるようにすり寄ってきた。
吐息が、まだ乾いていない髪にかかる。その感覚がくすぐったくて、無意識に両足がギュッと動いてしまう。
そんな俺にクロウは軽く笑いながら、鼻を髪の間にもぐりこませた。
「昔は……こんな風に誰かを抱きたいと考えた事も無かった。……というか、子供の頃は抱きしめられたいとばかり思っていたような気がする」
「……クロウの、子供の頃……?」
顔を動かさず正面を見たまま問いかけると、相手は頷くように顔を動かす。
髪の毛の中でもぞもぞと鼻や頬が動くのが、くすぐったい。
あまり人が触れない毛束の中にまで鼻が触れてくるのにぞわりとしたものを感じていると、クロウはゆっくりと語り始めた。
人伝に聞いた生まれた時の話と、いつまでも忘れられない幼少期のことを。
→
33
お気に入りに追加
1,003
あなたにおすすめの小説
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる