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断章 かつて廃王子と呼ばれた獣
3.語るには優しさを必要とする
しおりを挟む「俺だけじゃないと、ダメな話なのか?」
前髪から、ぽたりと水滴が落ちる。
よほど深刻な話なのかと思い、髪を掻き上げることも出来ずにじっとクロウの顔を見つめていると、相手は少し身じろぎして頬を掻いた。
「ム……ウム……。その……後で、興味があるなら……ブラックが聞いても良いと、オレは思っている。……だが、一番は……ツカサがいい」
「え……」
こんな暗がりの中なのに、橙色の綺麗な瞳が俺を見ているのが分かる。
彩度が落ちても何故か鮮やかに輝いているように見える瞳を見つめた俺に、クロウは切実に訴えかけるように顔を近付けてきた。
「オレのメスは、ツカサだ。もうそれ以外いらない。だから、一番はお前が良い。オレにとっての一番を、ツカサにも分かち合ってほしい。……だから……今までのオレの“情けない過去”の全てを、ツカサに最初に知って欲しいんだ。自分が一番最初に、過去を知ったんだと……ここに、刻み付けて貰うために」
そう言って、クロウは俺の胸の真ん中に指を合わせる。
骨太で大きい、武骨な指。
だけどいやらしさは感じなくて、ただ触れているだけだ。
俺はその指から伝わる相手の体温を感じながら、今のクロウの言葉を考えた。
……一番最初に、俺に過去を知って欲しい。
その気持ちは、分からないようで……少しだけ、理解できるような気もする。
大事な人に苦しい過去を明かすのなら、せめてそれが相手にとって「特別な事」になってほしい。信頼の証を預けるようなものだと思うくらい、自分の恥部を明かすことは苦しいことだから、代わりに自分の心が落ち着ける証が欲しい。
だから、その人に「貴方を信頼して話す」という重しをつけるんだ。
……望まれて話した過去であっても、やはり苦しい記憶を話す時は、誰だって不安になってしまうものなんだろう。
でもそれは逆に言えば、その苦しさを乗り越えてでも俺に伝えようとしてくれているという事なんだよな。
クロウも、俺に真剣な気持ちで向き合ってくれている。
ならば俺も誠心誠意クロウの気持ちに応えるべきなのだ。
クロウが「俺に一番最初に話した」という実績で安心できるなら、俺も「クロウが一番最初に俺に話してくれた」という自負を持とう。
「相手の特別である」という気持ちは、それだけ人を安心させてくれる。
だから、俺では分不相応かもしれないけど……クロウが俺に対して「ずっと一緒」の誓いを求めているなら、特別な存在になる事で応えてやりたかった。
過去を話すことで、幻滅されるか……もしくは、離れていくかもしれない。
そんな不安を抱くほど、クロウにとっての過去は重い記憶なのだから。
「……わかった。今から……俺が一番最初に、クロウの過去の全部を聞いた男だ。誰に何と言われたって、俺がクロウの一番だって言うからな」
出来るだけ相手が気負わないように、ニカッと笑顔で笑ってやる。
そんな俺に、薄暗い影の中で熊の耳が大きく動き震えたように見えた。
「ツカサ……ツカサ……っ!」
「わっ……!」
ざぱっとお湯が大きく揺れる音が聞こえて、体が熱い何かに押し付けられる。
いや、これは……クロウの体だ。薄暗いからよくわからなくなるが、俺の体を覚えのある逞しい腕が引き寄せてきて、クロウに抱きしめられたんだと分かる。
……ブラックも大概なんだけど、クロウも結構な感動屋だよな。
当たり前だって思ってくれても良いのに、それでも……俺より長く生きてきた人生の中で、それだけ裏切られて苦しい思いをしてきたんだろう。
俺にはその全部を理解してやることは出来ないけど、でも、そういう長い時間が今のこのクロウを作ったんだと思うと、なんだか切なくて俺は抱きしめ返した。
大人だし、俺より年上でオッサンだし、実際情けない姿だとは思うんだけど。
でも、寂しかったり悲しかったりする感情は、誰だって一緒だよな。
大人だから子供以上に抑えていたんだろう。
そう思うと、やっぱり俺には突き離せそうにない。
腕で囲ってやることも出来ない大きな背中をさすり、泣いている子供をあやすように落ち着かせると、クロウは濡れている俺の髪に鼻を埋めてすんすんと鳴らしてきた。
ニオイを吸ってるんじゃなくて、これは動物が甘える時の仕草だろう。
…………やっぱりちょっと、獣人ってズルいと思う。
ブラックの時は色々考えちゃうのに、相手が猫や犬みたいに素直に「好き」の感情を出してくるタイプだって分かっちゃうから、なんだか拒否感が薄れちゃうんだよな。いやまあ、突っぱねる気なんて最初からないんだけど……。
「わかったから。……ほら、ずっとこうしてたらのぼせちゃうぞ?」
「ムゥ……」
「話したいこと、全部聞くからさ。……だから上がろ?」
外は寒いけど、これだけ温まったら十分だ。
そうは言うけど、クロウは離し難いのか横から掻き抱いた俺の肩に硬くて分厚い胸をぎゅうぎゅうと押し付けて、頭を摺り寄せてくる。
むぅとかぬぅしか言わないけど、こういう甘えん坊な所は似たり寄ったりだなぁ。
ったくもう、良いトシしたオッサンのくせに、こんなんばっかするんだから……。
「ほーら、クロウ?」
「なら……でも……」
「ん?」
なんかブツブツ聞こえたな。
何か言いたいのかと視線を上へあげると、クロウは俺のそのわずかな動きを感じ取ったのか、ようやく頭から顔を離して俺を横から覗き込んできた。
またあの橙色の瞳が、闇の中で光ながら俺に向けられる。
何を言うのかとその瞳を見返すと、クロウはもじもじせんばかりに目を動かすと、俺に少し顔を近づけてきた。
「なら……部屋の中でも……こんな風に、くっついてて……いいか……?」
低くて、腹の奥がぞわぞわするような渋い大人の声。
ブラックとは違う声だけど、それでも何度も聞かされたその声には体が勝手に反応してしまう。こんな風にねだる時は、わざと俺を煽るみたいな声になるんだ。
そんなあからさまな要求に反応してしまうのが悔しいけど、これまでの事で二人に本気で迫られたら敵わない事なんてよく知っている。
なのに、クロウもそれを知ってて、あえてこんな風に「おねがい」してきて。
「っ……わ、分かった、から……それやめろって……!」
「ム……ほんとか?」
「ほ、ほんとに!」
だからもう早く風呂から上がろう、と焦って言うと、クロウは暗がりの中で「ふふ」と笑って……急に、俺の体を浮かせて足裏に腕を差し込んできた。
うぎゃあっ、な、なにすんだお前ー!
「そうと決まったら、部屋に行こう。くっついて良いのだから、こんな風に抱きかかえて連れ帰っても構わんだろう」
「ええっ!? そ、そこまで言ってないんですけどォ!?」
っていうか、あの、素っ裸でお姫様抱っこするのやめて。
誰か来たらどうすんだよっていうかこの状況どう説明したらいいんだよ!
やるにしても頼むから服を着てからにしてくれ、と暴れる俺に、クロウは実に不満げだったが……しかし頼み事は一応聞いてくれるのか、体を拭いて服を着ることだけは許してくれた。……その後また抱えられてしまったが。
……なんか知らないけど、クロウは俺をお姫様抱っこしたがるんだよな……。
せめてもの救いは、外に人が居なくて目撃される心配が無いことくらいか。
ああ、家に帰ってきて誰かと鉢合わせませんように。
そんな事を必死で願いつつ帰ってきた俺達は、意外な事に誰にも会うことなく部屋へと辿り着けてしまった。
……部屋は三人分割り当てて貰っていたのだが、結局俺の部屋は誰かしらに襲撃されてしまうようだ。いや、まあ、今回は仕方ないんだけど……。
「ツカサ、ベッドには布が敷いてなくて固いからこうやって座ろう」
「え?」
いや、寝袋は敷いてるから、多少の時間は尻も耐えられると思うんだが……って、ちょっと待て待て待て何でアンタ俺を持ち上げてんの。
どうして降ろすんじゃなくて、抱っこからナチュラルに膝の上に乗せてんの!!
「よし。これでツカサの尻は守られた」
「俺別のモノ失いそうなんですけどねえ!?」
大丈夫だから横に座らせろと暴れるが、しかしクロウの逞しすぎる筋肉質の褐色アームは俺をガッチリ捕えていてウンともスンとも動けない。
そのうち疲れてしまい、俺は降参を余儀なくされてしまったのだった。
「安心しろツカサ、ちょっと触るくらいでいやらしいことはしない」
「いやちょっと触る時点でいやらしいんですがそれは」
「仕方あるまい、好きなメスを抱いてるんだぞ。それに……そうでもしないと、オレが恥ずかしくてうまく話せない」
「…………そう……なの?」
触っていれば安心するんだろうか。
よくわからない感覚だけど、でも人によって安心の度合いって違うし……。
クロウがそうすれば負担無く話せるというのなら、許容するべきなのかな。
ちょっと決めかねて問いかけると、クロウは「もちろん」とばかりに肯定した。
……なーんか怪しいけど……まあでも、クロウは正直者だし……。
「ダメか……?」
「……わ、わかったよ。でも、話が聞けないくらいのことするのはダメだからな」
背後から聞こえる声にそう言うと、俺を捕えている腕の力がぎゅっと強くなった。
そうして、肩口に何かがぎゅっと押し付けられる。熱い風が首筋にかかるのを感じて、それがクロウの顔だと分かった。
う、うぅ……これでも十分にヤバい事のような気がするんだけど……。
でも、これくらいなら、まだ……ブラックも怒らないだろうし……。
「ツカサは本当にやさしいな……」
「い、いいから……心が落ち着いたら、話してくれよ。待ってるから。……な?」
そう言うと、クロウは数分たっぷり沈黙して動かなかったが――ようやく、俺の肩口から顔を離して、今度は髪に顔を埋めるようにすり寄ってきた。
吐息が、まだ乾いていない髪にかかる。その感覚がくすぐったくて、無意識に両足がギュッと動いてしまう。
そんな俺にクロウは軽く笑いながら、鼻を髪の間にもぐりこませた。
「昔は……こんな風に誰かを抱きたいと考えた事も無かった。……というか、子供の頃は抱きしめられたいとばかり思っていたような気がする」
「……クロウの、子供の頃……?」
顔を動かさず正面を見たまま問いかけると、相手は頷くように顔を動かす。
髪の毛の中でもぞもぞと鼻や頬が動くのが、くすぐったい。
あまり人が触れない毛束の中にまで鼻が触れてくるのにぞわりとしたものを感じていると、クロウはゆっくりと語り始めた。
人伝に聞いた生まれた時の話と、いつまでも忘れられない幼少期のことを。
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