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豪華商船サービニア、暁光を望んだ落魄者編
32.貴方の頑張りは、きっと
しおりを挟む背後で、色んな人が叫ぶ声がする。
曜術師が巨大な術を使う時は、曜術を操る事が出来ない人たちの目にも、彼らが纏っている曜気や発動する時の“属性の光”が見えるらしい。
だとしたら、彼らにもきっとあの歪な黒い魔法陣が見えているんだろう。
なら、もしかするとブラックが纏っている黒い炎のような光も、彼らに見えてしまっているんじゃないのか。そんなの駄目だと思わず体を伸ばそうとしたが、ブラックに強く抱きしめられていて俺は動く事すら出来ない。
ただ、内臓が押されるほど強く抱きしめられているだけだ。
ブラックは、歯軋りが聞こえそうなほど歯を食いしばって俺を包み込んでいた。
「ブラック……!」
汗が、すごい。
顔を苦しそうに歪めて、目を細めて、何かに必死に耐えている。顔に触れて良いか迷うぐらい汗を書いて震えていて、綺麗な菫色の瞳を嵌め込んだ目が――――
眼底から、黒い色に侵食されようとしていた。
「っ……ぐ……ぅうう゛……ッ」
「あ……っ……あぁあ……ぶ、ブラック、目が……!!」
思わず無精髭のない顔を触るが、目の白い部分を侵食し始める黒い色は止まる事なく、ブラックが黒い炎のような揺らめきをを放出するたびにじりじり上がって行く。
何故か凄まじく嫌な予感がしてブラックの頬を手で包むが、相手は目を見開いて、顔を真正面に向けたままガクガクと震えている。何の汗かも分からない滴は、俺の手に伝うほど酷くなっていた。
「は……ッ……はつ、どう……して……ッ、お、抑え……っ……から……っ」
「ブラック……!」
こんなの、普通じゃない。どう考えてもおかしい。
ブラックがこんな風に耐えてる所なんて見た事が無い。様子がおかしい、このままだと、危ない気がする。どうしてそう思うのか解らないけど……ブラックが、危ない。
どうすれば良いのか、今何をしているかという事も忘れ、頭が真っ白になる。
「あ、あぁっ……」
必死に顔を抑えて触るが、ブラックの目はどんどん黒に染まって行く。
顔に血管を浮き上がらせて、瞳が痙攣していて、自分で制御も出来ないのか頬がひくひく動いている。このままじゃ、いけない。
【絶無】を発動する前に、ブラックがどうにかなってしまう……――――!!
「ブラックっ、ブラック……!!」
「――――ッ……!」
耐え切れず、
ブラックの首に、噛り付くように腕を回して頭を強く抱きしめた。
「頼む……ッ、落ち着いて……俺は、俺はここにいるから、緒だから……!」
揺らめき勝手に浮き上がろうとしている赤い髪に手を伸ばして抑え、黒い炎を纏う相手を必死に抱き締める。敵に背中を向けているのだとしても、構わない。
今はブラックが一番大事で、なによりもブラックを守りたかった。
俺達の為に脅威を退けようとしている大事な恋人を、なんとしてでも。
「つっ、つ、ぁ、つか、つかさ、く……つ、つっっ、つか、つかさ、く……っ」
「アンタは大丈夫、大丈夫だから!!」
ブラックの声が震えている。
それがどうしても苦しくて、身を乗り出して頭を抱え込む。
大丈夫。アンタは普通だ。なにも変わらない、大丈夫だからと。
「つか、さ……くん……――――」
ぎゅっと、背中を掴まれる。
大人の手が、肉に食い込むぐらい俺の背中を掴んで俺を押し付ける。
その手の震えが確かに止まった、瞬間。
「――――……ッ!」
鼓膜を破らんばかりの雷の音がして、思わずブラックに縋る。
止むことのない音に震えながらも、顔を上げると――――目の前は、影に覆われていた。いや、これは影じゃない。クロウだ。クロウが、ブラックの体から立ち上る炎を乗客たちに見せないように立ち上がって視線を塞いでいるんだ。
これなら、ブラックが誰かに何かを言われる事も無い。
それを先に考えて、クロウは自分の巨体を利用しブラックを守ってくれたのか。
「クロウ……! あ、ありがとう!」
「……オレには何も出来ないからな、せめてもの肉壁だ。……それより前を見てみろツカサ。壮観だぞ」
「え……」
そう言われてやっと振り向いたと同時、一瞬見ただけでは理解出来ない光景が目に飛び込んでくる。思わず目を向いたそこ――――リメインを囲む膨大な白い光の柱の上には、船を覆わんばかりの巨大な黒い魔法陣が滲んでいる。
判別が出来ない紋様のようなものが文字のように並び、八芒星を中心に描く、見た事もない魔法陣。雷をあちこちから迸らせているそれに、俺は鳥肌が立った。
――――なにかが、違うような気がする。
あれは、俺が【黒曜の使者】の力を発動する時の物とは違うものだ。俺の魔法陣も“マインドマップ”のように魔法陣に大小様々な魔法陣が繋がっていて、歯車みたいで奇妙だけど、ブラックが発動した【絶無】の魔法陣は……無意識に人を恐れさせるような、本能で忌避感を覚える“なにか”を持っていた。
その【絶無】の魔法陣が、ひときわ大きく雷を纏い。
息をする間も無く、いくつもの雷撃が光の柱に降り注いだ。
「――――~~~~ッ!!」
表現しようのない、凄まじい轟音。
時には地面を穿つほどの衝撃が、何度も何度も白い光の柱を打つ。
その度に光の柱からは飛沫のような白い光の粒子が巻き起こり、それらはブラックの黒い魔法陣へと吸い込まれ消えて行った。
空は青いまま。周囲は、船の上の事など何も関係しないように穏やかだ。
けれど、おそれを抱かずにはいられない黒い魔法陣は雷を放ち続け、白い光の柱を、自分を害そうとしている存在を滅ぼそうと轟いていた。
「グ……ァ……アァアア……!!」
光の柱が黒い雷によって小さくなっていく。
だけど、ブラックの体も比例するように呼吸が浅くなっていって、俺の腕があたっているブラックの肌からは、俺の腕を伝わんばかりの汗が噴き出していた。
つらいんだ。苦しいんだ。ブラックは、何かを抑え込んでいる。
必死に耐えようとして、だからこんなに苦しんでいるんだ。
それが、何なのかは判らない。だけど。
「ツカサ、来るぞ!!」
「ッ!!」
細くなった光の柱。だが、そのまま消える事は無く、柱の中から無数の金属の腕が伸びて来た。それらはすぐに変形し、先端を鋭利な刃物に変える。
リメインが抵抗している。ブラックがこの術を起こしているんだと把握したんだ。
俺達には相手の姿が見えない。あの膨大な量の金の曜気の光に阻まれて、相手がどういう状態なのかを分からなくしているんだ。
けれど、相手は俺達の事が見えているはず。リメインは、ブラックを殺す気だ。
そんなこと、させない。
絶対に……――――!!
「鉄の凶刃を戒める鎖となれ――――【グロウ・レイン】!!」
ブラックの頭を胸に押し付けたまま、片手を敵の方へ向ける。
そうして、ずっと保持していた木の曜気を出し惜しみせずに一気に放出した。
瞬間、木の甲板から秒を待つまでも無く一気に蔓の群れが出現し、全ての鉄の腕を捕える。ぎり、と音がして振動が伝わり、俺はつい顔を歪めてしまった。
重い。今まで捕えたものの何より、重く苦しい気がする。
だけど、負けるわけにはいかない。
ブラックは、俺が守る。そう約束した。俺が一緒にいてやるって約束したんだ。
誰にもブラックを傷付けさせない、俺の命に代えても、なんとしてでも。今度こそ、誰にも負けたりしない。誰かに責任を負わせない、悲しい顔を刺せない……!!
「な……め……ん……なぁああああ゛あ゛あ゛!!」
第二陣が来る。
俺は向けた掌の指に力を入れて曲げ、更に蔓を増やした。
負荷が重くなる。大きくなり、腕が千切れそうなほどの痛みを訴えた。
「ツカサ、血が!!」
「キューッ!!」
「く、クロウは……ッ、ブラックを、守ってて……! ロクも、大丈夫、だから……!!」
「キュゥウウ!! キュ、ォ゛、オォオオ゛オ゛オ゛オ゛!!」
ロクが、俺の前に飛び込んでくる。
その小さなヘビトカゲの姿で、ロクは再び口から青い炎を噴き出した。
だけど、もうロクも限界だ。相棒の俺には解る。打てても、あと数発が限度だ。
どうにかしないと。まだか。リメインの金の曜気が枯渇するのは、まだなのか。
このままではブラックが持たない。ロクも反撃されかねない。
だけどクロウに動いて貰うワケにはいかない。早く。どうか、早く……!!
「う゛ぁあッ……!」
抵抗による、激しい衝撃。
腕から「ぱつん」と音がして、今度こそ血が勢いよく噴き出した。
負荷による激しい痛みのせいで、肉が裂けた事すら感じられない。このままでは、俺も共倒れだ。でも、どうすれば。どうしたらいいんだ。
俺が、ブラック達が、乗客達が助かる方法は。
「ぁ……ぐ……あ゛ぁ゛……ッ!!」
腕が痙攣する。「離せ」と抵抗する金属の腕が、蔓を切ろうと乱暴に暴れた。
蔓を引き千切られるか斬られてしまえば、その痛みで俺はきっと失神する。そんな事になったら、死んでも死にきれない。なんとか、絶対になんとか――――!!
「ツカサ!!」
――――背後から、何か大きな金属のような物が盛大に倒れた音がした。
「…………ッ!?」
さっきの声は、誰だ。知っている。だけどクロウでもブラックでもない。
あれは。あの、声は。
いつも俺を気に掛けてくれた……あの、声は…………。
「お前らにだけ戦わせてすまねえ!!」
「嬢ちゃん、よくやった。大した薬師だ!」
「ツカサ、もう良か! あとはおい達に任せとけ!!」
大勢の声が、俺達に語りかける。
何事かと目を見開いて正面を見る、と。
左右から――――大勢の、人が
――――いや、俺を助けてくれると言った冒険者達が、一斉に金属の腕に武器を振るおうとしている光景が――――――
「あ……ぁああ……!!」
よく見たら、厨房の人達や給仕係の人達も混じっている。
獣人の国に向かうほどの実力を持った人達は、次々に金属の腕を切断し、無力化されたそれらを海に投げ捨てていた。
どんどん、腕が楽になる。体が軽くなっていく。
ラトテップさんが曲芸師のように宙を舞い、金属の腕に乗って次々に素手でそれらを破壊し開放して行っている。みんなが、あの黒い魔法陣を「味方だ」と確信して、俺達を助けてくれている。俺達を、守ろうとしてくれているんだ……!
「っ……ぁ……あ……あぁあああ……!! ブラックっ……! もお、いい……! も、大丈夫……大丈夫だよ……! 大丈夫だから……!!」
涙が、溢れ出て来る。
どうして泣いているのかなんて、俺自身わからない。
だけど、この感情をブラックに伝えたくて、必死に耐えているブラックにどうにか感じて貰いたくて、俺は大きな頭を抱き抱えた。
もう光の柱は細い。薄らとリメインが見え始めている。
彼の曜気も――――彼が【術式機械】から奪った曜気も、尽きかけているんだ。
だから、もういい。もう頑張らなくて良いんだ。
止まって。いつもの、ブラックに戻って……!
「ブラック……!」
抱き締めても痙攣が止まらない相手に、今一度顔を合わせる。
…………もう、目の白い部分が半分黒く染まっている。
顔は正面を向いて、目を見開いたままで、いくつも青筋を浮かべて歯を食いしばり何かに耐えている。きっと、自分でもそれが精一杯なんだ。
「アンタは、みんなを守ったよ……!!」
だから、俺は。
俺は――――ブラックがいつも、やっているのと同じように、相手の頬を掴んで。
「大好きだよ」と伝えるためのキスを、ブラックに押し付けた。
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