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豪華商船サービニア、暁光を望んだ落魄者編
33.罪人どもの懇願
しおりを挟む「――――――……!」
びく、と、ブラックの体が動く。
俺を抱いていた手が再び力を籠めて、また骨を折らんばかりに締め付けて来るのかと身構えたが……腕は弛緩して、背中を伝い落ちて行ったようだった。
…………どう、なったんだ。
ブラックは無事正気に戻ってくれたのかな。わ、わかんないぞコレは。どうにかして普通のブラックに戻って貰わないとって勢いでキスしちゃったから、マジでこの後どうなるのやら……ま、まさか顔を離した瞬間また黒目が進行しないよな?
そうなったらどうしようと焦っていると……ブラックの唇が、微かに動いた。
途端、腕がまた俺を捕まえて来て、今度は相手の口の隙間からぬるりとした感覚が俺の唇に……っておい!!
「わ゛ーっ! んなコトしてる場合かーっ!!」
「あぁんツカサ君の意地悪ぅ! この流れはみんなに見せつけセックスでしょ!?」
「どういう流れだおバカ!! ……と、とにかく……無事で良かった……」
頬を触ると、すこしチクチクした感触がある。もう無精髭が生え始めてるらしい。
でも、それが「いつものブラック」だと思うと、何だか勝手に顔が緩んだ。
誰よりも綺麗な赤い髪に、鮮やかな菫色の瞳。男らしい顔なのに、いっつも無精髭とだらしない笑みを浮かべている…………俺の、大事な恋人。
何も、変わらない。
今は貴族みたいな服を着てるけど、ブラックはブラックだ。
骨太な左手の指にはめられた指輪は、俺の胸元にある指輪の感触を更に明確にしてくれているような気がした。
…………ご、ごほん。
ともかく、今はそんな事をしている場合じゃないんだ。
ブラックが“黒い炎”から解き放たれた今、もうリメインを縛るものは何も無い。
またアイツがヤバいことをしないとも限らないんだから、警戒しないと。
「ブラック降ろしてっ。今はリメインのことをどうにかしないと……」
「えぇ~。なんか見た所もう冒険者連中がやってくれそうだし、どうでもよくない?」
「お、お前なあ! 冒険者連中って……」
と、背後をどうにか振り返って、俺は思わず息を呑んだ。
「白の曜気ってことは、金の曜術師だよな」
「ハッ、ざまぁねえな。曜気がなけりゃこいつもただのザコだよ」
「……国家公認の商船の航行を武力で脅かした罪人は、その場で討伐しても罪には問われない。むしろ報奨金が出るぞ」
「船長や薬師の嬢ちゃんには世話になってんだ。今ここでサクッと始末しとくか」
ざわざわと聞こえる、冒険者たちの声。
無力化された金属の腕の周囲に散らばる彼らの先に、もう既に細縄のようになってしまった白光の柱の下に膝をつくリメインと――――そんな彼を囲む、屈強な冒険者達がいる。だけど、彼らのその手には武器がしっかりと握られていた。
罪人は討伐。
恩人の為に、討伐する。
ああ、そうだ。冒険者と言うのはそういうものだ。武力で武力を制する者達だ。
リメインは許されない事をしたから、殺されても仕方がない。そういう思考がまかり通るのが、この弱肉強食の世界。力なき人達を蹂躙しようとした彼が罰されるのは仕方がないのだ。それは、俺も充分に理解していた。
俺だって、自分で決着を付けないといけないことを、力で解決した。
だから、脅威を今片付けようとする彼らの冷静な思考は否定できない。その方が、乗客達も安心できる。もう恐れる必要もなくなるんだ。
「みんなのため」に、彼らがリメインを罰しようとするのは当然の事だった。
だけど。
でも。
リメインは。
リメインは、本当に、こんな事をしたかったんだろうか。俺のためにこんな大それた事件を起こして、こんなことになりたかったんだろうか。
そもそも、アイツは俺のせいで暴走したようなものだ。なのに、俺がこんなところで傍観していて良いんだろうか。ブラックやクロウやロクにまで無理をさせて、こんな風になってしまったのに……こんな、このまま……っ。
「あっ!? つ、ツカサ君!?」
ブラックの声が背後に聞こえる。
だけどもう、止まってなどいられなかった。
ブラック達には悪いけど、戻るなんてできない。何も分からないまま、リメインだけに罪を被せて断罪させるなんて、絶対にいやだった。
「まっ……待って……!」
手が、治り切っていない。ぽたぽたと血が甲板に流れていく。
早く治れと歯を噛み締めながら、俺はふらつく体をなんとか走らせ冒険者達が囲う中に割って入ろうとした。
「待って……ッ、た、頼む、待ってくれみんな……っ!」
「ぅえっ!? じょ、嬢ちゃんどうした、後は俺達がやるから休んでろって!」
三日月のように反り返ったナイフを両手に構えている、蜥蜴っぽい顔立ちの冒険者――ケシスさんが慌てたように言う。他の人達も俺を見てどよめいたが、俺は構わず囲いの中に入ってリメインに近付こうとした。
「おいやめろっ、嬢ちゃん殺されちまうぞ!!」
ケシスさんの言葉に、俯いて膝をついていたリメインがぴくりと反応する。
その、刹那。
「チッ……!!」
体が浮き上がる。ケシスさんが俺を抱えて飛んだんだ。
だが、その事に気が付いた俺の目の前には――刃物が、迫っていた。
「ッ!! リメイン、駄目だ!」
リメインを中心にして、無数の刃が放出されている。こんなの、避けても背後の乗客や冒険者達に当たってしまう。そんなのだめだ。
いくら相手が何度も人を殺した相手だとしても、あの「デジレ・モルドール」だとしても、俺達が倒さなきゃいけない【アルスノートリア】だとしても、もう……関係ない人を殺して欲しくない。リメインの姿で、人を苦しめて欲しくない……――――!!
「やめろぉおおおおおお!!」
自分勝手な想いを吐き出すように、絶叫した。
……だけど、何も変わらない。
涙目で見る周囲はやけにゆっくり動いているように見えて、柄も無い無数の刃が、ハリネズミのように放射状に宙に浮いていた。
どうにか、しなきゃ。
だけどもう、力が出てこない。何をすればいいのか判らない。
止めなきゃ行けないのに。リメインがこれ以上人を殺すのを、止めて……
「……頼む……やめてくれ……っ」
懇願するように、言葉を吐きだした。
刹那。
俺の腕から流れていた赤い血が、葉を繁らせる金色の蔦に変わった。
「ッ、は――――は、ぁ……あぁ……っ!?」
血が、変化した。黄金の光を放つ光の蔓になって、俺の手や腕に巻き付いて行く。その速度はゆっくり動いている世界より早く、瞬きをする間も無く首に巻き付いた。
「あっ、ぁ……あぁああ……っ、ああああ……!!」
体が、おかしい。
光の蔦が俺の体に巻き付くたびに、体の中で嵐が暴れているような苦しさと衝動で叫び出しそうになる。快楽でも、痛みでも無い、ただ凄まじい間での衝撃。
内臓から爆発するんじゃないかと言う例えようも無い“それ”の動きに、俺は叫ぶ。
自分だけ時間に取り残された空間で叫ぶが、体は動かせなかった。
そんな俺の腕を、首を、幾重にも拘束した光の蔦は、首の辺りから分かれてついに肩を越え、俺の背中にまで侵食し。侵食、して。
――――俺の背中に、その先端を突き刺した。
「あ゛ぁあ゛あ゛あ゛あ゛ぁあ゛あ゛あ゛!!」
「――ッ!? ど、どうした嬢ちゃっ……なんだこの蔦!?」
ケシスさんの、声が聞こえる。
だけどもう何も答えられない。痛い。背中に左右から突き刺さった光の蔓が、俺の体の中の「なにか」を引き摺り出すように、肉の中で蠢いていた。
こんなのおかしい。光が体を侵食するはずがない。変だ。おかしい。
痛い、こんなことに負けている場合じゃないのに。
リメインを、早く止めなきゃ行けないのに……!
「ッ……ぇ……い゛……ぅ゛……ッ!」
痛みか悔しさか判らない涙が、流れる。
まるで枷でもつけられているように重い腕を必死に上げて、そうして。
もう近付く事も出来ない、俯いたままのリメインに、伸ばした。
「あっ……!?」
光の蔦に侵食されて覆われてしまった腕が、光る。背後から聞こえる驚くような声が聞こえたが――――甲板から噴き出した黄金の光の壁に、全てかき消された。
全てを、金色の綺麗な光が覆う。
人も、船も、無慈悲な金属も全て包んで何も見えなくなる。
自分が地面に立っているのか浮いているのかすら定かではない空間の中、金色の光の壁は一瞬にして消える。……同時に、俺の腕と首に巻き付いていた蔦が消え、背中の痛みもなくなった。
だが、それよりも、今のこの状況だ。
さっきまで無数の刃物が向かって来ようとしていたのに、今はその刃物も床に落ち動かなくなってしまっていた。
「…………これ……どういう、こと……」
荒い息ながらも、なんとか口を動かす。
そんな俺を抱えたままのケシスさんも、呆気にとられたような口調で呟いた。
「いや……そりゃ、お前……光の壁がばーって出て来て、曜術が無効化されたって言うか…………嬢ちゃん、アレはお前がやったのか……?」
問いかけられるが、分からない。
違うと首を振るけど、否定にしろ肯定にしろ自信は無かった。
だけど、まだ安心してはいけない。
まだリメインは動けるのかも知れない。あの場所で膝をついて俯いている。元気かどうかも分からないし、まだ混乱しているかもしれない。
早く、彼をどうにかしないと。無力化させないと、また攻撃が来る。
「け……ケシス、さん、もう大丈夫……だから……降ろして……」
「お、おう……大丈夫か……?」
「ありがと……ござ、ぃ、ます……っ」
地面に降ろして貰ったけど、頭が酷く揺らぐ。
船酔いした時より酷い、吐き気がしても吐く事すら出来ないくらいの揺らぎだ。
視界がチカチカして時折白黒になる。視点が定まらない、平らな場所を歩いているはずなのに、世界が歪んで平衡感覚すら危うくなってしまっていた。
でも、行かなきゃ。
リメインを、止めなきゃだめだ。
そう思って、必死に足を動かし、ふらついた体を叱咤して、なんとかまともな意識を保ちながら、ふらふらと近付いて。
……気が付けば、もう誰もリメインを攻撃しようとしてはいない。
ただ俺をジッと見つめて、武器を構える手を降ろしていた。
ああ、みんな待ってくれているんだ。
俺がわがままを言うみたいに騒いだから、待ってくれているんだ。
本当に俺って奴は、最低な人間だ。
みんな、ごめんなさい。正しい事をしようとしていたのに、止めさせてしまって本当にごめんなさい。けれど、どうしても……どうしても俺は、リメインを、このまま斃すことなんて、出来ない。せめて彼に、謝らなければ。
彼を、正気に戻さなければ、死んでも死にきれないんだ。
だからどうか、もう少しだけ。
もう少しだけ、リメインと……話をさせて欲しかった。
その罪が、俺の中の罪悪感が、消える事は無いと解っていても。
「り、め……いん……」
あと少しで、手が届く。俯く相手の肩に触れられる。
そんな、あと数センチしかない距離まで近づいて、相手の肩を叩こうとしたと同時、ふとリメインの体が動く気配が有って。
「…………ツカサ」
俯いていた顔が、徐々に動いて俺を見上げてる。
その顔はいつものリメインで。いつも見せてくれていた、普通の顔で。
だけど、何故か。
何故かとても、悲しそうな笑顔をしていて……。
「リメイン……?」
「……お前まで、殺させるわけには……いかない……」
「え……?」
どん、と、体を突き飛ばされる。
何が起こったのか解らず吹っ飛ばされ、咄嗟にリメインを見た。そこには。
「リメイン!!」
どこから飛んできたのかも分からない無数の鉄杭に体を突き刺されて、空へ吹き飛ばされているリメインの、すがた、が……――――
「あぁあああ!! うわあああああああ!!」
「ちょっ、嬢ちゃん!!」
「ツカサ君!」
まるで紙切れのように舞ったリメインの体は高く飛び、甲板から外れる。
このままでは海に落ちてしまう。リメインが本当に助からなくなってしまう。そう思うと体が勝手に動いて、駆け出していて。
リメインを必死に追った俺は、気が付いたら
海に、身を投げていた。
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