異世界日帰り漫遊記!

御結頂戴

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豪華商船サービニア、暁光を望んだ落魄者編

  夜会

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 この【サービニア号】に乗船するとなった時に「船旅なのだから、二週間ずっと部屋に籠ってのんびりしていればいい」と言われたのを覚えている。

 その言葉にツカサは納得して素直に頷いていたが、自分達が「貴族」を装う以上、そうはいかない事をブラックは十二分に分かっていた。
 船に貴族が存在し、貴族とかかわりを持たねばならない立場になれば、どうしても外に出て望まぬ相手と相対さねばならない。勘繰られないためには、適度に華やかな場所へも出て行かなければならなかった。

 だが、それが酷く憂鬱だ。
 そう思いつつ、ブラックは先程から洗面所の鏡をじっと見て、何度も何度も重苦しい溜息を吐いていた。

「はー…………」

 鈍く光る鏡には綺麗に整えた自分の顔が映っている。
 髭を整え、いつもの自分とは違う様相になった顔を見ると、自然と顔が歪んだ。

「顔と髪は……まあ、よし。眼鏡もよし。服も別に変な所は無い……はぁ……」

 歪んだ顔以外は、まっとうな人物のようだ。
 一見してなんの問題も無いような「正装」だが、それを自分が装っているのだと言う事に嫌悪を覚えて、ブラックは片目の瞼を無意識に引きつらせた。

 ……そう、嫌悪だ。
 他人に合わせる為に姿を整えるという行為は、酷く憂鬱だった。

「ブラック、そろそろ夜会だそうだぞ。用意は……出来たようだな」

 ドアの無い入り口から顔をのぞかせるのは、ツカサではなく鬱陶しい駄熊だ。今は「貴族の従者」という役を演じているせいなのか、やけに押し付けがましい。
 喋ればやはり自尊心を抑えきれないのか、従者と言うよりも監視員のようだった。

 だが、その歪さは今のブラックも同じなので、何も得ない。

 そもそもが、自分達にこういった真人間の振る舞いは似合わないのだ。
 自嘲気味にそう思うが、貴族と偽って乗船させられた以上は「やるべきこと」を全うするしか道は無かった。そうでなければ、ツカサにも被害が及ぶのだから。

(はぁあああーっ……ツカサ君が随伴してくれるワケでもないのに、なんで僕が一々クソ貴族どもの夜会になんて参加しなきゃいけないんだ……)

 わざわざこのように鏡を見て溜息を吐くのも、全てそのせいだ。
 今日……島への停泊日になると、サービニア号の貴族達は有る催しに参加する事になっている。それが「夜会」だ。

 強制参加というワケではないのだが、参加しなければ他の貴族達の詮索が待っている。退屈な船旅の途中に「エモノ」を見つけ、彼らはこぞって正体不明の貴族を話のネタにして楽しもうとするのだ。

 ブラックは船上夜会に参加した事は無いが、それでも貴族のやり口は同じだろう。
 今まで、嫌と言うほど卑しい存在を見てきた。だからこそ、ブラックは彼らの標的になる事を恐れ、夜会に参加し自分のウソの身元を曝すハメになったのである。

(本当はずっと引き籠っていても良かったんだけど……今日は運悪くアランベールの貴族に見つかったからな……。何か変な事を勘繰られない内に、潔白である証明をしなくちゃいけなくなった)

 顔と髪色を見られた以上、もう部屋に籠っている理由が無い。
 これが黒髪であれば別だっただろうが、鮮やかな赤髪は隠すものでは無い。特にアランベール帝国では鮮やかで輝くほどの濃い髪色であれば、称賛の的だった。

 だからこそ、逆に部屋に籠っていられなくなったのだ。
 あの口の軽そうな若造がブラックの容姿の事を他の貴族に伝えて、注目を集める事になってしまいかねなかったから。

(今日が夜会の日なのは好都合だったな。一日でも遅れていたら、あの男が僕の事を誰かに話していたかもしれない。そうなれば……退屈しのぎに誰かが僕達の事を探り出す。貴族はそういう奴らだからな。……そうなったら、僕の事だけでなく、部屋に唯一入れるツカサ君にも危害が及ぶかもしれない)

 ツカサを守るためにも、ここは外に出なければなるまい。
 そう気合を入れ直そうとするが、しかしツカサの事を思うと夜会への憂鬱とは別のもどかしさが湧いて来て、ブラックは再び溜息を吐いてしまった。

(やっぱり一緒にいられないのはヤだよツカサ君……。はぁ……あとどのくらいお金を持たせたら、ツカサ君を専属にしてくれるのかなあ……責任者……)

 ここ数日、ツカサとの逢瀬は仕事時間くらいだ。今日は特別にツカサが休みだったので存分に触る事が出来たが、それだって夜になればまたおあずけだった。
 ツカサには毎日猛るペニスを慰めて貰っているが、しかしそれでブラックの欲望が治まる事も無く、欲求不満は溜まって行く一方だった。

「こうなることが分かってたから、ワザワザ銀行に行って金も用意したんだけどな」
「ブラック、用意が出来たなら行くぞ」
「あーはいはい!」

 籠の中で退屈そうにしているロクショウに「留守番を頼むね」と優しく告げ、今一度リボンタイを整え廊下へ出る。
 いつもならツカサが整えてくれただろうにと思うと、もう夜会など放り出してすぐさまツカサの所へ飛んでいきたかった。

(はぁ……。ツカサ君が働くとか言わなきゃ、僕の横にはツカサ君がいてくれたのになぁ……婚約者って名目で……)

 だが、事はそう上手くはいかなかった。
 すぐに金で靡くと思われた「厨房支配人」とやらが、動かないせいで、結局自分は左手の指輪をお供に貴族だらけの夜会に参加するハメになってしまったのだ。

 見通しが甘かったのかと思うと同時に、いざ自分が貴族のまねごとをするとなると上手く行かないのだなと溜息が耐えなかった。

(あんまり大金をちらつかせちゃいけないと思って、金貨数枚にしたつもりだったんだけど、何がいけなかったんだろう。少なすぎたのかなぁ)

 だから、厨房支配人とやらはツカサを離してくれないのだろうか。
 なにせツカサはよく働くし気もきく従者にはぴったりの少年だ。その甲斐甲斐しい姿を見れば、手放したくなくなるのも当然と言うものだった。

 出来れば、メイド服姿で毎日自分の下半身にご奉仕して欲しい。
 ブラックはそう強く思ってやまないのだから、きっと他のオスとて同じ事だろう。
 だからこそ、ブラックはわざわざツカサに内緒で準備をしていたと言うのに。

(準備してても、使い所を間違うとこんなことになるとは。うーん……金の使い方って難しい……)

 ――――ツカサに「客室係として乗り込む」と言われた時、ブラックはとある計画を立てていた。それは、貴族が給仕係に「お礼」と称して渡す金を誰よりも潤沢に用意し、ツカサを早々に自分専用に囲い込むというものだ。

 異世界から来たツカサは知らないだろうが、貴族の行う“わがまま”は下級の者にも広く浸透している。当然、それらを行使されても下々の者は驚きもしなかった。その“わがまま”の内容は多岐に渡るが、その中でも最も「幸運だ」と呼ばれているのが、下働きの囲い込み……いや“お召し上げ”だった。

 つまり、人を買うのだ。

 店に気に入った給仕係が居れば、金にモノを言わせ店から借りるか買い取って、己の欲望を満たしたり雇い直したりする。手段は違えど、ほぼ娼姫を買う時と同じだ。
 それが幸運と言われるわけは、貴族から与えられる「お礼」や給金が、一般的な店よりも遥かに高額だからだろう。

 だからこそ貴族のそういった行為は当然とされ、受け入れられていた。
 ツカサは貴族が来るような店にあまり近寄った事が無いので知らないだろうが、店が「この金額ならこの従業員を貴族に差し出してもいい」と思ったら、リボンを掛けて出されるのが当然なのである。だから、ブラックもそれを真似したのだが……。

(船で従業員を買うのって、そんなに面倒臭いのかな……。前に貴族待遇でこういう船に乗った事はあるけど、その時は娼姫ばっかり相手にしてたから金額なんて気にしたことなかったよ……うーん……ほんと難しい……)

 表面上は従者らしくする駄熊が、ブラックの行く道に危険が無いか先導して昇降機に案内する。自尊心はともかくキチンと仕事をするところがこの男らしい。
 黙って乗り、階下へ降りてブラックと熊公は下船し、馬車に乗って島の迎賓館へと向かった。サービニア号の夜会は、船上ではなく陸の上で行われるのである。

 ……ガタガタと揺れる馬車に腕を組んで乗りつつ、数分。
 やっとのことで、島の中心部にある迎賓館に到着した。

「お待ちしておりました。夜会の会場はこちらでございます」

 降りるなり丁寧な物腰の給仕に腰を折られ、そのまま有無を言わさず案内される。視界の隅を見ると、玄関ホールで談笑している貴族とその連れの姿が見えて、つい溜息が漏れそうになった。

(はぁ……本当なら、僕にも婚約者が付いて来てくれるはずだったんだけどな)

 仮に、愛するツカサがブラックの連れ添いとして隣に居て、自分の姿を「格好いい」と言ってくれるのなら、ヒゲも髪も幾らでも切り揃えただろう。この憂鬱な夜会だって、ツカサが自分の婚約者だと見せつける機会になれば喜んで参加していた。
 だが、今回はよりにもよってむさくるしい駄熊と二人きりだ。

 そう思えば、また気分が沈んでくる。
 いつもの無精髭がない姿で公の場に出るのは、何度目だろうが酷く憂鬱だ。普段は長くなり過ぎないよう炎を纏わせた手で適度に短くするくらいだが、そんな風に己の顔を直視しないでいると、鏡に映る見たくもない自分の顔を余計に見てしまって、苛立ちとも苦しさともつかない感情で拳を握りしめてしまうのである。

 今までは、そんな風に思う事が有ってもツカサが隣にいたから「ツカサに愛されて誉れと思われている自分」をありありと感じ、このような感情が湧きおこることすらも無かったと言うのに。

(…………ツカサ君も分かりやすいけど、僕も相当入れ込んじゃってるなぁ)

 今夜は心がやけに冷えるせいか、いつもの浮かれた自分に苦笑が湧いてくる。
 だが、それは夜会や自分の正装に対するような冷たい笑みでは無かった。

「こちらが会場でございます。何かございましたら、お申し付けください」

 案内係が再び深々と頭を下げる。
 もう会場に付いたのかと周囲を見やると、そこには立食形式のテーブルが幾つか並び、奥の方にはダンスをするための広い空間が見て取れた。

(……ツカサ君がいたら、ちょっと踊っても良かったけど……)

 自分へ密かに向けられる無数の視線に、ブラックは目を細めて口を結ぶ。
 こんな不躾な視線を向ける貴族ばかりの場所では、ツカサも不当な値踏みをされ嫌な思いをしただろう。そう思うと胸がムカムカしてブラックは会場へ進んだ。

 今回は、顔見せくらいでいい。
 姿を見せさえすれば、後はどうとでもなる。部屋から出て交流を拒んでいるのでは無いと主張する“義理”さえ通せば、貴族達はそれなりの礼儀を見せるだろう。

 彼らは面子を重んじる。それは相手に対しても同様だ。
 つまり、貴族として振る舞う相手なら貴族として交流せねば周囲から笑われる。
 もし今後腹を探られるような事が有っても、彼らは無茶な事などしてこないだろう。そうなるだけでも夜会に参加した意味はある。

(とはいえ……干渉は避けられないけどね……)

 背後に駄熊を従え、視線を一身に浴びながら給仕係の手から酒を取る。
 すきっ腹に強い酒を煽るのは自殺行為だったが、今は気付け薬のような酒を飲まねばやってられなかった。何せ、もうブラックは彼らの食指の範囲内に入ってしまっているのだから。

 ――――その酒が切欠のように、行いたくもない交流が始まった。

 代わる代わる着飾った男や女に近寄って来られ、名を名乗ったり名乗られたりして顔見知り程度の相手を増やしていく。
 サービニア号にはブラックほど鮮やかな髪色の貴族は乗っていなかったのか、それともツカサが褒めるほど美形な顔に騙されているのか、次から次へ人が寄ってくる。

 ちょっとした人気者のようになってしまっていたが、貴族達と言葉を交わすたびに、ブラックの心はどうしようもなく冷えて行った。

(そんなに正体の知れない男と知り合いになりたいってのか? ははっ、どうせ、僕が汚らしい冒険者の格好をしていたって話し掛けもしない癖に)

 自分の本当の姿は、こんな取り繕った姿ではない。
 本当の姿は、ぼさぼさと浮き立った髪と無精髭だらけの汚らしい冒険者だ。
 人を切り魔物の血に塗れ、時に泥を被って近付きたくも無い姿になる存在なのだ。

 その姿を見てもなお、この貴族達は自分を褒めるのだろうか。
 格好良い姿だと惚れてくれるのだろうか?

 …………そんなワケはない。
 長い間生きて来て、自分の本性を知っても笑いかけてくれるような存在は、自分の指に嵌っている指輪の唯一の片割れを持つ存在だけ。
 彼以外に、自分のすべてを受け入れてくれる人はいなかった。

 例え記憶を失っても、泥と血で汚れ何もかもを失ったブラックを受け入れてくれた、この世界で唯一愛しいと言える婚約者だけだったのだ。

 だからこそ、ブラックも最初で最後の恋をした。
 幼く頼りない、けれど誰よりも自分を守ろうとしてくれる――愛しいツカサに。

(ああ……ツカサ君、逢いたいよ……。こんなクソ貴族だらけの場所じゃ酒を飲んでも酔えない。寒気がする……)

 だが、人の波は途切れそうにない。
 何らかの不名誉な思い違いをされるかもしれないが、仮病でも使って早々にこの場を去るべきだろうか。そう考えていた所に――――金髪の従者らしき男が、貴族達の波を巧みに縫って、駄熊の方に近寄って来た。

 何をするのだろうかと思ったら、相手は何かを渡しお辞儀をして去っていく。
 なんだろうかと背後にいた熊公を視線だけで見やると、渡された手紙らしきものを確認するなり耳打ちをして来た。

「ブラック、あのペンテクロンという奴の手紙だ。会場にいないと思ったら、従者を代行に立てていたらしい。どうも重要な手紙のようだぞ」

 蜜蝋の封に家紋が捺印されている。
 そう言われ、ブラックはそれほどのことかと片眉を寄せた。

(まあ、あの男は黒髪だから夜会には来ないだろうと思っていたが……まさか、僕達が来る事を予測して従者に手紙を持たせているなんて思いもしなかったな)

 つくづく読めない男だ。
 そう思って嫌な気分になりつつも、ブラックは言葉巧みに貴族達を押し退け、人気の少ないサロンの方へと移動した。

 個室であれば、貴族達も追って来る事はあるまい。
 そう思い、椅子に座って封を解く。中身は、貴重な白い紙の便箋だ。
 そこには思っても見ない事が書かれていた。

「……なんだ、これは……?」
「どうしたブラッ……ごしゅ……っ、ご……あるじっ」
「あーあーもうアルジで良いからどもるな気持ち悪い」

 よほどブラックに「ご主人様」と言いたくないのか、珍しくクロウの顔が歪む。
 獣人族のオスとしてはそういうのは屈辱なのだろう。
 まあそんなことはどうでもいいがと捨て置きつつ、ブラックは手紙をしまった。

「で、何が書いてあったのだあるじ」
「敬ってる感じゼロだなクソ熊。……まあいい。……この手紙には……なにかの調査報告が記されていた」
「調査報告?」
「……ペンテクロン家が密かに調べていたらしい、アランベール帝国の貴族だと偽り船に乗っているらしい存在の調査をしたものだそうだ。あの男は、どうもその偽物の貴族を追って船に乗ったらしい」

 そう伝えると、熊公は良く解らないと言わんばかりに首を捻った。

「あの男は何かの調査官だったのか? ……しかし、どうしてそんな報告をこちらにわざわざ手紙で寄越すのだ。オレ達はあの男とは全く関係が無いだろう」

 その通りだ。
 ツカサは何やら顔を知っていたようだが、ブラック達はほぼ初対面だ。いくらツカサが連れていた貴族だからとは言え、その顔見知りでもない相手にこのような個人的な調査報告を渡す意味が分からない。

 だが、あの男が何を言わんとしているかは理解出来る。
 ブラックは手紙をしまいながら眉を顰めた。

「それがどうも……関係なくも無いみたいでね」
「ヌゥ……?」
「詳しい話は船に帰ってからだ。……もうここに用は無い。さっさと行くぞ」

 立ち上がって歩き出すブラックに、熊公が慌てて続く。
 だがブラックは振り返りもせずに息を吐いた。

(なんのつもりでこんな手紙をよこしたかは知らないが……この手紙に書かれている事が確かだとすれば、僕達に関係が無い事も無いかも知れない)

 相手が何故自分達にこの手紙を渡してきたのか、それは理解出来た。
 ブラックが「アコール卿国の貴族です」と自己紹介した事が切っ掛けだったのだろう。
 だが、この手紙の内容が真実なのだとすると、どうにも面倒な事になる。

(こりゃ、ただの航海ってわけにもいかなくなってきたかもな……)

 だが、そちらのほうがよほど楽かもしれない。
 何も目的が無く貴族達の不躾な視線にさらされるよりかは、目的があるから手段を選ばずに姿をさらすと思うほうが気が楽だ。

 そんな事を思う自分に卑しさを感じつつも、ブラックは館の使用人に馬車を呼ぶように言いつけたのだった。










※また遅れました(;´Д`)モウシワケナイ…

 
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