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交易都市ラクシズ、綺麗な花には棘がある編
36.「好き」でいるために
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「うーん……。アッチも何だかきな臭くなってきたなぁ……」
そう呟いて茶を啜るが、なんだか落ち着かない。
まあ、自分の家でもない、ドラマにでも入り込んだのかと思うほどにセンスのいい家具やキッチンで揃えられた広めのダイニングじゃあ、そうもなるよな。
招かれた友人の家ではあるが、やっぱりちょっと浮ついてしまう。
なにせ、今の今まで異世界の素朴な建物やレトロとも言える洋館に入り浸っていたから、いざ自分の世界に帰って来ると何だか自分がこの世界の住人じゃないような、変な感じになってしまうんだよな……しかもここ、俺の家じゃないし。
そりゃ異世界ボケにもなるわと思いながらも、俺は溜息を吐いた。
――――さっき深刻そうに口にしてしまったが、しかしそれは冗談ではない。
つい数十分前の事、俺はラクシズの街でブラック達と今後の事を話し合っていた。
もちろん、ラスターと話したのは表向きの事だが、それはひとまず置いといて。
ともかくラスターの報告を聞いた俺達は、今後どうすれば良いかを念入りに話し合った。……あくまでも、予定が決まっていない、という体で。
まず、俺達が今後どう動けばいいか。
これは、いずれ絡んでくるであろう【アルスノートリア】の襲撃を懸念して、滞在するよりも旅に出た方が良いとラスターに言われたので、当初の予定通り放浪の旅に出る事にした。
こっちとしては物凄く都合が良かったので、ラスターの実直さに少し罪悪感を感じないでも無かったが……今更そんな事を言っても仕方がない。
ともかく、旅に出る事は決まったので、そこに改めて……ゴホン、都合よく、エネさんが「アコール卿国の首都にいる“とある人物”に大事な物を届けてほしい」という“建前”を持ちだし、親書と小箱を届ける旅をするという事になった。
ラスターはそれに納得し、折りを見て俺達に接触し情報交換を行うと言って、今日は意外なほどにすんなりと帰ってくれたのだが……やっぱり少々申し訳ない。
だって、俺達はその「重要なおつかい」を隠れ蓑にしつつ、アコール卿国を経由し、ハーモニック連合国の首都・ラッタディアから【獣人の国・ベーマス王国】に船で移動しようと考えているんだから。
なんかちょっと、騙したみたいで気分が悪いんだよな。
でも、これは仕方がないんだ。
【アルスノートリア】が、少なくとも一人は確認された。って事は、遅かれ早かれ俺達は彼らと再び相見えることになるだろう。
その時に備えて、戦力はどうにか確保しておきたい。まだ【魔導書】のままである【土のグリモア】を目覚めさせることは、神とエルフ神族に望まれる急務なのだ。
……本当は、グリモア仲間であるラスターに教えたかったんだけど……ライクネス国王に知られると何か嫌な事をされそうなので、アイツの忠実な部下であるラスターには教えられない。傲慢でナルシストだけど、良い奴でもあるラスターを騙していると思うと良心が痛むが、こればっかりはどうしようもなかった。
だって、事は一刻を争うんだもんな。
【アルスノートリア】が仕掛けて来て大惨事になる前に、なんとか七人のグリモアを全員揃えて協力しなければ、この大陸に新たな災いが起こりかねないんだ。
ラスターには悪いけど、今は蚊帳の外にいて貰うしかない。
…………だから、ラスターを笑顔で見送って、俺達は出立の算段を立てつつ、次に俺が戻って来た時にすぐ旅に出るようにして帰って来たのだが。
「……なーんか、変だったんだよなぁ……ブラック……」
ずるずると行儀悪く茶を吸って口に含み、モヤモヤした感情と一緒に喉へ落とす。
だけど気分は晴れなくて、俺は伸びをしながら椅子の背に凭れた。
「はぁ……」
何故気分が晴れないのかは、自分でも解っている。
その原因は、話の中で「先代のグリモア」に触れてから、ブラックが始終浮かない顔をしていたからだ。俺が顔を見ると「えへへ、なぁにツカサ君っ」なんておどけて誤魔化そうとしてたけど、深刻そうな表情を視界の端でチラチラ見せつけられりゃ嫌でも気になるっつうの。
まあ、ブラックは、また「過去のこと」を思って表情を暗くしていたんだろう。
……俺達の関係に過去は関係ないし、ブラックが言いたくなるまで聞かないと俺は宣言したけど……でも、やっぱり心配だし気になってしまう。
俺に話すことを躊躇うほどつらい出来事が在ったのだと思えば、何も出来ない自分にも腹が立った。だって、それって結局俺がブラックを支え切れてないって事なんだろうし……だからこそ、何かモヤモヤしちまってなぁ……。
「…………俺って、やっぱ頼りないのかなぁ……」
思わず呟いてしまい、溜息を吐く。
……人に話せないってのも、いろんな理由があるのは分かってるけど。
でも、ブラックが話す事を躊躇うのは……俺が男として頼りないから話せないってのもあるんじゃないのかな。……自分でそう言えちゃうのは情けないけどさ。
だけど実際そういう心配もあると思うんだよ。ブラックからすれば。
本当に信頼のおける大人の男だったら、話せば嫌われるかもって思うレベルの過去だって「どんと来い!」とばかりに聞いてくれるかも……みたいに思えるじゃん。
しかし俺は、残念ながらそんな風に思えるような風体ではない。
俺に大人の男としての甲斐性が無いように見えるのが、ブラックを不安にさせてる原因の一つなのかも。
前に「過去を明かしたら、ツカサ君は僕のことを嫌いになっちゃう」って言ってたから、きっとそうなんだよな。本人のトラウマも有るのかも知れないけど。
「…………はぁ……俺がもっと大人のオトコだったらなぁ」
別に、悲しい過去を無理に話して欲しいとは思わない。
だけどやっぱり、俺だって好きな奴の……ブラックの過去を知りたいとは思うし、それを知ってブラックを慰める事が出来るのなら、何だって聞いてやりたかった。
ブラック一人が苦しんだり悲しんだりするのは、俺だってヤなんだよ。
好きなヤツがずっと辛い思いをしている姿なんて、見たくない。俺が全部解決してやるって胸を叩いて、解決してやりたかったんだよ。
でも、俺にはそんな甲斐性が無い。
戦闘だってヘタクソだし運動神経もないし、アイツらに比べたら俺はチビで貧弱で「頼りない」の代名詞みたいな野郎だし……。
……ぐう……本当に悔しい。
だけど、落ちこんでるワケにもいかないよな。
「マジでブラックの事が心配なら……これからは俺がしっかりして、アイツを支えてやりゃあいいんだ。……結局、それが一番だよな」
シャツの中で揺れる指輪のネックレスを掴んで、俺は決心しつつ頷く。
そう、自分にまだその力が無いなら、力が付くまで努力すれば良いんだ。
身長とかは今からどうこう出来るワケじゃないから置いとくけど、俺にだって凄いチート能力や薬師としての能力はある。
オッサンよりは精神の伸びしろだってあるはずだ。きっと、多分、お、おそらく。
だから、心だって曜術みたいに鍛錬すればいいんだよな。
目に見える姿や力でブラックを安心させる事は出来なくても、内面からブラックの心を支えてやる事は出来るはず。恋人として……その……こ、婚約者として、アイツが不安な事を取り除いてやれるくらい、おおらかな男になる努力をすればいい。
よし……。俺がこれから目指すのは、ブラックの隣で戦えるほど強いってだけじゃなく、後衛で支えてやれるくらい大らかな……凄い大人の男ってヤツだな!
ブラックに心の傷を開けとは言いたくないから、アイツが苦しんだ時にそっと支えてやれる、そういう素晴らしい大人になってやるんだ。
そうしたら、ブラックだってもう過去の事で悲しい顔はしないはず。
うむ、やっぱ修行が一番だな!
よーし俺だってオッサンを受け止めてやれる大人の男になってやるぞー! おー!
……とは言え、受け止めてやれる甲斐性と考えると、何故か俺の婆ちゃんが脳内にチラつくが、俺は男だ決して母性は関係ない。関係ないからな。
ともかく、落ちこんでいる暇があるなら早速修行だ。
こうなったら、尾井川に協力して貰って土日をまるまる使ってでも、数か月は覚悟の上であっちに滞在して修行を積まねば。
あと、精神の修行って何をやったら良いのか分からないので、後でオタク師匠でもある尾井川に聞こう。アイツなら何か知ってるはず。頭いいし。
そんな事を思いつつ、もう一度お茶を飲もうとカップを傾けた所で――――廊下のほう、いや、階段の上の方から誰かが下りてくるような音が聞こえた。
「つーちゃん……」
「おう、ヒロ。もう動けるようになったみたいだな」
寝ぼけまなこを擦りながらやってくるパジャマ姿のヒロに、席を勧めて俺は新しいお茶を淹れようと動く。
そんな俺の姿をしょぼしょぼした目で追っていたヒロだったが、お茶を渡すと素直に啜った。どうやら熱も完全に下がったらしい。良かった、これなら明日はちゃんと学校に来られるな。
そう思ってホッとした俺をヒロは見ていたが、何か不思議そうに鼻を指で擦った。
「……つーちゃん、なんかお菓子たべた?」
「え?」
「甘い匂いする……」
そう言いつつ「ボクも食べたかった」とションボリするヒロに、俺は自分のシャツの匂いを確認しつつ違うと否定した。
「いや、俺おやつとか食べてないぞ。勝手に人の家のお菓子とか食えるかよ」
「え……ほんと? なんかつーちゃんから甘い匂いしたんだけどな」
「んんん? マジ?」
ヒロが変な冗談を言うワケないし、だとしたらマジなんだよな。
でも変だなぁ、自分で嗅いでもシャツの洗剤の匂いしかしないんだが。
……まあ、外に出てコッソリ帰って来たから、汗と外のニオイがすると言われたら「ハイそうです」としか言えないんだけども……。
でもそれだって、目立つようなニオイじゃないっぽいしなぁ。
いったいどこから甘い匂いがするんだろうと嗅いでいると、ヒロが椅子から立って俺に近付いてきた。そうして、頭から肩の所まで鼻を近付けてふんふんと嗅ぐ。
他の奴ならぶん殴ってるところだが、ヒロは昔から距離が近いので仕方ない。
というか俺もどこから匂いがしているのか知りたいので、存分に嗅いで欲しいぞ。
「どっからニオイするか分かる?」
「うーん……うーん……? なんだかよく分かんなくなっちゃった……」
「嗅いでるうちに霧散しちゃったのかね」
考えて見れば、俺は今まで異世界に居たんだから、あっちの香水やら食べ物やらの匂いがしてもおかしくないよな。
自分じゃ気付かない香りってのもあるワケだし、もしかしたらその残り香がほのかに香っていたのかも知れない。
俺が生まれた世界に戻って来ている間は、あっちでの時間は一日で一時間、逆にあっちで一日過ごすとこちらでは一分経過する。
キュウマが言うには「本当なら、漫画みたいに【飛び込んですぐ後の時間】に戻るように設定してやりたいが、どうしてもずれてしまう」のだそうで、今の時間の齟齬も色々思う所は有るのだそうだが……ともかく、数日間もあっちに居れば、こちらで数十分の間の話であろうがニオイだって残るはずだ。
「つーちゃんから良い匂いがしたのかな」
「んなバカな。俺風呂入ってないんだし、するわけねーだろ。……ま、ニオイが判るようになったって事は、風邪も良くなったんだよな。もう平気か?」
そう言って頭に手を伸ばすと、ヒロは抵抗もせずにしゃがんで頭を撫でさせる。
……つ、つい、クロウにしてるみたいに平気で手を伸ばしてしまったが、ヒロじゃないとヤバかったなコレ……。うっかり他の奴にやらないよう気を付けないと。
そう思いつつ頭を撫でていると、再びヒロは俺に抱き着いて来た。
「つーちゃん……」
「おいおい、もう風邪は治っただろ。……ったく、甘えん坊だなぁ」
起きて心細かったんだろうけど、情緒が子供の頃に逆戻りしちまってるなぁ。
俺だから良いけど、デカい図体の男が同性に抱き着いて来るとか、他の奴からしてみれば軽く恐怖案件なんだから、誰彼かまわずやらせないようにしなければ。
そう思いながらも、今日はまあ特別だと背中を軽く叩いてやると、ヒロは俺の事を更に強く抱きしめて来た。お、おい、ちょっと苦しいぞ。
「このままずっと、つーちゃんが家に居てくれればいいのに……」
「うーん……俺もお前が心配だけど、毎回お邪魔するってのはさすがにヒロのご両親に迷惑だしなぁ」
「……誰が迷惑かなんて、二人とも考えないよ、きっと。こうやってぼくの事を抱き締めてくれるの……つーちゃんだけだもん……」
そう言えば、吃音癖が治まっているような気がする。安心してるのかな。
俺が傍に居る事で症状が改善するなら、居てやりたい気もするけど……そうしたらブラック達の所に行くタイミングが難しくなるし色々と弊害があるからなぁ……。
友情と異世界の両立も楽じゃないなホント。
でもまあ、こうしてヒロの気持ちが落ち着くんなら……抱き締めてやるくらいは、してやってもいいかも。これだって「大らかな大人の男」って奴の一種だよな!
「まあその、なんだ。お前が落ち着くんなら、たまには昔みたいにギュってしてやるから……。あんまり、溜めこむんじゃないぞ」
ヒロの家の事情も複雑そうだし、苦労してるのは分かるからな。
ブラックだって、あの年になったって未だに昔の事で苦しんでるんだ。
そんな気持ちで言ってやった言葉に、ヒロは何故か息を飲むと……少し体を離し、俺をじっと見つめた。
「だ……だっ、抱き締め、たり……し、して……いいの……?」
「人前でやるなよ。ちょっと恥ずいんだからな」
「……っ!! つ……つーちゃ……っ、あ、あぁ……す、好き……大好き……っ」
嬉しそうな泣きそうな感じで顔を歪めて、ヒロが力任せに俺を抱き締める。
いっ、いででででっお前もすげえ力だなおい!
思わずやめろと言いそうになってしまったが、ぐっと堪えて俺は再び落ち着かせるようにヒロの背中を軽く叩いてやった。
好き。……好きか。
ヒロの好きは、きっと友達に対しての無邪気な「好き」なんだよな。
フェリシアさんも、姉であるジュリアさんに対しての元々の思いは「家族として、甘えられる肉親として好き」と言う純粋なものだったはずだ。けれど彼女の「好き」は、反転すれば大きな憎悪になってしまうくらい、深すぎるものだったんだろう。
彼女自身、こうなるまでそれに気付かなかったんだろうけども。
だから、それだけお姉さんの事を思っていたのに、あんな事になってしまった。
…………好きって感情は、本当に難しい。
いくら好きだからって明かせないことも有るし、その感情が裏切られてしまえば、好きな分だけ憎しみに変化してしまう事もある。
もし、俺がブラックの言った通り「過去の事を話すと、嫌いになってしまう」のだとしても……それでも俺は、ブラックのことを嫌いになんてなりたくない。
ヒロみたいに、ずっと「好き」って感情を持っていたいんだ。
だから、やっぱり……俺自身も、色々覚悟を決めないとな。
この先どんな事が起こったって、この胸に下げた指輪を手放さないでいいように。
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