異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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廃荘ティブル、幸福と地獄の境界線編

21.何を答えと思うかは、その人次第

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 自分の存在に自信がなくなって、自分の五感全てが信用出来なくなって、鏡の中の姿ですら「都合のいい幻覚なんじゃないか」と思い始めたら、頭は簡単に狂う。

 昔、鏡に「お前は誰だ?」と問いかけ続けた人が狂ったと言う都市伝説を聞いた事があるが、俺がかかえる問題もソレとあまり変わらないんじゃないかと思えてくる。
 誰もが自分の五感で感じた物を見て生きている訳で、それが真実だと無意識に信用しているけど、裏を返せば信用しなければ何も出来ないって事だしな。

 なのに、一度その五感全てを疑ってしまえば、おかしなことになってくる。
 今自分が触れている感触は本当に正しいのか。今自分が感じている味は本当にその味なのか。吸い込む空気は本当に安全で、聞いている音は全て正しくて……

 今、鏡の中に存在する俺は、本当に“今の俺の姿”なんだろうか……と。

 …………考えたって、しょうがない事だ。そんなのは俺が一番よくわかっている。
 証拠が無い事をうだうだ考えるのは、自分で作った毒をあおっているのと一緒だ。自家中毒になってるなんてアホですらない。

 だから、こういうことはいっそ考えないほうが良いんだ。
 ……それは解ってるんだけど……一度考え始めると、どうしようもなかった。

 もし俺が「自分の目には潜祇くぐるぎつかさに見えるだけの別の誰か」だとしたら。もしあの時レッドが描いていた絵すらも、俺の視覚が幻覚を見せていた物だとしたら。もし……ブラック達が見ている俺が……俺じゃ無かったら……。

 ………………。
 うたがったって仕方ないのに、考えると後から後から怖くなってくる。
 自分の姿が本当は化け物なんじゃないかって言うのが怖いんじゃない。俺自身が「潜祇司の記憶を持った別の存在」なんじゃないかって事が、怖いんだ。
 俺が俺じゃないって言うのが、一番恐ろしかったんだよ。

 ……もし俺自身が「おれ」であれば、別に姿なんてどうでも良い。
 だけどそう納得できる材料が、俺にはどうしても見つからなかった。

 「俺はこの世界にどうやって来たのか」が、どうしても思い出せない。もう声すら忘れてしまった“夢の中の何か”と俺がどう繋がっていたのかすら解らないんだ。
 俺は自分の事ですら、解らなくなってしまっている。

 いつか、自分に掛けられている魔法が解けて「別の何か」になるかもしれない。
 そしたら、そしたら俺は…………
 潜祇司では、なくなってしまうのかも知れない……。

 ――――それが、今の俺には何よりも怖かった。
 ブラックやクロウが……この世界で出会った人達みんなが認めてくれる「俺」は、俺ではなく……別人なのかもしれないって事が……。

 ……まあでも、今更そんな事言っても始まらないんだけどな。
 証明する術がない以上、俺は俺でしかない。……というと、何だか問題を放棄したようになってる気もするのだが、自分の身体機能を疑ってる以上、答えが出ないんだからこれ以上は考えても無駄なんだもんな、きっと。

 鏡で見る俺は俺の姿でしかないし、この世界の誰も「今まで生きて来た俺」を知らない。尋ねようのない疑問は、結局忘れる事でしか解決しないんだろう。
 こんな事ブラック達に相談しても二人を悩ませるだけだし、相談すると何だか俺が自分で問題を解決できない野郎みたいで嫌だ。ブラック達に心配かけたくないよ。

 でも、こんな気持ちのままだといつかバレちまう。
 風呂に入ってすっきりして、幾分かは落ち着いたんだ。良い案が思いつかない内は悩んでいても仕方がない! ふとした時に、自分の事を確かめる良い案が思い浮かぶかもしれないし、元気を出さなくちゃ。

 脱衣所で鏡の中の“潜祇司”を見ながらほおを軽く叩くと、俺は元気を出すぞと気合を入れてリビングへと戻った。すると。

「ああ、ツカサ君お風呂から上がったんだね」
「ムゥ……石鹸のにおいしかしないぞ……」

 そこには、テーブルに三本ぐらい酒瓶を置いて赤ら顔をしているオッサン二人が……って、お前ら酒のんでたのかよ!
 ずるいっ、そうやっていつも俺の事ハブにして酒飲むんだからもう!!

 いや、っつーか、風呂の前に酒飲んだらいかんだろ、溺れたらどうすんだ。
 風呂で寝ちまったら溺死できしするかもしれないんだぞ、何やってんだかもう……!

「こらっ! なに風呂入る前に酒飲んでんだよ!!」
「え~、良いじゃん晩酌なんて久しぶりなんだからさぁ」
「風呂でおぼれるような小物ではないから心配するな」

 ああそりゃ、アンタらは態度も図体もデカくて、上から下までヤバいオッサンですけれども、それでも万が一って事も有るじゃないか。
 どんなに強い男だって、小さな木槌きづちで頭をポコンとやったら当たり所が悪くて死ぬ事が有るんだ。ご老人が餅をのどにつまらせる事故なんて年一で起こってるんだから、いくら用心したってし過ぎって事はないはずだ。
 このおよんで風呂場で溺死なんて嫌だぞ俺は。

 そんな状態で風呂に入るなよとテーブルに近付いて二人を交互ににらみつける俺に、ブラックとクロウは何だか変な表情で顔を見合わせると、俺を同時に見て来た。
 な、なんだよ。なんか文句あんのか。
 思わずちょっとおののいてしまった俺に……赤ら顔の二人が、訊いてきた。

「いつも不思議に思うんだけど……ツカサ君って、あんまり知識が無いくせに、そういう事だけは良く知ってるよねえ。そういうのって教わるもんなの?」
「医師のような事を言うのは今に限った事ではないな」

 何でそんな事を急に言い始めたのか。
 ちょっと疑問に思ったけど、でも別段隠す事でも無かったので答えてやった。
 二人には「異世界から来た」って説明してるから、今更だもんな。

「別に不思議な事じゃないよ。テレビ……ええと、外から流れてくる情報とかを何となく聞いて覚えてたり、婆ちゃんや母さんの世間話を覚えてたりするだけで……」
「二人は医師か何かなのか?」
「いや? えーと……俺の世界ではすっごく近くに病院……医療所があるから、そこに頻繁ひんぱんに通ったりする人も居て、井戸端会議みたいな物で聞いて来るんだと思う」
「ふーん、平民でも簡単に医師にて貰えるんだねえ」

 そっか、この世界じゃ医者に見て貰うには結構お金がかかるんだっけ。
 中には安値で請け負ったりする人もいるみたいだけど、医師も技術職だし成り手も俺の世界よりはるかに少ないから、希少価値って奴で余計に一般人は通えなかったりすることも有るんだろうな。

「でも、よく人が話した事なんて覚えてるよねえ。僕全然覚えらんないよ」
「え……」
「それはお前が他人に興味が無いからではないのか」
「うるさいな殺すぞ」

 まーたクロウに向かって物騒な事を言う……。
 あきれてしまったが、いつものやりとりでもあるので不覚にも安心してしまう。
 まあ、ブラックも本気で殺そうとしてる訳ではないしな。……無いよな、多分。

「それにしても、ツカサは細かい話を覚えてるくらい家族が好きなのだな」

 ブラックの言う事を物ともせずに、クロウが浅黒い肌でも分かるくらいに頬を赤くして、とろんとした橙色だいだいいろの目で俺を見て来る。
 本当に酔っているんだなあとぼんやり思ってしまったが、クロウの言葉に思う所があって、俺は空に視線を泳がせた。

「……そう、かな?」
「オレも楽しい事は覚えているが、印象的な会話以外はあまり覚えていない。世間話まで覚えているのは、よほど相手が好きだからか興味深かったかのどちらかだ」
「そういうもんなのか……」

 でも確かに、そう言われてみればそうかも。
 俺、婆ちゃんのこと大好きだし、母さんのことも……まあ、こんな事本人には絶対言えないけど、そりゃ母親なんだから好きなわけで。
 ……考えてみれば、俺って結構マザコンなのかな……。

「ふーん。ま、僕にはよく解んないけどさ……僕はそう言う時のツカサ君好きだよ」
「え……?」

 不意に立ち上がり、ブラックが俺の方へ近づいてくる。
 何をする気なのかと相手を見上げていると、ブラックは赤ら顔で気持ちよさそうに顔を緩めながら俺をぎゅっと抱きしめて来た。
 酒臭い。息が熱くて酒のにおいがする。でも、なぜだかブラックの顔から目が離せなくて、酒に浮かれた顔を見ていると……ブラックは、薄く微笑んだ。

「ツカサ君、自分じゃ気付いてないかも知れないけど……自分の家族の事を話す時は、嬉しそうな楽しそうな顔してるもん。凄く可愛くて、すき」
「う…………」

 そ、そんな風になってたのか俺。
 なんかそれ恥ずかしいんだけど、すっごい恥ずかしいんだけど……!

「ム、そうだな。オレもそう言う時の……幸せそうなツカサが好きだ」
「くっ、クロウまで……」
「あは、照れてるっ。ツカサ君たらホントもう判り易いなぁ~」

 まあそこが可愛いんだけど、とふざけた事を言いながら抱き締めて来るブラックに、俺は怒りが湧かないでも無かったが……何故か、言葉が出なかった。
 何故かその言葉が、今の俺にとっては……凄く、得難えがたい物のような気がしたから。

 …………そっか。俺、家族の事を話す時って、そんな顔してたんだ……。
 自分の事は自分じゃわからないって、本当だよな。
 でも……なんだか、ブラック達が言ってくれたその言葉で、今まで悩んでいた俺の心が救われたような気がした。

 どうしてそう思うのかは分からない。
 だけど……二人は、決して嘘なんて言わない。失礼なことだって、包み隠さずにちゃんと話してくれるような奴なんだ。例え俺の事を気遣きづかったのだとしても……その言葉には、俺をはげますような嘘の言葉なんてない。

 本当に思った事だから、そう言ってくれたんだろう。
 そう思うと、何だか今まで悩んでいた自分が馬鹿らしく思えて、俺は空涙を指でぬぐって深く息を吸った。

 こんなことで涙なんか見せたら、それこそ今度は心配されてしまうだろうから。














 
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