異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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廃荘ティブル、幸福と地獄の境界線編

  困殆

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   ◆



 人が大事な任務をこなして帰って来たというのに、恋人が出迎え一番に首筋の鬱血痕を隠しもしないで見せつけて来た時には、どうすれば良いのだろうか。

 一瞬そんな事を考えてしまったブラックだったが、背後にひかえている神妙な面持ちの家畜熊を見つけると、自由に動くようになった左腕で無意識に鞘を開け、剣を引き抜こうとしてしまっていた。

 だが、それも仕方のない事だろう。これは恋人を持つ男なら当然の事だ。
 大切な唯一無二の伴侶を寝取ろうとする不届き者がすぐ近くにいるのだから、殺意が湧いてしまうのもまたしかりである。

 そう、ツカサがあんな痕を作る理由と言ったら、あの忌々しい家畜の駄熊が悪さをした以外に有り得ない。
 なので、すぐに粛清しなければとの思いで頭がいっぱいになっていたのだが、今回もいつものようにツカサに粛清を止められてしまった。

 彼いわく、駄熊のエサがまかなえなかったので血液で代用したと言う事だったが、しかし首筋に痕など羨まし……いや、首筋にこれみよがしな痕をつけて隠しもしないなど、恋人としてはあまりに酷い所業ではなかろうか。

 そりゃあ、この図体ばかりがデカい家畜は、なし崩し的に自分達の仲間になって、最終的には“二番目の雄”とかいうよく判らない地位に納まってしまったが、しかし、だからと言ってこのような姿を許せるはずもない。
 そういう行為をするのなら、何故自分を一番初めにしてくれなかったのか。

 ……そう。ブラックが怒っているのは、そのただ一点のみであった。

 何故そんな倒錯的な事を、自分にもさせてくれないのか。それを怒っているのだ。
 大体、体の繋がりなどもう今更な話だし、そこをとやかく言うのは流石のブラックでもワガママだと解るので言いはしない。しかし、そのような事をするのなら自分を一番にして欲しかった。何故そんな倒錯的な行為を自分とやってくれなかったのか。

 当然、ブラックはツカサにピーピーとわめいた。
 ずるい自分もやりたい駄熊だけ美味しい思いをしたまさかセックスまでしてるんじゃ無いだろうなそれだったら殺してやる云々うんぬん云々……。

 そんな子供みたいなことをしても、普通の男ならばうるさいと切り捨てるのだろうが、ツカサは違う。こっちが甘えれば、結局最後には「折れてやったんだからな」という顔をしてうなづいてくれるのだ。ツカサはブラックにはとても甘いのである。

 だからこそ、ブラックは真っ正直に自分の欲望を切り出せるし、ツカサに毎度毎度甘えてしまうのだが……今回は、なんだか様子が違った。
 いつもなら「あーもー分かった分かった!」なんてヤケクソ気味に言いながらも、しっかりと自分を受け入れてくれるのだが……やけにしおらしかったのだ。

 元気いっぱいに顔を真っ赤にするはずが、今日に限ってはどこか不安そうな表情を浮かべているし、返事も「わ、わかった」なんて言う気の抜けたもので。
 それに、自分が追い詰められるまでは決して折れない意地っ張りな性格も、今日はナリを潜めて、悪態の一つも出てこない有様だった。

(なんか、変。ツカサ君……何かあったのかな……)

 昼食を摂る段になっても、ツカサはどこか浮かない顔だ。
 ……いや、自分達が見ている時や、こちらに話しかけて来る時は“いつも通り”を装っているつもりらしく、受け答えは妙に明るいし、いつも以上に愛想が良い。自分達には「浮かない顔」を見せもしない。しかし、その異変は一目瞭然だった。

 ツカサは、いつも自然体だ。子供のように素直に喜怒哀楽を表してくる。
 いつも素直だからこそ、今の何かを押し殺しているような雰囲気が他人にはっきりと伝わってしまうのである。……それを教えればツカサは憤死するのだろうが、彼を想う者としては、その素直さこそがありがたかった。

 おかげで、ツカサが思いつめている事を容易よういに気付けるのだから。

(しかし……何に悩んでるんだろう……)

 「何故浮かない顔をしている」と言い出す事が何故かはばかられて、結局夕食の後までツカサの状態を変えずにいてしまったが、いまだにツカサは元気にならない。
 いつもならすぐに元気になるはずなのに、一体どうしてしまったのだろう。
 ここまでくると、よほど深刻な問題なのだろうかとブラックも考え始めてしまい、駄熊が妙に静かなのも手伝って、気まずい沈黙が流れる夜になってしまった。

 一応、リビングで三人、何もせずにテーブルに就いてだらだらしてしているが……相変わらず、ツカサは黙りがちで、なんだか空気も沈んでしまっている。
 そんな雰囲気に耐え切れなくなったのか、ツカサは勢いよく立ち上がった。

「……お、俺……お風呂沸かしてくるよ。ブラック一番先に入るだろ?」
「ああいや、ツカサ君が最初で良いよ。ゆっくりしておいで」
「えっ……でも……」

 困ったような顔になるツカサに、駄熊が畳みかけた。

「今日はツカサが一番疲れたはずだ。オレとブラックは次でいい」

 何故お前がそんな事を言う。
 一瞬イラッとしたものの、ここで怒ればまたツカサが気にするので、不承不承ふしょうぶしょう相手の言う事に頷いてやる。
 すると、ブラックの反応を見て、やっとツカサも納得したようだった。

「そ……そう……? じゃあ、一番風呂頂くよ」
「ゆっくりしておいで」

 ブラックがそう言うと、ツカサはいつもとは少々違うしおらしい表情で微笑むと、頷いてそのまま風呂場へと歩いて行った。

(…………ちょっとしおらしいツカサ君も可愛いな……)

 元気なツカサが一番だが、淑女のように大人しいツカサも珍しくて可愛い。そんな彼を今組み敷いたら本気で嫌がるのだろうか。

(ああ、そう言えば……あの森で、記憶のないツカサ君を強姦した時も、物凄く興奮したなぁ……。記憶がある状態でそんな風にしたら、ツカサ君はどう思うのかな? 僕の事、嫌いになっちゃうかな。それとも、嫌がっても受け入れてくれるのかな)

 自分の事を本気で嫌がりながらも、力に屈して子供そのままのひ弱な精神で泣きじゃくるツカサは、本当に可愛かった。元々強姦まがいの方法でツカサの“初めて”を手に入れたブラックだったが、実際問題初対面のツカサはあの時ほど嫌がっては居なかった。つまり最初から自分に好意を持っていてくれたのだ。

 それを想えばまた興奮して来てしまうが、とにかく、あの時とは違う、本当の嫌悪と混乱を持って抵抗するツカサは、見る者に残虐性を目覚めさせるほどだった。
 むしろ「そんな顔をするから強姦されるのだ」と理不尽な言葉を掛けてしまいそうになるほど、ツカサの表情や行動は性的興奮をもよおさせたのである。

 もし、今それをやれば……今の、自分を恋人だと思っているツカサを強姦すれば、どうなるのだろう。彼は本当に自分を嫌いになってしまうのだろうか。
 そんなことは有り得ないとブラックは確信しているが、想像すると……嫌な予感と共に、ゾクゾクとした興奮が湧きあがってくる。

 もちろん、そんな危ない橋を渡るつもりはないが……そう考えるだけでも軽く興奮してしまえる相手と出会えたと言う事が、この上なく幸せだった。

(ああでも、ツカサ君は今そんな場合じゃないんだっけ……)

 ツカサだって、幸せな時はとろけそうな可愛い笑顔になってくれるのだ。
 そんな笑顔が今日は失われているのだから、やはり今回は何かよほど思う事が有るという事なのだろうか。
 しかし、何故そんな事になってしまったのかは見当もつかない。

 風呂の扉が閉まる音を聞きながら腕を組んで悩んでいると、不意に視界の外から声が投げかけられた。

「……ブラック。話しておきたい事が有る」
「あ? なに?」

 柄悪く返したブラックに、相手は嫌な顔一つせずいつもの無表情のままで続ける。

「ツカサのことなんだが」
「……ツカサ君の?」

 ならば聞こう。
 声の方に体ごと振り返ると、熊は視線を彷徨さまよわせてほおを掻いた。

「……実は…………」

 そう言って切り出した話は……思った以上に深刻な物だった。

 どうやらツカサは吸血した一件から考え込むようになり、その間ずっと自分の顔を鏡で見たり、誰も居ない(と思っている)所で、自分の名前や身体的特徴をブツブツと繰り返して納得したりを繰り返していたのだという。

 その態度を見続けてきた熊が導き出したのは、一つの難解な結論。

 『ツカサは、自分自身の存在を疑っている』……という、ことだった。

「…………自分の事を……信じられなくなってる……」

 思わず結論を復唱してしまうが、相手は深刻そうな雰囲気を変えることも無く目を伏せる。その態度で、最早それは疑いようのない事実なのだと解ってしまった。
 ツカサは、自分自身の体を疑っている。いや、自分の存在を疑っているのだ。

 もしかして自分は、元の世界に居た自分と異なる存在なのではないか、と。

 ――さもありなん。
 この世界に来て、ツカサは不可解な能力をいくつも持つ事になったという。
 その全てが【黒曜の使者】という称号に付属する物だったが、しかし元々のツカサは何の能力も無いただの子供だったのだ。曜術を使う能力も無く、気を生み出す事も出来なかった。それに、普通の者と同じで他人に操られる事もなければ、痛みが快楽に変換される事もなかったのである。
 この世界に来てから、体が勝手にそうなるようになったのだ。

(そうだね……普通に考えたら、自分が信じられなくなるよね……)

 今までは色々とあって、その事を考える余裕が無かった。
 だが今は違う。十分な休息を得られる今だからこそ、自分の体に関する違和感を如実にょじつに感じてしまって、苦しんでいるのだ。

 自分の体が、以前とは全く違う存在になってしまう。
 それを考えると、自分自身が「元々存在した“自分”のニセモノなのではないか」と疑ってしまっても仕方が無かった。

「…………ツカサは何事も無かったかのように振る舞おうとしているが……」
「まあ、そうは出来てないな。……ツカサ君らしいや」

 溜息を吐いて、席を立つ。
 どこへ行くと言わんばかりの視線が背後の熊からそそがれたが、気にせず台所へと向かうと、戸棚に蓄えて置いた酒の一本を取り出し――少し迷ってコップを二つ取ると再びリビングへと戻ってきた。

 そんなブラックに相手は驚いたのか、ほんの少しだけ目を見開いていたが、獣の耳を片方わずかに動かして、コップを受け取った。

「オレも飲んで良いのか」
「僕だけ酔ってたら、お前にツカサ君をさらわれかねないだろうが」
「フッ……そこまで酔わない癖によく言う」
「いらんなら返せ」
「いや、すまん。頂こう。オレも酒が欲しかった」

 素直に謝ったので、今は許してやることにする。
 ブラックは酒瓶の栓を開けると、相手のコップになみなみと琥珀色の液体を注ぎ、自分のコップにもたっぷりと満たした。

 そのまま口を付ける酒は、甘さと独特の風味で鼻孔をくすぐり、流れるのどを弱く焼く。ブラックにとっては甘すぎる酒だったが、酔えない今はどうでもよかった。
 黙ってその味を噛み締めていると、不意に真向いの熊がうめく。

「オレには、どうする事も出来ない。……それが、くやしい」

 何の事だ、とは、言わない。
 何故ならその台詞は、自分にも言える事だったからだ。

 目の前の横恋慕熊と同じ意見だなんて、まったく不服な事だ。しかし、ツカサの事を考えればそうとしか思いようがなく、ブラックもつい本音が零れてしまった。

「……僕にだって、どうしようもないさ」

 自分で思った以上に深刻そうな声が出て、バツが悪くなる。
 しかし、相手はじっと自分を見つめるだけだった。

「お前でも、どうしようもないのか」
「……こればっかりは、誰であろうが無力だよ。……だって僕達は、異世界で幸せに暮らしていたツカサ君の事を……まったく知らないんだから」

 その言葉が口の中で途轍とてつもない苦みをにじませて、反射的に酒をあおる。
 ……そう、呑まねばやっていられなかった。

(…………ニセモノかどうかなんて、僕には解らないよ。僕は今のツカサ君が好き。それじゃ駄目なのか? 異世界にいる自分は自分……それで良いじゃないか)

 やけくそ気味に思うが、そんな気楽な考えが通用しない事なんて、百も承知だ。
 自分の体が、自分の知っているモノではなくなった。それはつまり、自分が本当に過去の自分と同一であるという確証を得られなくなったという事だ。

 どれほど過去の記憶が有ろうとも、その事に思い至ってしまえば自分の視覚すらも最早信用は出来ない。一度でも自分を疑えば、鏡の向こうの自分も「自分自身が見せる都合のいい幻覚」ではないのかとすら思えてくるのだ。

 人の意識は、それほどに弱い。
 一度崩れてしまえば、再び元に積み上げる事も難しかった。

(僕がツカサ君と一緒の世界で生きていたら、自信を持って『君は君だ』って言えたのかな。僕が普通の人族だったら、ツカサ君を励ます言葉も出て来たのかな……)

 考えても、分からない。

 幻を操るしべを持つ自分ですら、その答えは出て来こないのだ。

(でもね、君がつらいのは解るよ。……僕だって、似たような物だから)

 酷く曖昧あいまいで、幻のように疑わしい存在。

 解るからこそ、その痛みをどうすれば良いのか一言には言えない。

 だが、自分と同じ苦しみをツカサが抱いたのだと思えば、更なる愛しさと共に彼の痛みをどうにかして取り除けないかと強く考える事が出来た。

(本当にツカサ君は、僕を解ってくれる。僕の唯一無二の伴侶だ……。だからこそ、いつものツカサ君で居て欲しいよ。僕の、いつもの元気なツカサ君で……)

 自分には、彼の存在を証明してやる事は出来ない。
 ならばせめて、彼を一時でも思考の地獄から助け出してやれない物か。

(ツカサ君……)

 口に出さず呼びかけるだけで、心が引き絞られてたまらなくなる。
 ツカサが幸せでないのだと思えば、どうしようもない激しい感情が胸を焼き、何か嫉妬にも似た感情が渦巻くようだった。

 何故、そう思うのか。
 考えたくなくて、ブラックは再び酒をあおった。













 
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