異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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暗黒都市ガルデピュタン、消えぬ縛鎖の因業編

6.最低な男

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 最初は、売るための一つの投資としてこの奴隷にまともな飯をやっただけだった。

 火傷は後で医師にどうにかさせればいい。しかし、そうやって金を使うだけの価値が本当にあるのかどうか。それを見極めたかったから、ガストンは今まで拾って来た奴隷を小間使いとして働かせ、その様子を見ていたのである。

 まるで物を見定めるかのような見方みかただったが、それも仕方のない事だった。
 ――実際、人を売買すると言うのは物品のそれとあまり変わらないからだ。

 品質……見目が良い物か、性格が良い物かを見定め、耐性……何に耐えられて何に弱いかを逐一ちくいち検品し、その奴隷に見合った等級を見極めねばならない。
 もっとも良い奴隷と言う物は、あきらめ、おぼれ、己を捨てた、従順なものだ。

 だが時にはそれと異なる奴隷が現れるからこそ、油断がならない。従順そうにしていても、隙をついて逃げるような劣悪な奴隷もいるし、従順だと思っていたらただの白痴で命令すらままならない奴隷もいる。折角購入したのにすぐに“処分”する羽目になったとなれば、目利きが出来ない商人だと揶揄やゆされて信頼を失うのだ。

 どんな悪人でも、物を買う時はその道具で得られる確実な効果を期待する。
 それはモノが奴隷であっても変わらない。顧客の満足のいく品物であって、初めて売買は成立するのだ。少なくとも、この世界ではそうだった。

 だからこそ、間違いがあってはならぬのだ。
 汚い商売と言えども、信頼されて「ここでなければ」と何度も利用して貰うには、商人としての道義をそれなりに全うせねばならなかった。
 薄汚い悪人同士で信頼し合ってもと言う気持ちも無くはないが、長い間生き延びるには、結局おもてと同じように互いの領分を犯さず信頼を勝ち得る事が必要なのだ。

 ……ゆえに、ガストンは今回も己の目で見極める為に、この少年にある程度の自由を持たせてやっていた。抑圧された環境であっても、それなりに優しくしてやれば、人は簡単に本性を現す。特に無教養の奴隷などは簡単だ。
 今回もまた、周囲の大人に怯えるか反抗する子供が見られると思っていた。のに。

(毎日掃除はするわ、洗濯も嫌がらんわ、そのうえ何故か下男とも普通に話しているなんて……一体どういう環境で生きて来たんだ、あのガキは……)

 思えば、この奴隷は最初から妙な奴隷だった。
 初めて会った時から変だとは思っていたが、まさか自我を取り戻してもその「変」が続くなんて誰が思うだろうか。

 もう赤子ではなくなったと言うのに、あの奴隷は常にあちこちに目を向け、そのたびに驚いたり急に嬉しそうな顔をしたりする。裏表と言う物がないくせに、周囲に強面こわもてを置いてもおくすることなく話しかけて、いつの間にか打ち解けていた。
 ……普通なら、何をされるかとおびえて話そうともしないのに。

(まあ、見つけた時から妙な奴だとは思っていたが……しかし、こんな風な『妙』とは聞いていないぞ。何故あいつはあんなにも能天気でいられるんだ)

 自分が売られてしまうという事は解っているのに、怯えようとしない。
 この館の誰もが自分をモノ扱いしているのに、それにいきどおろうともしない。
 奴隷と言う地位におとしめた張本人ちょうほんにんを目の前にしているというのに……どうしてか、笑った。それどころか「良い人だ」とまで言い切ったのだ。

 (何故俺をそんな風に思う。どこからどうみたって、暗黒街のごろつきにしか見えないだろうに。それだけ悪意に曝されていない場所で生きていたと言うことなのか)

 周囲に強面ばかりなら、ガストンの人相も普通だと言い切れるのだろうか。
 それとも、彼が持つ美醜の判断はとても曖昧あいまいな物なのだろうか。
 母親の形見の手鏡で自分を映してみても、ガストンには解らなかった。大切な宝物ですら、己の容姿を美しく映してはくれなかったのだから。

(……何にせよ、あんな風に能天気では売るに売れない……)

 先程も言ったが、良い奴隷とは“己の立場を諦め受け入れている”奴隷だ。
 己が奴隷に落ちた事を完全に受け入れ、命令される行為を疑問にも思わず、家畜のように飼われる事が一番の幸せだと信じ込むような弱い者が望ましい。

 なのに、あの奴隷は全くの正反対だ。

 己が奴隷であるという自覚がなく、命令を仕事だとしか認識しておらず、そのうえ怖がることも無く、ガストンにまで平気で口を利いて笑いかけて来た。

 ――――こんな奴隷は、今まで全く出会った事が無かった。
 だからだろうか。気付けばいつの間にか、ガストンは……その奴隷をそばに置いて、会話をするようになってしまっていた。
 今だって、執務室にはべらせて自分は執務にいそしんでいる。
 奴隷は、そんな自分を邪魔しないようにか極力無言を心掛け、執務室の左右の壁に並んでいる本棚から何か読む物は無いかと物色していた。

(…………本当に、姿だけ見ればどこぞの温室育ちなんだがな)

 奴隷には似つかわしくない白いシャツに、黒に近い群青の吊りズボン。ズボンの方は短く太腿ふとももが中ほどまで露出しているが、十二三かどうかの彼には相応ふさわしかろう。
 穿いた当初は恥ずかしいと言わんばかりにすそを伸ばそうとしていたが、今ではその姿が仕事着だと認識したのか気にしないようになってしまっていた。

 恥じらいがもう少し持続すれば、愛玩用として申し分なかったのだが。

(どうもこいつは順応能力が高すぎるのかもしれん)

 ……恥じらう、という行為は珍しい。
 一晩ひっかけた少年ですら行為を楽しむ事の方を重視するわけで、このように初心うぶな反応など最初の一二回以降は見られなく案るのが普通なのだ。

 恥じらいをいつまでも持つ愛玩用の奴隷ともなれば高値が付くというのに、本当に色々と勿体もったいない。早く見極めて競売にかけてしまおうと思う物の、そこを何とか調整出来ればという貧乏根性が抜けず、結局今も査定できないでいた。

「ガストンさん、この本読んで良いですか」

 物思いにふけっていたところに、不意に奴隷が話しかけてくる。
 その未成熟な少年らしい声に我に返ると、ガストンは彼がこちらに見せている本の題名を見た。

(薬草の図解……まったく、そんな物ばかり好んで読むな、こいつは)

 もっと物語や詩編などを読めば良い教養になると言うのに、この奴隷はそのような物には興味が無く、図鑑や旅行記などの本ばかりを読もうとする。

 字が読めないという訳ではないようだが、しかし時々首をひねっているので、彼の国では平民程度だと知らない文字も多いのだろう。ならば、余計に詩編を読むべきだと思うのだが、奴隷は「俺チンプンカンプンで……」などと訳の分からない事を言い、決して読もうとはしなかった。

 勉学を真面目におさめていないと言っていたが、それだけは確かな事のようだ。
 まったく、この奴隷には「勿体ない」ことが多すぎる。

 頭痛の種だなと思いながら眉間のしわを指で伸ばしていると、返答をまだ得られていない相手が、しょげたような顔をして自分をじっと見つめて来た。

「あの、ガストンさん……読んで良いですか……?」

 まるでしかられた子犬のような情けない顔だ。
 どれだけその本が読みたいんだとあきれた笑いが出そうだったが、ガストンも仕事があるので、それくらいなら良いだろうと許容して片手を軽く振った。

「分かった分かった。勝手に読め」

 そう言うと、目の前の少年はすぐさま嬉しそうな顔をする。
 解りやす過ぎて滑稽こっけいだ。
 滑稽だが……その姿を見ていると、何故か不思議と心が安らぐ気がした。

(……妙な話だ。まるきりガキでしかないコイツのどこを見て、そう思うのか……)

 部屋の隅で座り込んで、何故か楽しそうに本を読む子供。
 奴隷の証である首輪やかせを付けられたままだと言うのに、その事にまったく負い目を感じていない。恐らく今も、彼は「普段通り」なのだろう。
 例え、奴隷に落ちていたとしても。

(……いっそ、娼姫のように尻穴の訓練でも始めるか? だが、そういう事は買い手が決まってからの事だしな……)

 考えて、ガストンは己の逡巡しゅんじゅん自嘲じちょうする。
 そうではない。本当は、自分がそのような性的な訓練をしたくないだけだ。

 自身で奴隷をしつけた事は何度か有るが、元々そのような性的な訓練には嫌悪感が有ったため、どんな奴隷だろうが自分ではやろうとは思えなかった。
 人の尊厳を踏みにじっておいて、それなのに、ガストンは暴力よりもよほど簡単な性的な屈服に手を出せないでいたのだ。しかも今は、いつも以上にその事に拒否感を抱いている。目の前で無邪気に本を楽しんでいる相手を見ると、いつも以上に。

 だから、一歩踏み込む事が出来なかった。
 それさえ出来れば、当初自分が望んでいた「汚れて行く少年」の姿を拝めたのに。

(…………ざまあねえな。結局俺は、まだ綺麗だった頃の自分にすがりついている。今を認められず、高潔だった時の自分を女々しく思い出して“今もそうだ”と思い込もうとしているんだ。そんな事をしたって、もう二度とあの頃には戻れないのに)

 そう、最早もはや自分は汚れ切ってしまっていて、どうしようもないのだ。
 だから、どこかでこの迷いを終わりにしなければならない。
 考えて――ガストンは、改めて少年を見やった。

「…………」

 彼は、自分の事を「良い人だ」と言った。
 まるでガストンが望んでいた言葉を選び取ったかのように、信頼し切った顔でそう言いきったのだ。……だからこそ、ガストンは今も逡巡しているのかも知れない。
 ならば、いっそのこと……。

「……おい、お前」
「っ、あっ、はい、ガストンさん」

 呼ばれてアタフタしながら立ち上がる少年に、ガストンは目を細める。
 そうして、いつもの不機嫌な顔のままで告げた。

「これから街に買い物に行く。お前も付いて来い」
「えっ、お、俺も付いて行っていいんですか!?」

 外に出られる事が嬉しい。そんな気持ちを隠しもせずに顔に出す相手に、ガストンは己の心の内を隠しながら口だけを軽く動かして笑った。

(ああそうだ、素直に喜べ。今から何をされるかも判らないままで)

 ――――自分を完璧な「悪人」に落とすには、最後の砦を己で壊すしかない。

 たった一人、自分を「良い人」だと評した相手を。
 もう二度と持たなくても良いはずだった希望を持たせようとした罪人を。
 純粋で、それゆえに最も残酷なこの奴隷を……己の手で。

(……いいさ。俺は結局、卑怯者で最低で誰に好かれる事も無い存在なのだから)

 最低な人間が最低という評価に戻るだけだ。
 それ以上でもそれ以下でもない。

 そうは思うが……何故か、素直に喜ぶ目の前の奴隷を直視できなくなっていた。














※ブラック達が出てこない章なので楽しんで貰えているか心配なのですが
 今回は最近のでは比較的短い(20話もいかない)ので
 しばらくツカサとガストンの関係を見守って下さると嬉しいです…!
 
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