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漆 三国峠ノ妖ノ章

漆ノ伍 過去のうつし鏡

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『フシャーー!! ここはもともとオイラたちのナワバリなのに、なんでふみこんでくるんだニンゲン! 母ちゃん、母ちゃん、起きてくれよ。オイラがんばって、母ちゃんの好きなネズミを取ってきたんだ。ネズミ食べたら元気出るだろ』

 化け猫は母猫の骸《むくろ》の前足に頭をこすり寄せ、そばを離れません。
 あたりには数本矢が落ちていて、白骨となった頭蓋の口元には、子猫が運んできたネズミがおいてあります。もう取ってきてから何日も経っているようで、ハエがたかっていました。

 この化け猫は幼いゆえ、母猫がとうに死んでいることを理解できていないのでした。

 ナギは母猫の亡骸《なきがら》に擦り寄る化け猫を、やるせない思いで見つめます。

「あの骨、額に矢の痕が。猟師や人々を襲っていた噂のもとは母猫の方か。猟師の弓矢で己も致命傷を負ったか。政信、どう思う」

「ハンパ者に言われずとも、そんなことくらいわたくしもひと目見てわかっていたさ。幼体が人を襲うようになる前に、危険な芽は摘んでおかないといけないな」

 フェノエレーゼたちが現れたことに驚き怯える化け猫を観察して、政信が懐から札を出します。

「……あ、アニデシのお兄さん、どうするの」
 
 妖怪の言葉がわからないヒナでも、目の前にいる黒猫が死んでしまった母猫を守ろうとしていることがなんとなくわかりました。

 政信が化け猫の子を殺すつもりということも。

「お嬢さん、この化け猫、今は人の子ほどの大きさだが、一年もすればあやかしの本能のままに人を襲うようになる。害となる前に殺すのが陰陽師の役割というもの」

「そんなのかわいそうよ。この子、悪いことしないよう説得すればきっと」

「かわいそう? この化け猫に人が襲われて死んだという事実はどうなるのかな。死んだ猟師は、猟師の家族はかわいそうではないと?」

「あ、えと……」

 責めるように問い返されて、ヒナはだまりこんでしまいました。
 このまま殺してしまうのは化け猫がかわいそう。でも、政信の言うこともまた正しいのです。

 言い返したくても、うまい言葉がみつかりません。

『にゃにを、ごちゃごちゃと!! どっかいけニンゲン! オイラの母ちゃんに手を出すな!』

 化け猫が爪を出して政宗をいかくする。
 政信が胸の前で右手の人差し指と中指を伸ばし、薬指と小指は曲げて親指で軽く押さえ、刀印の形を作ります。
 そして目をカッと見開いて、声高に唱えます。

りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん!!!」

  刀の形にした指を横縦と交互に動かすと、化け猫はしびれたように動きをとめます。

「ヲン・キリ・キャラ・ハラ・フタラ……」

「や、やめろ!! こいつを殺すのはやめてくれ!」

 フェノエレーゼは化け猫を背後に庇い、叫んでいました。

 このまま術を放てば、フェノエレーゼも傷を負います。
 政信は手を術の構えでとめたまま、向かい合うフェノエレーゼをみやります。

「フェノエレーゼさん。なぜ止めるのでしょう。その化け猫は人を襲う」

「……それは。私が説得する。だから、待ってくれ」

 理不尽に家族を奪われた子猫。
 母猫の亡骸にすがり、現実から逃げた子猫。
 今度はすみかどころか命までも奪われようとしている。
 
 己と同じ境遇の化け猫が殺されようとしていて、フェノエレーゼはいてもたってもいられなくなりました。
 目の前にいるすべてが敵に見える、過去の自分を見ているようでした。

 一年一緒にいるヒナでも、こんなに思い詰めたようなフェノエレーゼを見たことがありません。

 フェノエレーゼは真剣な表情で化け猫に言います。

「よく聞け、猫。お前の母はもう死んでいる。このままこの地にいて人に危害を加えるようなら、お前も殺される。悪いことは言わない。ナワバリを他に移せ」

『フシャーー! うそだ! 母ちゃん死んだりしない! きっとあの矢ってので射られたから、つかれて寝てるだけなんだ!』

「嘘ではない。我々あやかしとて、命は永遠ではない。首を絶たれれば死ぬし、弱れば病にもかかる。いまこいつらが手を引いてくれたところで、この世に陰陽師はなんにんでもいる。
 ずっとここにいれば、いずれお前は祓われてしまう。だから」

 化け猫はフェノエレーゼの言葉を信じたくなくて、首を激しく左右に振ります。
 フェノエレーゼの必死のせっとくにも耳を貸しません。

『うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ!!!! おまえだってアイツラのなかまだろ。オイラを射って皮をはぐんだ! オイラ、ころされるもんか!!』

 化け猫がフェノエレーゼにとびかかり、フェノエレーゼごと急斜面を転がり、闇夜の谷におちていきました。

「きゃああぁーーーー!! フエノさん!! フエノさん!!」

「危ない!」

 ナギは斜面から身を乗り出そうとしたヒナの肩を掴みます。

「ヒナさん。あなたにもしものことがあったら、フェノエレーゼさんが悲しむ。ここはおれがいきます。おれは半妖だから、この闇の中でもあの人を見つけられる」

 ナギは真っ暗な谷底を見下ろして、政信に言います。
 
「政信、ヒナさんをたのむ」

「あ、ああ」

 政信にヒナを託し、ナギはフェノエレーゼと化け猫が転落した谷間に飛び降りました。
 
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