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漆 三国峠ノ妖ノ章

漆ノ肆 化け猫の事情

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 酉の刻。フェノエレーゼたちは、日が沈んだ三国峠にいました。

 ヒナがどうしてもついてくると言って聞かないので、何かあったときのためにナギが作った護符(と雀)を持たせました。

 雲が月を隠して明かりの少ない中、フェノエレーゼは周囲をみまわします。

 膝丈ほどの雑草がはびこり、草の海のよう。人の歩いた跡だけが道になり、岩場もところどころコケの緑におおわれています。

 一見、これまで旅してきた山道と大差ないように見えます。山頂付近の岩場に焚き火のあとがありました。
 半分燃え残っているたきぎには雨水が染みていて、火が消えてからけっこうな日数が経っているようです。

「これは、あのばあさんが言っていた猟師が残したものか。焚き火のまわりに獣の足跡がついている」

 化け猫の手がかりがあるかもしれない、フェノエレーゼが燃え尽きた焚き火に手を伸ばすと、ほねばった左手に掴まれました。
 政信が目にかかる髪の毛をかきあげながら言います。

「ふふ。そのようなものに触れてはいけないよ、フェノエレーゼさん。貴女の美しい手が汚れてしまう。ここはわたくしの式神に任せましょう。無能な弟弟子と違って、蜘蛛くもも使役しているのです」

「式神がいるのはわかったから放せ!」

 腕を撫で回されて怒り心頭、フェノエレーゼはとうとう政信の手を振り払います。

 無能と言われたナギも渋面じゅうめんを作ります。オーサキも牙をむき出しにしていかくします。

「政信、いちいちおれを引き合いに出すのやめろ」

『きゅい! そうよそうよ! 主様をばかにすんじゃないわよ! ムノウはあんたのほうじゃない!』

「ハッ。事実だろう。オーサキ一匹しか従えられない無能が。わたくしを見習うといい。ーーさあゆけ、蜘蛛たち。化け猫を探すのです」

 政信が袂から桐の小箱を取り出して、フタを開けます。

 カサカサカサカサカサカサ。
 
 一寸より少し大きい蜘蛛が三匹、箱から滑り出して草むらに消えていきました。

「蜘蛛が化け猫のすみかをみつければ。向こうからこなくとも、こちらから化け猫を祓いにいける。どうだ、少しは見習え弟弟子」

 相手が活動的になる前に潰す。たしかに、政信のやり方は無駄がなく合理的でしょう。
 けれど一言余計なのがたまに傷。

『きゅいいいい! もうがまんならないわ! 今日こそ食ってやるこの糸目!!』

 オーサキが飛んで、文字通り政信に食ってかかり、政信にはたき落とされます。ナギがさっと拾い上げ、地面に転がるのはまぬがれました。
 

 ヒナはとくにできることもなく、フェノエレーゼの袖をひきます。

「ねえフエノさん。化け猫さんはどうして猟師さんをおそったのかな。桜の木ちゃんみたいに、かなしいから?」

「やつらは人好きで温厚なものが多い。牛鬼のように、食らうために人をおそうような、荒い気質はなかったと思うが」

「化け猫さんは本当はやさしい子なの? なら、もう悪いことやめてって言ったら聞いてくれるかな」

「さあな。そういうのは私でなく本人に言ってやれ」

 あやかしの里にも化け猫はなん匹かいましたが、ひとなつっこくて他のあやかし達とも仲がいいようでした。

「おやおや、フェノエレーゼさんはあやかしのことにお詳しいので?」

 二人の会話を耳ざとくきいていた政信が、扇で口元を隠しながらフェノエレーゼに入ってきます。

 あやかしだと悟られるようなことは避けてくれとナギに言われたばかりなのに。ヒナは自分のせいでフェノエレーゼが疑われていると理解して、慌てます。

「ち、ちがうの! えーと、うんと、旅の途中でナギお兄さんがいろいろおしえてくれたの!」

「そうでしたか。ふふ。頭の足りない弟弟子でも、少しは貴女たちの役に立ったようで」

 政信はあっさりとひいて、意味ありげに笑いながら岩に腰掛けます。
 草むらの中から蜘蛛が戻ってきて、政信の前で何回かまわります。

『ネコ、ミツカッタ』

「案内しろ」

『……デスガ…………』

 なにやら、化け猫のもとに連れていくのをためらうような声音です。

「命令だ。案内しろ。歯向かうなら焚き火に放り込む」

『ワカッタ』

 脅され、蜘蛛はしぶしぶ三匹連なりデコボコ獣道に向かいます。

「ついてくるといい」

 政信が蜘蛛のあとをたどります。

 ナギとフェノエレーゼ、ヒナも少し遅れてそれに続きました。

『くんくん。主様、気をつけてくださいまし。あいつが行こうとしているとこは、イヤなにおいがするわ』

「ありがとうオーサキ。気をつけるよ。……ヒナさんが言うように、化け猫にも何か理由があるのかもしれませんね。説得で済むならそれにこしたことはありませんが、政信はそれを良しとしない」

「だろうな」

 政信は問答無用で化け猫を殺すでしょう。
 式神への態度を見ていてもわかります。あやかしの命をなんとも思わない。
 フェノエレーゼが最も嫌う陰陽師の在り方です。


 蜘蛛が案内する道の先に洞窟がありました。
 政信がかざした提灯の明かりに照らし出されたのは、なかば白骨化した猫と、それを守るように毛を逆立てる黒猫でした。

 ヒナと同じくらいの体格で、足先の毛だけ白い足袋をはいたような黒い化け猫。
 化け猫は口をおおきく開いて叫びました。

『来るな! お、お、おまえたちも母ちゃんを傷つける気か! オイラがゆるさないぞ!!』

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