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第7章 腕
腕Ⅲ
しおりを挟む「此処にイニシャルが彫ってあるのがお分かり頂けますか?」
ライアンの人差し指の先にある模様を目を凝らして見てみる。確かに英語で言う『J』と『W』の文字が見て取れた。
「犯人のイニシャルか?」
「そうだと思われます。若しくは当主のイニシャルかと」
「そうか」
お父様は腕を組み、何かを考える。
短剣を見詰めていた銀の瞳は、私へ視線を移動した。
「ミエラ」
「はい」
「酷なのは分かっている。犯人の言葉と行動をそのまま思い出してくれないか? 出来る限り、間違える事無く」
「……父さん!」
隣で物凄い音がしたと思ったら、クラウが両手をテーブルに叩き付けて立ち上がっていた。その目はお父様を睨み付けているようでもある。
お父様はクラウを見遣り、目を細める。
「これはミエラを守る為でもあるんだ。今回の失敗を受けて、またミエラを襲ってくるかもしれない。それを避ける為だ」
クラウとお父様の睨み合いが続く。お互いに引こうとはしない。
クラウが私を心配してくれているのは分かる。
そればかりでは話が進展しない。お父様の要請に応えるべきだ。
「クローディオ、座って?」
「でも!」
「大丈夫だから。私、やってみる。その代わり……」
渋々腰を下ろしたクラウに微笑み、そっと右手を伸ばした。
「手、握ってて?」
「ミエラ……」
クラウは神妙な面持ちで私の手を優しく握ってくれた。
視線をお父様の方へと戻す。
「第一声は、声を出すな。出したら殺す。だったと思います──」
一言一言、当時をを思い起こしながら紡いでいった。
声が途中途中震えていたかもしれない。思い出すとやはり怖い。握ってくれている手だって震えていただろう。それでもお父様から目を離さずに伝えられたと思う。
「ありがとう、ミエラ。必ず犯人は我が家の威信にかけて捕まえてみせる」
「こんなに怖い思いを……此処に居れば大丈夫ですからね」
お父様とお母様はにっこりと笑ってみせる。その場に居た執事たちもテーブルの上の短剣を片付けて部屋から去っていった。
私たち四人とメイドたちだけが残された。
そこへクラウが口を開く。
「それより、父さん、母さん、大変なんだよ。ミエラの左腕が……」
「左腕が……どうかしたのか?」
険しい顔に変わるお父様とお母様に、思わず俯いてしまった。ただ、ボソボソと声を発してみる。
「力が、入らないんです……。フォークも持てなくて……」
「えっ……?」
状況が整理出来ないとでも言うように、お母様は首を振る。
それでも少しづつ理解しようとしてくれたのか、小さく口を開く。
「でも、元に戻るんでしょう? じゃないとおかしいもの」
何も答える事が出来ない。私の代わりにクラウが首を横に振る。
「医者の話だと、刃が神経に障った可能性がある、リハビリしても、完全には元に戻らないって……」
「……なんて事だ」
お父様は辛そうに顔を背ける。お母様に至っては絶句してしまった。
「でも、私、諦めません。日常生活には支障の無いくらいまでは回復するかもしれないので」
希望を持たないとやっていられない。自分に言い聞かせるように言ってみる。
「ミエラ」
不意にお母様の声が聞こえた。
「貴女、泣いた?」
「えっ?」
何の事を言っているのか良く分からず、首を傾げてみる。
「その様子じゃ、泣いてないのですね。……もう大丈夫ですよ。部屋でゆっくり休んで」
「クローディオ、ミエラを送ってあげなさい」
「うん。ミエラ、行こう?」
返事をすると、クラウは私の手を繋いだまま立ち上がった。
このまま皆に甘えて休ませてもらおう。今日は酷く疲れた。
私も立ち上がり、クラウに手を引かれるままリビングを後にした。
クラウと何を話して良いかも分からない。ほんの少しだけ前を歩く大きな背中を見ながら、ただぼんやりと廊下を歩き、部屋の前まで来てしまった。
「今日はゆっくり休んで。ご飯も部屋に持ってきてもらった方が気持ち楽でしょ?」
「……うん」
今の私には他の人に対して気を遣うという事が難しいかもしれない。ずっと一人で居た方が楽だ。
「これだけは約束して? 何かあったら、必ず誰か呼んで。俺じゃなくても良いから」
「うん」
「それじゃ、ね」
クラウは私の頭を撫で、名残惜しそうに繋いでいた手を離す。憂いのある微笑みを残し、静かに来た道を戻るクラウの後ろ姿を見送った。
部屋に戻り、何となくベッドへ力無く座ってみる。隣に置いてあった本を持ち上げようと両手を伸ばした。本は左側へと傾き、音を立てながらページが捲れていく。私の手では支えきれず、今度は右側を下にして床へ大きな音を立てて落ちた。
一冊の本さえこの手で持てないなんて。
「うっ……。うぅっ……」
両目からハラハラと涙が零れ落ちる。
やっと泣けた──
顔を両手で覆い、布団の上に倒れ込んだ。涙が両手を、布団を濡らす。
この日は完全に部屋の中に塞ぎ込んだ。メイドが持ってきてくれた料理にも、あまり手を付けられなかった。泣きながら、思い通りになってくれない左手を見詰め、手の開閉を試みる。その度に現実が重くのしかかってくる。
ただ時間だけが過ぎていった。
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