上 下
20 / 54
第7章 腕

腕Ⅱ

しおりを挟む

 この人は何を言っているのだろう。理解したくない。
 私の左腕が元に戻らないなんて。絶対に信じない。
 左手を見詰める私に、医者は「失礼致します」とだけ言って出ていってしまった。

「……なんで!? ねえ、なんで!? ミエラは何も悪い事なんてしてないでしょ!? ねえ、何なのー!」

「ヒルダ、落ち着いて」

 部屋にお姉様の泣き声だけが響く。
 私はと言うと、心が何処かへ行ってしまったかのようだ。涙も出てこないし、怒りすら沸いてこない。

「……取り敢えず、本邸に行こう? 私もゆっくり休みたいし」

「ミエラ……」

 クラウは私と視線を合わせ、悲しそうな顔で私の頬を撫でる。

「ん~?」

「無理しないで」

「無理してないよ?」

 無理なんてしていない。していないから涙が出ないのだ。
 クラウは私の頭を抱き、自身の胸に引き寄せた。

「……帰ろっか」

「うん」

 小さな囁きに、頷いてみせる。
 それから慌ただしく帰り支度が行われた。とは言っても、私は着替えくらいで終わった。
 クラウと手を繋いでエントランスを出る。馬車は二台到着していた。前の馬車にクラウと私、ルーナ、もう一人の執事が、後ろの馬車にお兄様とお姉様、執事とメイドがそれぞれ一人ずつ乗り込んだ。
 腰を落ち着かせると、僅かな時間を置いて馬車は動き始める。流れる車窓を何となく眺めてみる。

「ライアン」

「はい。お嬢様」

 聞き慣れない声に振り向くと、私たちと同じ歳くらいの茶髪の執事が此方を見ていた。

「僕はライアンと申します。クローディオ様の専属執事、兼、執事長です。お見知り置き下さい」

「うん、お願いします」

 お辞儀しそうになったものの、咄嗟に止めた。先日、ルーナにお辞儀をしそうになって止められたのを思い出したのだ。
 クラウの顔を見上げてみると、此方を向いて微笑んでいた。

「クローディオ……」

「ん?」

「私、疲れちゃった……」

「……大丈夫。無理しないで寝て?」

 酷い眠気と現実逃避に抗う事もせず、クラウに身体を預けた。重い瞼を伏せる──

 ふわふわとした感覚に襲われる。まるで雲の上を歩いているかのようだ。
 目の前に居るのはリエルで、私はカノンと呼ばれていて。あの真っ白な花畑で結婚の約束をした。左手の小指には緑色の石が付いた指輪が輝いている。遠い、遠い昔の記憶──

 久し振りにカノンの夢を見た気がする。
 ゆっくりと瞼を開けると、まだ馬車の中だった。馬の蹄と滑車が動く音が聞こえる。視界には私の左手の青と緑の石が並んだ結婚指輪が映っていた。

「ん~……」

「あっ。起きた?」

 頭を僅かに上げて頷くと、傷を避けて左腕を抱かれた。

「そのままで良いよ」

「……うん」

 再び身体をクラウに預ける。

「カノンとリエルの夢、見た」

「……そっか」

 その後、沈黙が続く。
 以前ルーナには話したから分かるだろうけれど、ライアンは何の事を言っているのかさっぱり分からないだろう。クラウも私も話し出そうとはせず、ただ温もりに縋る。
 どれくらいそうしていただろう。馬車の速度が徐々に落ちていった。

「ミエラ、着いたよ」

 言われ、ようやく身体を起こした。クラウが座っている右側の車窓を見てみると、あの大豪邸の扉が目に映った。
 先頭で馬車を降り、扉に歩み寄る。最後尾のライアンがドアノッカーを叩くと、すぐさま扉は開かれた。温かい空気が辺りに広がる。

「ミエラ!」

 この声はお母様だ。直ぐに銀髪の女性が走り寄って来てくれ、私に飛び付いた。

「ごめんなさいね! 本当にごめんなさいね! 私が貴女を一人にしたから!」

「お母様……」

 お母様が謝る事なんて無いのに。お母様は成すべき事をしただけだ。
 戸惑っていると、今度は大きな手が頭に乗った。

「よく帰ってきてくれたね。生きていてくれて良かった」

「お父様……」

 声のした方を振り向くと、お父様は悲しそうに微笑んでいた。

「さあ、中に入って」

 お母様がゆっくりと私から離れ、お父様も私の背中をそっと押すので、薄暗い屋敷の中へと足を踏み入れた。クラウにエスコートされながらエントランスを通り抜け、リビングへと入る。そのままルーナに引かれた椅子に座った。私の隣にはクラウが、向かいにはお父様とお母様が座る。
 息を着いたのも束の間、お父様は口を開く。

「クローディオ、ライアン。事件のあらましを話してくれないか?」

「でも、ミエラが──」

「私は……大丈夫」

 何かを言われたとしても、これ以上傷付く事は無いだろう。と、クラウの声を遮っていた。

「ホント?」

「うん」

 瞼を伏せながら、ゆっくりと頷く。

「じゃあ、話すよ? ……父さんたちが知ってる通り、事件は皆が寝静まった真夜中に起きた」

 何かおかしな所があれば、訂正しなければ。しっかりと耳を傾ける。

「クローゼットに隠れてた犯人は、いきなりミエラを襲った。抵抗されて、ミエラの腕と首を切り付けて、そのまま窓から逃走。西の森に逃げ込んだ。犯人の目的は……ミエラの誘拐」

「誘拐……だと!?」

 驚愕するお父様に、クラウと私で頷いてみせる。

「凶器はこれです」

 いつの間にかクラウの隣に立っていたライアンが、テーブルの上に麻布に包まれた何かを置いた。金属の硬い音が鳴り響く。その手で布が剥がされていく。
 中にあったのはシルバーの短剣だった。切先には血痕が付着している。
 ──私の血だ。左腕が妙に傷んだ気がした。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

その日、女の子になった私。異世界転生かと思ったら、性別転生だった?

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:320pt お気に入り:261

悪役令嬢の私は死にました

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:1,789pt お気に入り:3,995

ヒロインだと言われましたが、人違いです!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:322

たまたま神さま、ときたま魔王

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:214pt お気に入り:6

【完結】記憶を失くした貴方には、わたし達家族は要らないようです

恋愛 / 完結 24h.ポイント:944pt お気に入り:3,774

母になります。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:26,697pt お気に入り:2,131

転生人生ごっちゃまぜ~数多の世界に転生を繰り返す、とある旅人のお話~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:35pt お気に入り:222

処理中です...