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嫁ラブと夫放置でお出掛けしたい嫁との攻防戦です。

景資くんはとても賢い子で、晴ちゃんも優しい子です。

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 すぐに景資かげすけと名前を改める事にはなるのだが、幼名ようみょう弥吉やきちでは、周囲のものに侮られると心配した藤資ふじすけは、弥吉に、

「まずは幼名を弥太郎やたろうと名を改めると良い。父は、幼い頃に弥三郎やさぶろう与次郎よじろうと呼ばれておった。父の一文字と同じ文字は嬉しいのだがどうかの?」
「弥太郎……ですか?」
「そうじゃ、太郎とは長男を指す。源義家みなもとのよしいえどのは、八幡太郎はちまんたろうと言う幼名を持っておった。そなたはわしの息子。長男だからと我慢するでないぞ?」

息子の頭を撫でる。
 明日は、鬱陶しいが殿だと言う方に一応、息子と共に挨拶に行く事になった。
 元服げんぷくをしていなければ出仕できない為、急遽7つの年の祝いと、元服を同日に行う事になった。

 晴は着なれない可愛い衣と飾りを喜んでおり、雪がかんしゃくを起こしていたのを、妻の実家となった直江家の采明あやめが、珍しい編み方で編んだ鮮やかな紐を手首に結んでいた。

「これ、なにでしゅか?」
「ここから遠い国で言い伝えられているお守りなの。お願い事を頭のなかで考えてね?」
「んっと、んっと……おとうしゃまとおかあしゃんと、お兄ちゃんたちと楽しく過ごせますように」

 大声で願い事を言った雪に弥太郎が、

「采明姉ちゃんが、心のなかで……って……」
「い、言っちゃったぁぁ……」

顔を歪めフニャッと泣きそうになると、慌てて采明が、

「大丈夫よ。お願いが口に出るのは本当にお願いしたいことでしょう? だから大丈夫。お姉ちゃんも一緒に祈っててあげるから、結びましょうね?」

と結ぶと、采明の衣を引っ張るのは与次郎と名を改める次郎と、藤三郎とうさぶろうと名を改める三郎が手を差し出す。

「次郎も!」
「ちゃぶも!」
「はいはい。つけてあげるわね。じゃぁ、お願い事は?」
「お父ちゃんとお兄ちゃんと皆で、お母ちゃんを守る!」

 元服後、資興すけおきと名乗る与次郎と、資泰すけやすと名乗る藤三郎である。

「ちゃぶは、みんないしょ~! えんえんはやだ。ニコニコがいい」
「三郎ちゃんも、次郎ちゃんも、雪ちゃんも優しい子ね。お姉ちゃんも皆が一緒に仲良く過ごせるように、お手伝いするわね」

 采明は不思議だ。
 最初、どこのものかと警戒したが、全くその警戒をよそに、家中を一気に変えていった。
 悪い意味でなくいい意味である。
 このような娘がいれば、長尾の殿ももっと変わったのだろうか……。

「父上!」
「おぉ! よう似おうておる! 凛々しいぞ? 弥太郎。そして晴も可愛らしいのぉ?」
「お父様。似合いますか?」

 首をかしげる様は、母親の佐々礼さざれに似ている。
 ちなみに5人兄弟は皆、母親似の優麗な整った顔立ちである。

「晴も本当によく似合っておるぞ。父は本当に嬉しい。弥太郎も晴も知らぬかもしれぬが、元々子供は神より与えられし宝物。生まれた時より6つまでは、親の元におろうとも、神の眷族けんぞく……神様の子じゃ。親は神に仮に育てるようにと預かって育て、7つになったら神より親の元に返される。今日はその祝いの日じゃ。父は本当に嬉しい」

 目を細め見回す。
 先日、緊急に日取りを合わせ、婚礼をあげた妻はどこにいるのだろうか。

「あ、あの……このような、美しい衣は勿体ないと……」
「何をいってるの! 直江家の娘が子供の祝いに、貧相な衣では我が家だけではなく、中条家の恥になります。それに、明日出仕する弥太郎が侮られるのですよ?」
「大奥様……」
「御母様と呼びなさい。良いですね?」

 娘となった佐々礼に顔を寄せたあずさは、優しく続ける。

「良いですか? 謙虚と卑屈は違いますよ。今回はお祝いの席。貴方は主役である弥太郎と晴の母として、中条の家の正妻としてしっかり努めなさい」
「わ、私に……勤まるでしょうか?」
「勤まるも、貴方は母なのですから、側にいるだけで良いのですよ。藤資どのはあれでいて、優しいでしょう?」

 その言葉に頬を赤くする。

 夫は本当に優しい。
 子供たちにも本当に分け隔てなく……自分の子供でもないのに可愛がる。
 そして、厳しくはないが、悪いことをしたと言うと、言い聞かせるようにたしなめる。
 その姿が本当に今、自分のいる世界なのかと思う……そして、驚いたことに、直江家によく出入りして共に働いていた人々は元々中条の家の使用人で、佐々礼が嫁になることをご挨拶に伺うと、笑って、

「家の殿はあぁ言う性格だからなぁ……好きなようにさせておくといいよ?」
「それに、私たちは、あんたをひがんだり妬んだりはないよ」
「逆に、あの殿をよろしく頼む!」
「お前たちは、直江家で何を覚えてきおったか!」

藤資が一喝すると、

「殿、奥方が驚かれていますよ」
「何? さ、佐々礼どの? 怒ってはおらぬ! わしは……」

おろおろと狼狽える。
 その横で、兄弟たちの手を引いていた弥太郎が、

「おじちゃん……おじさん、おばさん。僕たちを……母を、よろしくお願いします。一日でも早くこの家に慣れ、父上の片腕として努力いたします。それに僕たちは、元々武家のしきたりを知りません。父に教わるつもりですが、何かあったときには、どうかよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」

5人の子供たちが頭を下げる。
 元々弥太郎は年よりも大人びており、子沢山で直江家では余り働けなかった母の代わりに弥太郎が、大黒柱となっていた。
 力はないが機転がきき、兄弟に優しく賢い少年を周囲のものは可愛がっていた。

「弥吉……じゃないのか弥太郎様。気を緩めた方がいいですよ?」

 一人の青年が笑う。
 叔父の悠真ゆうしんの友人でもある、一太いちたである。

「で、でも……」
「この殿を見てごらんなさい! この身なり、この姿! どう見てもどこぞのおっさんですよ。普通の」
「何をいっておる! わしは、茂平もへいが楽なだけじゃ!」

 胸を張って威張る父親に、晴と雪がクスクス笑う。

「お父さん、かっこいい!」
「おぉ! 娘たちよ解ってくれたか?」
「う、はい! お父さんが、晴たちやおじさんやおばさんを大好きなように」
「雪たちも、おとうしゃまだいしゅきでしゅ!」

 感極まって抱き締める主に、周囲はほっとする。
 藤資は、面倒なことに巻き込まれている。
 子供たちと、そしてこの儚げで苦労しつつ5人の子供を懸命に育てていた佐々礼が、幸せにと祈る……と、

「お父様!」

止めようとする侍女たちを振り払い、現れたのはしろぬりの少々小太りの女。

 チッ!

父の舌打ちに、弥太郎は気がつく。
 時々一太に頼まれて茂平として直江家に、悠々自適と本人は言うがのんびりと庭の木々の手入れや雑用、薪を割ったりとしていた父を呼びに行った。

「茂平おじさん! 一太兄ちゃんが、おじさんを呼んでます。何か手がつけられないとか……」
「又か!」

 早足で出ていった茂平を追いかけ、一度だけ見たことがある。

「あの白塗りおばさん……」
「わ、私がおばさんですってぇ?」

 激昂する白塗り女に、藤資は大笑いする。



 実は、元々面倒がる梓や橘樹たちばなはほぼ素っぴんでいたのだが、儀式ではと化粧をしていたところ、采明が止めたのである。

なまりと言う体に有害な物が入っています。それに、明の国には錬丹術れんたんじゅつと言う、練丹と言う薬を飲めば不老不死になったり、仙人になったと言う言い伝えがあるのです。ですが、その薬には水銀と言う、これも体に悪いものが含まれていて、ひどい場合は若死にします。それに、女性は特に子供に接するものです。子供たちに影響があってはいけません。使うのはお止めください。私が、何とか考えます。ですから、お願いします」

 その言葉にゾッとした梓も橘樹も、茜もあっさりと素っぴんにした。
 その代わり、采明に、

「乾燥するといけませんから、定期的にこれを塗ってください。それと、これとこれとこれです」
「なぁに? これは?」
「化粧品です。母と妹の化粧をよく手伝っていたので、お母様、よろしいですか?」

 義母の前で、小さな袋に収まったものを次々取りだし、義母に化粧を施す。

「こんな感じです。自然的なお化粧と、瞳をはっきり見せるように、まぶたに線を引いて色をぼかせたり、そして唇には優しい淡い色に、お母様はとてもお美しいので、自然体のお化粧にしました。眉は普通に、母性的な月形にしています」
「まぁ! 私がこんなに?そんなに時間もかからないのに?」
「お母様がとても美人だからです。じゃぁ、橘樹お姉さまも、茜お姉さまも」

と次々と化粧をし、橘樹はとても目がつり上がっているのだと気にしているため、淡いピンク系とブラウンを合わせ、瞳の印象を柔らかくし、唇も優しいピンクに、少しグロスを足す。
 茜は童顔を気にしているため、向こうで言うキャリアウーマンのブルー系を中心に、唇は少し濃いめの紅を差した。
 母の梓はピンクに近い紫系のため、3人の色が被らないようにする。
 そうすると個性が引き立つ。

「こ、これが私? 嘘! 目が……」
「元々、大きな瞳ですので、はっきりして見えるのです。なので、柔らかい優しい桃色でフワッとさせてみました。唇のキラキラは、気にされている瞳に集中されるよりも、にっこりとよく笑っているお姉さまの笑顔を見てもらいたいのです」
「そ、それに、はっきりしてるわ! 私の顔が……」
「茜お姉さまは少し大人びた印象に。青と言うのは洗練されていると言う印象を与えますし、目をぱっちり見せることで、お姉さまのおっとりした印象がキリッとして見えます。皆さんとっても素敵です!」

 采明はにっこり笑う。

「こんな風にすると個性も出ますし、雰囲気も一気に変わって、衣も選ぶのが楽しいと思います」
「そうね……何か若返った気分だわ……8人も孫がいるお祖母ちゃんなのに」
「御母様は若いですわ。私の方が年に見えるのに……」

 ため息をつく橘樹。

「橘樹お姉さまは、でも本当に素敵です! 元々お姉さまは美人ですもの。とっても優しいお母さんって言う感じです」
「あら、茜も素敵よ?」
「本当に采明ちゃん……ありがとう。こんなに素敵になるなんて……夫が何を言うかしら」

 茜の言葉に、采明は笑顔で、

「お兄様たちやお父様も、きっと箸を落とされるかもしれません。それに、御母様やお姉さまの美しさを再認識するかもしれませんよ?」



 その言葉通り、親綱ちかつなけやき重綱しげつな、そして神五郎しんごろうまでもが箸を落とすどころか、口を開けて呆然と妻と母、姉妹の姿を見つめていたのだった。

 ちなみに、藤資と佐々礼の婚礼にも、化粧は采明が、唇に色を足すのは母の梓が行った。
 驚いたのは、何時も悲しげな眼差しで俯いていた佐々礼が、フワッと優しげな微笑みで、手を引いてくれた梓を見て、藤資を見上げたとき……。
 佐々礼は左の目の下に泣きぼくろがあるのだが、それを隠し、そして眉を薄く書き、瞳は優しげな色で、ドキッとする。
 この年で恋をする……と言うのはあるのだろうか?
 そう思えた身内だけではあるが、幸せな祝言だったと自信をもって言える。
 そしてこの妻と、並んで着なれない衣に着せられている感が否めないが、可愛い5人の子供たちを育てようと決意した事も内緒である。



 それなのに……。

「何しにきおった。そなたとこの家はもう関係はなかろう!」
「何ですって? お父様! 聞きましたわよ! どこの誰とも解らぬ女が、お父様をたらしこんだと!」
「何を言うておる! わしの結婚は、縁もゆかりもないお前に口を挟まれたくはない! それに、お父様と呼ぶな! そなたは元々前の嫁の連れ子。その上、お前は勝手にこの家の財産を持ち逃げしたではないか! 二度と顔を見せるな! 次来たときには……」

 周囲が武器を手に、主とその子供たちを守るために立ちふさがる。

「お嬢様……いえ、この家とは関わりのない方ですね。旦那様のご命令です。もう二度と、敷居をまたがぬよう、お願いいたします」

 大刀だいとうを構えた一太が、低い声で告げる。
 その刃先に、

「覚えていらっしゃい! この家は私が正統な主なのだから!」

叫び声をあげながら去っていったのだった。

「ふんっ! ……そうじゃ、お前たちにはあの者は関わらんでよい。それよりも、佐々礼どの……佐々礼に晴に雪よ? 奥に、色々なものを用意しておる。みな……おばさんたちに見せてもらうといい。そして弥太郎。こちらに。与次郎、藤三郎は遊んでおれ」
「はい!」

 父についていった弥太郎は、上座に座る父のはるか後ろ……侍女、下男が座るところに座った。

「何をしておる。そなたは、わしの前に座るのじゃ。ここに来なさい」
「はい!」

 真正面に座るが正座に、

「元服前ゆえ構わぬが、元服後はこう座るように。そして、お前はとても賢い。所作も教えるからの。ちゃんと、何か不測の事態が起こっても、落ち着いて動けば大丈夫じゃ。では、座り方からじゃ」
「はい!」



 当時の元服は幼い場合が多く、景虎かげとらも元服済みである。

 藤資は色々と話ながら、弥太郎を自分の跡取りと言う自覚を持ち、それを持ったがゆえに元々自分達をしいたげてきた者を許すように……そして、直江家の采明のようになれと、伝えたのだった。
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