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10 サムライの出動と二人の王の死
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1
バゴー川の河口は海のようにひろく、普段であれば大小の漁船であふれている。
以前、又兵衛が自前の船でやってきたときは貿易船がびっしりならんでいた。
だが、戦時中のいまはひっそりしている。
デ・ブリト側は海軍を失った。教会や町の半分も破壊された。
しかし、ポルトガル人や兵士たちが住む奥の家々は残っていた。
「又兵衛、なにかサムライの案でもないか」
ダンマ王に聞かれた。
旗艦船の甲板に設けられた屋根だけの天幕に川風が吹き抜けていた。
又兵衛は、膠着した戦況について意見を求められると予測していた。
ラカインの日本人村の運命がかかっていた。
日本人村はすこしずつ豊かになった。毎夜広場で火を囲み、住民たちが集った。
故郷を語り合い、涙をながす者もいた。しかし、だれも帰りたいと訴え者はいなかった。なんとしてもダンマ王に名誉を与えなければならなかった。
又兵衛は、懐から折り畳んだシリアムの地図を取りだした。
又兵衛の部下がまとめたものだった。
ダンマ王は、卓台の上にひろげられた地図を覗いた。お付きの二人も背後から覗く。
地図には、砦の壁の外と内側に、幾つもの赤いバッテンが付いていた。赤いバッテンは内と外で一組になり、それぞれが直線で結ばれていた。
「隧道を掘ったらいかがでしょうか」
又兵衛は、シリアムの砦から離れたバッテンのひとつを示した。
「ここは林の陰になっております。敵から見えないこの場所に穴を掘り、砦の壁の下を潜ってなかに入ります。砦のなかの出口は家畜の飼育場で、一帯には鶏が飼われています」
外側のバッテンから内側のバッテンにむかい、又兵衛は指をなぞった。
艦隊が停泊しているバゴー川側とは正反対の、陸側からの掘削計画だ。
ダンマ王は地図を凝視した。
その顔にかすかな笑みが浮かぶ。
いつも側につきそう総理大臣のジッタは、ミャウーの王宮で留守をあずかっていた。
「又兵衛、よくやった」
王の口から、おどろきの言葉がもれた。
背後についている二人の参謀の男たちの目にも、おどろきの色が浮かんでいる。
「又兵衛、実は我々もその作戦について話し合っていたところだった。過去に、我が国の王がそのような攻め方で成功し、勝利をおさめた戦い方があったからのう」
ダンマ王は大きく頷いて見せる。
「そこで、どのように実際に計画するか議論の最中であった。実は我々がおどろいているのは、この地図が我々のものとほとんど一緒だったからだ。われわれの計画にいま一確証がもてなかった。又兵衛、このとおりにいけるのか?」
「わたしの部下には穴掘りの名人がおります。地質調査もいたしましたが、問題ないそうです」
ダンマ王は、又兵衛が指摘したバッテンとバッテンを結ぶ線を再び目でなぞった。
「日本でやったことがあるのか?」
又兵衛に顔をむけなおした。
「はい、二度ほどあります」
又兵衛はためらわず答えた。
ほう、とダンマ王はうなずき、続けた。
「この場所は、二キロもありそうだぞ」
「はい。でも、ここが最適の場所です」
又兵衛は断言した。
王の護衛を勤め、日本人村で畑を耕し、神に祈りながら過ごしたかった。
だが、そうはいかくなる自分を感じていた。
「ほかにも、なにか案はあるか」
二人が座っている天幕の屋根を、軽く川風があおった。
水攻めという作戦も考えたが、口にはしなかった。
シリアムを堤防で囲んで川を塞ぎ、水を流し込み、砦を水に沈めるのだ。
目の前には、広大な茶色の流れがひろがっていた。
やれないことはなかったが、かなりの時間と手間ひまを必要とした。
「隧道以外の作戦はありません」
ダンマ王は、またゆっくり、又兵衛と地図を見比べた。
「どのくらいで完成するのか」
「一日百メートルを堀ります。抜けるまでは二十日から二十五日くらいかります。長い穴を造るので、兵員は二千五百人ほどが必要です。掘った土は、船で運んで川に捨てます。決行のさいは、急いで補修用の木材を用意してもらわなければなりません」
「あらためて、参謀たちと検討してみよう」
ダンマ王は席を立ち、王の船室のほうに歩きだした。
又兵衛が見せた地図を手にしている。
二人の男とサムライの護衛兵がついていく。
王の船室でじっくり検討するつもりのようだ。
じつは又兵衛はもう一つ、作戦を考えていた。
石の塀をよじ登り、内側から門を開けるのである。
これは、忍びを得意とする何人かの物見がいなければならない。
あの石の塀ならたやすいことです、と一人が言う。
だが、数人で塀を乗りこえても、必ずだれかが犠牲になる。
下手をしたら、又兵衛の部下の大半を失う可能性もあった。
だからこれは、最後の最後の提案としてとっておいた。
再び又兵衛がダンマ王に呼ばれた。
参謀本部の将校たち全員が集まっていた。
「又兵衛、この地図に示された作戦を、参謀本部もあらためて承認した。今後わたしの護衛は、わが近衛兵が勤める。そちたちサムライ隊は、工兵隊となってただちに隧道造りの作戦にとりかかれ。ラカイン工兵隊その他五百がそちの指揮下に入る」
もうなんとしても、負ける側にはいたくなかった。
2
又兵衛たちはラカイン兵と同じ鎧を着け、上陸した。
砦の脇から、湊から見て裏側へ回る。
穴を掘る場所は、ヤカイン軍のウバイ王子の陣地内にあった。
穴造りとはいえ、掘り進めば必然的に敵陣への一番乗りになる。
ラカイン兵が加わるとしても、それがどんなに危険であるかは、よく知っていた。
大阪城を守っていたとき、敵の徳川方が穴を掘って侵入してきた。
入り乱れ、白兵戦になった。敵も味方も多くが死んだ。
「又兵衛とやら、ごくろうである」
白い鎧を纏ったウバイ王子は、顎の尖った若者だった。
何度かシリアムの城壁に突撃し、失敗していた。
長い髪を兜と鎧の隙間から肩にのぞかせ、どこか哲学的だった。
だが、見かけによらず勇敢だった。
ウバイ王子は、又兵衛たちを自軍の陣地のまっただ中に案内した。
「佐助、ここでよいのか」
又兵衛は、背後についている色の黒い小ぶりの男に声をかけた。
「はい。この場所でございます」
その場所は、あらかじめウバイ王子側に連絡してあった。
佐助と呼ばれた男は、すばやく辺りを見回した。隧道の図面を書いたのは佐助だった。
日本にいたとき佐助は、何度かこの方法で敵を攻略し、落城させていた。
敵の城の情報をまとめ、隧道を図面にし、自ら工事を指揮するのである。
その夜から、ラカイン兵とともに穴掘りが始まった。
道具は、鉄の突き棒と大鏝である。天井と壁は木枠や板で補強する。
すぐに助の指導で広間が掘られた。
一日目は、地下広間が掘られた。
天井や壁を補強する材料が、地下広場に運び込まれ、昼間でも通路の掘削作業が可能になった。
目標どおり、一日百メートルが掘られた。
大石に突き当たって迂回したが、作業は順調だった。佐助の測量で、迂回したあとの隧道も真っ直ぐに修正された。
三日が過ぎ、穴は予定通り三百メートルに達した。
土運びや木材の補強員もどんどん増えた。
ミャンマー軍のアナウペルン王が、隧道を視察にきた。
角張った顔で黒髪がふさふさし、眉毛が毛虫のように太かった。
ミャンマーの諸侯が、前王のナッシンを見限って支持したという。
それなりに魅力があるのだろう。
途中まで穴を掘り進めた又兵衛は計画を変更した。出口を二つにしたのである。
シリアムの砦の壁をこえたとき、砦の門にちかい場所に新たに出口を造る計画だった。
いちはやく門を開け、味方の軍を入れるためである。
洞窟内には、二列の人の動きができていた。
入っていく列と、出てくる列である。出てくる列は、二人一組で土を盛ったモッコを担いでいる。
そのほか、木材で天井や壁を補強する者や、穴の先頭で掘削作業を行う者などが行き交う。
作業の効率をはかるため、体力のいる掘削作業員はどんどん交代させた。
外は暑いが、穴のなかは涼しい。
地上では相変わらず、攻めたり、攻められたりの戦いがくり返されていた。
そして、ミャンマー軍のアナウペルン王は、勝ち誇ったかのようにデ・ブリトに降伏状を送りつづけていた。
ラカインのダンマ王も、お雇い外国人の裏切りと、要求された多大な王子の身代金などの恨みを晴らそうと、精力的に攻撃をくりかえしていた。
以前とちがうのは、デ・ブリトの『対等な和平協定なら結ぶ用意がある』という内容の返事だった。
シリアムは完全に包囲されていた。だが、デ・ブリトの態度に弱気はなかった。
隧道が、目的の場所にちかづこうとしていた。
佐助は図面をにらみ、ここまで、とからだに似合わぬ大きな声で先頭の男たちに告げた。
すでに、門を開けるためのもう一つの隧道にも待機が命じられていた。
最後の作業は、十人ほどが長い鉄の棒でいっせいに天井を突き、縦穴を開けることだった。
足元に崩れ落ちてくる土を、下にいる兵士たちが泥に埋まりながら坂の形に仕上げていく作業だ。
空いた穴から突撃隊の兵士たちが、一気に駆けあがれるようにするためだ。
又兵衛は、ダンマ王にときの到来を知らせた。
ヤカイン軍の司令部には、ミャンマー軍の参謀やウバイ王子も交え、作戦会議が開かれた。
総攻撃は夜の十二時と決まった。
南国の晴天の夜は、月が煌々と輝き、星が空一面に瞬く。
総軍、六万がシリアムの砦に押し寄せると同時に、海軍が河口側から大砲を打ち込む。
ミャンマー軍は、砦の門から内部に侵入し、ラカイン軍はシリアムの家畜飼育場から中央部に侵入する。
又兵衛たちは、ラカイン軍の特別捜索隊とともに、デ・ブリトを捕まえる隊に加わることが許された。
サムライ隊は気勢をあげて喜んだ。
「デ・ブリト捕まえるぞ」
「デ・ブリトを捕まえて、サムライ隊が手柄をたてるぞ」
久しぶりの戦争で、張り切っていた。
その夜、隧道に兵士がずっしりとならんだ。
二つの穴の先頭の隊長や各指令部に、同じ大きさの砂時計が渡された。
その砂時計が砂を全部落としたとき、攻撃が開始される。
又兵衛は穴の先端で時をまった。
三十名の男たちが、鉄の突き棒をもって身構える。
松明の炎の影が、穴の底で出番をまつ兵士たちの兜を照らす。
四角い板の上に水平に置かれた砂時計が、最後の一粒を落下させた。
「突け」
佐助のするどい叫びが轟いた。
鉄棒をもった男たちが、頭上の土をいっせいに突く。
砂利が崩れ、下にいる男たちが半分土に埋もれながら、落ちてくる土を坂状に固めていく。
はたして計算どおりの場所に出られるのか。
又兵衛は息をのんだ。
門のちかくのもう一ヶ所の穴も同じ作業が行われている。
遠く大砲の音が響いている。
ラカイン海軍の大砲だ。海側に気をそらすための陽動である。
五分後の突撃と同時に、ぴたりと止むはずだ。
見あげる天井の土が、足元に高く積もっていく。
頭から泥を被りながら、ラカインの兵士が必死に坂道をこしらえていく。
空間が見えた。
穴は、一気にどっと崩れ落ち、星空がひろがった。
3
「出撃―っ」
突撃隊の隊長の鋭い叫び声。
兵隊たちが、目を剥いて坂を駆けのぼった。。
兵をかき分け、一番に飛びだしたのは又兵衛だった。
あとにサムライ隊の隊員がつづく。
運が悪ければ、敵の槍で串刺しか、銃撃で蜂の巣である。
あるいは一刀のもとに切り捨てられる。
いずれにしても死を覚悟の一番乗りだ。
が又兵衛に襲いかかったのは、寝床の竹の棚で安眠をむさぼっていた鶏たちだった。
翼を羽ばたき、鳴き叫び、数百羽という鶏が小屋のなかで入り乱れた。
鶏の羽根が宙に舞う。
とにかく、そこは鶏だらけだった。佐助の計算に間違はなかった。
門のほうで銃撃音がしだした。
ミャンマー隊も外に跳びだしたのだ。
そっちの穴も狙い通りの場所のようだった。
又兵衛たちはラカインの捜索隊百名とともに、デ・ブリトが居住する宮殿を目差した。
全員が手に鉄の盾をもっていた。
砦の上の兵士が撃ってくる鉄砲の弾を盾で避けながら、一団となって進む。
だが、敵の鉄砲の音はしなかった。
砦の外側からは、夜襲をかけている連合軍の喚声が夜空にこだました。
砦の門が開いたようだ。
連合軍の鉄砲隊が侵入し、デ・ブリト軍の兵舎に一斉射撃をおこなっている。
ミャンマー軍の旗を立てた騎馬隊がシリアムの砦内を疾走した。
砦内部は瞬く間に、侵入してきた連合軍であふれた。
起こっている喚声は、すべて連合軍のものだった。
戦争は、勢いのいいほうが勝つ。
ひとたび負けがわかると、抵抗はなくなる。
デ・ブリトの軍のほとんどは、物音さえたてなかった。
夜の夜中、突然、庭から敵が湧きでてきたのだ。
あれほど頑なに出退をくりかえし、巧妙な作戦で敵を翻弄させていたデ・ブリト軍の兵士たちは、沈黙している。
それでも、あちこちから銃の音が轟き、剣の音を響かせた。
集団や個人の白兵戦が起こった。
又兵衛たち特別隊は、王宮をめざして突き進んだ。
そこには王宮を守るポルトガル兵とその部下たちがいた。
ラカイン兵たちが進み出て、銃を撃ち、弓矢を放ちった。
鉄の鎧を纏ったポルトガル兵は、からだが大きく力もあった。
だから、ラカインの兵士は三人、四人がかりである。
シリアムにいるポルトガル兵は千人。
だが、将校として城のあちこちに散っている。一ヶ所に固まっているわけではない。
そのほか、武装した一般民間人のポルトガル人が数百人ほどいた。
又兵衛たちサムライ隊は、背後にラカイン軍の兵士を率い、王宮の奥へと一直線に進んだ。
奥に進むにつれ、抵抗する兵士の姿がすくなくなった。
真夜中の奇襲だ。
デ・ブリトが砦のどこかで軍を指揮しているとは考えられなかった。
王宮の寝室で眠っているにちがいなかった。
ぴかぴかの床に、陶器類の飾りがならび、壁にはポルトガル人たちの絵がかかっていた。
壁に一列になって備えられた松明の火が、ゆらゆらと燃えている。大きな部屋だった。
飛び込んでいったとき、悲鳴が起こった。
そこには三十名ほどの女性がいた。
白人もいたし、土民との混血の者もいた。
みんな夜着のようなものを着ていた。インドのゴアからきた女官たちのようだった。
「デ・ブリトはどこだ」
又兵衛がポルトガル語で叫ぶ。
彼女たちはひとかたまりになり、ただ唇を震わせていた。
答えることができなかった。
「デ・ブリトの部屋はどこだ」
又兵衛は、質問を変えた。
すると奥から、二十名ほどのポルトガル人たちが姿を見せた。
手には剣をもっていた。鎧はまとっていない。
一人に、特別隊の四人、五人が襲いかかる。
ポルトガル人は血だらけになり、床に倒れ、動かなくなった。
ぴかぴかに磨かれた床に血の海がひろがっていく。
又兵衛たちは、次の部屋で一人の男を発見した。
白い衣服の寝巻き姿だった。
眼光はするどいが、小柄で顎が細かった。
「だれだ」
又兵衛が刀をもって身がまえた。デ・ブリトだとは思っていなかった。
すると、背後からラカイン兵が叫んだ。
「デ・ブリトがいたぞう」
「デ・ブリトだ、デ・ブリトだ」
ほかのラカイン兵も叫んだ。
特別隊には、かつて仲間だったデ・ブリトの容姿を知っている者が選ばれていたのだ。
手にした剣を抜いて立ちはだかるデ・ブリトを、百人ほどの兵隊が取り囲んだ。
ダンマ王に命令されていたのは、生け捕りだった。
「剣を捨てろ」
又兵衛は一歩進み出、告げた。
剣以外に武器はもっていなかった。白人にしては小さい。
なんの変哲もない細身の男だ。
町ですれちがっても、記憶に残らない。
デ・ブリトは身じろぎもせず、乱れた髪を額に垂らし、又兵衛を睨んだ。
ポルトガル語を話す兵の出現におどろいたようすだったが、又兵衛のほうも、この男が噂のデ・ブリトかと拍子抜けの面持ちだ。
一旗あげようと遥か遠いポルトガルという国から、給仕という仕事を得、船に乗り、アジアまでやってきた。
そして、本当にポルトガルの自分の国をアジアに造った。
しかし、今一歩のところで夢は敗れた。だが、憧憬にあたいする男だった。
又兵衛が一言はなしかけようとしたとき、デ・ブリトの剣の切っ先が動いた。
又兵衛は、デ・ブリトの胸元に飛び込んだ。
剣を握っているデ・ブリトの右腕を押さえた。デ・ブリトが、自らの喉を突こうとしたのである。
又兵衛の部下やヤカインの兵が、背後から重なった。
4
燃えさかる篝火に照らされ、後ろ手を縛られたデ・ブリトが引き出された。
ミャンマーのアナウペルン王、ラカインのダンマ王と王子のウバイのまえだ。
その背後に、それぞれの家臣たちがならんだ。
今回の戦いで手柄を立てた又兵衛たちとともに 色黒の佐助も末席に加わっていた。
ダンマ王の護衛は、ラカインの近衛兵の仕事になっていた。
デ・ブリトを裁くのは、中央の椅子に座った連合軍の盟主、ミャンマーのアナウペルン王だった。
「なぜ降伏をしなかった」
アナウペルン王が、顎でデ・ブリトをしゃくった。
デ・ブリトは後ろ手に縛られ、二人の王のまえで両膝をついていた。
はだけた白い衣服の胸に茶色の胸毛が渦巻いていた。
デ・ブリトは、アナウペルン王を睨みあげ、唾を吐いた。
「いまさら、なにも言うことはない。殺せ」
「もちろん殺す。だが、ただでは殺さぬ」
角張った顔のアナウペルン王が告げる。
「おまえはパゴダ(仏塔)を破壊し、仏像を潰して大砲を造った。金の仏像は金貨に変えた。ほかの国からきたおまえは、この国の人々が信じている命より大切な仏教とその信者をないがしろにした。その罪がどのくらい重いか、わかっておるのか」
アナウペルン王の声が、一段と高くなった。
隣のダンマ王も、身じろぎもせずデ・ブリトを睨みつけている。
そこへ、ラカインの兵士が縄で後ろ手にしばりあげた一人の男をつれてきた。
「ナッシンを捕まえたぞう」
ラカインの兵士たちが叫んだ。
その場にいた全員が、ぎょっとなった。
新たに現れた初老の男のほうに、そろって顔をむける。
中央でダンマ王と隣り合って座っていたアナウペルン王がぶるぶるっと首をふるわせた。
「まさか、噂は本当だったのか」
アナウペルン王は、ミャンマーの前王だった叔父の姿をそこに見た。
ナッシンは独自でデ・ブリトと戦って負けたあと、なんと仏教を捨てたのだ。
そしてキリスト教徒となり、デ・ブリトのもとに走った。
その上、主だった部下とともにシリアムの砦に籠り、連合軍と戦っていたのだ。
すべてが真実だったと、甥のアナウペルン王ははっきり知った。
「なんということだ。デ・ブリトと同等の罪だ」
アナウペルン王は感極まった。
仏教をないがしろにした異教徒とともに、自らの国の民を迫害したのである。しかも、今までその国の盟主であり、王として民を導いていた男だ。
白髪を乱し、上半身裸になった前ミャンマー王のナッシンの変わり果てた姿を、現ミャンマー王のアナウペルンは凝視できなかった。
「デ・ブリトと一緒に殺せ。わしは仏教を捨て、キリスト教徒になったのだ」
ナッシンがアナウペルン王に応える。
「よし、二人で仲好く地獄へおちろ」
アナウペルン王は椅子から立ち上がり、どんと足を踏んだ。
「生きたまま、この世で地獄に落としてやる」
熱心な仏教徒であるアナウペルン王は、怒りの絶頂に達していた。
ためらいはなかった。
「やれ」
アナウペルン王が命じた。
刑使たちが、ナッシンとデ・ブリトを引っ立てた。
見あげる城壁の上に、十字架がならんで立てられた。
勝利軍の陣地から五十メートルほど離れた場所だった。
ナッシンとデ・ブリトが十字架に括りつけられた。
槍をもった兵隊が現れ、それぞれの十字架の下に待機した。
篝火に映え、掲げる兵士の槍の穂先が光った。
穂先は普通の槍よりも細長く、鋭く尖っていた。
十字架を仰ぎ見ていたアナウペルン王が、傍らの部下を促した。
係りの兵が、もった槍を掲げ、ぐるぐると穂先で円を描いた。
十字架の下に立った兵たちが槍をかまえた。
そして腰を落とし、一気に突きあげた。
槍は、十字架に括られたナッシンとデ・ブリトの左下腹から右肩へとねじ込まれた。
串刺しの刑である。わざと心臓をそらしている。
槍は、わざとたった一度の攻撃で終わらせた。
しかし傷は深い。
うめき声があがる。
デ・ブリトたちは、ゆっくり日にちをかけ、悶え苦しみながら死んでゆくのだ。
又兵衛は、これらの光景に、日本で堂々と磔の刑をうけたポルトガル人やイスパニアからきたパードレ(司祭)やイルマン(修道師)たちを重ね合わせた。
ナッシンもデ・ブリトたちも切支丹である。それなりの覚悟はできていたのかもしれない。
5
ナッシンとデ・ブリトたちが処刑されると同時に、ポルトガル人の女性の一団が二人の王のまえに現れた。
デ・ブリトの王宮にいた女性たちだ。
中央にいる金髪の女性の輝きは、明らかにほかの女性とは違っていた。
インドのポルトガル領のゴヤにいるポルトガル総督の娘であり、デ・ブリトの妻だった女性だ。
ここでは、捕虜の女性は、勝った者が自由に扱えた。
「ダンマ王殿、この女性たちは、あなたの自由にしてください」ウペルンは女性の権利をダンマ王に譲った。
「又兵衛とやら、デ・ブリトの妻をつれ帰るがよいぞ」
いきなり、ダンマ王が告げた。
デ・ブリトのポルトガル人の妻は、若く美麗な女性だった。
ダンマ王にしてみれば、手柄をたてた又兵衛への最高の褒美のつもりだった。
もはや又兵衛は護衛隊の隊長ではなく、家臣の一人だった。
断るわけにはいかなかった。
女たちは、手柄を立てた将兵たちに分け与えられた。
女性の処分が決まると、生き残ったポルトガル人の兵士たちが現れた。
ポルトガル兵たちは勇敢に戦い、ほとんどが戦死していた。
それでも六十人ほどが捕えられていた。
「おまえたちはよく戦った。敵ながら天晴れだ。わが国に農地を与えよう。シェイボー県とザガイン県の境に村を造り、そこで生きるがよい」
アナウペルン王の温情だった。
ただし、与えられた場所はミャンマー一暑い不毛の地だった。流刑である。
城壁の呻き声は、三日間つづいた。
呻き声が途切れると、アナウペルン王の命令で、シリアムの砦の破壊が始まった。
ただし、磔の行われた壁は、十字架と遺体とともにそのまま残された。(現在もナッシンの墓がタニンにある)
地獄の責め苦を味わったナッシンとデ・ブリトたちの亡霊は、灼熱の太陽を浴びながら永遠にその場を彷徨のである。
シリアムはもともとラカインの支配地だった。だが、知事であるデ・ブリトが、持っていた野心から下ミャンマーに混乱をもたらしてしまった。
ラカイン王の監督冬樹届きである。
しかし、ミャンマーのアナウペルン王は、その責任をいっさい問わなかった。
10章了
9784
バゴー川の河口は海のようにひろく、普段であれば大小の漁船であふれている。
以前、又兵衛が自前の船でやってきたときは貿易船がびっしりならんでいた。
だが、戦時中のいまはひっそりしている。
デ・ブリト側は海軍を失った。教会や町の半分も破壊された。
しかし、ポルトガル人や兵士たちが住む奥の家々は残っていた。
「又兵衛、なにかサムライの案でもないか」
ダンマ王に聞かれた。
旗艦船の甲板に設けられた屋根だけの天幕に川風が吹き抜けていた。
又兵衛は、膠着した戦況について意見を求められると予測していた。
ラカインの日本人村の運命がかかっていた。
日本人村はすこしずつ豊かになった。毎夜広場で火を囲み、住民たちが集った。
故郷を語り合い、涙をながす者もいた。しかし、だれも帰りたいと訴え者はいなかった。なんとしてもダンマ王に名誉を与えなければならなかった。
又兵衛は、懐から折り畳んだシリアムの地図を取りだした。
又兵衛の部下がまとめたものだった。
ダンマ王は、卓台の上にひろげられた地図を覗いた。お付きの二人も背後から覗く。
地図には、砦の壁の外と内側に、幾つもの赤いバッテンが付いていた。赤いバッテンは内と外で一組になり、それぞれが直線で結ばれていた。
「隧道を掘ったらいかがでしょうか」
又兵衛は、シリアムの砦から離れたバッテンのひとつを示した。
「ここは林の陰になっております。敵から見えないこの場所に穴を掘り、砦の壁の下を潜ってなかに入ります。砦のなかの出口は家畜の飼育場で、一帯には鶏が飼われています」
外側のバッテンから内側のバッテンにむかい、又兵衛は指をなぞった。
艦隊が停泊しているバゴー川側とは正反対の、陸側からの掘削計画だ。
ダンマ王は地図を凝視した。
その顔にかすかな笑みが浮かぶ。
いつも側につきそう総理大臣のジッタは、ミャウーの王宮で留守をあずかっていた。
「又兵衛、よくやった」
王の口から、おどろきの言葉がもれた。
背後についている二人の参謀の男たちの目にも、おどろきの色が浮かんでいる。
「又兵衛、実は我々もその作戦について話し合っていたところだった。過去に、我が国の王がそのような攻め方で成功し、勝利をおさめた戦い方があったからのう」
ダンマ王は大きく頷いて見せる。
「そこで、どのように実際に計画するか議論の最中であった。実は我々がおどろいているのは、この地図が我々のものとほとんど一緒だったからだ。われわれの計画にいま一確証がもてなかった。又兵衛、このとおりにいけるのか?」
「わたしの部下には穴掘りの名人がおります。地質調査もいたしましたが、問題ないそうです」
ダンマ王は、又兵衛が指摘したバッテンとバッテンを結ぶ線を再び目でなぞった。
「日本でやったことがあるのか?」
又兵衛に顔をむけなおした。
「はい、二度ほどあります」
又兵衛はためらわず答えた。
ほう、とダンマ王はうなずき、続けた。
「この場所は、二キロもありそうだぞ」
「はい。でも、ここが最適の場所です」
又兵衛は断言した。
王の護衛を勤め、日本人村で畑を耕し、神に祈りながら過ごしたかった。
だが、そうはいかくなる自分を感じていた。
「ほかにも、なにか案はあるか」
二人が座っている天幕の屋根を、軽く川風があおった。
水攻めという作戦も考えたが、口にはしなかった。
シリアムを堤防で囲んで川を塞ぎ、水を流し込み、砦を水に沈めるのだ。
目の前には、広大な茶色の流れがひろがっていた。
やれないことはなかったが、かなりの時間と手間ひまを必要とした。
「隧道以外の作戦はありません」
ダンマ王は、またゆっくり、又兵衛と地図を見比べた。
「どのくらいで完成するのか」
「一日百メートルを堀ります。抜けるまでは二十日から二十五日くらいかります。長い穴を造るので、兵員は二千五百人ほどが必要です。掘った土は、船で運んで川に捨てます。決行のさいは、急いで補修用の木材を用意してもらわなければなりません」
「あらためて、参謀たちと検討してみよう」
ダンマ王は席を立ち、王の船室のほうに歩きだした。
又兵衛が見せた地図を手にしている。
二人の男とサムライの護衛兵がついていく。
王の船室でじっくり検討するつもりのようだ。
じつは又兵衛はもう一つ、作戦を考えていた。
石の塀をよじ登り、内側から門を開けるのである。
これは、忍びを得意とする何人かの物見がいなければならない。
あの石の塀ならたやすいことです、と一人が言う。
だが、数人で塀を乗りこえても、必ずだれかが犠牲になる。
下手をしたら、又兵衛の部下の大半を失う可能性もあった。
だからこれは、最後の最後の提案としてとっておいた。
再び又兵衛がダンマ王に呼ばれた。
参謀本部の将校たち全員が集まっていた。
「又兵衛、この地図に示された作戦を、参謀本部もあらためて承認した。今後わたしの護衛は、わが近衛兵が勤める。そちたちサムライ隊は、工兵隊となってただちに隧道造りの作戦にとりかかれ。ラカイン工兵隊その他五百がそちの指揮下に入る」
もうなんとしても、負ける側にはいたくなかった。
2
又兵衛たちはラカイン兵と同じ鎧を着け、上陸した。
砦の脇から、湊から見て裏側へ回る。
穴を掘る場所は、ヤカイン軍のウバイ王子の陣地内にあった。
穴造りとはいえ、掘り進めば必然的に敵陣への一番乗りになる。
ラカイン兵が加わるとしても、それがどんなに危険であるかは、よく知っていた。
大阪城を守っていたとき、敵の徳川方が穴を掘って侵入してきた。
入り乱れ、白兵戦になった。敵も味方も多くが死んだ。
「又兵衛とやら、ごくろうである」
白い鎧を纏ったウバイ王子は、顎の尖った若者だった。
何度かシリアムの城壁に突撃し、失敗していた。
長い髪を兜と鎧の隙間から肩にのぞかせ、どこか哲学的だった。
だが、見かけによらず勇敢だった。
ウバイ王子は、又兵衛たちを自軍の陣地のまっただ中に案内した。
「佐助、ここでよいのか」
又兵衛は、背後についている色の黒い小ぶりの男に声をかけた。
「はい。この場所でございます」
その場所は、あらかじめウバイ王子側に連絡してあった。
佐助と呼ばれた男は、すばやく辺りを見回した。隧道の図面を書いたのは佐助だった。
日本にいたとき佐助は、何度かこの方法で敵を攻略し、落城させていた。
敵の城の情報をまとめ、隧道を図面にし、自ら工事を指揮するのである。
その夜から、ラカイン兵とともに穴掘りが始まった。
道具は、鉄の突き棒と大鏝である。天井と壁は木枠や板で補強する。
すぐに助の指導で広間が掘られた。
一日目は、地下広間が掘られた。
天井や壁を補強する材料が、地下広場に運び込まれ、昼間でも通路の掘削作業が可能になった。
目標どおり、一日百メートルが掘られた。
大石に突き当たって迂回したが、作業は順調だった。佐助の測量で、迂回したあとの隧道も真っ直ぐに修正された。
三日が過ぎ、穴は予定通り三百メートルに達した。
土運びや木材の補強員もどんどん増えた。
ミャンマー軍のアナウペルン王が、隧道を視察にきた。
角張った顔で黒髪がふさふさし、眉毛が毛虫のように太かった。
ミャンマーの諸侯が、前王のナッシンを見限って支持したという。
それなりに魅力があるのだろう。
途中まで穴を掘り進めた又兵衛は計画を変更した。出口を二つにしたのである。
シリアムの砦の壁をこえたとき、砦の門にちかい場所に新たに出口を造る計画だった。
いちはやく門を開け、味方の軍を入れるためである。
洞窟内には、二列の人の動きができていた。
入っていく列と、出てくる列である。出てくる列は、二人一組で土を盛ったモッコを担いでいる。
そのほか、木材で天井や壁を補強する者や、穴の先頭で掘削作業を行う者などが行き交う。
作業の効率をはかるため、体力のいる掘削作業員はどんどん交代させた。
外は暑いが、穴のなかは涼しい。
地上では相変わらず、攻めたり、攻められたりの戦いがくり返されていた。
そして、ミャンマー軍のアナウペルン王は、勝ち誇ったかのようにデ・ブリトに降伏状を送りつづけていた。
ラカインのダンマ王も、お雇い外国人の裏切りと、要求された多大な王子の身代金などの恨みを晴らそうと、精力的に攻撃をくりかえしていた。
以前とちがうのは、デ・ブリトの『対等な和平協定なら結ぶ用意がある』という内容の返事だった。
シリアムは完全に包囲されていた。だが、デ・ブリトの態度に弱気はなかった。
隧道が、目的の場所にちかづこうとしていた。
佐助は図面をにらみ、ここまで、とからだに似合わぬ大きな声で先頭の男たちに告げた。
すでに、門を開けるためのもう一つの隧道にも待機が命じられていた。
最後の作業は、十人ほどが長い鉄の棒でいっせいに天井を突き、縦穴を開けることだった。
足元に崩れ落ちてくる土を、下にいる兵士たちが泥に埋まりながら坂の形に仕上げていく作業だ。
空いた穴から突撃隊の兵士たちが、一気に駆けあがれるようにするためだ。
又兵衛は、ダンマ王にときの到来を知らせた。
ヤカイン軍の司令部には、ミャンマー軍の参謀やウバイ王子も交え、作戦会議が開かれた。
総攻撃は夜の十二時と決まった。
南国の晴天の夜は、月が煌々と輝き、星が空一面に瞬く。
総軍、六万がシリアムの砦に押し寄せると同時に、海軍が河口側から大砲を打ち込む。
ミャンマー軍は、砦の門から内部に侵入し、ラカイン軍はシリアムの家畜飼育場から中央部に侵入する。
又兵衛たちは、ラカイン軍の特別捜索隊とともに、デ・ブリトを捕まえる隊に加わることが許された。
サムライ隊は気勢をあげて喜んだ。
「デ・ブリト捕まえるぞ」
「デ・ブリトを捕まえて、サムライ隊が手柄をたてるぞ」
久しぶりの戦争で、張り切っていた。
その夜、隧道に兵士がずっしりとならんだ。
二つの穴の先頭の隊長や各指令部に、同じ大きさの砂時計が渡された。
その砂時計が砂を全部落としたとき、攻撃が開始される。
又兵衛は穴の先端で時をまった。
三十名の男たちが、鉄の突き棒をもって身構える。
松明の炎の影が、穴の底で出番をまつ兵士たちの兜を照らす。
四角い板の上に水平に置かれた砂時計が、最後の一粒を落下させた。
「突け」
佐助のするどい叫びが轟いた。
鉄棒をもった男たちが、頭上の土をいっせいに突く。
砂利が崩れ、下にいる男たちが半分土に埋もれながら、落ちてくる土を坂状に固めていく。
はたして計算どおりの場所に出られるのか。
又兵衛は息をのんだ。
門のちかくのもう一ヶ所の穴も同じ作業が行われている。
遠く大砲の音が響いている。
ラカイン海軍の大砲だ。海側に気をそらすための陽動である。
五分後の突撃と同時に、ぴたりと止むはずだ。
見あげる天井の土が、足元に高く積もっていく。
頭から泥を被りながら、ラカインの兵士が必死に坂道をこしらえていく。
空間が見えた。
穴は、一気にどっと崩れ落ち、星空がひろがった。
3
「出撃―っ」
突撃隊の隊長の鋭い叫び声。
兵隊たちが、目を剥いて坂を駆けのぼった。。
兵をかき分け、一番に飛びだしたのは又兵衛だった。
あとにサムライ隊の隊員がつづく。
運が悪ければ、敵の槍で串刺しか、銃撃で蜂の巣である。
あるいは一刀のもとに切り捨てられる。
いずれにしても死を覚悟の一番乗りだ。
が又兵衛に襲いかかったのは、寝床の竹の棚で安眠をむさぼっていた鶏たちだった。
翼を羽ばたき、鳴き叫び、数百羽という鶏が小屋のなかで入り乱れた。
鶏の羽根が宙に舞う。
とにかく、そこは鶏だらけだった。佐助の計算に間違はなかった。
門のほうで銃撃音がしだした。
ミャンマー隊も外に跳びだしたのだ。
そっちの穴も狙い通りの場所のようだった。
又兵衛たちはラカインの捜索隊百名とともに、デ・ブリトが居住する宮殿を目差した。
全員が手に鉄の盾をもっていた。
砦の上の兵士が撃ってくる鉄砲の弾を盾で避けながら、一団となって進む。
だが、敵の鉄砲の音はしなかった。
砦の外側からは、夜襲をかけている連合軍の喚声が夜空にこだました。
砦の門が開いたようだ。
連合軍の鉄砲隊が侵入し、デ・ブリト軍の兵舎に一斉射撃をおこなっている。
ミャンマー軍の旗を立てた騎馬隊がシリアムの砦内を疾走した。
砦内部は瞬く間に、侵入してきた連合軍であふれた。
起こっている喚声は、すべて連合軍のものだった。
戦争は、勢いのいいほうが勝つ。
ひとたび負けがわかると、抵抗はなくなる。
デ・ブリトの軍のほとんどは、物音さえたてなかった。
夜の夜中、突然、庭から敵が湧きでてきたのだ。
あれほど頑なに出退をくりかえし、巧妙な作戦で敵を翻弄させていたデ・ブリト軍の兵士たちは、沈黙している。
それでも、あちこちから銃の音が轟き、剣の音を響かせた。
集団や個人の白兵戦が起こった。
又兵衛たち特別隊は、王宮をめざして突き進んだ。
そこには王宮を守るポルトガル兵とその部下たちがいた。
ラカイン兵たちが進み出て、銃を撃ち、弓矢を放ちった。
鉄の鎧を纏ったポルトガル兵は、からだが大きく力もあった。
だから、ラカインの兵士は三人、四人がかりである。
シリアムにいるポルトガル兵は千人。
だが、将校として城のあちこちに散っている。一ヶ所に固まっているわけではない。
そのほか、武装した一般民間人のポルトガル人が数百人ほどいた。
又兵衛たちサムライ隊は、背後にラカイン軍の兵士を率い、王宮の奥へと一直線に進んだ。
奥に進むにつれ、抵抗する兵士の姿がすくなくなった。
真夜中の奇襲だ。
デ・ブリトが砦のどこかで軍を指揮しているとは考えられなかった。
王宮の寝室で眠っているにちがいなかった。
ぴかぴかの床に、陶器類の飾りがならび、壁にはポルトガル人たちの絵がかかっていた。
壁に一列になって備えられた松明の火が、ゆらゆらと燃えている。大きな部屋だった。
飛び込んでいったとき、悲鳴が起こった。
そこには三十名ほどの女性がいた。
白人もいたし、土民との混血の者もいた。
みんな夜着のようなものを着ていた。インドのゴアからきた女官たちのようだった。
「デ・ブリトはどこだ」
又兵衛がポルトガル語で叫ぶ。
彼女たちはひとかたまりになり、ただ唇を震わせていた。
答えることができなかった。
「デ・ブリトの部屋はどこだ」
又兵衛は、質問を変えた。
すると奥から、二十名ほどのポルトガル人たちが姿を見せた。
手には剣をもっていた。鎧はまとっていない。
一人に、特別隊の四人、五人が襲いかかる。
ポルトガル人は血だらけになり、床に倒れ、動かなくなった。
ぴかぴかに磨かれた床に血の海がひろがっていく。
又兵衛たちは、次の部屋で一人の男を発見した。
白い衣服の寝巻き姿だった。
眼光はするどいが、小柄で顎が細かった。
「だれだ」
又兵衛が刀をもって身がまえた。デ・ブリトだとは思っていなかった。
すると、背後からラカイン兵が叫んだ。
「デ・ブリトがいたぞう」
「デ・ブリトだ、デ・ブリトだ」
ほかのラカイン兵も叫んだ。
特別隊には、かつて仲間だったデ・ブリトの容姿を知っている者が選ばれていたのだ。
手にした剣を抜いて立ちはだかるデ・ブリトを、百人ほどの兵隊が取り囲んだ。
ダンマ王に命令されていたのは、生け捕りだった。
「剣を捨てろ」
又兵衛は一歩進み出、告げた。
剣以外に武器はもっていなかった。白人にしては小さい。
なんの変哲もない細身の男だ。
町ですれちがっても、記憶に残らない。
デ・ブリトは身じろぎもせず、乱れた髪を額に垂らし、又兵衛を睨んだ。
ポルトガル語を話す兵の出現におどろいたようすだったが、又兵衛のほうも、この男が噂のデ・ブリトかと拍子抜けの面持ちだ。
一旗あげようと遥か遠いポルトガルという国から、給仕という仕事を得、船に乗り、アジアまでやってきた。
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又兵衛が一言はなしかけようとしたとき、デ・ブリトの剣の切っ先が動いた。
又兵衛は、デ・ブリトの胸元に飛び込んだ。
剣を握っているデ・ブリトの右腕を押さえた。デ・ブリトが、自らの喉を突こうとしたのである。
又兵衛の部下やヤカインの兵が、背後から重なった。
4
燃えさかる篝火に照らされ、後ろ手を縛られたデ・ブリトが引き出された。
ミャンマーのアナウペルン王、ラカインのダンマ王と王子のウバイのまえだ。
その背後に、それぞれの家臣たちがならんだ。
今回の戦いで手柄を立てた又兵衛たちとともに 色黒の佐助も末席に加わっていた。
ダンマ王の護衛は、ラカインの近衛兵の仕事になっていた。
デ・ブリトを裁くのは、中央の椅子に座った連合軍の盟主、ミャンマーのアナウペルン王だった。
「なぜ降伏をしなかった」
アナウペルン王が、顎でデ・ブリトをしゃくった。
デ・ブリトは後ろ手に縛られ、二人の王のまえで両膝をついていた。
はだけた白い衣服の胸に茶色の胸毛が渦巻いていた。
デ・ブリトは、アナウペルン王を睨みあげ、唾を吐いた。
「いまさら、なにも言うことはない。殺せ」
「もちろん殺す。だが、ただでは殺さぬ」
角張った顔のアナウペルン王が告げる。
「おまえはパゴダ(仏塔)を破壊し、仏像を潰して大砲を造った。金の仏像は金貨に変えた。ほかの国からきたおまえは、この国の人々が信じている命より大切な仏教とその信者をないがしろにした。その罪がどのくらい重いか、わかっておるのか」
アナウペルン王の声が、一段と高くなった。
隣のダンマ王も、身じろぎもせずデ・ブリトを睨みつけている。
そこへ、ラカインの兵士が縄で後ろ手にしばりあげた一人の男をつれてきた。
「ナッシンを捕まえたぞう」
ラカインの兵士たちが叫んだ。
その場にいた全員が、ぎょっとなった。
新たに現れた初老の男のほうに、そろって顔をむける。
中央でダンマ王と隣り合って座っていたアナウペルン王がぶるぶるっと首をふるわせた。
「まさか、噂は本当だったのか」
アナウペルン王は、ミャンマーの前王だった叔父の姿をそこに見た。
ナッシンは独自でデ・ブリトと戦って負けたあと、なんと仏教を捨てたのだ。
そしてキリスト教徒となり、デ・ブリトのもとに走った。
その上、主だった部下とともにシリアムの砦に籠り、連合軍と戦っていたのだ。
すべてが真実だったと、甥のアナウペルン王ははっきり知った。
「なんということだ。デ・ブリトと同等の罪だ」
アナウペルン王は感極まった。
仏教をないがしろにした異教徒とともに、自らの国の民を迫害したのである。しかも、今までその国の盟主であり、王として民を導いていた男だ。
白髪を乱し、上半身裸になった前ミャンマー王のナッシンの変わり果てた姿を、現ミャンマー王のアナウペルンは凝視できなかった。
「デ・ブリトと一緒に殺せ。わしは仏教を捨て、キリスト教徒になったのだ」
ナッシンがアナウペルン王に応える。
「よし、二人で仲好く地獄へおちろ」
アナウペルン王は椅子から立ち上がり、どんと足を踏んだ。
「生きたまま、この世で地獄に落としてやる」
熱心な仏教徒であるアナウペルン王は、怒りの絶頂に達していた。
ためらいはなかった。
「やれ」
アナウペルン王が命じた。
刑使たちが、ナッシンとデ・ブリトを引っ立てた。
見あげる城壁の上に、十字架がならんで立てられた。
勝利軍の陣地から五十メートルほど離れた場所だった。
ナッシンとデ・ブリトが十字架に括りつけられた。
槍をもった兵隊が現れ、それぞれの十字架の下に待機した。
篝火に映え、掲げる兵士の槍の穂先が光った。
穂先は普通の槍よりも細長く、鋭く尖っていた。
十字架を仰ぎ見ていたアナウペルン王が、傍らの部下を促した。
係りの兵が、もった槍を掲げ、ぐるぐると穂先で円を描いた。
十字架の下に立った兵たちが槍をかまえた。
そして腰を落とし、一気に突きあげた。
槍は、十字架に括られたナッシンとデ・ブリトの左下腹から右肩へとねじ込まれた。
串刺しの刑である。わざと心臓をそらしている。
槍は、わざとたった一度の攻撃で終わらせた。
しかし傷は深い。
うめき声があがる。
デ・ブリトたちは、ゆっくり日にちをかけ、悶え苦しみながら死んでゆくのだ。
又兵衛は、これらの光景に、日本で堂々と磔の刑をうけたポルトガル人やイスパニアからきたパードレ(司祭)やイルマン(修道師)たちを重ね合わせた。
ナッシンもデ・ブリトたちも切支丹である。それなりの覚悟はできていたのかもしれない。
5
ナッシンとデ・ブリトたちが処刑されると同時に、ポルトガル人の女性の一団が二人の王のまえに現れた。
デ・ブリトの王宮にいた女性たちだ。
中央にいる金髪の女性の輝きは、明らかにほかの女性とは違っていた。
インドのポルトガル領のゴヤにいるポルトガル総督の娘であり、デ・ブリトの妻だった女性だ。
ここでは、捕虜の女性は、勝った者が自由に扱えた。
「ダンマ王殿、この女性たちは、あなたの自由にしてください」ウペルンは女性の権利をダンマ王に譲った。
「又兵衛とやら、デ・ブリトの妻をつれ帰るがよいぞ」
いきなり、ダンマ王が告げた。
デ・ブリトのポルトガル人の妻は、若く美麗な女性だった。
ダンマ王にしてみれば、手柄をたてた又兵衛への最高の褒美のつもりだった。
もはや又兵衛は護衛隊の隊長ではなく、家臣の一人だった。
断るわけにはいかなかった。
女たちは、手柄を立てた将兵たちに分け与えられた。
女性の処分が決まると、生き残ったポルトガル人の兵士たちが現れた。
ポルトガル兵たちは勇敢に戦い、ほとんどが戦死していた。
それでも六十人ほどが捕えられていた。
「おまえたちはよく戦った。敵ながら天晴れだ。わが国に農地を与えよう。シェイボー県とザガイン県の境に村を造り、そこで生きるがよい」
アナウペルン王の温情だった。
ただし、与えられた場所はミャンマー一暑い不毛の地だった。流刑である。
城壁の呻き声は、三日間つづいた。
呻き声が途切れると、アナウペルン王の命令で、シリアムの砦の破壊が始まった。
ただし、磔の行われた壁は、十字架と遺体とともにそのまま残された。(現在もナッシンの墓がタニンにある)
地獄の責め苦を味わったナッシンとデ・ブリトたちの亡霊は、灼熱の太陽を浴びながら永遠にその場を彷徨のである。
シリアムはもともとラカインの支配地だった。だが、知事であるデ・ブリトが、持っていた野心から下ミャンマーに混乱をもたらしてしまった。
ラカイン王の監督冬樹届きである。
しかし、ミャンマーのアナウペルン王は、その責任をいっさい問わなかった。
10章了
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