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11 マリは鬼ごっこの最中に消えた
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1
ラカイン軍は戦いを終え、帰国の途についた。
ほとんど無傷の三十隻の艦隊は、ダンマ王の司令艦を中心に、堂々一列縦隊に帆並みをそろえた。
ベンガルの海面にふくらむ波を乗りこえ、各艦はやんわり上下にゆれた。
空はまぶしく暑く、太陽は太古からの営みにはげんでいる。
海は遥かかなたの水平線にゆるやかな半弧の線を描き、空と交わった。
又兵衛たちは功績により護衛隊の任務を解かれ、新たに王の特別隊に加えられた。
王の直接の部下となって王の命令で動く。
又兵衛は王の側近の一人として週に一度王宮にあがる。
そして、他の大臣たちと供に王を取り巻く。しかし、末席である。
波止場には、大勢のミャウーの市民が出迎えていた。
天幕を張った波止場の中央には、王族の一団や高級将校の家族などが集っていた。
中央の天幕から離れた左側の岸壁には、日本人たちや日本人村の家族の一行も姿を見せていた。
少し遅れた分だけ、待ち遠しかったのだろう。
戦死したか生き残ったかは、本人の顔を見なければわからない。
もし無事だとしたらどんな手柄をたて、どんな土産をもってくるのか。
出迎えの人々は固唾を呑み、艦船の甲板に群がる兵士たちを見守っていた。
兵士たちはそれぞれに略奪品や褒章品などの入った袋を手に、艀に乗りこんだ。
上陸がはじまると、岸壁のあちこちから歓声があがった。
サムライ隊も、物見の任務についている数人を残し、全員が上陸した。
王の護衛の任務をとかれ、自由の身になった又兵衛は、何人かの物見をアナウペルン王の周囲に放った。
アナウペルン王がシリアムから首都のペグーにもどれば、物見たちもついていく。
又兵衛はシリアムの戦場で見たアナウペルン王の濃い眉毛と、ぎらつかせた黒目を思い出した。
ナッシン前王に代わり、仏教徒の敵、シリアムのデ・ブリトを討つと宣言しただけで諸侯を味方につけ、王になった男だ。
求心力をもっているだろう。強力な王をもつ隣国は、ラカインにとっては警戒すべき相手なのである。
今回の戦いに参戦した兵士たちは、それぞれに金銀の褒章を受けた。
戦死者にも同じように慰労金が贈られた。
シリアムのデ・ブリトからせしめた金銀が役に立った。
シリアムという貿易港が、いかに豊かな収益をあげていたかの証拠だった。
2
又兵衛は日本人村に隣接した場所に、新たな土地を与えられた。
農地は二倍もの広さになったが、そこにはラカインの住民が住んでいる。
足手まといの感はあるが、農業のやりかたを教えれば収穫は増える。
それから又兵衛は、デ・ブリトの妻だったポルトガル人のベアトリスをつれていた。
戦利品である。滅ぼした相手の王の妻は、第一の功労者に与えられる慣わしだった。
もちろんその女性は、美しくなければならない。
又兵衛からみたら、ベアトリスは白人というだけでそれほど美しいとは思えなかった。
しかし、醜いわけではなかった。肌が白く目が碧く、髪が赤かった。
ベアトリスは、又兵衛がポルトガル語を話す人物だと知ると、碧い目をむけ、言葉を口にした。
「わたしは奴隷の身となりました。覚悟はできております。きちんと務めをはたします。でも、いつか機会があれば父親のいるインドのゴアに帰してください。あなたは日本人で、切支丹だとおうかがいいたしました」
ベアトリスは、インドのポルトガル領、ゴアの総督の娘だ。
ベアトリスの心配は、きちんと妻の役を果たしていないという理由で、奴隷への格下げや他に売られたりする事態だった。
又兵衛は自分の考えをベアトリスに伝えた。
「わたしには妻がいる。だからあなたを妻にする気はない。といって、インドのゴアに送るわけにもいかない。ポルトガル人たちは、ミャンマー人やラカイン人が神聖としている仏教を踏みにじった。その罪とし、生き残ったポルトガル人全員がアナウペルン王の情けでミャンマーの僻地に送られた。機会がきたらわたしはあなたを、あなたの仲間の住むその地につれていくつもりである」
ベアトリスは黙って聞いていた。
3
昨日までお姫様だったうら若き娘が、たった一人、遠い異国で放りだされたのだ。
ミャンマー人やラカイン人の手にわたれば、性的な奴隷扱いにされかねない立場だ。
又兵衛はベアトリスを一時的に預かり、機会をみて仲間と一緒に暮らせるようにしてやることが最良の扱いだと考えた。
ベアトリスは自分の新しい旦那が暴力的でもないし、白人女性に異常な関心をよせているわけでもないと知り、とりあえずは安心したようだった。
遠征から帰ったとき、サディとマリが門の前でまっていた。
村のみんなも集まっていた。
「おかえりなさいあなた」
サディは又兵衛の手をとり、石のように強く握った。
サディは、いつものように長い髪を頭の上に巻きあげ、生の花簪で飾っていた。
黄色い長袖の衣服と腰に巻いた布は、若々しく、くびれた胴と張りのある腰を強調していた。
「おとうさん、おかえりなさい」
横からマリが、又兵衛の腰に抱きついた。
サディとお揃いの黄色い服に腰巻姿だった。
「帰ってきてうれしい」
サディが又兵衛の胸に頬を寄せた。
いつものように生の花簪が又兵衛の鼻腔を心地よくくすぐった。愛おしさが増す瞬間だった。
「おとうさん、わたしもうれしい」
マリも負けずにいった。
長く結った髪を左右にふり、ぐりぐりと額を又兵衛の腰に押しつけた。
ふと又兵衛は、自分を包む異様な空気を感じた。
喜びに湧きたちながらも、村のみんながそっと自分に視線をむけていたのだ。
いや、自分ではなく、又兵衛の背後だった。
又兵衛のうしろには、碧い目で赤い髪の女性がいた。
着ているものもラカイン人とは異なる衣服である。恥ずかしそうに微笑んでいた。
「その人はだれですか?」
サディもさっきから気になっていた。
「ダンマ王から妻にしろと命じられた」
「白人ですね」
「ポルトガル人だ。だが、わたしは妻にする気はない」
又兵衛は、ベアトリスに告げたとおりをサディに話した。
そのときまで屋敷の離れに住まわせ、下女をつけるつもりだ。
ベアトリスは離れに落ち着いた。
下女もすぐにみつかった。以前ポルトガル人の家で働いていた女性だ。
ベアトリスは、屋敷のまえの広場にある教会も気に入ったようすだった。
ポルトガル人の生活から日本人の生活に変り、途惑ってはいたが覚悟はできているようだった。
それでもある夜、相談したいことがある、といってきた。
又兵衛が離れに出向くと、ベアトリスは夜着で布団の上に座っていた。
又兵衛が部屋に入ると、夜着を脱いだ。
真っ白なからだに、たわわな乳房がなにかを待つようにならんでいた。
「わたしはあなたの妻です。一度くらいは抱いてください。わたしは以前、覚悟はできていると申しあげました。そうしないとわたしの気持ちが許しません」
そういって布団の上に仰向けになった。
下腹部にふんわり盛りあがった陰毛が、薄茶に透けた。
「どうしてもというのなら叶えてやってもいいが、いまはその気がない。そのときになったら抱いてやろう。一度抱かれれば気がすむのだな」
ベアトリスの気持ちが又兵衛にはわかった。
今は無視されているのと同じで、妻の役割を果たしていないことになる。
征服者の妻となって、ただ命を長らえている身である。
用のない者はいずれ処分される。
「約束ですよ」
ベアトリスは仰向いた姿勢のまま、碧い目で訴えた。
できればゴアに送り返してやりたかったが、ダンマ王から授かった奴隷である。そう簡単にはいかないのだ。
徴用された又兵衛たちの船が返還された。
さっそく、マラッカ行きの貿易の準備が整えられた。
船大将は、アユタヤで仲間になった茂七である。
まず、西洋の船から買ったペルシャのガラス器具や工芸品、デ・ブリトが蓄えていた宝飾類、香木や綿布、鮫皮や鹿皮など、日本と係わりのある品物が揃えられた。
直接、日本船と取引するわけではなかったが、もしマラッカに御朱印船がきていたらと、日本人村の日本人たちは色めき立った。
それぞれが親類、友人、知人宛に手紙を託すのだ。
奴隷の身では許されなかったが、今は自由だ。
着くかどうかはわからない手紙だった。
それでも、南国での暮らしぶりや日本を恋しく思う気持ちなどを数枚の半紙にしたためた。
シリアムのデ・ブリトは、ミャンマーで王になろうとした。その反乱の責任は、ラカインのダンマ王にある。
だが、ミャンマーのアナウペルン王は、咎めようとはしなかった。
アナウペルン王の目的は、平和だった。そのためには自分の力を他国に向けないこと。そして自国ではビルマ族、シャン族、モン族の三種族を平等に扱い、国内の安定と平和を求めた。
4
日本人村では──。
子供たちが遊んでいる。隠れんぼでも鬼ごっこでもない。
子供たちは、『じんとり』と呼んでいた。陣取りである。
一種の戦争ごっこだった。
わーと声をあげ、子供たちの集団が、日本人村のなかを行ったり来たりする。
集団は五つになったり、三つになったり、二つになったり、常に変化をした。
子供たちは手に、笹の葉のついた竹の枝をもっている。それが刀の代わりだった。
「切った」
といって相手を切れば、その者は自分の家来になる。
切られた者は、切った者の家来になる。
集団にはそれぞれに陣地があり、鉢巻をした大将がいた。
陣地は、大将がここだと決めた場所でよかった。
大きな木の下だったり、教会のまえの石の祠だったり、日本人村の入り口の門だったりした。
東や西に、敵と離れた適当な場所がそれぞれに選ばれた。
大将は、必然的に腕力のある年上の男の子がなった。
その男の子に混じって、女の子の大将が一人いた。マリである。
親方様の娘だから大将になったのではない。子供たちの遊びに、親の身分は関係なかった。
マリは敵の大将を切り、実力で大将になったのだ。
マリは陣取りに夢中になった。
切ったり切られたり、追ったり追われたり、敵陣を襲ったり襲われたりする。
教会まえの自分の陣地から、西へ、東へと走りまわる。
ときには日本人村を離れ、逃げた敵を追い、隣村まで遠征した。
小柄な女の子は、襷をかけ、腰に短い木刀を差し、本物のサムライのようだった。
えい、やあ、と掛け声とともに簡単に相手をやっつけてしまう。
しかし、いくら大将が強くても子分の独占は不可能だった。
子分に強い者がそろっているわけではないのだ。
すぐに切られ、敵になってしまう。
又兵衛には、屋敷の外で騒ぐ子供達の声や足音を聞いただけで、情勢が判断できた。
サディがマリに言いきかせた。
「女の子はそんな遊びをしてはいけません」
だが、マリは大きな目を見開き、小さな肩をせいいっぱい怒らせて答えた。
「わたしは女の子だけど、大きくなったらサムライになって、お父さんのお手伝いをします。だからいいんです。いまにこの村のみんなを子分にしてみせます」
襷をかけ、鉢巻をし、毎日出撃した。
マリが家を出ていくと、広場から、えいえいおう、と掛け声が起こった。
すると、遠くからもほかの集団のかけ声が響いた。
あくまでも遊びであるが、本気のところがあるから面白いのだ。
5
又兵衛は、マリの声だけがずっと聞こえていないことに気づいた。
屋敷の塀沿いの路を子供たちが行き来しているが、マリの声だけが途絶えていた。
敵を追って隣村まででかけたのだろうか、と又兵衛は耳を澄ましてみた。
裏の方から聞こえる声にもマリは混じっていない。
きっと遠征だな、と又兵衛は思った。
新しく手に入れた田んぼの土地と、西側に隣接した新しい村を調査した報告書ができていた。
田んぼのほうはあとまわしにするとして、新しい村には人が住んでいる。
そのまましばらく放っておいてもいいが、なるべく早く農業の指導しなければならない。
書類に目を通し、夢中になっていた。
又兵衛は顔をあげ、耳をすましてみた。
子供たちの声がしていなかった。
遊びの時間が終わったのである。
もう午後の五時半ちかくになっていた。いつもその時間に子供達の声が止む。
合戦とはいえ、やはり遊びなのである。
さようなら、またあした、とみんなで口々に声をかけあい、帰宅する。
そして、帰りましたとマリが又兵衛の部屋に挨拶にくる。
時間は厳守だった。
又兵衛は立ちあがり、障子を開けた。
外はまだ活気に満ちていたが、明らかに鎮まりの気配があった。
「サディ」
又兵衛は隣の部屋の妻を呼んだ。
サディが花簪をつけた姿で現れた。
「マリはどうした?」
サディは、え? という顔をした。
「あなたの部屋で、お話でもしているものと思っていました」
サディは、おどろき顔のまま廊下を走りだした。
門番のところへいったが、すぐにもどってきた。
帰っていない、と又兵衛に告げた。
こんどは又兵衛が廊下を走った。
又兵衛は屋敷の門から出、広場に立ってみた。教会のまえである。
陣取り遊びの子供達の姿は、とっくに消えていた。サディも横に立った。
「さっきからマリの声が聞こえていなかった」
「遠くにでかけ、路に迷ったのかしら?」
マリは、自分の特殊な目の色について理解していた。
夜や暗闇のなかにいる自分を、他人に見られてはならないと承知していた。
もし、なにかの事情で暗い場所に立つような事態になったら、腰の帯紐をほどき、深く覆面をしろと命じていた。
又兵衛とサディは、教会のまえで待った。
所用を終え屋敷詰めの部下が、どうしたのですか、と聞いてきた。
マリがいなくなったのだと説明すると、ちかくの家に住む部下たちも出てきた。
マリは親方様の一人娘である。
みんなは、特別に育てられている妾の娘であると、心得ていた。
十人ほどの男たちが、マリをさがしに村を歩きまわった。
三十分しても発見できなかった。
その日、最後にマリと対決した大将が見つかった。
その大将は、日本人村の門のちかくに生えた菩提樹を陣地としていた。
マリたちに攻められ、大将は、日本人村とは反対側のラカイン人の村に逃げ込んだ。
マリは追ってきた。大将はその村をぐるっと回り、もどってきた。
今度は、マリは追ってこなかった。
菩提樹の大将はマリの攻撃をかわし、ほっとした。
だが、すぐに新たな敵の攻撃を受けた。
反撃し、敵を倉庫の大扉のまえまで追い詰めた。
いったりきたり、攻めたり攻められたり、その日も大忙しだった。
菩提樹の大将はマリがとっくに隣村からもどり、いつもの教会まえの陣地で家来たちに守られていると思っていた。
教会まえのマリの部下たちも、いつもの単独攻撃ででかけているのだろう、とマリの不在を気にしなかった。
制限時間になり、またあしたと声をかけあい、遊びは解散した。
またあしたの声がかかると、いつなんどきであろうと、みんなはぴたりと遊びを終えた。
そして、家路についた。
日本人村にはなかったが、この国では子供が攫われる事件は日常茶飯事だった。
だから、暗くなったら子供は決して外には出さなかった。
又兵衛の部下たちが、隣のラカイン人の村までいき、一軒一軒を訊き回った。
入口ちかくの数軒の家人が、マリを見たといった。
が、それきり消息が途絶えた。
門番が気付かないうち、なかに入っているのではないかと屋敷内も探した。
物珍しさにポルトガル人の妻であるベアトリスの部屋に入り、そのまま話しこんでいるのではと又兵衛がのぞきにいった。
マリの姿はなかった。
思わぬ又兵衛の訪問を受けたベアトリスが、いつわたしを抱いてくれるのかと真顔で聞いた。その約束をいまだ果たしていない自分に、気づいただけだった。
薄暮がやってきた。
さらに人数を増やし、隣接する村々を探した。
又兵衛の部下は、その手の偵察は得意だった。だが、なにも掴めなかった。
間違いなくマリはどこかに消えてしまったのだ。
マリの正体がばれているようすはなかった。
万が一の推測だが、マリが陣取り合戦に夢中になっている最中、どこかで暗がりに隠れた。
それをだれかに見られ、その誰かがマリの目が赤かったと話した。
いつしか、王室の占い師のチョチョの耳に入った。
チョチョは即座に人に命じた。
そして陣取り合戦にかこつけ、人知れずに処理した──。
サムライたちも動員された。
川に落ちた、なにかの事故で藪のなかに倒れている、穴にはまった、湿地や池などで動けなくなっている──などくまなく調べた。
市場や人の集まるパゴダなど、王宮内の主だった場所へも足をのばした。
渡しの船頭からも、見なれぬ人間の出入りがあったかなどを聞いた。
王宮の背後にひろがる町には、大勢の人々が住んでいた。
正門のほかに設けられた三ヶ所の門は、厳重に警備されている。
各門の衛兵たちは、断じてマリのような少女は見かけなかったと証言した。
町のなかは碁盤の目のように区画され、辻々に小舎が建ち、辻番が表に立っていた。
この辻小舎は一区画千人余りの住民を見守り、これが城下に三十ヶ所ほどあった。
又兵衛の部下たちは、手分けをして辻小舎すべてを当たった。
だが、答えは門衛と同じだった。
とにかく、町の住民の一人一人の顔がわかる、という四つの門の門衛たちの証言は、かなり信憑性があった。
三日目になり、捜索は一応打ち切りになった。
マリは神隠しにあってしまった。
11章了
●まだ完成していませんが、ここで一言。●
この物語は、事実に即した部分と憶測の部分で書かれています。
それは、ミャンマーに渡ったサムライたちがキリシタンだったということ以外、日本のどこから来てどのように生きてきたかの記録が皆無だからです。
ただ、現地の王に仕えた四十人の侍たちと会見した白人宣教師の記録が残っているだけなのです。
したがって物語は、歴史的な事実を描いている訳ではありません。
小説である限り、当たり前だとも言えますが、その点をご理解いただきたく、ここに追記させていただきます
最後に、現在のミャンマーには政治的な対立、民族的な対立などが見受けられるようですが、物語とは一切関係ありません。
(2024年3月14日)
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ラカイン軍は戦いを終え、帰国の途についた。
ほとんど無傷の三十隻の艦隊は、ダンマ王の司令艦を中心に、堂々一列縦隊に帆並みをそろえた。
ベンガルの海面にふくらむ波を乗りこえ、各艦はやんわり上下にゆれた。
空はまぶしく暑く、太陽は太古からの営みにはげんでいる。
海は遥かかなたの水平線にゆるやかな半弧の線を描き、空と交わった。
又兵衛たちは功績により護衛隊の任務を解かれ、新たに王の特別隊に加えられた。
王の直接の部下となって王の命令で動く。
又兵衛は王の側近の一人として週に一度王宮にあがる。
そして、他の大臣たちと供に王を取り巻く。しかし、末席である。
波止場には、大勢のミャウーの市民が出迎えていた。
天幕を張った波止場の中央には、王族の一団や高級将校の家族などが集っていた。
中央の天幕から離れた左側の岸壁には、日本人たちや日本人村の家族の一行も姿を見せていた。
少し遅れた分だけ、待ち遠しかったのだろう。
戦死したか生き残ったかは、本人の顔を見なければわからない。
もし無事だとしたらどんな手柄をたて、どんな土産をもってくるのか。
出迎えの人々は固唾を呑み、艦船の甲板に群がる兵士たちを見守っていた。
兵士たちはそれぞれに略奪品や褒章品などの入った袋を手に、艀に乗りこんだ。
上陸がはじまると、岸壁のあちこちから歓声があがった。
サムライ隊も、物見の任務についている数人を残し、全員が上陸した。
王の護衛の任務をとかれ、自由の身になった又兵衛は、何人かの物見をアナウペルン王の周囲に放った。
アナウペルン王がシリアムから首都のペグーにもどれば、物見たちもついていく。
又兵衛はシリアムの戦場で見たアナウペルン王の濃い眉毛と、ぎらつかせた黒目を思い出した。
ナッシン前王に代わり、仏教徒の敵、シリアムのデ・ブリトを討つと宣言しただけで諸侯を味方につけ、王になった男だ。
求心力をもっているだろう。強力な王をもつ隣国は、ラカインにとっては警戒すべき相手なのである。
今回の戦いに参戦した兵士たちは、それぞれに金銀の褒章を受けた。
戦死者にも同じように慰労金が贈られた。
シリアムのデ・ブリトからせしめた金銀が役に立った。
シリアムという貿易港が、いかに豊かな収益をあげていたかの証拠だった。
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又兵衛は日本人村に隣接した場所に、新たな土地を与えられた。
農地は二倍もの広さになったが、そこにはラカインの住民が住んでいる。
足手まといの感はあるが、農業のやりかたを教えれば収穫は増える。
それから又兵衛は、デ・ブリトの妻だったポルトガル人のベアトリスをつれていた。
戦利品である。滅ぼした相手の王の妻は、第一の功労者に与えられる慣わしだった。
もちろんその女性は、美しくなければならない。
又兵衛からみたら、ベアトリスは白人というだけでそれほど美しいとは思えなかった。
しかし、醜いわけではなかった。肌が白く目が碧く、髪が赤かった。
ベアトリスは、又兵衛がポルトガル語を話す人物だと知ると、碧い目をむけ、言葉を口にした。
「わたしは奴隷の身となりました。覚悟はできております。きちんと務めをはたします。でも、いつか機会があれば父親のいるインドのゴアに帰してください。あなたは日本人で、切支丹だとおうかがいいたしました」
ベアトリスは、インドのポルトガル領、ゴアの総督の娘だ。
ベアトリスの心配は、きちんと妻の役を果たしていないという理由で、奴隷への格下げや他に売られたりする事態だった。
又兵衛は自分の考えをベアトリスに伝えた。
「わたしには妻がいる。だからあなたを妻にする気はない。といって、インドのゴアに送るわけにもいかない。ポルトガル人たちは、ミャンマー人やラカイン人が神聖としている仏教を踏みにじった。その罪とし、生き残ったポルトガル人全員がアナウペルン王の情けでミャンマーの僻地に送られた。機会がきたらわたしはあなたを、あなたの仲間の住むその地につれていくつもりである」
ベアトリスは黙って聞いていた。
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昨日までお姫様だったうら若き娘が、たった一人、遠い異国で放りだされたのだ。
ミャンマー人やラカイン人の手にわたれば、性的な奴隷扱いにされかねない立場だ。
又兵衛はベアトリスを一時的に預かり、機会をみて仲間と一緒に暮らせるようにしてやることが最良の扱いだと考えた。
ベアトリスは自分の新しい旦那が暴力的でもないし、白人女性に異常な関心をよせているわけでもないと知り、とりあえずは安心したようだった。
遠征から帰ったとき、サディとマリが門の前でまっていた。
村のみんなも集まっていた。
「おかえりなさいあなた」
サディは又兵衛の手をとり、石のように強く握った。
サディは、いつものように長い髪を頭の上に巻きあげ、生の花簪で飾っていた。
黄色い長袖の衣服と腰に巻いた布は、若々しく、くびれた胴と張りのある腰を強調していた。
「おとうさん、おかえりなさい」
横からマリが、又兵衛の腰に抱きついた。
サディとお揃いの黄色い服に腰巻姿だった。
「帰ってきてうれしい」
サディが又兵衛の胸に頬を寄せた。
いつものように生の花簪が又兵衛の鼻腔を心地よくくすぐった。愛おしさが増す瞬間だった。
「おとうさん、わたしもうれしい」
マリも負けずにいった。
長く結った髪を左右にふり、ぐりぐりと額を又兵衛の腰に押しつけた。
ふと又兵衛は、自分を包む異様な空気を感じた。
喜びに湧きたちながらも、村のみんながそっと自分に視線をむけていたのだ。
いや、自分ではなく、又兵衛の背後だった。
又兵衛のうしろには、碧い目で赤い髪の女性がいた。
着ているものもラカイン人とは異なる衣服である。恥ずかしそうに微笑んでいた。
「その人はだれですか?」
サディもさっきから気になっていた。
「ダンマ王から妻にしろと命じられた」
「白人ですね」
「ポルトガル人だ。だが、わたしは妻にする気はない」
又兵衛は、ベアトリスに告げたとおりをサディに話した。
そのときまで屋敷の離れに住まわせ、下女をつけるつもりだ。
ベアトリスは離れに落ち着いた。
下女もすぐにみつかった。以前ポルトガル人の家で働いていた女性だ。
ベアトリスは、屋敷のまえの広場にある教会も気に入ったようすだった。
ポルトガル人の生活から日本人の生活に変り、途惑ってはいたが覚悟はできているようだった。
それでもある夜、相談したいことがある、といってきた。
又兵衛が離れに出向くと、ベアトリスは夜着で布団の上に座っていた。
又兵衛が部屋に入ると、夜着を脱いだ。
真っ白なからだに、たわわな乳房がなにかを待つようにならんでいた。
「わたしはあなたの妻です。一度くらいは抱いてください。わたしは以前、覚悟はできていると申しあげました。そうしないとわたしの気持ちが許しません」
そういって布団の上に仰向けになった。
下腹部にふんわり盛りあがった陰毛が、薄茶に透けた。
「どうしてもというのなら叶えてやってもいいが、いまはその気がない。そのときになったら抱いてやろう。一度抱かれれば気がすむのだな」
ベアトリスの気持ちが又兵衛にはわかった。
今は無視されているのと同じで、妻の役割を果たしていないことになる。
征服者の妻となって、ただ命を長らえている身である。
用のない者はいずれ処分される。
「約束ですよ」
ベアトリスは仰向いた姿勢のまま、碧い目で訴えた。
できればゴアに送り返してやりたかったが、ダンマ王から授かった奴隷である。そう簡単にはいかないのだ。
徴用された又兵衛たちの船が返還された。
さっそく、マラッカ行きの貿易の準備が整えられた。
船大将は、アユタヤで仲間になった茂七である。
まず、西洋の船から買ったペルシャのガラス器具や工芸品、デ・ブリトが蓄えていた宝飾類、香木や綿布、鮫皮や鹿皮など、日本と係わりのある品物が揃えられた。
直接、日本船と取引するわけではなかったが、もしマラッカに御朱印船がきていたらと、日本人村の日本人たちは色めき立った。
それぞれが親類、友人、知人宛に手紙を託すのだ。
奴隷の身では許されなかったが、今は自由だ。
着くかどうかはわからない手紙だった。
それでも、南国での暮らしぶりや日本を恋しく思う気持ちなどを数枚の半紙にしたためた。
シリアムのデ・ブリトは、ミャンマーで王になろうとした。その反乱の責任は、ラカインのダンマ王にある。
だが、ミャンマーのアナウペルン王は、咎めようとはしなかった。
アナウペルン王の目的は、平和だった。そのためには自分の力を他国に向けないこと。そして自国ではビルマ族、シャン族、モン族の三種族を平等に扱い、国内の安定と平和を求めた。
4
日本人村では──。
子供たちが遊んでいる。隠れんぼでも鬼ごっこでもない。
子供たちは、『じんとり』と呼んでいた。陣取りである。
一種の戦争ごっこだった。
わーと声をあげ、子供たちの集団が、日本人村のなかを行ったり来たりする。
集団は五つになったり、三つになったり、二つになったり、常に変化をした。
子供たちは手に、笹の葉のついた竹の枝をもっている。それが刀の代わりだった。
「切った」
といって相手を切れば、その者は自分の家来になる。
切られた者は、切った者の家来になる。
集団にはそれぞれに陣地があり、鉢巻をした大将がいた。
陣地は、大将がここだと決めた場所でよかった。
大きな木の下だったり、教会のまえの石の祠だったり、日本人村の入り口の門だったりした。
東や西に、敵と離れた適当な場所がそれぞれに選ばれた。
大将は、必然的に腕力のある年上の男の子がなった。
その男の子に混じって、女の子の大将が一人いた。マリである。
親方様の娘だから大将になったのではない。子供たちの遊びに、親の身分は関係なかった。
マリは敵の大将を切り、実力で大将になったのだ。
マリは陣取りに夢中になった。
切ったり切られたり、追ったり追われたり、敵陣を襲ったり襲われたりする。
教会まえの自分の陣地から、西へ、東へと走りまわる。
ときには日本人村を離れ、逃げた敵を追い、隣村まで遠征した。
小柄な女の子は、襷をかけ、腰に短い木刀を差し、本物のサムライのようだった。
えい、やあ、と掛け声とともに簡単に相手をやっつけてしまう。
しかし、いくら大将が強くても子分の独占は不可能だった。
子分に強い者がそろっているわけではないのだ。
すぐに切られ、敵になってしまう。
又兵衛には、屋敷の外で騒ぐ子供達の声や足音を聞いただけで、情勢が判断できた。
サディがマリに言いきかせた。
「女の子はそんな遊びをしてはいけません」
だが、マリは大きな目を見開き、小さな肩をせいいっぱい怒らせて答えた。
「わたしは女の子だけど、大きくなったらサムライになって、お父さんのお手伝いをします。だからいいんです。いまにこの村のみんなを子分にしてみせます」
襷をかけ、鉢巻をし、毎日出撃した。
マリが家を出ていくと、広場から、えいえいおう、と掛け声が起こった。
すると、遠くからもほかの集団のかけ声が響いた。
あくまでも遊びであるが、本気のところがあるから面白いのだ。
5
又兵衛は、マリの声だけがずっと聞こえていないことに気づいた。
屋敷の塀沿いの路を子供たちが行き来しているが、マリの声だけが途絶えていた。
敵を追って隣村まででかけたのだろうか、と又兵衛は耳を澄ましてみた。
裏の方から聞こえる声にもマリは混じっていない。
きっと遠征だな、と又兵衛は思った。
新しく手に入れた田んぼの土地と、西側に隣接した新しい村を調査した報告書ができていた。
田んぼのほうはあとまわしにするとして、新しい村には人が住んでいる。
そのまましばらく放っておいてもいいが、なるべく早く農業の指導しなければならない。
書類に目を通し、夢中になっていた。
又兵衛は顔をあげ、耳をすましてみた。
子供たちの声がしていなかった。
遊びの時間が終わったのである。
もう午後の五時半ちかくになっていた。いつもその時間に子供達の声が止む。
合戦とはいえ、やはり遊びなのである。
さようなら、またあした、とみんなで口々に声をかけあい、帰宅する。
そして、帰りましたとマリが又兵衛の部屋に挨拶にくる。
時間は厳守だった。
又兵衛は立ちあがり、障子を開けた。
外はまだ活気に満ちていたが、明らかに鎮まりの気配があった。
「サディ」
又兵衛は隣の部屋の妻を呼んだ。
サディが花簪をつけた姿で現れた。
「マリはどうした?」
サディは、え? という顔をした。
「あなたの部屋で、お話でもしているものと思っていました」
サディは、おどろき顔のまま廊下を走りだした。
門番のところへいったが、すぐにもどってきた。
帰っていない、と又兵衛に告げた。
こんどは又兵衛が廊下を走った。
又兵衛は屋敷の門から出、広場に立ってみた。教会のまえである。
陣取り遊びの子供達の姿は、とっくに消えていた。サディも横に立った。
「さっきからマリの声が聞こえていなかった」
「遠くにでかけ、路に迷ったのかしら?」
マリは、自分の特殊な目の色について理解していた。
夜や暗闇のなかにいる自分を、他人に見られてはならないと承知していた。
もし、なにかの事情で暗い場所に立つような事態になったら、腰の帯紐をほどき、深く覆面をしろと命じていた。
又兵衛とサディは、教会のまえで待った。
所用を終え屋敷詰めの部下が、どうしたのですか、と聞いてきた。
マリがいなくなったのだと説明すると、ちかくの家に住む部下たちも出てきた。
マリは親方様の一人娘である。
みんなは、特別に育てられている妾の娘であると、心得ていた。
十人ほどの男たちが、マリをさがしに村を歩きまわった。
三十分しても発見できなかった。
その日、最後にマリと対決した大将が見つかった。
その大将は、日本人村の門のちかくに生えた菩提樹を陣地としていた。
マリたちに攻められ、大将は、日本人村とは反対側のラカイン人の村に逃げ込んだ。
マリは追ってきた。大将はその村をぐるっと回り、もどってきた。
今度は、マリは追ってこなかった。
菩提樹の大将はマリの攻撃をかわし、ほっとした。
だが、すぐに新たな敵の攻撃を受けた。
反撃し、敵を倉庫の大扉のまえまで追い詰めた。
いったりきたり、攻めたり攻められたり、その日も大忙しだった。
菩提樹の大将はマリがとっくに隣村からもどり、いつもの教会まえの陣地で家来たちに守られていると思っていた。
教会まえのマリの部下たちも、いつもの単独攻撃ででかけているのだろう、とマリの不在を気にしなかった。
制限時間になり、またあしたと声をかけあい、遊びは解散した。
またあしたの声がかかると、いつなんどきであろうと、みんなはぴたりと遊びを終えた。
そして、家路についた。
日本人村にはなかったが、この国では子供が攫われる事件は日常茶飯事だった。
だから、暗くなったら子供は決して外には出さなかった。
又兵衛の部下たちが、隣のラカイン人の村までいき、一軒一軒を訊き回った。
入口ちかくの数軒の家人が、マリを見たといった。
が、それきり消息が途絶えた。
門番が気付かないうち、なかに入っているのではないかと屋敷内も探した。
物珍しさにポルトガル人の妻であるベアトリスの部屋に入り、そのまま話しこんでいるのではと又兵衛がのぞきにいった。
マリの姿はなかった。
思わぬ又兵衛の訪問を受けたベアトリスが、いつわたしを抱いてくれるのかと真顔で聞いた。その約束をいまだ果たしていない自分に、気づいただけだった。
薄暮がやってきた。
さらに人数を増やし、隣接する村々を探した。
又兵衛の部下は、その手の偵察は得意だった。だが、なにも掴めなかった。
間違いなくマリはどこかに消えてしまったのだ。
マリの正体がばれているようすはなかった。
万が一の推測だが、マリが陣取り合戦に夢中になっている最中、どこかで暗がりに隠れた。
それをだれかに見られ、その誰かがマリの目が赤かったと話した。
いつしか、王室の占い師のチョチョの耳に入った。
チョチョは即座に人に命じた。
そして陣取り合戦にかこつけ、人知れずに処理した──。
サムライたちも動員された。
川に落ちた、なにかの事故で藪のなかに倒れている、穴にはまった、湿地や池などで動けなくなっている──などくまなく調べた。
市場や人の集まるパゴダなど、王宮内の主だった場所へも足をのばした。
渡しの船頭からも、見なれぬ人間の出入りがあったかなどを聞いた。
王宮の背後にひろがる町には、大勢の人々が住んでいた。
正門のほかに設けられた三ヶ所の門は、厳重に警備されている。
各門の衛兵たちは、断じてマリのような少女は見かけなかったと証言した。
町のなかは碁盤の目のように区画され、辻々に小舎が建ち、辻番が表に立っていた。
この辻小舎は一区画千人余りの住民を見守り、これが城下に三十ヶ所ほどあった。
又兵衛の部下たちは、手分けをして辻小舎すべてを当たった。
だが、答えは門衛と同じだった。
とにかく、町の住民の一人一人の顔がわかる、という四つの門の門衛たちの証言は、かなり信憑性があった。
三日目になり、捜索は一応打ち切りになった。
マリは神隠しにあってしまった。
11章了
●まだ完成していませんが、ここで一言。●
この物語は、事実に即した部分と憶測の部分で書かれています。
それは、ミャンマーに渡ったサムライたちがキリシタンだったということ以外、日本のどこから来てどのように生きてきたかの記録が皆無だからです。
ただ、現地の王に仕えた四十人の侍たちと会見した白人宣教師の記録が残っているだけなのです。
したがって物語は、歴史的な事実を描いている訳ではありません。
小説である限り、当たり前だとも言えますが、その点をご理解いただきたく、ここに追記させていただきます
最後に、現在のミャンマーには政治的な対立、民族的な対立などが見受けられるようですが、物語とは一切関係ありません。
(2024年3月14日)
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