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4 聖人候補の領地経営

775 侯爵令嬢の失望

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775

「え? ……領地での、し……施策でございますか?」

思いもかけない質問に、マーゴット伯爵は硬直していた。彼は自領にほとんど行くことがなく、領地に関する書類などろくに読まずにサインするだけ。実の所、侍従の方が領地のことにはよほど詳しい。だが、侯爵令嬢の前で、侍従に自分の領地について聞くわけにもいかず、かといって彼自身が話せることは何もなかった。マーゴット伯爵の詩歌や美辞麗句、貴族的趣味に関する話題やゴシップ以外の語彙力は、著しく低かったのだ。

「ええ、私も領地でのお仕事って具体的にはあまり知らなかったのですけれど、メイロードはとてもいろいろなことをしているのよ。領内中の道路を整備したり、〝誘致〟って言ってたかしら……必要な技術を持った人や工房に好条件を提示して、領内に呼び寄せたりもしているのですって。
それに、あちこちに学校を建てたり、小さな子供たちのための育児支援施設と併設の幼稚園という場所も作っているの。そこで子供たちに文字や計算を教えながら、仕事に忙しくて子供たちの世話ができない人たちを助けているのですって。

ご存知? 街の人たちには、子供の面倒を見てくれる乳母や手伝いがいないのよ。そんなこと、私考えてもみなかった」

貴族の常識しか知らなかったアリーシアにとって、このマリス領でメイロードとともに庶民の生活に触れながら暮らすことは驚きの連続だった。やんごとなき侯爵令嬢は、おそらくこんな機会がなければ一生パレスの社交界しか知らずに暮らしていたかもしれない。

「それにメイロードは本当に料理が上手なの! 毎日メイロードが作ってくれる食事は初めて食べるものばかり。いまは〝地方料理研究会〟っていうのを、領地のあちこちの街に作って、地物の素材を使ったいろいろな料理を考えて教えたり、その作り方も公開しているんですって。この間作ってくれた地元名産のキノコの〝あひーじょ〟は絶品だったわ~」

「はぁ……そうなのでございますか」

社交界ではしゃべりすぎなぐらい饒舌に人々の間を泳いでいるマーゴット伯爵、だがその姿と違い、どうにも歯切れが悪く口数の少ない様子に、アリーシアは不思議そうに聞く。

「確かマーゴット伯爵家はお金を貸したりするお仕事をしてらっしゃるのよね。それじゃ、領地の方々をそのお仕事で助けていらっしゃるのかしら?」

「いえ、そんなことはございません。利子は誰でも平等に支払うべきもの。特別扱いなどはいたしませんね」

下手な口約束などしないよう、マーゴット伯爵は幼いときからこれだけは叩き込まれていた。

「それじゃ、マーゴット伯爵は領地の方たちのために、便宜は図らないのね……」

アリーシアはさらに不思議そうに聞く。

「メイロードは少額融資というのを領民たちを対象に始めたそうなんだけど、こうしたこともしていないのかしら!」

「少……額……融資? で、ございますか……いや、それは……」

メイロードは100ポルを限度とするとする少額融資を始めていた。この融資に利息はなく、面接での事業計画が認められれば、年齢性別に関係なく、即時融資が可能というものだ。

「貧しい人たちは、何かを始める一歩を踏み出すためのお金がないのですって。そういう人たちに、仕事を始めるための資金を用意してあげれば、貧しい人たちが減り、いずれは税収も増え、結果的に領地のためのなるのだとメイロードは言っていたわ」

「利子がない?」
「ええ、でも与えるんじゃなくて貸すの。返還されたお金は新たな人へ貸し付けられるそうよ」
「いやそれでは利益が……」
「メイロードが、そんな目先の利益のために、少額融資をするわけがないでしょ。全部領民のためなの!」

アリーシアは少し残念そうな顔になっている。

メイロードは屋台や飲食店で生計を立てようとする人たちのために、料理研究会で集めた各地の料理の作り方を詳しいレシピに起こして公開したり、商人としての最低限の知識が学べる無料の勉強会も定期的に行なっている。

この街に活気があり、たくさんの商店や屋台があるのも、このメイロードの政策があるからなのだった。

「マーゴット伯爵がいつもパレスにいらっしゃるのは、それもまた領地のためなのかと思っていましたけれど、そうではないのかしら? あなたからマリス領とは別の領地運営の様子をお伺いできるかと思ったのですけれど、マーゴット伯爵領について、あまりご存知ではないみたい」

「いや……それは……」

アリーシアは〝パレスの貴公子〟がどうやらメイロードのように才気煥発な人物ではなかったことに気づき、すっかり興味を失ってしまった様子だ。

「私も似たようなものですけれど、これからはもっとしっかり考えるつもりです。パレスにいるとなかなか気づくことができませんでしたけれど、ここへきてわかりましたの。
私もメイロードのように、領民や家の者に敬愛される貴族になりたいのです。とてもメイロードのようにはできないとは思いますけれど、メイロードは、私にその気持ちがあるのなら大丈夫だと言ってくれましたしね」

「領民に……ですか……」

領地とは祭りや式典があるときだけ帰る田舎者たちが住む場所ぐらいにしか考えていないマーゴット伯爵は、いままで領民に好かれたいなどと思ったこともなく、社交界の次世代の華、侯爵令嬢アリーシアから、そんな言葉が出てきたことに、戸惑うしかなかった。

笑顔で立ち上がったアリーシアは、マーゴットに挨拶をした。

「晩餐をご一緒しようかと思っていたのですけれど、荷造りもありますので、今回はこれで失礼いたしますわね。私はメイロードが帰ってきたら、おじいさまのいるドール侯爵領へ向かいます。ちゃんと領地を見ておかなければ、何もできませんものね」

「……」

「では、私は出かけます。メイロードに幼稚園の子供たちへの読み聞かせを頼まれているので。さようならマーゴット伯爵、良い旅を。ごきげんよう」

せめてドール侯爵家と親しくなりたいと考えていたマーゴット伯爵だったが、図らずも侯爵令嬢をがっかりさせてしまい、先手を打たれて得意な社交術が使える会食すらできなくなってしまった。

「何だということだ! こんな子供に黙らされるなんて! 領地運営? なんなんだそれは?」

地団駄を踏む主人を見ながら、家令のドーソンは軽くため息をついていた。

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