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4 聖人候補の領地経営
774 素朴な疑問
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774
「ではマリス伯爵は……」
「いませんわ。私もこれから出かけてしまうし、伯爵のお相手はできないの」
マリス領の領主館にやってきたマーゴット伯爵は、彼女の言葉に呆然としていた。もちろん先触れは数日前に出して、返事は〝歓迎はいたしますが、領主メイロード・マリスは多忙につき、必ずお会いできるとは限りませんことをご了承ください〟というものだったが、有力な貴族の訪問は地方貴族にとっては、それだけで中央とのパイプがあることを内外に示すことができる大事な機会だ。
社交界で名を馳せ、これまでも避暑に行った各地で大接待を受けてきた〝パレスの貴公子〟マーゴット伯爵は、そういった待遇を当然と考えていたし、先触れも彼らに準備の時間を与えるためのものぐらいに考えていた。そのためマリス領からの《伝令》の丁寧ではあるがそっけない文面もまったく意に返すことなく、予定通り避暑の旅の道すがらという態度で、意気揚々とマリス領第五区カングンの街にある領主館にやってきたのだった。
領主館があるとはいえ貧しい北東部の田舎町と侮っていたカングンは、想像に反してとても美しかった。
街全体が活気に満ちていて、人々の往来が多いことにも驚いたが、それ以上に驚いたのは街の整備の素晴らしさだった。道路は大都市にも引けを取らないほど完璧に整えられており、日差しを防ぐ街路樹や美しい花々もきちんと手入れされている。行き届いた清掃も、ここが北東部最果ての領地だということを忘れさせるほどだ。
(なんとも気持ちの良い街だな。これは避暑に向いた街のようだ)
だが到着した領主のいる建物は、カングンの繁栄ぶりから考えると、なんとも地味なものだった。建物は立派だが、その様式は古めかしく、だいぶ古い作りのまま使い続けているという雰囲気で、あちこちに補修した跡もみられる。
(これだけ街の整備にかける金があるなら、普通はまず領主館の建て替えだろう? なんだってこんな古い建物のままなんだ?)
不思議に思うマーゴット伯爵を出迎えた家令らしき初老の男は、実に洗練された挨拶でマーゴット伯爵一行に歓迎の口上を述べ、旅の疲れをねぎらい、極上の茶やパレスでも品薄の最高級の菓子でもてなした。
だが、一向に領主からの挨拶がない。
(まさか、本当にいないのか?)
「旦那様、やはりマリス伯爵様はいま、こちらのお屋敷にはいらっしゃらないようでございます」
家令のドーソンが状況を確認してきたところによると、やはり先触れの返事の通り急な用事でマリス伯爵は外出しているとのことだった。
「なんてことだ。この私に挨拶もしないとは……」
「いえ、旦那様、それは先触れで……」
「わかってる! それでもいいからと来たのはこちら側だ! だが、まさか会えもしないとは……さてどうするか」
そこへドアがノックされる音がした。
パレス風のメイド服を着た召使いの女性は、当地に逗留中のアリーシア・ドール侯爵令嬢がご挨拶を差し上げたいといらしていると告げた。
(ドール家の御令嬢か……そういえば、パーティーでもやけにマリス伯爵と親しそうな口ぶりだったな。ここに逗留していたのか)
「それは恐れ入る。お通ししてくれ」
召使いたちとともに現れたアリーシアは、避暑地らしい明るい色をし軽快で動きやすそうなドレス姿をし、笑顔で現れた。その姿はマーゴット伯爵にはパレスでみたときよりも健康的で明るい雰囲気にみえた。
マーゴット伯爵の印象では、この少女は典型的な高い地位にある貴族の姫らしい人物で、パーティーでも召使いたちのガードが硬く、なかなか近くには寄れなかった。親しく話したことはなかったが、それでも夢見る年頃の令嬢らしくマーゴット伯爵には興味津々という雰囲気は感じられた。
「お久しぶりですね。マーゴット伯爵」
「これはアリーシア様、こちらにご逗留中と知っておりましたら私からご挨拶に伺いましたのに、ご足労をおかけし申し訳ございません。いつもお美しいですが、本日の避暑地らしい明るいお召し物姿も実に可憐でいらっしゃいます」
「ありがとう、伯爵。いえ、メイロードからもしあなたがいらしたら、ご挨拶だけでもしておいてと頼まれましたものですから……私もこれから出かけてしまいますので、ともかく歓迎の言葉をお伝えしなければと思いましたの」
「そ……そ、それは、恐縮でございます」
マリス伯爵が、アリーシア・ドール嬢と仲がいいらしいということは、パーティーでのアリーシアの言動から察しはついていたものの、公爵令嬢を格下の爵位のマリス伯爵が、自分の名代として挨拶させるなど、普通は考えられないことだった。
「これは、あくまでも友人として引き受けたことですから、お気になさらないで。メイロードが、お客様に挨拶もできないことを気にしていたから、私から、挨拶しておくと言ってあげたの」
アリーシアは楽しそうに笑っている。そこには、いつもの高価なドレスと煌びやかな宝石で武装した気位の高い侯爵令嬢の姿はなく、貴族的な駆け引きや回りくどいやりとりもまるでなかった。
「メイロードはね、本当に忙しいの。私もここへ来てびっくりしたわ。領主ってものすごく忙しいのよ。この領主館にも一日中誰かが問題や厄介ごとを持ち込んでくるし、メイロードのやることはみんな初めてのことばかりらしくて、質問やら報告やらも一日中。この領主館の人たちはものすごく有能だけど、メイロードは長く外遊に出ていたらしくて、仕事が滞っていたみたいなのよね」
アリーシアは、ここに逗留しながらメイロードの生活をみることで、自分の祖父や父もまた領地のために多くの時間を割いているのだと改めて感じたという。そして、より領地のためにと新しいことを試し続けているマリス領、そしてその領主であるメイロードが、大変な激務をこなしていることを知ったのだ。
アリーシアはイタズラっぽく笑いながらこう言った。
「私……ずっとマーゴット伯爵をとても尊敬できる、素敵な殿方だと思っていたのですよ。だから、ひとつお聞きしたいのですけれど、伯爵のご領地では、どんな施策をされているのかしら? お忙しいのではないのかしら?」
「ではマリス伯爵は……」
「いませんわ。私もこれから出かけてしまうし、伯爵のお相手はできないの」
マリス領の領主館にやってきたマーゴット伯爵は、彼女の言葉に呆然としていた。もちろん先触れは数日前に出して、返事は〝歓迎はいたしますが、領主メイロード・マリスは多忙につき、必ずお会いできるとは限りませんことをご了承ください〟というものだったが、有力な貴族の訪問は地方貴族にとっては、それだけで中央とのパイプがあることを内外に示すことができる大事な機会だ。
社交界で名を馳せ、これまでも避暑に行った各地で大接待を受けてきた〝パレスの貴公子〟マーゴット伯爵は、そういった待遇を当然と考えていたし、先触れも彼らに準備の時間を与えるためのものぐらいに考えていた。そのためマリス領からの《伝令》の丁寧ではあるがそっけない文面もまったく意に返すことなく、予定通り避暑の旅の道すがらという態度で、意気揚々とマリス領第五区カングンの街にある領主館にやってきたのだった。
領主館があるとはいえ貧しい北東部の田舎町と侮っていたカングンは、想像に反してとても美しかった。
街全体が活気に満ちていて、人々の往来が多いことにも驚いたが、それ以上に驚いたのは街の整備の素晴らしさだった。道路は大都市にも引けを取らないほど完璧に整えられており、日差しを防ぐ街路樹や美しい花々もきちんと手入れされている。行き届いた清掃も、ここが北東部最果ての領地だということを忘れさせるほどだ。
(なんとも気持ちの良い街だな。これは避暑に向いた街のようだ)
だが到着した領主のいる建物は、カングンの繁栄ぶりから考えると、なんとも地味なものだった。建物は立派だが、その様式は古めかしく、だいぶ古い作りのまま使い続けているという雰囲気で、あちこちに補修した跡もみられる。
(これだけ街の整備にかける金があるなら、普通はまず領主館の建て替えだろう? なんだってこんな古い建物のままなんだ?)
不思議に思うマーゴット伯爵を出迎えた家令らしき初老の男は、実に洗練された挨拶でマーゴット伯爵一行に歓迎の口上を述べ、旅の疲れをねぎらい、極上の茶やパレスでも品薄の最高級の菓子でもてなした。
だが、一向に領主からの挨拶がない。
(まさか、本当にいないのか?)
「旦那様、やはりマリス伯爵様はいま、こちらのお屋敷にはいらっしゃらないようでございます」
家令のドーソンが状況を確認してきたところによると、やはり先触れの返事の通り急な用事でマリス伯爵は外出しているとのことだった。
「なんてことだ。この私に挨拶もしないとは……」
「いえ、旦那様、それは先触れで……」
「わかってる! それでもいいからと来たのはこちら側だ! だが、まさか会えもしないとは……さてどうするか」
そこへドアがノックされる音がした。
パレス風のメイド服を着た召使いの女性は、当地に逗留中のアリーシア・ドール侯爵令嬢がご挨拶を差し上げたいといらしていると告げた。
(ドール家の御令嬢か……そういえば、パーティーでもやけにマリス伯爵と親しそうな口ぶりだったな。ここに逗留していたのか)
「それは恐れ入る。お通ししてくれ」
召使いたちとともに現れたアリーシアは、避暑地らしい明るい色をし軽快で動きやすそうなドレス姿をし、笑顔で現れた。その姿はマーゴット伯爵にはパレスでみたときよりも健康的で明るい雰囲気にみえた。
マーゴット伯爵の印象では、この少女は典型的な高い地位にある貴族の姫らしい人物で、パーティーでも召使いたちのガードが硬く、なかなか近くには寄れなかった。親しく話したことはなかったが、それでも夢見る年頃の令嬢らしくマーゴット伯爵には興味津々という雰囲気は感じられた。
「お久しぶりですね。マーゴット伯爵」
「これはアリーシア様、こちらにご逗留中と知っておりましたら私からご挨拶に伺いましたのに、ご足労をおかけし申し訳ございません。いつもお美しいですが、本日の避暑地らしい明るいお召し物姿も実に可憐でいらっしゃいます」
「ありがとう、伯爵。いえ、メイロードからもしあなたがいらしたら、ご挨拶だけでもしておいてと頼まれましたものですから……私もこれから出かけてしまいますので、ともかく歓迎の言葉をお伝えしなければと思いましたの」
「そ……そ、それは、恐縮でございます」
マリス伯爵が、アリーシア・ドール嬢と仲がいいらしいということは、パーティーでのアリーシアの言動から察しはついていたものの、公爵令嬢を格下の爵位のマリス伯爵が、自分の名代として挨拶させるなど、普通は考えられないことだった。
「これは、あくまでも友人として引き受けたことですから、お気になさらないで。メイロードが、お客様に挨拶もできないことを気にしていたから、私から、挨拶しておくと言ってあげたの」
アリーシアは楽しそうに笑っている。そこには、いつもの高価なドレスと煌びやかな宝石で武装した気位の高い侯爵令嬢の姿はなく、貴族的な駆け引きや回りくどいやりとりもまるでなかった。
「メイロードはね、本当に忙しいの。私もここへ来てびっくりしたわ。領主ってものすごく忙しいのよ。この領主館にも一日中誰かが問題や厄介ごとを持ち込んでくるし、メイロードのやることはみんな初めてのことばかりらしくて、質問やら報告やらも一日中。この領主館の人たちはものすごく有能だけど、メイロードは長く外遊に出ていたらしくて、仕事が滞っていたみたいなのよね」
アリーシアは、ここに逗留しながらメイロードの生活をみることで、自分の祖父や父もまた領地のために多くの時間を割いているのだと改めて感じたという。そして、より領地のためにと新しいことを試し続けているマリス領、そしてその領主であるメイロードが、大変な激務をこなしていることを知ったのだ。
アリーシアはイタズラっぽく笑いながらこう言った。
「私……ずっとマーゴット伯爵をとても尊敬できる、素敵な殿方だと思っていたのですよ。だから、ひとつお聞きしたいのですけれど、伯爵のご領地では、どんな施策をされているのかしら? お忙しいのではないのかしら?」
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