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第2話 記憶の娘
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アリカが生まれて程なく、メ族の鎮圧にダウジバルダ・サヘは駆り出された。
最愛の妻を亡くした彼にとっては、下手に忘れ形見の姿を目にするより、仕事に精を出している方がその頃は楽だった。
そんな鎮圧の戦いの最中、メ族の馬に取り付けられた籠の中に子供が幾人か居ることを知った。
彼は進軍の都度、籠の子供を手に入れることがあったら殺さずに会ってみたが、大概は気が触れていた。
無理もないことだ、と自身にも子ができたばかりの彼は苦々しく思った。
だがその中で、一人平然としている、まだ彼が置いてきた娘と同じくらいの子が居た。
それがサボンだった。
連れ帰ってアリカに付けるべく育てよう、と彼は考えた。娘には乳姉妹に近い存在があった方がいい。
実際、彼のもとに既に生まれていた四人の娘達にはそれぞれ乳姉妹が居た。彼女達は一緒に育ち、主人を側で補佐すべく、できるだけ同じ教育も受けさせることしていた。
だがムギム・テアの実家からはそれに相応すめる娘を身内から出すことができなかったのだ。
乳母だけなら居た。そこに連れ帰った少女を置いてみた。この時点では気紛れの範疇だった。
だが数年後、アリカの世話が充分にできる様になったサボンに将軍はこう問いかけたことがあった。自分が連れてこられた時のことを覚えているか、と。
するとサボンは是、と答えた。
「私があの時見えた範囲では将軍様の引き連れていた部隊は、メ族の戦闘可能な男子の五倍は居たと記憶しています」
ぎょっとした将軍は、試しにその時の帝国の軍勢の装備が何であったのか問いかけた。
彼女は物の名は知らなかったが、色や形状を実によく記憶していた。説明がしづらい、という時には図にも起こすこともあった。
「そなたは何故それを覚えているのだ?」
「判りません。そう生まれついていたからではないでしょうか」
あっさりと彼女は答えた。
それは将軍の屋敷にやってきてからのことを問いかけても同様で、いつ何処で何があったのか、彼女は克明に記憶を引き出し、言葉で描写することができた。
「私は何処かおかしいのでしょうか」
一度だけ当時のサボンは浮かない顔で将軍に問いかけたことがあった。
「お嬢様は私がこの様に言うと、時々気持ち悪いほどよく覚えている、と仰有います」
「確かに気持ち悪い程だ」
将軍はきっぱりと答えた。
「だが人にそうそうできないとだから気持ち悪く感じるだけのことだ。サボンお前のその優れた記憶力は必ず役に立つ」
「役に立つとは私も思うのです」
当初この少女には問題があった。
周囲の誰彼に――― 主人たる将軍に対してでも、過去にあった事実を淡々と述べてしまうのだ。それがその場にそぐわないことであっても。
将軍はそこだけは抑えろ、と彼女に命じた。
「そなたはよく観察することができる。だから、自分の見て知ったものをその場で言うことが、相手の利益不利益どちらになるのか、学習するのだ」
この少女が好悪だの善悪だので物事を判断することが「できない」ことに彼は素早く気付いていた。
アリカがよく首を傾げていたのだ。サボンは何で私の嫌がることでも平気な顔で言うのお父様、と。
その都度彼は娘に言ったものだった。それは実際にあったことなのか、と。娘は困った顔をしてうなづいた。
「でもそんな言葉そこで言ったら恥ずかしいって私が思うってサボンは思わないのかしら」
思わないのだろう、と何度かこの少女と話してみて彼は判断した。
彼は将軍だった。兵士をどう使うか判断する立場にあった。それと同様に、自分の娘につけた少女もどう使うべきなのか冷静に判断していた。
「サボンは見たこと聞いたことをそのまま正確に伝えているのだろう?」
「それはそう」
「だったらお前はいつどういう時にはそれは言われたくないのか、サボンにはきちんと言いなさい。そうすれば必ずあの子はそれを覚える」
「そうなの?」
「必ず」
当時のアリカはそれからサボンに対し、これはいい、これは嫌だ、こんなとこで言うな、ここは褒めてほしい、姉様達は、お兄様は、とそれまでの鬱憤を晴らすかの様に事細かに要求した。
そして当時のサボンはそれに対しいちいち了解していった。
それが一段落ついた辺りで、家中の使用人頭から事細かに説明を受けさせた。この場合はこう、この時この方がこういう時は……
わかりました、とその都度当時のサボンは一度で了解し、それで言葉や動作を間違うことは無くなった。
年月が経ち、新しく入ってくる使用人の少女達は、サボンをよくできた使用人だと褒めた。それは作業や立ち居振る舞い、言葉だけではなかった。
ただ一点、手作業だけは何処か不器用なので、完璧と言われず、平然とした顔の失敗を親しみに変えることができた。
アリカはそんな乳姉妹に近い彼女をやがて頼りにする様になっていった。何せ自分が忘れてしまう様なことでも、この最も身近な存在は忘れることが無い。
一方で、その自分の娘よりも、身体も強靱、頭が何処かずれてはいるが異様なまでの記憶容量を持っていそうな少女に、やがてサヘ将軍は一つのことを考える様になった。
もし宮中に入れる順番が来てしまったら。
この家で一番身分の高い娘はアリカだった。歳の順で言うならセレでもシャンポンでも良かったが、やはりまずは第二夫人の娘、という立場が先に立った。
ミチャ夫人はいち早くセレに婚約者を作っておいた。シャンポンはマヌェと共に居させるべきだ。マドリョンカが次点となるだろう。
次点になるということは。
彼は考えに考えた末、サボンに問いかけた。
「そなたはアリカが望むことを叶えてやれるか?」
「私にできることでしたら」
「死ねと言われたらどうする?」
「私はアリカ様にそう言われる原因を作りません」
「だが外からの要因でそうならざるを得なかったらどうする?」
「その場合はできるだけ死なない努力を致します」
「できるだけ」
「お教え下さったこと、好きに知識を貯めても良いと仰有ってくれた結果を精一杯使って、生き残る道を探します」
将軍は大きくうなづいた。
そしてそれ以上のことはあえて聞くことはしなかった。
最愛の妻を亡くした彼にとっては、下手に忘れ形見の姿を目にするより、仕事に精を出している方がその頃は楽だった。
そんな鎮圧の戦いの最中、メ族の馬に取り付けられた籠の中に子供が幾人か居ることを知った。
彼は進軍の都度、籠の子供を手に入れることがあったら殺さずに会ってみたが、大概は気が触れていた。
無理もないことだ、と自身にも子ができたばかりの彼は苦々しく思った。
だがその中で、一人平然としている、まだ彼が置いてきた娘と同じくらいの子が居た。
それがサボンだった。
連れ帰ってアリカに付けるべく育てよう、と彼は考えた。娘には乳姉妹に近い存在があった方がいい。
実際、彼のもとに既に生まれていた四人の娘達にはそれぞれ乳姉妹が居た。彼女達は一緒に育ち、主人を側で補佐すべく、できるだけ同じ教育も受けさせることしていた。
だがムギム・テアの実家からはそれに相応すめる娘を身内から出すことができなかったのだ。
乳母だけなら居た。そこに連れ帰った少女を置いてみた。この時点では気紛れの範疇だった。
だが数年後、アリカの世話が充分にできる様になったサボンに将軍はこう問いかけたことがあった。自分が連れてこられた時のことを覚えているか、と。
するとサボンは是、と答えた。
「私があの時見えた範囲では将軍様の引き連れていた部隊は、メ族の戦闘可能な男子の五倍は居たと記憶しています」
ぎょっとした将軍は、試しにその時の帝国の軍勢の装備が何であったのか問いかけた。
彼女は物の名は知らなかったが、色や形状を実によく記憶していた。説明がしづらい、という時には図にも起こすこともあった。
「そなたは何故それを覚えているのだ?」
「判りません。そう生まれついていたからではないでしょうか」
あっさりと彼女は答えた。
それは将軍の屋敷にやってきてからのことを問いかけても同様で、いつ何処で何があったのか、彼女は克明に記憶を引き出し、言葉で描写することができた。
「私は何処かおかしいのでしょうか」
一度だけ当時のサボンは浮かない顔で将軍に問いかけたことがあった。
「お嬢様は私がこの様に言うと、時々気持ち悪いほどよく覚えている、と仰有います」
「確かに気持ち悪い程だ」
将軍はきっぱりと答えた。
「だが人にそうそうできないとだから気持ち悪く感じるだけのことだ。サボンお前のその優れた記憶力は必ず役に立つ」
「役に立つとは私も思うのです」
当初この少女には問題があった。
周囲の誰彼に――― 主人たる将軍に対してでも、過去にあった事実を淡々と述べてしまうのだ。それがその場にそぐわないことであっても。
将軍はそこだけは抑えろ、と彼女に命じた。
「そなたはよく観察することができる。だから、自分の見て知ったものをその場で言うことが、相手の利益不利益どちらになるのか、学習するのだ」
この少女が好悪だの善悪だので物事を判断することが「できない」ことに彼は素早く気付いていた。
アリカがよく首を傾げていたのだ。サボンは何で私の嫌がることでも平気な顔で言うのお父様、と。
その都度彼は娘に言ったものだった。それは実際にあったことなのか、と。娘は困った顔をしてうなづいた。
「でもそんな言葉そこで言ったら恥ずかしいって私が思うってサボンは思わないのかしら」
思わないのだろう、と何度かこの少女と話してみて彼は判断した。
彼は将軍だった。兵士をどう使うか判断する立場にあった。それと同様に、自分の娘につけた少女もどう使うべきなのか冷静に判断していた。
「サボンは見たこと聞いたことをそのまま正確に伝えているのだろう?」
「それはそう」
「だったらお前はいつどういう時にはそれは言われたくないのか、サボンにはきちんと言いなさい。そうすれば必ずあの子はそれを覚える」
「そうなの?」
「必ず」
当時のアリカはそれからサボンに対し、これはいい、これは嫌だ、こんなとこで言うな、ここは褒めてほしい、姉様達は、お兄様は、とそれまでの鬱憤を晴らすかの様に事細かに要求した。
そして当時のサボンはそれに対しいちいち了解していった。
それが一段落ついた辺りで、家中の使用人頭から事細かに説明を受けさせた。この場合はこう、この時この方がこういう時は……
わかりました、とその都度当時のサボンは一度で了解し、それで言葉や動作を間違うことは無くなった。
年月が経ち、新しく入ってくる使用人の少女達は、サボンをよくできた使用人だと褒めた。それは作業や立ち居振る舞い、言葉だけではなかった。
ただ一点、手作業だけは何処か不器用なので、完璧と言われず、平然とした顔の失敗を親しみに変えることができた。
アリカはそんな乳姉妹に近い彼女をやがて頼りにする様になっていった。何せ自分が忘れてしまう様なことでも、この最も身近な存在は忘れることが無い。
一方で、その自分の娘よりも、身体も強靱、頭が何処かずれてはいるが異様なまでの記憶容量を持っていそうな少女に、やがてサヘ将軍は一つのことを考える様になった。
もし宮中に入れる順番が来てしまったら。
この家で一番身分の高い娘はアリカだった。歳の順で言うならセレでもシャンポンでも良かったが、やはりまずは第二夫人の娘、という立場が先に立った。
ミチャ夫人はいち早くセレに婚約者を作っておいた。シャンポンはマヌェと共に居させるべきだ。マドリョンカが次点となるだろう。
次点になるということは。
彼は考えに考えた末、サボンに問いかけた。
「そなたはアリカが望むことを叶えてやれるか?」
「私にできることでしたら」
「死ねと言われたらどうする?」
「私はアリカ様にそう言われる原因を作りません」
「だが外からの要因でそうならざるを得なかったらどうする?」
「その場合はできるだけ死なない努力を致します」
「できるだけ」
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そしてそれ以上のことはあえて聞くことはしなかった。
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