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第3話 悩める女官長と焙じた茶
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さてその今は「皇后」アリカになってしまった元サボンは。
「お願いしますお願いしますどうか図書室に籠もるのはお止しになって下さい」
という周囲の声にとりあえず従うことにした。籠もる代わりに毎日本を持ち込み返却する台車を要求した。
「皇后陛下となられても女君はお変わりにならない……」
ふう、と女官長は配膳方筆頭のタボーにこぼす。
「丈夫なお方なのはいいことなんですがねえ。こちらの料理もたんとよく召し上がってくださるし。好き嫌いも無いし」
「皇后となられた方に毒は効かないと皇帝陛下が仰せになるくらいだから、その辺りは安心なのだけど…… まだお腹の皇子様にはどうなのかと思うと」
「そう心配ばかりしているとまた白髪が増えるよ、レレンネイ」
女官長はそう言う昔なじみに対し、軽く眉を上げた。
彼女達は役どころは違えども、宮中に入った時期が近い。少女時代を共に過ごした仲は、今でも健在だった。それは女官長レレンネイの出が副帝都の貴族であり、配膳方筆頭のタボーが商人の家の出であったとしても。
「まあ貴女が食事を作って味見をしている以上、何も心配は無いとは思いますがね。それでもああ本に埋もれてばかりというのは……」
「あの」
ひょい、と声を掛けられ、二人は飛び上がった。噂の当人に近しい者が来れば仕方あるまい。
「ど、どうしたんだい、サボンさん」
「女官長様に女君からお願いがあるということなのですが。それと縫製方のブリョーエ様に」
女官長はタボーと顔を見合わせた。
「お揃いになって下さればこちらから出向くと仰有るのですが」
「とんでもない!」
女官長は咄嗟に返していた。
「無論私共の方からお訪ね致します。ただサボンさん、一応御用向きの内容が判っているとありがたいのですが」
「先日の髪にブリョーエ様が女君の髪を整えた紐と玉に関して知りたいことがある、とのことでした」
「紐と…… 玉?」
「短く切っておしまいになった髪の時のかい?」
タボーも筋肉のよくついた腕を組み、首を傾げる。
「ええ。どうも気になることがあるから、と。私はそれ以上は伺っておりませんので…… それとお茶をいただきに」
「ああお茶だね。今日は何がいいと仰有ったかい?」
「緑茶を焙じたものが欲しいとか」
「緑茶を? わざわざ?」
「適当な葉っぱで良いので、ゆっくり焙じて欲しいそうです」
「何だろね」
チャの木の葉を使う茶そのものは帝国全土に広がった嗜好品ではある。だが土地によって様々な飲み方がされる。
「焙じた茶はあまり上つ方には出さないからねえ…… お気に召さないものになったら申し訳ない、と先に伝えてくれないかい?」
「はい、ちょっと思うことがあるから試して欲しい、ということでしたので」
タボーは女官長と顔を見合わせる。目で「あんた飲んだことあるかい?」「ここに置いてある緑茶をわざわざ焙じるなんて」という会話が為される。
「ゆっくりか」
わかった、とタボーは大きな身体を揺らして立ち上がると、皇后アリカが普段欲しがる程度の量よりやや多めの茶葉を取り出した。
「ちょっとかかるから、後で持たせようか」
「いえ、香りの状態も味わってくる様に、ということで」
香りね、と女官長は自分の記憶をひっくり返す。彼女は貴族の出なので、そうそう焙じた茶は飲まない。
そもそもチャの木の茶は貴族の間では、その茶葉の緑と共に爽やかな味を楽しむものだった。焙じる茶は、むしろ庶民向けに屑葉とされるものを加工して安く気楽に飲むものとされていた。
「……あ?」
ふんわり香ばしい匂いが辺りに漂う。それは今まで女官長が嗅いだことのないものだった。
「どうだかね」
試しに、とタボーは配膳方の茶器でそれを淹れ、自身と二人に出してみた。
「凄い香りですこと」
「私も初めてです」
「あんたも知らなかったのかい?」
そう言いつつ、タボーは茶を口にする。途端、目を大きく瞬かせた。
「……焙じた茶の味ではあるんだけど」
「濃い…… ですわね」
「濃いです」
思わずサボンも口に手を当てていた。ここで働く様になってから飲んだものとはまるで違う。
「時間をかけて、ということだったから、火を極力弱くして、できるだけ均等に焙じてみたよ。確かにここの茶は私達が飲む様な適当なものでも他よりは上等なんだが、それでもここまで香りが出たことは無いね」
ふむ、とタボーは納得した様にうなづいた。
「女君はそれがお好みなのですか?」
「いえ、私も初めて聞きました。何でも本にあったから試してみたい、とかで」
「試す」
タボーとレレンネイは顔を見合わせた。
「こりゃブリョーエも目を白黒させる案件が来るかねえ」
ちなみに縫製方のブリョーエ筆頭女官も、彼女達の昔なじみであった。
女君や公主の入れ替わりの激しい宮中で、彼女達はずっとその様子を見守ってきた仲である。
「玉と紐ですか…… せめてもう少しヒントがあるとあのひとを驚かせずに済むのですがね。この間は酷かった……」
女官長はややこけた頬に手を当て、ため息をつく。先日のばっさりと切られた髪を見てブリョーエが目を白黒させつつも何とか仕上げたことを思い出してしまうのだ。
「昔から手が器用で綺麗なものが好きだったからなあ、綺麗なものが無残な扱いを受けると頭がぐるぐるしてしまうと言ってたなあ。女君の髪はいい質だから、と結い飾るのを楽しみにしていたから、あの時ときたら……」
「……申し訳ございません」
思わずサボンは頭を下げてしまう。
「いやあんたのせいじゃないよ。起きたらああだったって言うんだし」
それでも。突拍子のないことをするだろうことは何となく予想できていた彼女としては、現在の上司達には実に申し訳なく思うのだった。
「お願いしますお願いしますどうか図書室に籠もるのはお止しになって下さい」
という周囲の声にとりあえず従うことにした。籠もる代わりに毎日本を持ち込み返却する台車を要求した。
「皇后陛下となられても女君はお変わりにならない……」
ふう、と女官長は配膳方筆頭のタボーにこぼす。
「丈夫なお方なのはいいことなんですがねえ。こちらの料理もたんとよく召し上がってくださるし。好き嫌いも無いし」
「皇后となられた方に毒は効かないと皇帝陛下が仰せになるくらいだから、その辺りは安心なのだけど…… まだお腹の皇子様にはどうなのかと思うと」
「そう心配ばかりしているとまた白髪が増えるよ、レレンネイ」
女官長はそう言う昔なじみに対し、軽く眉を上げた。
彼女達は役どころは違えども、宮中に入った時期が近い。少女時代を共に過ごした仲は、今でも健在だった。それは女官長レレンネイの出が副帝都の貴族であり、配膳方筆頭のタボーが商人の家の出であったとしても。
「まあ貴女が食事を作って味見をしている以上、何も心配は無いとは思いますがね。それでもああ本に埋もれてばかりというのは……」
「あの」
ひょい、と声を掛けられ、二人は飛び上がった。噂の当人に近しい者が来れば仕方あるまい。
「ど、どうしたんだい、サボンさん」
「女官長様に女君からお願いがあるということなのですが。それと縫製方のブリョーエ様に」
女官長はタボーと顔を見合わせた。
「お揃いになって下さればこちらから出向くと仰有るのですが」
「とんでもない!」
女官長は咄嗟に返していた。
「無論私共の方からお訪ね致します。ただサボンさん、一応御用向きの内容が判っているとありがたいのですが」
「先日の髪にブリョーエ様が女君の髪を整えた紐と玉に関して知りたいことがある、とのことでした」
「紐と…… 玉?」
「短く切っておしまいになった髪の時のかい?」
タボーも筋肉のよくついた腕を組み、首を傾げる。
「ええ。どうも気になることがあるから、と。私はそれ以上は伺っておりませんので…… それとお茶をいただきに」
「ああお茶だね。今日は何がいいと仰有ったかい?」
「緑茶を焙じたものが欲しいとか」
「緑茶を? わざわざ?」
「適当な葉っぱで良いので、ゆっくり焙じて欲しいそうです」
「何だろね」
チャの木の葉を使う茶そのものは帝国全土に広がった嗜好品ではある。だが土地によって様々な飲み方がされる。
「焙じた茶はあまり上つ方には出さないからねえ…… お気に召さないものになったら申し訳ない、と先に伝えてくれないかい?」
「はい、ちょっと思うことがあるから試して欲しい、ということでしたので」
タボーは女官長と顔を見合わせる。目で「あんた飲んだことあるかい?」「ここに置いてある緑茶をわざわざ焙じるなんて」という会話が為される。
「ゆっくりか」
わかった、とタボーは大きな身体を揺らして立ち上がると、皇后アリカが普段欲しがる程度の量よりやや多めの茶葉を取り出した。
「ちょっとかかるから、後で持たせようか」
「いえ、香りの状態も味わってくる様に、ということで」
香りね、と女官長は自分の記憶をひっくり返す。彼女は貴族の出なので、そうそう焙じた茶は飲まない。
そもそもチャの木の茶は貴族の間では、その茶葉の緑と共に爽やかな味を楽しむものだった。焙じる茶は、むしろ庶民向けに屑葉とされるものを加工して安く気楽に飲むものとされていた。
「……あ?」
ふんわり香ばしい匂いが辺りに漂う。それは今まで女官長が嗅いだことのないものだった。
「どうだかね」
試しに、とタボーは配膳方の茶器でそれを淹れ、自身と二人に出してみた。
「凄い香りですこと」
「私も初めてです」
「あんたも知らなかったのかい?」
そう言いつつ、タボーは茶を口にする。途端、目を大きく瞬かせた。
「……焙じた茶の味ではあるんだけど」
「濃い…… ですわね」
「濃いです」
思わずサボンも口に手を当てていた。ここで働く様になってから飲んだものとはまるで違う。
「時間をかけて、ということだったから、火を極力弱くして、できるだけ均等に焙じてみたよ。確かにここの茶は私達が飲む様な適当なものでも他よりは上等なんだが、それでもここまで香りが出たことは無いね」
ふむ、とタボーは納得した様にうなづいた。
「女君はそれがお好みなのですか?」
「いえ、私も初めて聞きました。何でも本にあったから試してみたい、とかで」
「試す」
タボーとレレンネイは顔を見合わせた。
「こりゃブリョーエも目を白黒させる案件が来るかねえ」
ちなみに縫製方のブリョーエ筆頭女官も、彼女達の昔なじみであった。
女君や公主の入れ替わりの激しい宮中で、彼女達はずっとその様子を見守ってきた仲である。
「玉と紐ですか…… せめてもう少しヒントがあるとあのひとを驚かせずに済むのですがね。この間は酷かった……」
女官長はややこけた頬に手を当て、ため息をつく。先日のばっさりと切られた髪を見てブリョーエが目を白黒させつつも何とか仕上げたことを思い出してしまうのだ。
「昔から手が器用で綺麗なものが好きだったからなあ、綺麗なものが無残な扱いを受けると頭がぐるぐるしてしまうと言ってたなあ。女君の髪はいい質だから、と結い飾るのを楽しみにしていたから、あの時ときたら……」
「……申し訳ございません」
思わずサボンは頭を下げてしまう。
「いやあんたのせいじゃないよ。起きたらああだったって言うんだし」
それでも。突拍子のないことをするだろうことは何となく予想できていた彼女としては、現在の上司達には実に申し訳なく思うのだった。
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