1 / 38
第1話 そもそも何故サボンは引き取られたか
しおりを挟む
皇后のお披露目から程なく。
様々な手続きだの、選ばれた客人の相手だの、医者の往診だの、そんなことが日課として定着すると、ようやく新たな皇后とその側近の上級女官は落ち着いて話ができる様になった。
周囲に誰が居るのか判らない状況がそれなりに続いていたのだ。
アリカはともかく、サボンは元々がお嬢様育ちだったので、こうも静かでない環境に少々気疲れがし、時々アリカの前で居眠りをする様なこともあった。
アリカはゆっくりとそのペースを戻してやる。何せお互い自分の正体を知っている唯一無二の相手なのだ。皇后は疲れない身体を持つから皇后なのだが、女官はただの人間であるので疲れるのだ。
だが何とかその一過性の忙しい時期も過ぎ、お茶を持ち込んで「暇な皇后様のお相手」をする様な時間が取れるようになった。
食欲旺盛な、という理由のある皇后のもとにはちょくちょくお茶と菓子を持っていくことがある。無論そのついでに話をすることは有りなのだ。
大概は他愛の無い話だった。
先日マドリョンカが突然やってきて、皇后陛下のあの髪に使った飾り玉は何処のものなのか、とサボンに問いただしたとか、ちょくちょくサボンに端菓子をくれるセンのこととか、その菓子の店のこととか、彼の目から見た街のこととか。
他愛の無い、とサボンの思うことをアリカは興味深そうに聞いていた。
だがこの日は違っていた。
「草原の話?」
返すアリカにはい、とサボンはうなづいた。
「別に構わないですが…… また一体何故?」
「私が知らないと、話がおかしくなるのではないかと」
「確かに」
アリカは軽く目を眇める。入れ替わった以上、草原の今は無いメ族の話を全く知らないというのはおかしい。
「それは構いません。けど私が知っているのは『見たもの』でしかないし、それがどういう意味を持っているのかはまた私の推測にしかならないことが多いんです」
「どういう意味?」
サボンは勧められた菓子を口にしながら首を傾げる。
「私はただもう物心つかないうちから『見る』役目でしたから、それでこの頭が記憶しているということは確かなんです。『父上』も、私がそういう役目だからこそ、幼子の私を引き取ったのでしょう」
「『見る』役目?」
「時々そういう子供が生まれるらしいのですが、意味も無く、ただ記憶力が異様にいい子供というのが、メ族には時々生まれるのです。ただ、必ずしも全てがそうとは限らないので、戦場になった時に大概子供は袋に入れて連れ回されるのですが」
「何のために?」
「それは私にも判りません。ただそうやって戦場に連れていった子供の、戻った時に怖がっていたか、とか見たものをどのくらい記憶していたか、などを後で大人達が問い、次第にその役目である子供が決定するのです。父上はそれをご存知だった」
「将軍様が?」
二人とも、サヘ将軍を呼ぶ時の言葉には二人だけであれ、厳格なルールを作っていた。どれだけ崩した言葉づかいであれ、サヘ将軍は「アリカの父親」であり、「サボンを引き取った雇い主」でなくてはならなかったのだ。
アリカもサボンもサヘ将軍家自体に迷惑のかかることはしたくはない、という点では共通していた。
「私からしてみれば、父上は私を解放して下さった方ですよ」
「解放なのかしら」
「自分の部族に居ることが必ずしも幸せ、とは限らないのです。父上がそういう役目の子供が欲しかったとしても、それはそれです」
つまり、とサボンは思う。
将軍なお父様が「サボン」を引き取ったのは、そういう彼女の体質を知っていた、ということ。
「何故なのかしら」
「まあ、予想はつきます」
「判るの?」
アリカは苦笑した。簡単な話なのだ。だが等のサボン自身がその意味を理解していない。それだけだ。
*
一方、その話はサヘ将軍家の第一夫人と第三夫人の間でもあのお披露目のすぐ後で交わされていた。
「成る程、その為だったのか」
「どういう意味でしょうか」
第一夫人アテ・マウジュシュカは豊満な身体ですっくと立ち、窓際に向かった。
「ムギム・テアのことを覚えておるか? ミチャよ」
「いえ、さほどには…… あの方は私と滅多に顔を直接合わせることもなかったので」
今は亡き第二夫人の名を唐突に持ち出され、第三夫人ト・ミチャは驚く。その存在は女としていつも自分を微妙な気持ちにさせた。
病弱な彼女が本気で自分と会ったのはたった一度なのだ。子供が欲しい、ということで。
だがその子供を産んだことで亡くなってしまったことで、優しい少女の様な女性を悼む心と、将軍の心からの寵愛する相手が居なくなった開放感がしばらくミチャの中ではせめぎ合っていた。
「判らぬか?」
マウジュシュカは背を向けながら問う。
「あれは、メ族の頭の良い女をこの様なことがあった時の身代わりとすべく引き取ったのだ」
ミチャは少しばかりこの一回り年上の女性の言うことが理解できなかった。頭は回らない方ではないとは思う。普通程度には。だがそれ以上に考えるということを彼女は訓練できていなかった。
「サボンとアリカは元々入れ替わってもいい様に育てられていたのだ」
「え……!? 何故ですか!?」
「簡単な話だ。テアの娘に死んで欲しくない、それだけの話だ」
マウジュシュカは賢い女性だった。
ただサヘ将軍より年かさであること、そして彼より高い家柄の出であることが、彼女から将軍に対しての素直さというものを失わせていた。
ト・ミチャはいい。これはもう子供を産ませるばかりの女である、と理解していた。
だがムギム・テアは。子供を産ませることすらできない程その身体を、存在を大切にしていたと思うと、故人とはいえ、未だに腹の底に忸怩たる思いが残っていることに気付いてしまうのだった。
様々な手続きだの、選ばれた客人の相手だの、医者の往診だの、そんなことが日課として定着すると、ようやく新たな皇后とその側近の上級女官は落ち着いて話ができる様になった。
周囲に誰が居るのか判らない状況がそれなりに続いていたのだ。
アリカはともかく、サボンは元々がお嬢様育ちだったので、こうも静かでない環境に少々気疲れがし、時々アリカの前で居眠りをする様なこともあった。
アリカはゆっくりとそのペースを戻してやる。何せお互い自分の正体を知っている唯一無二の相手なのだ。皇后は疲れない身体を持つから皇后なのだが、女官はただの人間であるので疲れるのだ。
だが何とかその一過性の忙しい時期も過ぎ、お茶を持ち込んで「暇な皇后様のお相手」をする様な時間が取れるようになった。
食欲旺盛な、という理由のある皇后のもとにはちょくちょくお茶と菓子を持っていくことがある。無論そのついでに話をすることは有りなのだ。
大概は他愛の無い話だった。
先日マドリョンカが突然やってきて、皇后陛下のあの髪に使った飾り玉は何処のものなのか、とサボンに問いただしたとか、ちょくちょくサボンに端菓子をくれるセンのこととか、その菓子の店のこととか、彼の目から見た街のこととか。
他愛の無い、とサボンの思うことをアリカは興味深そうに聞いていた。
だがこの日は違っていた。
「草原の話?」
返すアリカにはい、とサボンはうなづいた。
「別に構わないですが…… また一体何故?」
「私が知らないと、話がおかしくなるのではないかと」
「確かに」
アリカは軽く目を眇める。入れ替わった以上、草原の今は無いメ族の話を全く知らないというのはおかしい。
「それは構いません。けど私が知っているのは『見たもの』でしかないし、それがどういう意味を持っているのかはまた私の推測にしかならないことが多いんです」
「どういう意味?」
サボンは勧められた菓子を口にしながら首を傾げる。
「私はただもう物心つかないうちから『見る』役目でしたから、それでこの頭が記憶しているということは確かなんです。『父上』も、私がそういう役目だからこそ、幼子の私を引き取ったのでしょう」
「『見る』役目?」
「時々そういう子供が生まれるらしいのですが、意味も無く、ただ記憶力が異様にいい子供というのが、メ族には時々生まれるのです。ただ、必ずしも全てがそうとは限らないので、戦場になった時に大概子供は袋に入れて連れ回されるのですが」
「何のために?」
「それは私にも判りません。ただそうやって戦場に連れていった子供の、戻った時に怖がっていたか、とか見たものをどのくらい記憶していたか、などを後で大人達が問い、次第にその役目である子供が決定するのです。父上はそれをご存知だった」
「将軍様が?」
二人とも、サヘ将軍を呼ぶ時の言葉には二人だけであれ、厳格なルールを作っていた。どれだけ崩した言葉づかいであれ、サヘ将軍は「アリカの父親」であり、「サボンを引き取った雇い主」でなくてはならなかったのだ。
アリカもサボンもサヘ将軍家自体に迷惑のかかることはしたくはない、という点では共通していた。
「私からしてみれば、父上は私を解放して下さった方ですよ」
「解放なのかしら」
「自分の部族に居ることが必ずしも幸せ、とは限らないのです。父上がそういう役目の子供が欲しかったとしても、それはそれです」
つまり、とサボンは思う。
将軍なお父様が「サボン」を引き取ったのは、そういう彼女の体質を知っていた、ということ。
「何故なのかしら」
「まあ、予想はつきます」
「判るの?」
アリカは苦笑した。簡単な話なのだ。だが等のサボン自身がその意味を理解していない。それだけだ。
*
一方、その話はサヘ将軍家の第一夫人と第三夫人の間でもあのお披露目のすぐ後で交わされていた。
「成る程、その為だったのか」
「どういう意味でしょうか」
第一夫人アテ・マウジュシュカは豊満な身体ですっくと立ち、窓際に向かった。
「ムギム・テアのことを覚えておるか? ミチャよ」
「いえ、さほどには…… あの方は私と滅多に顔を直接合わせることもなかったので」
今は亡き第二夫人の名を唐突に持ち出され、第三夫人ト・ミチャは驚く。その存在は女としていつも自分を微妙な気持ちにさせた。
病弱な彼女が本気で自分と会ったのはたった一度なのだ。子供が欲しい、ということで。
だがその子供を産んだことで亡くなってしまったことで、優しい少女の様な女性を悼む心と、将軍の心からの寵愛する相手が居なくなった開放感がしばらくミチャの中ではせめぎ合っていた。
「判らぬか?」
マウジュシュカは背を向けながら問う。
「あれは、メ族の頭の良い女をこの様なことがあった時の身代わりとすべく引き取ったのだ」
ミチャは少しばかりこの一回り年上の女性の言うことが理解できなかった。頭は回らない方ではないとは思う。普通程度には。だがそれ以上に考えるということを彼女は訓練できていなかった。
「サボンとアリカは元々入れ替わってもいい様に育てられていたのだ」
「え……!? 何故ですか!?」
「簡単な話だ。テアの娘に死んで欲しくない、それだけの話だ」
マウジュシュカは賢い女性だった。
ただサヘ将軍より年かさであること、そして彼より高い家柄の出であることが、彼女から将軍に対しての素直さというものを失わせていた。
ト・ミチャはいい。これはもう子供を産ませるばかりの女である、と理解していた。
だがムギム・テアは。子供を産ませることすらできない程その身体を、存在を大切にしていたと思うと、故人とはいえ、未だに腹の底に忸怩たる思いが残っていることに気付いてしまうのだった。
0
お気に入りに追加
21
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
七代目は「帝国」最後の皇后
江戸川ばた散歩
ファンタジー
「帝国」貴族・ホロベシ男爵が流れ弾に当たり死亡。搬送する同行者のナギと大陸横断列車の個室が一緒になった「連合」の財団のぼんぼんシルベスタ・デカダ助教授は彼女に何を見るのか。
「四代目は身代わりの皇后」と同じ世界の二~三代先の時代の話。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
ミネルヴァ大陸戦記
一条 千種
ファンタジー
遠き異世界、ミネルヴァ大陸の歴史に忽然と現れた偉大なる術者の一族。
その力は自然の摂理をも凌駕するほどに強力で、世界の安定と均衡を保つため、決して邪心を持つ人間に授けてはならないものとされていた。
しかし、術者の心の素直さにつけこんだ一人の野心家の手で、その能力は拡散してしまう。
世界は術者の力を恐れ、次第に彼らは自らの異能を隠し、術者の存在はおとぎ話として語られるのみとなった。
時代は移り、大陸西南に位置するロンバルディア教国。
美しき王女・エスメラルダが戴冠を迎えようとする日に、術者の末裔は再び世界に現れる。
ほぼ同時期、別の国では邪悪な術者が大国の支配権を手に入れようとしていた。
術者の再臨とともに大きく波乱へと動き出す世界の歴史を、主要な人物にスポットを当て群像劇として描いていく。
※作中に一部差別用語を用いていますが、あくまで文学的意図での使用であり、当事者を差別する意図は一切ありません
※作中の舞台は、科学的には史実世界と同等の進行速度ですが、文化的あるいは政治思想的には架空の設定を用いています。そのため近代民主主義国家と封建制国家が同じ科学レベルで共存している等の設定があります
※表現は控えめを意識していますが、一部残酷描写や性的描写があります
四代目は身代わりの皇后④十年後~皇后アリカの計画と皇太子ラテの不満
江戸川ばた散歩
ファンタジー
何十年も後継者が出来なかった「帝国」の皇帝の世継ぎである「息子」を身ごもったサヘ将軍家の娘アリカ。そしてその側近の上級女官となったサボン。
実は元々はその立場は逆だったのだが、お互いの望みが一緒だったことで入れ替わった二人。結果として失われた部族「メ」の生き残りが皇后となり、将軍の最愛の娘はそのお付きとなった。
膨大な知識を皇后となったことでインプットされてしまった「アリカ」と、女官となったことで知り得なかった人生を歩むこととなった「サボン」の波乱と友情と日常のはなし。
皇太子誕生から十年後。ちゃくちゃくと進んで行くアリカの計画だが、息子は……
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる