上 下
103 / 176
五章 女炎帝

21、陳燕の謝罪

しおりを挟む
「わたくしの叔父は謹慎になったわ」

 陳燕チェンイェンに話しかけられて、翠鈴はふり返った。

「叔父は大理寺卿だいりじけいに昇進して、杷京はきょうの風紀を正すのだと躍起になっていた。でも、やりすぎたのね」

 まだ陳燕の両頬は腫れが残っている。

 陳燕の琅玕ろうかんの腕輪を盗んだ宮女は、罰として足首の腱を切られた。
 姪にですら暴力を振るう人間は、他人にはさらにひどいことをする。

 今回はたまたま皇后の懐妊の内祝いがあったおかげで、陳天分チェンティエンフェンは処罰できたが。もし風紀を正すという大義名分がまかり通ったなら。女性たちを投獄するだけでは済まなかったはずだ。

「叔父は、長く大理寺少卿だいりじしょうけいに留まっていたから。今回の昇進は、うちの一族がとても喜んでいたのよ。でもね」

 陳燕は息をついた。倦怠感が滲んでいる。

「叔父はお祝いを述べられることはあっても、自分からは『おめでとう』って言わないの。決してね。誰かが出世しても、身内が結婚しても、子が生まれても。いつも『まぁ、いつまでも上手くいくと思わないことだ』って皮肉を言うだけなのよ」
「それは……あなたもつらかったわね」

 庇うつもりはなかったのだが。翠鈴は、陳燕も叔父に嫌な思いをさせられたのだろうと想像できた。

 まるで「そうなのよ!」とでも言いたそうに、陳燕が一歩を踏みだす。
 だが、親しくもない宮女に話すことでもないと判断したようで。すぐに足をひっこめる。もう底の高い花盆沓は履いていない。

「女炎帝さまなら、聞いてくださるかしら」

 ぽつりと陳燕は呟いた。
 声が細い。おそらく陳燕には、心を打ち明けられる人が後宮にはいないのだろう。

 陳燕は強いわけではない。弱みを見せないように、常に虚勢を張っているだけだ。

「あなたの叔父さんは、謹慎が解けたら元の大理寺卿に戻るんでしょう?」

 翠鈴の問いに、陳燕は首を振った。

「無理だと思うわ。わたくしはその場にいなかったから、捕まっていた女官から話を聞いたのだけど。陛下の書状を持った人がいらっしゃったそうよ。陛下は叔父のことを怒っていらしたから」

 陛下の書状を届けたのは、光柳しかいない。

 牢獄に囚われていた女官や宮女は、光柳の顔を見ているはずなのに。彼女たちは解放された後も、秘密を共有するかのように、光柳の名を出さない。
 まるで彼を守るかのように。

「叔父は、わたくしのことを陳家の恥さらしだと罵ったけれど。大理寺の頂点に立った途端に、降格されるんですもの。陳家の恥が上書きされたわね」

 ふふ、と陳燕は乾いた笑いをこぼした。
 翠鈴は圍巾ウェイジンを口もとまで引きあげた。その様子を、陳燕が一瞥する。

「その圍巾の素材が何かご存じ?」
「山羊の毛というくらいしか知らないわ」
「でしょうね。あんたはただの宮女ですもの。価値なんて分からないわよね」

 いつもの憎まれ口を叩いているのに。やはり嫌味に力がない。

「それは高山に住む山羊の毛を織ったものよ。貴族や豪商しか持てない、とても高価で滅多に手に入らない品なの」
「そうなの?」
「呆れたわ。知らなかったの? 普段使いにするような品じゃないわ」

 思っていたよりも貴重な品だ。翠鈴は、光柳にもう一度返すべきかと悩んだ。

「でも、贈り物なら知らなくてもしょうがないわね。もしかして女炎帝さまがくださったのかしら」

 ん? 翠鈴は首を傾げた。

「罵倒しないの?」
「……しないわよ」
「盗んだって疑わないの?」

 翠鈴の言葉に、陳燕は恥じ入るようにうつむいた。胸の前で両手を握りしめて、回廊の床を見つめている。

 陳燕がためらうその間に、遠くから鶏の声がした。鶏に呼応するように、未央宮の木にとまっていた雀が鳴きはじめる。
 庭の木々や草には霜が降りている。昇る朝日に照らされて、葉についた霜がきらきらと光を宿す。

「以前、麟美リンメイさまの詩を盗んだなんて、言いがかりをつけたことを謝るわ。ごめんなさい」

 今にも消え入りそうなほどに、小さな声で陳燕は告げた。

 世の中には、謝ると死んでしまう人間がいると翠鈴は思っていた。陳燕もその類だと。
 でも、違った。

「また女炎帝さまにお会いしにいくわ。こんなわたくしの悩みを聞いてくださったのだから。お礼を伝えたいの」

 陳燕は未央宮を出ていった。
 誇り高い彼女のことだ。今朝の行動は、勇気が必要だったに違いない。

 女炎帝が翠鈴であると、陳燕は気づいているのかいないのか。それは些末なことのように思えた。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

職業『お飾りの妻』は自由に過ごしたい

LinK.
恋愛
勝手に決められた婚約者との初めての顔合わせ。 相手に契約だと言われ、もう後がないサマンサは愛のない形だけの契約結婚に同意した。 何事にも従順に従って生きてきたサマンサ。 相手の求める通りに動く彼女は、都合のいいお飾りの妻だった。 契約中は立派な妻を演じましょう。必要ない時は自由に過ごしても良いですよね?

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

余命六年の幼妻の願い~旦那様は私に興味が無い様なので自由気ままに過ごさせて頂きます。~

流雲青人
恋愛
商人と商品。そんな関係の伯爵家に生まれたアンジェは、十二歳の誕生日を迎えた日に医師から余命六年を言い渡された。 しかし、既に公爵家へと嫁ぐことが決まっていたアンジェは、公爵へは病気の存在を明かさずに嫁ぐ事を余儀なくされる。 けれど、幼いアンジェに公爵が興味を抱く訳もなく…余命だけが過ぎる毎日を過ごしていく。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

継母の品格 〜 行き遅れ令嬢は、辺境伯と愛娘に溺愛される 〜

出口もぐら
恋愛
【短編】巷で流行りの婚約破棄。  令嬢リリーも例外ではなかった。家柄、剣と共に生きる彼女は「女性らしさ」に欠けるという理由から、婚約破棄を突き付けられる。  彼女の手は研鑽の証でもある、肉刺や擦り傷がある。それを隠すため、いつもレースの手袋をしている。別にそれを恥じたこともなければ、婚約破棄を悲しむほど脆弱ではない。 「行き遅れた令嬢」こればかりはどうしようもない、と諦めていた。  しかし、そこへ辺境伯から婚約の申し出が――。その辺境伯には娘がいた。 「分かりましたわ!これは契約結婚!この小さなお姫様を私にお守りするようにと仰せですのね」  少しばかり天然、快活令嬢の継母ライフ。 ■この作品は「小説家になろう」にも投稿しています。

【完結】勤労令嬢、街へ行く〜令嬢なのに下働きさせられていた私を養女にしてくれた侯爵様が溺愛してくれるので、国いちばんのレディを目指します〜

鈴木 桜
恋愛
貧乏男爵の妾の子である8歳のジリアンは、使用人ゼロの家で勤労の日々を送っていた。 誰よりも早く起きて畑を耕し、家族の食事を準備し、屋敷を隅々まで掃除し……。 幸いジリアンは【魔法】が使えたので、一人でも仕事をこなすことができていた。 ある夏の日、彼女の運命を大きく変える出来事が起こる。 一人の客人をもてなしたのだ。 その客人は戦争の英雄クリフォード・マクリーン侯爵の使いであり、ジリアンが【魔法の天才】であることに気づくのだった。 【魔法】が『武器』ではなく『生活』のために使われるようになる時代の転換期に、ジリアンは戦争の英雄の養女として迎えられることになる。 彼女は「働かせてください」と訴え続けた。そうしなければ、追い出されると思ったから。 そんな彼女に、周囲の大人たちは目一杯の愛情を注ぎ続けた。 そして、ジリアンは少しずつ子供らしさを取り戻していく。 やがてジリアンは17歳に成長し、新しく設立された王立魔法学院に入学することに。 ところが、マクリーン侯爵は渋い顔で、 「男子生徒と目を合わせるな。微笑みかけるな」と言うのだった。 学院には幼馴染の謎の少年アレンや、かつてジリアンをこき使っていた腹違いの姉もいて──。 ☆第2部完結しました☆

初耳なのですが…、本当ですか?

あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た! でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。

処理中です...