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五章 女炎帝

20、女神でないことは知っている

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 光柳クアンリュウたちが、大理寺だいりじに向かっていたその頃。
 翠鈴ツイリンは助けた女官と共に、夜の後宮を歩いていた。

女炎帝じょえんていさまは、未央びおう宮の司燈しとうの方ですよね」

 女官に身分を言い当てられても、翠鈴は「はぁ」と曖昧な返事しかできない。今日は圍巾ウェイジンで顔を隠していない。
 翠鈴はたかが宮女だが。それでも食堂で顔を覚えられたのかもしれない。

「いいんですよ、隠さなくても。誰にも言いませんから。でも、とっくに気づいてる人もおりますよ」
「そうなんですか?」

 光柳といることも多いから、覚えられているのだろうか。彼と顔を合わせるのは、ほとんどは未央宮か、秘書省の書令史の部屋だ。
 翠鈴はそう推測したが。自分が単体で目立っているとは、本当に気づいていない。

 下働きの宮女は、たまった疲れが動きや表情に浮かんでいる。だが翠鈴は背が高い上に、姿勢もよい。山野で薬草を摘んで育ったので、体力もあるから疲れもすぐとれる。

 翠鈴は侍女のように着飾ることはないが。彼女の青空に向かって伸びる若竹に似た清々しさは、どうしても目を引いてしまう。

「未央宮か宮女の宿舎に行けば、薬は買えます。だけど、そうなれば蘭淑妃や他の人たちにも迷惑をかけることになるでしょう? だから皆、あの橋に集まるのですよ」

 女官は苦笑しながら教えてくれた。

(そうか。薬を買ってくれる人たちは、わたしに気を遣ってくれていたんだ)

 知らなかった。

「本当の女神さまではないことは、誰だって承知しています。でもね、あなたはこうして助けに来てくれた。他の女官や宮女のことも、助けるために動いてくれた。でしょ?」
「あれは光柳さまがいらっしゃったから、できたことです」

 光柳に頼りすぎていることは、翠鈴も自覚している。

 そう、自分は力のない司燈だ。
 光柳も身分はただの書令史だが。それでも伝説の女流詩人でありつづける彼は、陛下にとっても後宮の女性たちにとっても唯一無二の存在だ。

 宮女の宿舎の前で、女官とは別れた。

「また薬を売りに来てくださいね。紙を扱うものですから、指先が荒れるんです」

 女官の宿舎はさほど離れてはいないが。それでも自分を送るために回り道してくれたことに、翠鈴は気づいた。

「あの……」

 女官を見送った後。
 宿舎の前で新たに声をかけられて、翠鈴は立ちどまる。

「さっきはありがとうございました」

 話しかけてきたのは、宮女だ。
 あっさりとした面立ちの、見かけたことのある顔だけれど。どこでだったのか思いだせない。食堂だろうか、それとも宿舎の廊下?

「えーと。わたし、何かした?」

 疲れと眠さで、翠鈴の対応は雑になってしまう。

「はい。うちのことを気にかけてくれました。とっても感動してっ」

 宮女は身を乗りだして、まくし立てる。
 うーん覚えてないなぁ。疲労で限界の翠鈴は、立っているのもやっとだった。

◇◇◇

 翌朝。
 夜更かしが続いている翠鈴は、あくびをしながら回廊の明かりを消した。

 東の空の底が、ほんのりと薔薇色に染まっている。
 きんと冷えた空気の中を、さくさくと霜柱を踏む音が聞こえた。

「もう足は治ったようね」

 翠鈴は、未央宮を訪れた陳燕に声をかけた。鼻が冷えるので、顔の下半分まで圍巾ウェイジンを巻いている。そのせいで声がくぐもっている。

「なんで分かるのよ」
「足音が規則正しいから」

 まるで常識であるかのように告げられた陳燕チェンイェンは、顔をしかめた。
 ふたりとも朝の挨拶もなく、会話を始める。お互いに礼儀正しく接したい相手でもない。

 さすがに鶏の鳴く前ということもあり、陳燕は簡単に髪を結んで革の上着をはおっている。

「その圍巾ウェイジン。見覚えがあるわ」

 陳燕が、翠鈴の首もとをじっと見つめた。
 宮女が持つには、あまりにも高級な品だ。また、盗んだのだろうと言いがかりをつけられるだろうと、翠鈴は身構えた。

「わたくしの女神さまが、同じ圍巾をつけていらしたの」
「ふぅん」

 陳燕は、夜にだけ現れる女炎帝に、たいそう入れ込んでいる。

 昨夜の女官は、夜更けの薬売りが翠鈴であると見抜いていたが。あの女官は、女炎帝と称される薬売りが女神でないことは、誰もが承知していると話していたが。
 陳燕に関しては、あてはまるのかどうか。

「じゃあ、仕事の途中だから」 

 翠鈴は陳燕に背中を向けて歩きだした。
 回廊の下げ灯籠は、まだ半分も消していない。

「ちょっと、待ちなさいよ」

 陳燕は、白い息を吐きながら声を上げた。
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