後宮の隠れ薬師は、ため息をつく~花果根茎に毒は有り~

絹乃

文字の大きさ
上 下
104 / 184
五章 女炎帝

22、切ない琥珀の瞳

しおりを挟む
 後日。翠鈴はきれいに洗濯した圍巾ウェイジンを手に、秘書省の書令史の部屋を訪れた。
 光柳と雲嵐の職場だ。

 綿繭わたまゆの紙で作られたまどから、光が射しこむ。壁も床も、銀箔を貼ったかのように美しい。

「やはり、これはさすがにいただけません。わたしには高価すぎます」

 翠鈴が差しだした圍巾ウェイジンを見て、机の席に座った光柳と横に立つ雲嵐は顔を見合わせた。

「翠鈴。お茶でもどうですか?」

 すかさず雲嵐がお茶を勧めてくる。
 これは光柳の意図を汲んで、話を逸らそうとしているな。翠鈴は察した。

 光柳と雲嵐の主従は、言葉にせずとも唇の動きや、目だけで会話ができるという特技を持っている。
 彼らは幼なじみという関係でもあるから。ふたりとも特に疑問を持ってなさそうだが。

 翠鈴と胡玲も幼なじみだ。しかし、言葉にせずに意思の疎通ができるような芸当は持ちあわせていない。

「いえ、お茶は結構です」と翠鈴は断った。それなのに、雲嵐はすぐに湯を沸かすために部屋を出た。

(まぁ、あるじの意思の方を優先するよね)

 翠鈴は、光柳に椅子に座るように促される。
 長居するつもりはないのだが。すぐに帰してもらえなさそうだ。

「贈った物を返されても困る」
「失礼なのは承知しています。光柳さまにとっては、使い慣れているでしょうが。わたしには高級すぎます」

 ただ、この圍巾ウェイジンの肌触りは心地がいいから。あまりにも気に入っているので、翠鈴は常に首に巻いている。

 机の上にたたんで置いた圍巾に、翠鈴はそっと手を触れる。
 なめらかで、優しくて。しかも温かい。

「私と思って大事にするように、と以前に言ったと思うが」
「大事にしていましたよ。しまいこまずに、毎日使っていました」

 寒い夜も朝も、この襟巻に包まれていれば暖かだった。気持ちがほっとしたのだ。

「まーぁ、気にしなくていいんじゃないか?」

 光柳が、急に明るい声を発した。

「気にしますよ。庶民なもので」

 翠鈴は時々、勘違いしてしまいそうになる。光柳たちと一緒にいることが多いから。気軽に話ができるから。
 仲間で、友人でいられるんじゃないか、と。

「そうだ。雲嵐が年糕ニェンガオを焼いてくれるぞ。茶菓子にしよう」
「まだ春節には早いですよ。それに焼くんですか? うちの方では年糕を揚げて、砂糖をかけますよ」
「おいしいものは、いつ食べてもいいんだ」

 よほど好物なのだろう。光柳は満面の笑顔だ。
 お茶のいい香りが漂ってきた。翠鈴は、雲嵐がいる小部屋の方に目を向ける。

 翠鈴は気づかなかった。

 よそを向いた翠鈴を見つめる光柳から、笑顔が消えたことを。
 彼の表情に、やるせない切なさが浮かんでいたことを。

 これまでの人生で、光柳はいろんなものを失ってきた。寂しさを抱えれば抱えるほど、彼の琥珀の瞳は透明さを増していく。

「干し草のような、懐かしい香りがします。白牡丹パイムーダンのお茶を淹れてくださってるんでしょうか」

 翠鈴がふり向いたとき。光柳は笑顔だった。一片の憂いも感じられない表情だ。

「ああ、先日購入した茶葉だ。抽出時間の問題なのか、それとも茶葉の量なのか。私が淹れると渋くなるんだよな」

 繊細な感性を持っているのに。光柳は細かな部分は気にしないようだ。

「それに年糕ニェンガオは『年年高ニェンニェンガオ』に通じるからな。お金儲けにぴったりなんだ。それから。やはりこれは君が持っていなさい」

 光柳は、まるでついでのように圍巾ウェイジンを翠鈴に手渡した。

「私は、君の仕事中の風除けにはなってやれないからな。常に私が後ろにいて、壁になるのもおかしいだろう」
「想像すると怖いです」
「な?」

 光柳の言葉は冗談だと分かっているのに。
 翠鈴が回廊の下げ灯籠を消すたびに、背後にぴたっと立った光柳が一緒に移動する様子を想像すると。あまりにも馬鹿げていて、笑いがこぼれてしまう。

「光柳さま、翠鈴。お茶をどうぞ」

 雲嵐が盆を運んできた。手早く焼いたのだろう。盆には年糕と蓋碗ガイワンが載っている。

白牡丹パイムーダンは、茶葉の白い産毛が牡丹の花に似ているそうですよ。この葉は渋みが出やすいんです。それに茶葉が大きいので、蓋碗ガイワンで淹れる方がいいんです」

「そうなんですね。前に飲んだ時は、急須の茶壺チャフで淹れてしまいました」
「では、今日はぜひ蓋碗で」

 にっこりと雲嵐が微笑む。
 もし彼が茶葉を売る商人であったら、翠鈴は迷わず購入してしまったであろう。
 なぜか、光柳がしたり顔で口の端を上げた。

 碗の蓋を、翠鈴はずらした。ふわっと、かぐわしい香りが鼻をかすめる。

 最近の雲嵐は、主だけではなく翠鈴の好みまで分かってきている。
 これはお茶を断って、席を立つのは難しい。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。

ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。 ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。 対面した婚約者は、 「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」 ……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。 「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」 今の私はあなたを愛していません。 気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。 ☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。 ☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)

愛人をつくればと夫に言われたので。

まめまめ
恋愛
 "氷の宝石”と呼ばれる美しい侯爵家嫡男シルヴェスターに嫁いだメルヴィーナは3年間夫と寝室が別なことに悩んでいる。  初夜で彼女の背中の傷跡に触れた夫は、それ以降別室で寝ているのだ。  仮面夫婦として過ごす中、ついには夫の愛人が選んだ宝石を誕生日プレゼントに渡される始末。  傷つきながらも何とか気丈に振る舞う彼女に、シルヴェスターはとどめの一言を突き刺す。 「君も愛人をつくればいい。」  …ええ!もう分かりました!私だって愛人の一人や二人!  あなたのことなんてちっとも愛しておりません!  横暴で冷たい夫と結婚して以降散々な目に遭うメルヴィーナは素敵な愛人をゲットできるのか!?それとも…?なすれ違い恋愛小説です。 ※感想欄では読者様がせっかく気を遣ってネタバレ抑えてくれているのに、作者がネタバレ返信しているので閲覧注意でお願いします…

王家に生まれたエリーザはまだ幼い頃に城の前に捨てられた。が、その結果こうして幸せになれたのかもしれない。

四季
恋愛
王家に生まれたエリーザはまだ幼い頃に城の前に捨てられた。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

契約婚なのだから契約を守るべきでしたわ、旦那様。

よもぎ
恋愛
白い結婚を三年間。その他いくつかの決まり事。アンネリーナはその条件を呑み、三年を過ごした。そうして結婚が終わるその日になって三年振りに会った戸籍上の夫に離縁を切り出されたアンネリーナは言う。追加の慰謝料を頂きます――

敗戦して嫁ぎましたが、存在を忘れ去られてしまったので自給自足で頑張ります!

桗梛葉 (たなは)
恋愛
タイトルを変更しました。 ※※※※※※※※※※※※※ 魔族 vs 人間。 冷戦を経ながらくすぶり続けた長い戦いは、人間側の敗戦に近い状況で、ついに終止符が打たれた。 名ばかりの王族リュシェラは、和平の証として、魔王イヴァシグスに第7王妃として嫁ぐ事になる。だけど、嫁いだ夫には魔人の妻との間に、すでに皇子も皇女も何人も居るのだ。 人間のリュシェラが、ここで王妃として求められる事は何もない。和平とは名ばかりの、敗戦国の隷妃として、リュシェラはただ静かに命が潰えていくのを待つばかり……なんて、殊勝な性格でもなく、与えられた宮でのんびり自給自足の生活を楽しんでいく。 そんなリュシェラには、実は誰にも言えない秘密があった。 ※※※※※※※※※※※※※ 短編は難しいな…と痛感したので、慣れた文字数、文体で書いてみました。 お付き合い頂けたら嬉しいです!

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

処理中です...