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7 喪失の理由 ※残酷な表現あり
しおりを挟む―――目が覚めたら質素な馬車の荷台にいた。
布を噛まされ、両手は縛られていた。
平民の服を着せられていた。―――
「食事か飲み物に睡眠薬を入れたのでしょう。
フローレンス様は知らぬうちに王宮を出ていたそうです」
グレンはそう言うと机の上で両手を合わせた。
あいつをグレンの部屋に残して、俺とグレンは空いていた宿舎の一室で向き合っていた。
すきま風の入る狭い部屋で
グレンは淡々と、俺に話して聞かせた。
「記憶を取り戻したフローレンス様が真相を教えてくださいました。
……王女誘拐の実行犯は王女付きの侍女と、そしてその夫である騎士。
彼らは子どもを人質に取られ、フローレンス様の誘拐を強要されたそうです。
やらなければ子どもの命はない、と」
「……夫婦は従うしかなかったわけか」
「それも期限は今晩まで。
王宮には他に何人も仲間がいて、常にお前たち夫婦を見ている。
どちらか一人でも妙な真似をすれば子どもだけではなく、もう一方の命もない。
夫婦はそうも脅されたと、フローレンス様は侍女から聞いたそうです。
短時間での実行を指定されて冷静な判断力を奪われ、二重に脅され。
……侍女と騎士夫婦は、どうしようもなかったのでしょうね」
―――アイリスはずっと私に泣いて謝っていた。
《どうか許してください。
貴女を連れて行かないと、私たちの娘は殺されてしまうのです》と。―――
「ただ、侍女と騎士夫婦は犯人を知らなかったようです。
夫婦が会ったのは直接指示をしてきた五人の男たちのみ。
王女誘拐を命令した真の犯人はわからない、と言っていたそうです」
「……そうか」
―――何日も移動した。何度も馬車を変えて。そして……―――
「そして、フローレンス様と侍女と騎士夫婦は、直接指示をしてきた五人の男たちと共にこの地に着いた。
と、言ってもフローレンス様と夫婦は数日前から目隠しをされていて場所はわからなかったそうですが。
どこかの小屋の前で乗ってきた粗末な馬車は停められた。
そこで…………フローレンス様は男に殺されそうになったと」
「何?!」
「一人薄暗い小屋に入れられたと思ったら、中には男がいて。
短剣を持ち、フローレンス様を追い回したそうです。
楽しそうに、笑って話をしながらね。
真の犯人です。
どうしてそんな事件をおこしたのか。
詳しく話して聞かせてくれたそうですよ。
フローレンス様の身も心も傷つけてから殺す気だったのでしょう」
「―――――」
「……きっと思い出したくないからでしょう。
記憶が戻った今でも、フローレンス様は男の顔は覚えていないと。
ですが、特徴がひとつ。髪の長い男だったそうです」
「……髪の長い……男?」
「ええ。多分、それでタニアさんを恐れていたのでしょうね。
背が高く、鎧を纏う兵士のタニアさんは髪の長い男性に似て見えたのでしょう」
「―――――」
唇を噛んだ。
グレンは一度息を吐いてから、話を続けた。
「しかし危ないところを侍女と騎士夫婦が来て、助け出してくれたそうです。
夫の騎士が、髪の長い男の顔を斬って、ね。
フローレンス様は妻の侍女に庇われるようにして小屋の外に出た。
外には血を流し倒れている一緒に来た男たちと、
他に、それまで見なかった男が何人もいたそうです。
男たちはフローレンス様を逃すなと叫んで向かってきたそうですが。
騎士が傷つきながらも盾になり、辛くも乗ってきた粗末な馬車で逃げ出したと」
「そうか……」
―――アイリスはずっと泣いていた。そして。ランスは……―――
「……ですが逃げ出した後、しばらくして。騎士は力尽きたようです」
「―――――」
「逃げ出せはしたものの、騎士は亡くなってしまった。
追っ手が迫っているのに助けを求められる人の姿はなく、村を探そうにも土地勘がない。
侍女とフローレンス様は馬車を走らせる以外、何もできなかったそうです。
……ろくに馬を操れない二人の乗る馬車です。
追っ手が魔物の森へ行くように仕向けることなど、造作もないことだったでしょうね……」
俺は疑問に思った。
「なあ……」
「何ですか?」
「何で追っ手は直接、二人を手にかけようとはしなかったんだ?
その方が魔物の森に追い込んで、魔物に襲わせるより確実じゃないか。
魔物はそうしょっちゅう現れるものでもないんだぞ?」
魔物は森から人や家畜を襲いにくる。
つまり人や家畜が森の近くにいるほど魔物が現れる確率が上がる。
だが、魔物の森に最も近い俺の住む村でも毎日魔物が現れるわけじゃない。
グレンは怒りを押し込めたような低い声で言った。
「……ただ手にかけるだけではなく存分に苦しめろと命じられていたのでしょう。
フローレンス王女を。
きっと追っ手は魔物が現れても現れなくても、どちらでもいいと思っていた。
魔物が現れなければ捕まえて、別の方法を考えればいいだけだ」
「なんで……。あいつは、なんでそこまでされるほど憎まれていたんだ?」
「フローレンス様だけが……憎まれていたわけではないからでしょう」
「あいつだけじゃない?」
「――ええ。どこからお話ししましょうか。
まずは。国王陛下は末の王女、フローレンス様を可愛がっておいででした。
一緒に過ごされることも多かった。
ですが、それはすでに成人されていた上の殿下方と違い、成人前のフローレンス様の生活には時間に余裕があったからです。
上の殿下方は妃を迎えていらしたり既に嫁いでおられたり。
執務や公務をこなしてみえましたから。
国王陛下は平等な方です。
フローレンス様にだけ特別愛情を注いでおられたわけではありません。
それでも当時。
フローレンス様が国王陛下に溺愛されていると見ていた者は多かった」
「…………」
「それから。
当時、大国の大公の子息がこちらの王宮に滞在されていました。
婚約者候補の令嬢たちとの顔合わせのためです。
大公の子息と歳の近い高位貴族の令嬢たちが集められ、宴が催されました。
―――が。
《第四王女がいないのは残念だな》
一人の令嬢が、侍従と話していた大公の子息のそんな呟きを聞いてしまった」
「……は?」
「その令嬢が大公の子息に恋心を持っていたのか。
次期大公という子息の地位に惹かれたのか、それはわかりませんが。
自分が大公の子息と結ばれたかった令嬢は、泣きながら父親にその話をした。
きっと婚約者は第四王女に決まるだろうと。
聞いた父親は激昂したそうですよ。
《母親だけでなく、その娘までも我が家を不幸にするのか》と」
「……すまない。意味がよく……」
「わかりやすく言えば。
その家には昔、王妃になり損なった娘がいた。今の王妃陛下がいた為です。
そして今度は大国の子息――次期大公の妻の座も、
王妃陛下の娘である第四王女フローレンス様に奪われようとしている。
そう思った。
それで
《母親の王妃陛下だけでなく、娘のフローレンス様までもがうちを不幸にする》
と怒り、憎んだ。そういうことらしいです」
「……そんな理由で……あいつを誘拐し、苦しめて殺そうとしたのか?」
「そうなのです。
だから誰も真の犯人に気づけなかった。
国王陛下は立場上、人に恨まれることも少なくない。
ですので皆、国王陛下に恨みを持つ者が、国王陛下の溺愛するフローレンス様を誘拐したのだと思っていた。
未成年のフローレンス様が……ましてや大公の子息の呟きが理由だとは思わなかったのです」
「見当違いをしたんだな」
「ええ。そのせいで。
国王陛下の命を受けた精鋭騎士団も、犯人とフローレンス様。
どちらも見つけ出すことはできなかった。
誘拐を実行したと思われるのはフローレンス様と同時に消えた侍女と騎士夫婦。
それだけしか手がかりもありませんでしたからね。
一年に及ぶ大規模な捜索でも。
それから今日までの捜索でも、犯人もフローレンス様も見つけられなかった」
「……なあ、グレン。
お前は国王陛下の命を受け、犯人とあいつを探していた一人か?」
グレンは
一瞬、目を見開いて。そして目を伏せた。
「―――いいえ。違います。私は……。
……国王陛下の命を受けた捜索隊に加わることは許されませんでしたので……」
そう言って拳を握った。
そうかもしれない、と想像していた答えだった。
護衛する王女を攫われた護衛騎士だ。
どんなに罵られただろう。
「……一人で探して……お前は見つけたんだな。
生きているのかどうかもわからなかったあいつを」
「……ええ。捜索隊が探していないところを回って。
細々とした村々をまわる手紙配達員に目をつけて。
侍女と騎士夫婦、そしてフローレンス様の特徴を言い、見たことはないか尋ねて歩きました。
言えば大抵の配達員は三人のうち誰かを見たことがあるかどうか、僅かな時間でも記憶を手繰ってくれる。
ですが、ここの配達員は即座に《知らない》と言って終わりだった。
ただの無愛想かとも思いましたが。逆に印象に残った」
「《記憶をなくすほど恐ろしい思いをして来た娘》で定着していたからな。
村ではあいつのことを他所には内緒にしていた。
配達員もそれを知っていたんだ」
「なるほど。そうでしたか」
俺はグレンを見つめた。
「それで。グレン。
子どもを人質に侍女と騎士夫婦を脅し、あいつを誘拐させ。
あいつを短剣で追い回し殺そうとした真の犯人は……」
「……わかりましたよ。もちろん。
ですが。申し訳ありませんが、貴方に言うことはできません」
「……そうか……」
そうだろうな。
俺にだって想像できた。
攫われて来たのはこの地。
そして
長い髪は貴族サマの特徴だ。
この辺境の地にいる貴族は、ただ一人。
―――辺境伯サマだけだ。
辺境伯サマの顔には
きっと騎士に斬られた傷がある。
確かめたい。確かめて、もしそうならその時は―――。
……だが、俺が近づける相手じゃない。
悔しさに歯噛みした。
同じ気持ちなのだろうか。
グレンは腰の剣を睨むように見つめていた。
俺は気持ちを切り替え、もうひとつ。気になったことを聞くことにした。
「……もうひとつ。いいか?」
「何でしょう」
「その。……侍女と。騎士夫婦の、子どもは……」
グレンの顔が歪んだ。
「……お察しの通りです。連れ去られて……すぐに。
夫妻はそれを知って怒り狂い……後先など考えずにフローレンス様を助けに行ったのでしょう」
「……そうか……」
―――そしてアイリスは……―――
「…………その後の侍女とフローレンス様が乗った馬車ですが。
魔物の森の方へと進んだ。
森に近づいて、魔物の気配を感じたのでしょうか。
馬車に繋がれていた馬が暴れ、侍女とフローレンス様は荷台から落とされた」
「…………」
「それからは二人で歩いて彷徨っていた。
すると近くで何人かの、男の悲鳴のような叫び声が聞こえたそうです。
察するに隠れていた追っ手でしょう。
たぶん侍女とフローレンス様が魔物に襲われるのを見届けるためにいた。
馬鹿な奴らだ。
先に自分たちが魔物に襲われることになった」
「…………」
「フローレンス様からは見えなかったようですが。侍女は見たのでしょう。
侍女は声が聞こえた方向と反対の方へフローレンス様を連れて走った。
そして根元に洞のある木を見つけると、フローレンス様をその洞に押し込んだ」
「……あいつだけを?」
「……小柄なフローレンス様がなんとか入れたくらいの洞だったそうです。
フローレンス様を押し込めると、侍女は急いで狭い入り口を、空気を通す小さな穴を残して土や枯葉で塞いだ。
そしてフローレンス様に、何があっても出てこないように言ったそうです」
「――囮になったのか。侍女は。魔物から、あいつを助ける為に。
そしてあいつは。まさか……見たのか。……侍女の……最期を」
「……それで記憶を失くされたようです……」
俺は
かたく目を閉じた。
―――思い返すたびに。
攫われてからの記憶はどんどん鮮明になっていく。
馬車の走る音。固い板の座席。
泣いていたアイリス。
血が滲むほど唇を噛んでいたランス。
卑下た男たちの笑い声。
そして
そして、そして―――――
かたく目を閉じた。
両手で耳を塞いだ。
「アイリス……。ランス……。……デイジー……」
お姉様みたいだった。優しかった。……可愛いかった。
なのに―――
手を耳から離し、自分を抱いた。
涙も、そして震えも止まらなかった。
冷たい闇の中に
突き落とされたように思えた。
苦しくて息ができなかった。
部屋に入ってきたすきま風が肌を刺す。
でも痛いのは肌じゃあない。
痛いのは。
砕けてしまいそうなほど痛いのは―――――
と。
――「俺がいる。もう大丈夫だ」――
頭の中で声が響いた。
ぼろぼろと涙が溢れる。
嗚咽が漏れる。
分厚い外套のせいで熊のように見えた大きな身体。
柔らかな薄茶の瞳。
種が芽吹くように。
木々が眠りから醒めるように。
この地でフィンリーと呼ばれ生きてきた記憶が、息を吹き返す。
私の中に溢れ出す。
どの記憶にもいるその人の名を
私は壊れたように呼び続けた。
「リアン。……リアン……リアン。リアン―――――」
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