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朝の日の光が差し込む頃、姫は目を覚ました。
「お目覚めだね、我が姫」
岐城君が声を掛けた。彼と二人の侍女はその後も彼女の側に居続けたのだった。
姫は岐城君の声に驚いたのか、再び大尚宮にしがみついた。そんな彼女の背中を優しく撫でながら大尚宮は岐城君に言った。
「見慣れない方がいらっしゃるので驚かれたのでしょう」
その言葉に岐城君は苦笑した。
小尚宮がいつの間に身繕いの道具を持ってきた。そして姫君を背中に回わるとその身体を支えた。大尚宮が濡れ手拭いで姫君の顔を拭こうするのだが、小尚宮の支えは不安定だった。
「私が代わろう」
岐城君が小尚宮と交代して姫君の背を支えた。小尚宮に比べ大柄で力のある岐城君の支えの方が姫君も楽だったのだろう、彼女は拒まなかった。
顔を拭き終えると二人がかりで髪を梳き始めた。
「お髪は如何しましょう、結婚されたのですからお下げ髪では‥」
大尚宮が問いかけると
「そうだね、既婚の王族女性のような結い髪は身体に負担になるだろう」
と岐城君は答えると、髪を二つに分けるように言った。そして三つ編みにして耳の上で纏めさせた。最後に飾り紐を結んだ。
「まぁ可愛らしい」
小尚宮は歓声を上げた。
「本当に!唐子人形みたい」
大尚宮が言った瞬間、姫君の顔に笑みが浮かんだ。背後で鏡を通じて彼女の表情を見た岐城君は正面に回って新妻の顔を見た。
「ああ‥」
一点の曇り無きというのは、こういうものだろうか。(よこしま)さが全く感じられない笑顔。
岐城君は思わず彼女を抱きしめてしまった。今度は拒まれなかった。
この光景を見た大尚宮は嬉しげに言った。
「やはりお二人は縁がおありになったのですよ。大監さま御夫妻と私たち以外に笑顔をお見せしたのは初めてですので」
同時に内心では安堵した。配偶者が自分を邪険に扱うことがないことを姫君自身が分かったのだから。
続いて二人の侍女は姫君の着替えを始めた。薄桃色の日常衣は姫君の身体に負担にならないようにゆったりと仕立てられていた。普段着にさえも上質な布を用いているのを見て岐城君は改めて前宰相家の豊かさに感心するのだった。
「失礼いたします」
外で声がした。
「朝御飯が来たようね」
小尚宮が部屋の戸を開け膳を受取った。
鏡台が片づけられた姫君の前に膳が運ばれた。温かい粥と副菜が数種類。どれもきちんと調理されている。
「旨そうだな」
大尚宮に食べさせて貰っている姫君の様子を愛おしそうに眺める岐城君が呟いた。そして
「私もここで朝食を摂ろう」
と言った。何しろ昨日から何も食べていないのだから空腹だった。
大尚宮は直ちに朝食を運ばせた。岐城君の膳も温かい粥と漬物と副菜数種類だった。
「美味い」
このように温かい粥を食べるのは久しぶりだった。
「私たちと一緒に賄い人も何人か来たのです、人手が増えたのでこれからは温かい御膳を用意出来るでしょう」
説明する大尚宮の口調はどこかしら誇らしげだった。前宰相宅の者としての矜持があるのだろう。それに比べウチの使用人たちときては‥、岐城君は嘆こうとしたがやめた。新妻を見ているとそのようなことがつまらなく思われたからである。
彼が食事を続けると姫君がじっとその様子を見つめていた。
「人が飯を食べている姿が面白いのか」
岐城君が苦笑しながら言うと
「考えてみれば姫さまが他人が御食事をしている姿を見るのは初めてかも知れませんね」
と大尚宮が応えた。
そうか、一日中部屋に籠もって寝ていた姫君は“世の中”の様子を見たことがないのだろう、ならば‥。岐城君はある決心をした。
―しかし、その前に。
食事を済ませた岐城君は姫君を抱き上げると書斎に連れていった。
「お目覚めだね、我が姫」
岐城君が声を掛けた。彼と二人の侍女はその後も彼女の側に居続けたのだった。
姫は岐城君の声に驚いたのか、再び大尚宮にしがみついた。そんな彼女の背中を優しく撫でながら大尚宮は岐城君に言った。
「見慣れない方がいらっしゃるので驚かれたのでしょう」
その言葉に岐城君は苦笑した。
小尚宮がいつの間に身繕いの道具を持ってきた。そして姫君を背中に回わるとその身体を支えた。大尚宮が濡れ手拭いで姫君の顔を拭こうするのだが、小尚宮の支えは不安定だった。
「私が代わろう」
岐城君が小尚宮と交代して姫君の背を支えた。小尚宮に比べ大柄で力のある岐城君の支えの方が姫君も楽だったのだろう、彼女は拒まなかった。
顔を拭き終えると二人がかりで髪を梳き始めた。
「お髪は如何しましょう、結婚されたのですからお下げ髪では‥」
大尚宮が問いかけると
「そうだね、既婚の王族女性のような結い髪は身体に負担になるだろう」
と岐城君は答えると、髪を二つに分けるように言った。そして三つ編みにして耳の上で纏めさせた。最後に飾り紐を結んだ。
「まぁ可愛らしい」
小尚宮は歓声を上げた。
「本当に!唐子人形みたい」
大尚宮が言った瞬間、姫君の顔に笑みが浮かんだ。背後で鏡を通じて彼女の表情を見た岐城君は正面に回って新妻の顔を見た。
「ああ‥」
一点の曇り無きというのは、こういうものだろうか。(よこしま)さが全く感じられない笑顔。
岐城君は思わず彼女を抱きしめてしまった。今度は拒まれなかった。
この光景を見た大尚宮は嬉しげに言った。
「やはりお二人は縁がおありになったのですよ。大監さま御夫妻と私たち以外に笑顔をお見せしたのは初めてですので」
同時に内心では安堵した。配偶者が自分を邪険に扱うことがないことを姫君自身が分かったのだから。
続いて二人の侍女は姫君の着替えを始めた。薄桃色の日常衣は姫君の身体に負担にならないようにゆったりと仕立てられていた。普段着にさえも上質な布を用いているのを見て岐城君は改めて前宰相家の豊かさに感心するのだった。
「失礼いたします」
外で声がした。
「朝御飯が来たようね」
小尚宮が部屋の戸を開け膳を受取った。
鏡台が片づけられた姫君の前に膳が運ばれた。温かい粥と副菜が数種類。どれもきちんと調理されている。
「旨そうだな」
大尚宮に食べさせて貰っている姫君の様子を愛おしそうに眺める岐城君が呟いた。そして
「私もここで朝食を摂ろう」
と言った。何しろ昨日から何も食べていないのだから空腹だった。
大尚宮は直ちに朝食を運ばせた。岐城君の膳も温かい粥と漬物と副菜数種類だった。
「美味い」
このように温かい粥を食べるのは久しぶりだった。
「私たちと一緒に賄い人も何人か来たのです、人手が増えたのでこれからは温かい御膳を用意出来るでしょう」
説明する大尚宮の口調はどこかしら誇らしげだった。前宰相宅の者としての矜持があるのだろう。それに比べウチの使用人たちときては‥、岐城君は嘆こうとしたがやめた。新妻を見ているとそのようなことがつまらなく思われたからである。
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「考えてみれば姫さまが他人が御食事をしている姿を見るのは初めてかも知れませんね」
と大尚宮が応えた。
そうか、一日中部屋に籠もって寝ていた姫君は“世の中”の様子を見たことがないのだろう、ならば‥。岐城君はある決心をした。
―しかし、その前に。
食事を済ませた岐城君は姫君を抱き上げると書斎に連れていった。
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