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第二部『帰らずの森と鬼神の迷い子』

二章-3

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   3

 俺が気がついたとき、背中に柔らかい草の感触がした。
 周囲は薄ぼんやりと明るく、指先には岩や粘液ではなく、木の根に触れている感触がある。視界がはっきりとしてくると、寝転がった姿勢でいる俺の真上には、煌めく星空が広がっていた。
 夜空に浮かんでいる三つの満月が辺りを照らし、ともすれば夜のメイオール村よりも周囲は明るくなっていた。


「姫様、大丈夫ですか?」


 上半身を起こして周囲を見回すが、瑠胡だけでなく《白翼騎士団》の面々の姿もなかった。どうやら、ここにいるのは俺だけらしい。
 どこなんだ、ここは。
 周囲は雑草に覆われ、夜だというのに月明かりでそこそこに明るい。大体、一つしかなかった月が、三つも浮かんでいるなんて!
 もう、わけがわからない。
 俺が周囲を見回していると、どこかから笑い声が聞こえてきた。声のする方角には、灯りらしいものが見えていた。
 どうやら、誰かいるみたいだ。
 俺は雑草を掻き分けながら、灯りのある場所へと急いだ。
 声がはっきりと聞こえるまで近づくと、そこは洞窟になっていた。洞窟があるのは山ではなく、高さが三マーロン(約三メートル七五センチ)ほどの段差になった高台だ。
 俺が近寄ると、そこには三人の男たちが円形のテーブルに座って、酒を飲んでいるようだった。
 シャプロンという大きく膨らんだ白い帽子を被った、初老の男が俺に気付いた。
 毛皮のような上着に、質の良い青い絹の服を着ていることから、どこかの貴族かもしれない。


「旦那、新しい客が来ましたよ」


「ああん……?」


 酔っ払った仕草で俺を振り向いた男――いや、その顔を見るに、そいつは人間ですらなかった。
 青い肌で頭髪はなく、瞳は血のように赤かった。頭部には牛のような角を持ち、口からは鋭い牙が覗いていた。着ている黒に近い紺色のローブの袖から出ている青い手には、鋭利が爪が伸びていた。
 俺は咄嗟に長剣を抜こうとしたが、鞘からピクリとも動かなかった。


「無駄……だ、青年。俺の神域では、どんな武器も使えねぇ」


「……誰だ、あんた」


 誰何する俺に、異形の男はジョッキを置いて、両手の親指を自身に向けた。


「俺様は、アクラハイル。娯楽を司る、鬼神が一柱だ」


「……娯楽?」


 巫山戯てるのか――という俺の表情に気付いたのか、アクラハイルは二本指を左右に振った。


「疑り深いやつだ。だがな……俺様の神域に来たからには、儀式をして貰う。これに例外はない」


 アクラハイルが手を振ると、どこからともなく、テーブルの上に新たなジョッキが現れた。その奇跡の如き光景に目を丸くしていると、アクラハイルは、ほかの二人へと手を振った。


「それでは――はいっ! はいっ! はいはいはいっ!」


 ほかの二人もアクラハイルに習って、音頭を取り始めた。
 妙な盛り上がりが最高潮に達したとき、アクラハイルが両手の人差し指を俺に向けた。


「はいはいっ! ランド・コールの!」


「ちょっと、いいところを見てみたい!」


 ――駆けつけ三杯! 駆けつけ三杯!


 手拍子をしながら、アクラハイルは俺にジョッキを差し出してきた。
 いやあの……突っ込みどころが多すぎて、色々と追いついていなかった。鬼神だとか神域だとか……なんか仰々しいことを言われたけど。

 目の前にいるの、ただの酔っ払いじゃないのか……?

 そんな感じに俺が呆れていると、アクラハイルは目を歯を剥くような顔で詰め寄って来た。


「おめー、俺様が注いだ酒が飲めねぇってか? ああん?」


「ああん!?」


 他の二人も鬼神と調子を合わせてきた。
 なんかその……いるわ、メイオール村の《月麦の穂亭》に、こんな客。例えば、デモス村長とか。
 俺は努めて平常を装いながら、極めて平坦な声で鬼神たちに言った。


「俺は下戸で、酒が飲めないんで。痛がることを無理矢理やらせて、自分たちだけが楽しむってのが、そっちの娯楽ってことでいいのか?」


 アクラハイルは一瞬、呆気にとられた顔をした。
 ほかの二人が少し緊張した面持ちで見守る中、いきなり破顔したと思ったら、自分のおでこをペチンッと叩いた。


「いやあ、ちょっと酔いすぎだな。確かに、嫌がる相手に無理強いをするなんざ、俺の流儀じゃねぇや。ただ、それだと儀式がな……よし、わかった。おい、なにか芸をしろ!」


「……は?」


「……は? じゃねぇだろ。おまえにだって、誰かを喜ばせるような芸の一つや千個は持ってるだろ。それを、俺たちに見せろ」


「いや、そんなこと言われても……」


 誰かを喜ばせるって、言ったって……悩む俺の脳裏に、ふと瑠胡の顔が浮かんだ。
 いや、まったく……なんでこんなときにとは、自分でも思う。ここまでになるってくると、かなりの重傷かもしれない。
 俺は小さく溜息をつくと、アクラハイルに尋ねた。


「ここ、厨房はないのか?」


「厨房……それなら、奥に行って右手だ。好きなモノを使っていいぞ」


 それは、有り難い。
 言われたとおりの場所へ行くと、様々な食べものが吊され、または置かれた厨房があった。食材はどれも新鮮で、今採れた――または肉なども解体して、切り分けたばかりといったものばかりだ。
 俺は二、三〇分ほどかけて、一品作ってみせた。茹でたジャガイモに牛酪(バター)をかけて焼いた、酒のつまみだけど。
 皿に載せたジャガイモの牛酪焼きをテーブルに置くと、鬼神と二人の男たちは、指で摘まんで口に運んだ。


「ほお……なかなかいける」


「ほむ……旨い」


 アクラハイルたちは微笑みながら、牛酪焼きを食べていく。
 酒を飲みながら、すべてを平らげたあと、アクラハイルは俺に片眉を上げてきた。


「一つ訊きたい。どうして、料理をしようと思った?」


「いや、大した理由は……ないけどさ。まあ、なんだ。俺の作ってる飯を、喜んでくれる 女性ひとがいるんで。さっき芸をしろって言われたときに、その女性の顔が思い浮かんだから……」


「ほお、おまえの女か?」


 こんな質問、普段なら答えない。だけど、アクラハイルの目を見て、声を聞いているうちに、自然と返答が口を出ていた。


「いや、そういうわけじゃ……ただ、俺にとっては、一番大事な女性かもしれないけど」


「ほほぉ。なるほどねぇ」


 アクラハイルは男たちと、見るからにスケベったらしい目を向けてきていた。しかし、すぐに真顔になると、俺の両肩を掴んできた。


「おまえ、素質があるな。俺の神官にならんか?」


「……は? いや、一介の村人に、なにをやらせようっていうんだよ。それより、ここから帰りたいんだけど、どうやって帰ればいいのか、教えてくれないか?」


「なんだ? おまえ、どうやってここに来たんだ?」


 アクラハイルに問われて、俺はここに来るまでの経緯を話し始めた。
 行方不明になったジョンさんのこと、巨大なワームみたいな化け物に追われたこと――それらを話すと、シャプロンを被った男が、唸りながら鬼神に問いかけた。


「メイオール村のジョンって、あのジョンですかね?」


「そうだろうな、ハイン父ちゃん」


「おいおい、その呼び名は勘弁しておくれよ」


 お気楽に、あっはっは――と笑うアクラハイルと男たちに、俺は顔色を変えていた。
 それはそうだろう。行方が追えなくなっていたジョンさんの手掛かりを、鬼神たちが知ってるかもしれないんだ。
 鬼神と男たちを見回しながら、俺は大きく息を吐いた。


「ジョンさんを知ってるのか?」


「恐らくな。あと、その巨大ワームっていうのも、知ってるかもしれねえ」


「本当か? 教えてくれ――あ、いや、教えてくれると助かります」


 慌てて言い直した俺に、アクラハイルは不遜な表情で、手の中にカードを出現させた。


「俺は娯楽の鬼神だ。頼み事をするなら、俺とカードで勝ってからだな。札抜きでどうだ?」


「……わかった」


 俺が頷くと、アクラハイルはにやっと笑った。


「それでは、おまえが勝ったら、俺は情報を渡す。俺様が勝ったら、これだ」


 アクラハイルは俺の右腕を突いてから、指を一本立てた。
 これは……腕か、指を寄越せってことか? 鬼神との取り引きとなれば、リスクも覚悟しなければならない、ということか。
 しかし、これでジョンさんや巨大ワームの情報が手には入るとなれば、断る手はないだろう。
 俺が頷くと、アクラハイルはカードを配り始めた。
 勝負は――俺の負けだった。


「それじゃあ、約束だ。おい、目隠しをしてやれ」


「はいよ」


 黒いターバンを巻いた男が、黒い布で俺の目を塞いだ。もう一人が、俺の右手を掴んできた。これはもしかしたら……腕か。
 命じゃないだけマシ、と考えるべき……なんだろうか。
 緊張から呼吸が速くなる。そのときを待つ――その時間が、永遠のように感じられた。


「……いくぞ」


 アクラハイルの声に、俺の心臓が跳ね上がった。
 その直後、打擲の音が響き渡った。


「いってぇっ!!」


 目と腕が解放されると同時に、俺は自分の右腕を見た――まだ、無事だった。
 俺が上げると、アクラハイルは二本の指を振って見せた。


「そんなに怯えるなって。ただの、しっぺだ」


「……は? なんだ、そりゃ」


「あのなあ……こっちはただの情報を話すだけだぜ? それも、教えたところで、なんの損もないネタだ。それに対して腕や指とか、リスクがでかすぎだろ。いいか、よく聞け。娯楽っていうのは、次がなきゃいけねぇのよ。同じ面子で、まだ遊んでこそ、娯楽の楽しさがあるんだ。
 命や財産、身体の一部もそうだが、そんなの賭けるなんざ、俺は娯楽とは認めねぇ。それはただの自分勝手か、どこか狂ったヤツだ」


 まだすべての現状を理解できていない俺に、アクラハイルはもう一度カードを見せてきた。


「というわけだ。まだ勝負はするかい?」


 にやっと笑う鬼神に、俺は無言で頷いた。
 こうなったら、徹底的にやってやろーじゃないか。テーブルに座り直すと、俺は配られるカードに手を伸ばした。
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