上 下
204 / 233
第五話(最終話) 相称の翼

第四章:四 至鳳(しほう)と凰璃(おうり)

しおりを挟む
 あかみやが治める緋国ひのくに。生まれ故郷であり、自分にとっては厳しいことの方が多い国だった。朱桜すおうは朱塗りの柱に懐かしさを感じた。この国で過ごした日々は、いつから過去の記憶になっていたのだろう。

 碧宇へきうの持つ麒麟きりんの目は正しく二人を導いた。国に張り巡らされた結界を無効にする威力を以って、朱雀門すざくもんを超えた内裏だいり最奥さいおう――朱緋殿しゅひでんへの侵入を果たしている。

 赤の宮は独りきりで御帳台みちょうだいに鎮座していた。
 はっとこちらに気づいた赤の宮が立ち上がった時、朱桜は思わずその場に平伏してしまう。緋国にあった頃、決して立ち入ることの許されなかった内裏だいり。朱緋殿の内奥など、想像もつかない世界だった。

 見慣れない調度と赤の宮の姿が、朱桜に昔の振る舞いをいる。
 平伏した朱桜の隣で、碧宇も膝をつく気配がした。何も言えない朱桜に変わって、低い声が伝える。

「赤の宮。突然の無礼、お許しください」

「碧宇の王子、久しいですね。そして、六の君――いいえ、すでに相称の翼におなりか。そのように平伏されては、私の立場がございません。どうか、陛下。お顔をあげてください」

 朱桜は金をまとう自身の立場を思い出し、ゆっくりと顔をあげた。赤の宮が平伏しているのを見て、狼狽うろたえてしまう。

「み、宮様こそ、お顔をあげてください。私は陛下などではありません。ただ、成り行きでこのようなことになってしまっただけで、偉くも賢くもありません」

 朱桜が言い募ると、すっと赤の宮が身を起こす。今までこれほど間近で宮の顔を拝したことがなかったが、朱桜はひどく自分と似た面ざしをしていると感じた。

 赤の宮は無表情で、朱桜と碧宇を見つめている。緋国にあった頃と同じ。凛と気高い雰囲気は変わらない。同時に自分に対する親しみもないことがわかった。チクリと朱桜の胸が痛む。
 異界に渡り来て自分を抱きしめてくれたあの一時は、錯覚だったのかもしれない。

「さすがに赤の宮は、私達の訪問に動じることもないですか」

 碧宇がどこか愉快な調子を含ませる。赤の宮はようやく口元を緩めた。

「なぜ、金域《こんいき》に参られないのですか」

 勅命ちょくめいに反する碧宇の行いを、赤の宮は緩やかに問う。朱桜は億している場合ではないと、事情を語りはじめた。
 既に碧宇に語った経緯があったからなのか、朱桜はまるで他人事のように淡々とこれまでの出来事を伝えた。

 赤の宮は黙って聞いていたが、黄帝との経緯については、何か感じることがあったのだろうか。見て明らかなほど、膝の上に添えていた手が、強く組み合わされ、震えている。

 朱桜は赤の宮の様子に心が塞ぐのを自覚する。相称の翼であるからと言って、緋国ひのくにの汚点である経緯が覆る訳ではない。この国にとって、自分は憎まれる存在なのだ。
 そんな自分が黄帝への不信を語ることが、女王には耐え難いのかもしれない。
 朱桜が語り終える頃には、赤の宮の顔色は蒼白になっていた。

「事情は承知いたしました」

 赤の宮は平伏する。

「黄帝の勅命を保留された王子の考えは英断かもしれません。今、陛下がこちらを頼って来られた気持ちに、私もこたえましょう」

「え?」

 簡単に受け入れられないと考えていた朱桜すおうは、一瞬戸惑ってしまう。

「あ、ありがとうございます」

 赤の宮の本心を測れないまま、咄嗟に頭を下げた。

「陛下がこうべを垂れる必要はありません。しかし、異界の装いは改めた方がよろしいでしょう。信頼のおける者を付けますので、どうぞ召し替えを」

 朱緋殿しゅひでんに入ってから、天宮学院の制服を着ている場違いさを感じていた。天界では異様な装いに見えるだろう。赤の宮は御簾みすの向こう側に声をかける。人の気配を感じていなかった朱桜は身構えてしまう。するりと現れ平伏する女官を見て、朱桜は「あ」と声をあげた。

 懐かしさがこみ上げる。
 あかつきだった。

「陛下。――お久しぶりです。衣装の御召し替えをお世話させていただきますので、どうぞこちらへ」

 ひどく他人行儀な振る舞いで、暁が朱桜を導く。碧宇と離れても良いものかと振り返ると、彼は大丈夫と言いたげにひらひらと手を振るだけだった。
 朱桜は「では、着替えてきます」と言い置いて、碧宇と赤の宮の前から辞した。

 朱緋殿しゅひでんから通じる軒廊こんろうを渡り、朱桜はさらに後方にある殿舎でんしゃの一室へと案内された。
 初めて足を踏み入れた内裏だいりは想像以上に広く、まるで異国のような感慨があった。あかつきが昔と変わらぬ手際で御簾みすをおろす。それでもどこからか風の流れがあり、内庭の光がまばゆい。

 暁と朱桜以外に人の気配もない。完全に人払いがされた様子がうかがえる。
 居室にはまるであらかじめ決められていたかのように、衣装が用意されていた。衣架いかにかけられた表着おもてぎを見て、朱桜は立ち尽くしてしまう。

 緋色の糸で鳳凰が描かれた錦糸の衣装。一目で天帝にしか許されない装束だとわかる。
 朱桜は思わず暁を振り返る。

「これは、どうしてですか? まるで全て知っていたかのように用意されているなんて」

 暁はそっとその場で膝をつく。

「全て赤の宮の沙汰によるものです」

 まるで自分が相称の翼になることを知っていたかのような支度である。赤の宮が全てを知っていたはずはないが、予見していなければ、このような衣装は用意できないだろう。何故かと考えてみても、朱桜には検討もつかない。異界に渡り来たとき、赤の宮は闇呪あんじゅと何を語っていただろうか。そこに契機きっかけが見つけられるかと懸命に記憶を辿るが、記憶が曖昧なせいか、腑に落ちることは何もない。

 ただ美しい衣装を見つめていると、袖を通す資格があるのだろうかと、朱桜は気後れがした。自信がない。
 どこか後ろめたさを感じている朱桜の気持ちを置き去りに、暁は懐かしく感じる手際の良さで衣装の召し替えを行う。

あかつきも複雑な気持ちですよね」

「どういうことでしょうか?」

緋国ひのくにの汚点である私が、このようなことになってしまって……」

「それは今も昔も、姫君……いえ、陛下には罪なきことです。陛下がご自身を蔑む必要はございません」

 暁が顔をあげて朱桜を仰ぐ。

「私には多くは語れませんが――。赤の宮は陛下が幸せになられることを望んでおられます」

「まさか」

「今も昔も、それが赤の宮の本心です。そして、この暁も」

 朱桜はこみ上げてきたものをこらえるために、唇を噛んだ。他人行儀に接していたのは自分の方だ。
 暁は変わらない。いつも厳しかったが、それは周りにも等しく同じだった。宮家に仕えることに毅然とした誇りを持ち、醜聞に惑わされることもなく。

 厳しく、優しく、誠実だった。この国で過ごした昔日せきじつ、朱桜は暁のことを信じていた。
 今頃になって、そんなことに気づく。

「さぁ、陛下。こちらを」

 暁が衣架いかに掛けられていた表着おもてぎを手にする。ためらいながらも、自身の使命を心に刻みながら袖を通そうとした時、バサリと大きな羽音がした。
 御簾みすごしに届く内庭の光が動く。暁がさっと緊張を漲らせるのが伝わって来る。

「主じょっ……」

「声が大きいよ!」

 朱桜すおうは何も考えられず踏み出していた。
 人の気配と、聞き慣れた声。暁の横をすり抜けて御簾をくぐり出る。
 広廂ひろびさしに立つと、内庭に見知った顔があった。

彼方かなた?」

 異界の服装のまま、彼は小さな女の子を背後から羽交はがめにしている。長くなった茶髪は見慣れないが、碧眼の鮮やかさは変わらない。

「主上!」

「我が君!」

 朱桜が内庭の状況を把握するより早く、双子のような幼い子どもが縋り付いてくる。
 あまりの勢いに、二人を抱えたままその場に倒れこんでしまう。
「陛下」と暁の声を聞いた気がしたが、双子の声に他の言葉が掻き消されてしまう。

「名を呼んで!」
「いつまで名無しで放っておくつもり?」

 至近距離で吠える二人が、朱桜の記憶を再生する。黒樹こくじゅの森。金域こんいきから逃げる時に出会った二つの人影。幼い顔。同じ声。
 気づくと同時に、風に触れるように彼らの名を感じた。

 自然と発音になる。

至鳳しほう凰璃おうり

 呟きが彼らに届いた瞬間、まるで呪縛が解かれるかのように、ざあっと二人を戒めていた漆黒が払われる。くるりとした癖のある頭髪は、新たな輝きに包まれて、闇が跡形もなく失われていた。
 朱桜と同じ金をまと霊獣れいじゅう
 鳳凰の証だった。

「戒めも解けたわ! もう無敵よ!」
「やったね! 元気百倍!」

 輝く金髪に似合う晴れやかな顔で、幼い容貌の二人が朱桜すおうの前に膝をついた。少年――至鳳しほう黒玻璃くろがらすのように澄んだ眼差まなざしで、しっかりと朱桜を見る。

 輝く体躯たいくの中にある、唯一の闇。麒麟と同じく、彼らも瞳が黒い。恐れるはずの漆黒が、なぜか朱桜の心には馴染む。

「我が君、これからはお側に」
「あなたをお護りします」

 至鳳しほうに同調するように、凰璃おうりもはっきりと宣言する。碧宇へきうが語っていたように、やはり彼らが自分の守護だったのだ。

 朱桜は守護となる鳳凰が幼く愛らしい容貌をしていることに、少し安堵する。相称の翼という肩書きに感じていた得体の知れない堅苦しさが、わずかに緩んだ気がした。

「よろしくお願いします」

 これが朱桜が相称の翼として、守護――鳳凰をたずさえたと、そう自覚した瞬間だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

王太子殿下の執着が怖いので、とりあえず寝ます。【完結】

霙アルカ。
恋愛
王太子殿下がところ構わず愛を囁いてくるので困ってます。 辞めてと言っても辞めてくれないので、とりあえず寝ます。 王太子アスランは愛しいルディリアナに執着し、彼女を部屋に閉じ込めるが、アスランには他の女がいて、ルディリアナの心は壊れていく。 8月4日 完結しました。

【完結】4公爵令嬢は、この世から居なくなる為に、魔女の薬を飲んだ。王子様のキスで目覚めて、本当の愛を与えてもらった。

華蓮
恋愛
王子の婚約者マリアが、浮気をされ、公務だけすることに絶えることができず、魔女に会い、薬をもらって自死する。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

私はただ一度の暴言が許せない

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
厳かな結婚式だった。 花婿が花嫁のベールを上げるまでは。 ベールを上げ、その日初めて花嫁の顔を見た花婿マティアスは暴言を吐いた。 「私の花嫁は花のようなスカーレットだ!お前ではない!」と。 そして花嫁の父に向かって怒鳴った。 「騙したな!スカーレットではなく別人をよこすとは! この婚姻はなしだ!訴えてやるから覚悟しろ!」と。 そこから始まる物語。 作者独自の世界観です。 短編予定。 のちのち、ちょこちょこ続編を書くかもしれません。 話が進むにつれ、ヒロイン・スカーレットの印象が変わっていくと思いますが。 楽しんでいただけると嬉しいです。 ※9/10 13話公開後、ミスに気づいて何度か文を訂正、追加しました。申し訳ありません。 ※9/20 最終回予定でしたが、訂正終わりませんでした!すみません!明日最終です! ※9/21 本編完結いたしました。ヒロインの夢がどうなったか、のところまでです。 ヒロインが誰を選んだのか?は読者の皆様に想像していただく終わり方となっております。 今後、番外編として別視点から見た物語など数話ののち、 ヒロインが誰と、どうしているかまでを書いたエピローグを公開する予定です。 よろしくお願いします。 ※9/27 番外編を公開させていただきました。 ※10/3 お話の一部(暴言部分1話、4話、6話)を訂正させていただきました。 ※10/23 お話の一部(14話、番外編11ー1話)を訂正させていただきました。 ※10/25 完結しました。 ここまでお読みくださった皆様。導いてくださった皆様にお礼申し上げます。 たくさんの方から感想をいただきました。 ありがとうございます。 様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。 ただ、皆様に楽しんでいただける場であって欲しいと思いますので、 今後はいただいた感想をを非承認とさせていただく場合がございます。 申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。 もちろん、私は全て読ませていただきます。

【完結】そんなに側妃を愛しているなら邪魔者のわたしは消えることにします。

たろ
恋愛
わたしの愛する人の隣には、わたしではない人がいる。………彼の横で彼を見て微笑んでいた。 わたしはそれを遠くからそっと見て、視線を逸らした。 ううん、もう見るのも嫌だった。 結婚して1年を過ぎた。 政略結婚でも、結婚してしまえばお互い寄り添い大事にして暮らしていけるだろうと思っていた。 なのに彼は婚約してからも結婚してからもわたしを見ない。 見ようとしない。 わたしたち夫婦には子どもが出来なかった。 義両親からの期待というプレッシャーにわたしは心が折れそうになった。 わたしは彼の姿を見るのも嫌で彼との時間を拒否するようになってしまった。 そして彼は側室を迎えた。 拗れた殿下が妻のオリエを愛する話です。 ただそれがオリエに伝わることは…… とても設定はゆるいお話です。 短編から長編へ変更しました。 すみません

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

処理中です...