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第五話(最終話) 相称の翼

第五章:一 抜けない麒角(きかく)

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 ひざをつく鳳凰に思わず頭を下げた朱桜すおうだったが、顔をあげるまもなく至鳳しほうに腕をつかまれた。

「我が君! そんなことより大変なんだ」

 朱桜は至鳳に促されて、ようやく内庭に目を向ける。

黄王おおきみが……」

「先生!」

 鮮やかに飛び込んできた光景に胸を握りつぶされるような衝撃があった。至鳳しほう凰璃おうりの存在が一瞬で遠ざかる。植木の影で横たわっている人影。

 胸元から上半身を染めるかのように、おびただしい鮮血で衣服が濡れている。緩やかな癖を持つ頭髪の暗さと比べて、紙のように白い顔色。血の気がなく、屍のように動かない。このまま輪廻してしまうのではないかと、一気に混乱が最高潮に達した。

 朱桜は広廂ひろびさしから転げ落ちるような勢いで、内庭に走り出た。

「先生!」

 もう彼の側に寄ることは出来ないと思っていた諦念や絶望が、一瞬で衝撃に上書きされる。
 血に濡れて横たわる身体。間近で見ると何かが胸に突き刺さっていた。

 の塊だろうか。まるでの海原を漂流して、暗黒に染まった流木のように見える。
 細く不自然に鋭利な形状で、闇呪あんじゅの胸に深く喰い込んでいた。止まらない血。突き刺さったままでは、回復ができない。

 朱桜は迷わず引き抜こうと、彼の胸に突き刺さっているものを掴む。

「っ……」

 灼熱に触れたような痛みが走る。まるで焼かれた鉄を掴んでいるような苦痛に襲われた。
 例え手が灼け爛れても、諦めることは出来ない。朱桜は更に力を込める。

「姫君! いえ、陛下、手が」

「我が君、駄目だ! 手を離せ!」

 麟華りんか至鳳しほうに腕を掴まれて、朱桜はようやく辺りに目を向けた。

「麟華」

 闇呪あんじゅに負けないくらい、麟華の顔色も蒼白い。異界で出会った彼方かなたの婚約者と、その兄の姿もある。一様に自分を案じる眼差まなざしで、朱桜に注目していた。
 麟華が横に首を振る。

「陛下。手を離してください」

「だけど、これを引き抜かないと、先生の傷口が回復できない」

「ですが……」

 他人行儀な振る舞いをする麟華に、朱桜は訴える。

「麟華は先生の守護でしょう! 私より先生を助けることを考えて!」

 麒一きいちならこの考え方に同意するだろう。そう思って朱桜は周りを見たが、麒一の姿がない。急に不安になった。

「麒一ちゃんは? あれから戻ってきたの? 麟華、先生に何があったの?」

 脳裏に麟華の凶行が蘇っていた。はるか――闇呪の胸を貫いた光景。麟華は正気を取り戻しているようだが、麒一は何事もなく戻ってきたのだろうか。
 朱桜は突然、握りしめている灼熱の正体を意識した。

(……まさか)

 痛みに唇を噛みながら、ゆっくりと手を離す。闇呪あんじゅの血に濡れた細い塊。それが麒角きかくなのかどうかは見極められないが、形状からは否定もできない。

「これ、まさか」

麒麟きりんつのよ、主上」

 麟華りんかに尋ねるよりはやく、凰璃おうりが答えをくれる。朱桜はぞっと背筋を這い上がる悪寒を感じた。

「麟華、本当に? これ、麒一ちゃんの角? どうして? 何があったの?」

 縋りつく勢いで麟華の腕をつかむが、顔色の悪さが彼女の心を物語っていた。嫌な予感がして、朱桜は心が凍り付きそうになる。

「麒一ちゃんは、どこにいるの?」

「わからないわ」

 姉妹として過ごした様子から変わらない朱桜に、麟華も立場をおもんばかることをやめたのか、馴染なじみのある調子で答える。

「主上の呼びかけにも、応えなかった」

 最悪な予感が形になりそうで胸が塞ぐが、朱桜は気持ちを切り替える。

至鳳しほう凰璃おうり。あの、いきなりだけど、お願いがあります」

 これから天地界のために、自分にはやるべきことが山のようにあるだろう。守護の助けは世の復興にあてがうべきだとわかっている。それでも朱桜は鳳凰に頼まずにはいられなかった。

麒一きいちちゃんを、黒麒こっきを探してほしい」

 鳳凰からは反発がくるかと思ったが、二人は大きな瞳を嬉しそうに輝かせる。

「我が君のお願いなら、喜んで」

「すぐに飛ぶわ」

 朱桜がありがとうと言うより早く、背後で彼方かなたーー翡翠ひすいの声がした。

「陛下。こちらでは初にお目にかかります。私は碧国の第二王子、翡翠と申しーー」

「やめて、彼方。私は敬われるようなことは何もしていない。だから、今までどおりに接してほしい」

 翡翠は「ええ?」と困ったような顔をする。笑いながら白虹はっこう皇子みこが歩み寄ってきた。

「ここは公の場でもないのですし、陛下がそう仰るなら、従うべきですよ。翡翠の王子。陛下」

「こちらでは朱桜です。そう呼んでください」

「失礼しました。私はこちらでは白虹と申します。朱桜の姫君。私も鳳凰と共に黒麒こっきの捜索を」

「待って待って、白虹はっこう皇子みこ。僕が行くよ。雪がこちらにいてくれたら、僕たちは互いにみちを開くことができるから。白虹の皇子は闇呪あんじゅの傍にいた方が良い」

 白虹の皇子は顎に手をあてて、「なるほど」と呟く。朱桜は翡翠を振り返った。

「彼方、じゃなくて、翡翠の王子、本当に? 麒一きいちちゃんを探してくれるの?」

「もちろん。だって、只事じゃないよ。でも行く前に一つだけ教えて。朱桜の姫君は黄帝に真実の名を捧げたの?」

 些細な事を聞くような問いかけに、朱桜は大きく首を横に振る。周りの者が固唾を飲むようにして、自分に視線を注いでいるのを感じた。
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