205 / 233
第五話(最終話) 相称の翼
第五章:一 抜けない麒角(きかく)
しおりを挟む
膝をつく鳳凰に思わず頭を下げた朱桜だったが、顔をあげるまもなく至鳳に腕を掴まれた。
「我が君! そんなことより大変なんだ」
朱桜は至鳳に促されて、ようやく内庭に目を向ける。
「黄王が……」
「先生!」
鮮やかに飛び込んできた光景に胸を握りつぶされるような衝撃があった。至鳳と凰璃の存在が一瞬で遠ざかる。植木の影で横たわっている人影。
胸元から上半身を染めるかのように、夥しい鮮血で衣服が濡れている。緩やかな癖を持つ頭髪の暗さと比べて、紙のように白い顔色。血の気がなく、屍のように動かない。このまま輪廻してしまうのではないかと、一気に混乱が最高潮に達した。
朱桜は広廂から転げ落ちるような勢いで、内庭に走り出た。
「先生!」
もう彼の側に寄ることは出来ないと思っていた諦念や絶望が、一瞬で衝撃に上書きされる。
血に濡れて横たわる身体。間近で見ると何かが胸に突き刺さっていた。
鬼の塊だろうか。まるで鬼の海原を漂流して、暗黒に染まった流木のように見える。
細く不自然に鋭利な形状で、闇呪の胸に深く喰い込んでいた。止まらない血。突き刺さったままでは、回復ができない。
朱桜は迷わず引き抜こうと、彼の胸に突き刺さっているものを掴む。
「っ……」
灼熱に触れたような痛みが走る。まるで焼かれた鉄を掴んでいるような苦痛に襲われた。
例え手が灼け爛れても、諦めることは出来ない。朱桜は更に力を込める。
「姫君! いえ、陛下、手が」
「我が君、駄目だ! 手を離せ!」
麟華と至鳳に腕を掴まれて、朱桜はようやく辺りに目を向けた。
「麟華」
闇呪に負けないくらい、麟華の顔色も蒼白い。異界で出会った彼方の婚約者と、その兄の姿もある。一様に自分を案じる眼差しで、朱桜に注目していた。
麟華が横に首を振る。
「陛下。手を離してください」
「だけど、これを引き抜かないと、先生の傷口が回復できない」
「ですが……」
他人行儀な振る舞いをする麟華に、朱桜は訴える。
「麟華は先生の守護でしょう! 私より先生を助けることを考えて!」
麒一ならこの考え方に同意するだろう。そう思って朱桜は周りを見たが、麒一の姿がない。急に不安になった。
「麒一ちゃんは? あれから戻ってきたの? 麟華、先生に何があったの?」
脳裏に麟華の凶行が蘇っていた。遥――闇呪の胸を貫いた光景。麟華は正気を取り戻しているようだが、麒一は何事もなく戻ってきたのだろうか。
朱桜は突然、握りしめている灼熱の正体を意識した。
(……まさか)
痛みに唇を噛みながら、ゆっくりと手を離す。闇呪の血に濡れた細い塊。それが麒角なのかどうかは見極められないが、形状からは否定もできない。
「これ、まさか」
「麒麟の角よ、主上」
麟華に尋ねるよりはやく、凰璃が答えをくれる。朱桜はぞっと背筋を這い上がる悪寒を感じた。
「麟華、本当に? これ、麒一ちゃんの角? どうして? 何があったの?」
縋りつく勢いで麟華の腕をつかむが、顔色の悪さが彼女の心を物語っていた。嫌な予感がして、朱桜は心が凍り付きそうになる。
「麒一ちゃんは、どこにいるの?」
「わからないわ」
姉妹として過ごした様子から変わらない朱桜に、麟華も立場を慮ることをやめたのか、馴染みのある調子で答える。
「主上の呼びかけにも、応えなかった」
最悪な予感が形になりそうで胸が塞ぐが、朱桜は気持ちを切り替える。
「至鳳、凰璃。あの、いきなりだけど、お願いがあります」
これから天地界のために、自分にはやるべきことが山のようにあるだろう。守護の助けは世の復興にあてがうべきだとわかっている。それでも朱桜は鳳凰に頼まずにはいられなかった。
「麒一ちゃんを、黒麒を探してほしい」
鳳凰からは反発がくるかと思ったが、二人は大きな瞳を嬉しそうに輝かせる。
「我が君のお願いなら、喜んで」
「すぐに飛ぶわ」
朱桜がありがとうと言うより早く、背後で彼方ーー翡翠の声がした。
「陛下。こちらでは初にお目にかかります。私は碧国の第二王子、翡翠と申しーー」
「やめて、彼方。私は敬われるようなことは何もしていない。だから、今までどおりに接してほしい」
翡翠は「ええ?」と困ったような顔をする。笑いながら白虹の皇子が歩み寄ってきた。
「ここは公の場でもないのですし、陛下がそう仰るなら、従うべきですよ。翡翠の王子。陛下」
「こちらでは朱桜です。そう呼んでください」
「失礼しました。私はこちらでは白虹と申します。朱桜の姫君。私も鳳凰と共に黒麒の捜索を」
「待って待って、白虹の皇子。僕が行くよ。雪がこちらにいてくれたら、僕たちは互いに脈を開くことができるから。白虹の皇子は闇呪の傍にいた方が良い」
白虹の皇子は顎に手をあてて、「なるほど」と呟く。朱桜は翡翠を振り返った。
「彼方、じゃなくて、翡翠の王子、本当に? 麒一ちゃんを探してくれるの?」
「もちろん。だって、只事じゃないよ。でも行く前に一つだけ教えて。朱桜の姫君は黄帝に真実の名を捧げたの?」
些細な事を聞くような問いかけに、朱桜は大きく首を横に振る。周りの者が固唾を飲むようにして、自分に視線を注いでいるのを感じた。
「我が君! そんなことより大変なんだ」
朱桜は至鳳に促されて、ようやく内庭に目を向ける。
「黄王が……」
「先生!」
鮮やかに飛び込んできた光景に胸を握りつぶされるような衝撃があった。至鳳と凰璃の存在が一瞬で遠ざかる。植木の影で横たわっている人影。
胸元から上半身を染めるかのように、夥しい鮮血で衣服が濡れている。緩やかな癖を持つ頭髪の暗さと比べて、紙のように白い顔色。血の気がなく、屍のように動かない。このまま輪廻してしまうのではないかと、一気に混乱が最高潮に達した。
朱桜は広廂から転げ落ちるような勢いで、内庭に走り出た。
「先生!」
もう彼の側に寄ることは出来ないと思っていた諦念や絶望が、一瞬で衝撃に上書きされる。
血に濡れて横たわる身体。間近で見ると何かが胸に突き刺さっていた。
鬼の塊だろうか。まるで鬼の海原を漂流して、暗黒に染まった流木のように見える。
細く不自然に鋭利な形状で、闇呪の胸に深く喰い込んでいた。止まらない血。突き刺さったままでは、回復ができない。
朱桜は迷わず引き抜こうと、彼の胸に突き刺さっているものを掴む。
「っ……」
灼熱に触れたような痛みが走る。まるで焼かれた鉄を掴んでいるような苦痛に襲われた。
例え手が灼け爛れても、諦めることは出来ない。朱桜は更に力を込める。
「姫君! いえ、陛下、手が」
「我が君、駄目だ! 手を離せ!」
麟華と至鳳に腕を掴まれて、朱桜はようやく辺りに目を向けた。
「麟華」
闇呪に負けないくらい、麟華の顔色も蒼白い。異界で出会った彼方の婚約者と、その兄の姿もある。一様に自分を案じる眼差しで、朱桜に注目していた。
麟華が横に首を振る。
「陛下。手を離してください」
「だけど、これを引き抜かないと、先生の傷口が回復できない」
「ですが……」
他人行儀な振る舞いをする麟華に、朱桜は訴える。
「麟華は先生の守護でしょう! 私より先生を助けることを考えて!」
麒一ならこの考え方に同意するだろう。そう思って朱桜は周りを見たが、麒一の姿がない。急に不安になった。
「麒一ちゃんは? あれから戻ってきたの? 麟華、先生に何があったの?」
脳裏に麟華の凶行が蘇っていた。遥――闇呪の胸を貫いた光景。麟華は正気を取り戻しているようだが、麒一は何事もなく戻ってきたのだろうか。
朱桜は突然、握りしめている灼熱の正体を意識した。
(……まさか)
痛みに唇を噛みながら、ゆっくりと手を離す。闇呪の血に濡れた細い塊。それが麒角なのかどうかは見極められないが、形状からは否定もできない。
「これ、まさか」
「麒麟の角よ、主上」
麟華に尋ねるよりはやく、凰璃が答えをくれる。朱桜はぞっと背筋を這い上がる悪寒を感じた。
「麟華、本当に? これ、麒一ちゃんの角? どうして? 何があったの?」
縋りつく勢いで麟華の腕をつかむが、顔色の悪さが彼女の心を物語っていた。嫌な予感がして、朱桜は心が凍り付きそうになる。
「麒一ちゃんは、どこにいるの?」
「わからないわ」
姉妹として過ごした様子から変わらない朱桜に、麟華も立場を慮ることをやめたのか、馴染みのある調子で答える。
「主上の呼びかけにも、応えなかった」
最悪な予感が形になりそうで胸が塞ぐが、朱桜は気持ちを切り替える。
「至鳳、凰璃。あの、いきなりだけど、お願いがあります」
これから天地界のために、自分にはやるべきことが山のようにあるだろう。守護の助けは世の復興にあてがうべきだとわかっている。それでも朱桜は鳳凰に頼まずにはいられなかった。
「麒一ちゃんを、黒麒を探してほしい」
鳳凰からは反発がくるかと思ったが、二人は大きな瞳を嬉しそうに輝かせる。
「我が君のお願いなら、喜んで」
「すぐに飛ぶわ」
朱桜がありがとうと言うより早く、背後で彼方ーー翡翠の声がした。
「陛下。こちらでは初にお目にかかります。私は碧国の第二王子、翡翠と申しーー」
「やめて、彼方。私は敬われるようなことは何もしていない。だから、今までどおりに接してほしい」
翡翠は「ええ?」と困ったような顔をする。笑いながら白虹の皇子が歩み寄ってきた。
「ここは公の場でもないのですし、陛下がそう仰るなら、従うべきですよ。翡翠の王子。陛下」
「こちらでは朱桜です。そう呼んでください」
「失礼しました。私はこちらでは白虹と申します。朱桜の姫君。私も鳳凰と共に黒麒の捜索を」
「待って待って、白虹の皇子。僕が行くよ。雪がこちらにいてくれたら、僕たちは互いに脈を開くことができるから。白虹の皇子は闇呪の傍にいた方が良い」
白虹の皇子は顎に手をあてて、「なるほど」と呟く。朱桜は翡翠を振り返った。
「彼方、じゃなくて、翡翠の王子、本当に? 麒一ちゃんを探してくれるの?」
「もちろん。だって、只事じゃないよ。でも行く前に一つだけ教えて。朱桜の姫君は黄帝に真実の名を捧げたの?」
些細な事を聞くような問いかけに、朱桜は大きく首を横に振る。周りの者が固唾を飲むようにして、自分に視線を注いでいるのを感じた。
0
お気に入りに追加
134
あなたにおすすめの小説
2番目の1番【完】
綾崎オトイ
恋愛
結婚して3年目。
騎士である彼は王女様の護衛騎士で、王女様のことを何よりも誰よりも大事にしていて支えていてお護りしている。
それこそが彼の誇りで彼の幸せで、だから、私は彼の1番にはなれない。
王女様には私は勝てない。
結婚3年目の夫に祝われない誕生日に起こった事件で限界がきてしまった彼女と、彼女の存在と献身が当たり前になってしまっていたバカ真面目で忠誠心の厚い騎士の不器用な想いの話。
※ざまぁ要素は皆無です。旦那様最低、と思われる方いるかもですがそのまま結ばれますので苦手な方はお戻りいただけると嬉しいです
自己満全開の作品で個人の趣味を詰め込んで殴り書きしているため、地雷多めです。苦手な方はそっとお戻りください。
批判・中傷等、作者の執筆意欲削られそうなものは遠慮なく削除させていただきます…
その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*
音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。
塩対応より下があるなんて……。
この婚約は間違っている?
*2021年7月完結
旦那様、離婚しましょう
榎夜
恋愛
私と旦那は、いわゆる『白い結婚』というやつだ。
手を繋いだどころか、夜を共にしたこともありません。
ですが、とある時に浮気相手が懐妊した、との報告がありました。
なので邪魔者は消えさせてもらいますね
*『旦那様、離婚しましょう~私は冒険者になるのでお構いなく!~』と登場人物は同じ
本当はこんな感じにしたかったのに主が詰め込みすぎて......
愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。
星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。
グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。
それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。
しかし。ある日。
シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。
聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。
ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。
──……私は、ただの邪魔者だったの?
衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。
【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」
そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。
彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・
産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。
----
初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。
終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。
お読みいただきありがとうございます。
運命の番?棄てたのは貴方です
ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。
番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。
※自己設定満載ですので気を付けてください。
※性描写はないですが、一線を越える個所もあります
※多少の残酷表現あります。
以上2点からセルフレイティング
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる