上 下
203 / 233
第五話(最終話) 相称の翼

第四章:三 折れた麒角(きかく)

しおりを挟む
 闇呪あんじゅが崩れるようにその場に膝をつく。彼方には何が起きたのかわからない。咄嗟に胸を押さえた闇呪の両手に、じわりと不似合いな色がにじむ。それが鮮血の赤だと気付いて、ようやく金縛りが解かれたように、彼方も駆け寄った。

 守護に支えられてはいるが、闇呪は意識を保っている。胸に突き立っている何かを引き抜こうとしていたが、力を込めるたびに血がしぶいた。

「お、黄王おおきみ

 さすがの鳳凰も動揺を隠せないのか、彼に縋り付いて涙目になっている。

闇呪あんじゅきみ。無理に引き抜かない方が……」

 白虹の皇子みこも膝をついて、血に濡れた闇呪の手に掌を添える。彼が胸に突き立ったものから手を離した。

「ーー!」

 麟華りんかが小さく悲鳴をあげる。

 血に濡れた、鋭利な何か。
 それが何であるのか。
 翡翠には焼かれた古木にように見えたが、しっかりと見極める時間はなかった。
 鳳凰が叫ぶ。

「ダメだ! 黄王おおきみ!」
「来る! 霊脈みちから!」

 甲高い声を聞きながら、翡翠は時の流れがゆったりと狂うのを感じた。ただ身動きも出来ず、知らない世界の出来事のように一部始終を見ていた。

 いつか異界の教室で見た、悪意に触れたに似ている。
 不気味なうず
 黒い――悪意の竜巻。もがき苦しむように動きながら、猛烈な勢いで迫って来る。

「!!」

 来ると思った時には、既に巻き込まれていた。視界が闇に呑まれ、身体ごともっていかれそうな風圧が襲う。に構える隙もない。全てが瞬きするほどの一瞬だった。呆気なく風が収束する。光が戻った。

 「主上!」

 麟華りんかの悲鳴で、翡翠ひすいは呪縛を解かれたようにハッと呼吸する。
 闇呪あんじゅは衝撃で気を失ったのか、力なく守護の腕に抱かれていた。鳳凰はまだ辺りを警戒している。
 闇呪の胸に刺さる古木に、迫り来た全てが吸い込まれて行くのを、翡翠は見ていた。

 標的は闇呪。

 だから自分達は無事だったのだろうか。
 怒涛の鬼にその身を侵されて、赤銅色しゃくどうしょくの輝きが失われている。漆黒までは至らず、異界で初めて見た時と同じ、深い色合いに染まっていた。

 翡翠はふと違和感を覚える。闇呪だけが、違う。
 異界に渡っても、自身がまとう色は歪まない。彼だけが、なぜ漆黒を纏っていなかったのか。朱桜すおうの禁術が解けて、なぜ赤銅色の輝きを手に入れたのか。

 突如、胸に芽生えた予感。
 泉を満たす湧水のように、緩やかに心を侵す憶測があった。
 まさかと思ったが、振り払うことができない。

黄王おおきみ……」

 ようやく鳳凰が警戒を解いて闇呪を取り囲む。

「これ、麒麟きりんつのじゃない?」

 少女が闇呪の胸に刺さっている物を示す。顔色を失ったまま、麟華りんかが力なく頷いた。

「あなたの片割れの?」

 少年の声にも、彼女は頷くだけだった。さすがに立て続けの出来事に動揺しているのだろう。闇呪あんじゅを支える手が震えている。

翡翠ひすい様」

 寄り添うゆきも顔色をなくしている。自分の指先からも血の気がひいて、手が冷たくなっていた。
 翡翠は改めて闇呪の胸に刺さる古木のようなものに目を向けた。
 叩き折られたかのような断面。鳳凰のように麒麟の角だと見分けられないが、麟華の様子からは愚問だった。
 霊獣である黒麒麟を凌ぐ力。例え黄帝でも一筋縄ではいかないだろう。

「鳳凰、彼を乗せて飛べますか」

 誰もが狼狽うろたえる中で、白虹はっこう皇子みこだけが次の展開を思い描いていたようだ。

「もちろん! 皇子みこが一緒に乗って黄王おおきみを支えてくれたら良い」

「わかりました。助かります」

「じゃあ、私はあなた達を乗せて飛ぶわ」

 少女の面影を宿したおおとりが、翡翠と雪を見る。翡翠はようやくいつもの自分を取り戻した。

「ちょっと待ってよ。朱桜の姫君の居場所が、闇呪に安全だとは限らない」

「はぁ?」

 少女は黒目がちの瞳を見開いて、大袈裟なくらいに翡翠を侮蔑ぶべつする。

「主上が黄王おおきみに害を与えるわけないでしょ?」
「姫君の気持ちの問題じゃない。置かれた立場と状況が問題なんだよ」

「はあぁぁ? むしろ主上が守ってくれると考えるでしょ? ふつうは!」
闇呪あんじゅでもやられる相手なんだ。そんな簡単な話じゃない!」

「主上は相称の翼よ!」
「だからーー」

「まぁ、待ってください。二方とも」

 白虹はっこうが小競り合いの仲裁のためか、闇呪の傍らから立ち上がった。

「翡翠の王子。明らかに闇呪の君を狙っている何かがある。暴かれた居場所に居続けるのも危険です。いえ、きっと彼はどこにいても危険でしょう。何を選んでも危険が伴うなら、私は朱桜の姫君を追うことを優先したい」

皇子みこ

 たしかに天界に闇呪の居場所はないに等しい。
 皇子みこの示す通りかもしれない。彼の住処すみかだからといって、安全な訳でもない。翡翠はただ闇呪が回復をはかるときが必要だと考えただけだった。

「――はい。行きましょう。皇子みこの言う通りです」

 闇呪の回復をはかるよりも重要なことがある。何よりも、自分達は朱桜の姫君の真実の名を守りたいのだ。それが、一番闇呪の平穏に繋がるはずだった。

「わかったのなら、乗って!」

 不思議な仕掛けのように、唐突にバサリと大きな翼が風を切る。少女の面影は跡形もなく、黒い炎を纏っているかのような、美しい姿へ変幻を遂げた。
 少年の容貌をしたおおとりは、主を支える麟華に労わるように声をかけた。

「大丈夫? 麒麟きりんなら俺達の後を追えるよね」

「ええ」

 頷く麟華りんかの顔色は青白い。闇呪が不死身であることは守護なら承知しているだろう。

 折れた麒角きかく

 翡翠にはそれが何を表すのか、どれほどの意味を持つのか、はっきりとは掴みきれない。只事ただごとではないという危機感があるだけだった。

 麟華は同胞である麒一きいちの行方が気がかりなのか、あるいは最悪の予感を抱いているのかもしれない。
 けれど、闇呪が倒れた今、守護としてどうあるべきなのか。麟華の矜持きょうじが翡翠にも伝わってくる。彼女は迷わず、麒一の安否よりも闇呪の側に在ることを優先したようだ。

「行こう!」

 闊達かったつな声が響く。少年もバサリと翼を広げて黒炎を纏う巨鳥に変幻を果たした。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...