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本編

79 本音で話してパンチドランカー

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 なんだかなあとスイは自分のことなのに蚊帳の外であった。

 メノルカ神殿のロビーにある、オープンテラスのちょっとした喫茶コーナーで、スイの隣にはシュクラがふんぞり返っており、テーブルを挟んで向こう側に、少々困った顔をしたエミリオと、エミリオの友人だというクアスがややしかめっ面をして座っていた。

 スイの前には紅茶と、そして名物だというブラックチェリーのパイが置かれている。エミリオ、シュクラ、クアスの前にはコーヒーとそれに添えられたカラフルなボンボンショコラが二つずつ。
 スイは甘酸っぱいチェリーパイをフォークで一口大に切ってから口に入れ、名物というだけあって結構おいしいなあと思いつつ、困った顔してコーヒーを飲むエミリオと、口には出さないけれど「どうしたものか」とアイコンタクトしていた。

 何を隠そう、こめかみに青筋立てたシュクラと、不満があると顔に出ているクアスが二人の隣で陰険漫才を繰り広げているからだった。

 クアスは、スイに対してあまり良い印象を持っていないらしい。

「我が娘に対して何が不満じゃ。申せ、クアス・カイラード」
「……不満はございません」
「じゃあ先ほどの無礼な物言いは一体何じゃ。腹割って話そうではないか。そなたの言い分をちゃんと聞いてやろうぞ」

 ピリピリしたムードに耐えられなくなったらしいエミリオが間に入った。

「シュクラ様、クアスに悪気はありません。どうぞお怒りを鎮めていただけませんでしょうか?」
「エ、エミリオ……!」
「怒ってなどおらぬ。吾輩は全然全くこれっぽっちも怒ってなどおらぬわ」

 怒っていないと言っているシュクラはその絶世の美貌を、癇癪起こした子供みたいにふくれっ面にしている。スイはエミリオと一度視線を合わせてから、「シュクラ様」と呼びかけてそっと彼の手を握った。それに気が付いてシュクラはややばつが悪そうにおずおずと握り返すと、不貞腐れたような声で弁明する。

「吾輩はただ、スイとドラゴネッティ卿の婚姻を、一人でも反対な者がおらぬようにしたいだけじゃ」
「シュクラ様……」

 シュクラの言葉にやや棘が抜けた感じがしてホッと胸を撫でおろしたスイ。シュクラはスイに対して過保護極まりないうえに、普段朗らかで温厚な割には、スイに誰かが害意を持つと判断した際には、かなり喧嘩腰になる傾向があるようだ。以前あの冒険者オージンがフラれた腹いせにスイの家に押し掛けてきた時のように。

「先ほどのことは、さすがに私の配慮が足りませんでした。申し訳ありません」
「……吾輩ではなく、スイに謝れ」
「スイ殿、申し訳ありません。気を悪くなさらないでください」
「え、ああ、別にあたし全然気にしてませんよ。むしろさっきのアレのどこが悪口だったのかもさっぱりなんですけども。エミさんが聞きしに勝る惚気っぷりだったから呆れたって言いたかったんでしょ?」
「は……? え、ええと、まあそう、ですね……」
「ちょ、スイ、俺別に惚気てなんて」
「エミさん、あたしら単にバカップル過ぎて引かれただけだから」

 けろっとしてそんな解釈をするスイは生粋の庶民だ。貴族的な比喩や建前などの腹の探り合いとは全く無縁だということを三人は改めて知ることとなる。

『確かに王都一の魔術師エミリオ・ドラゴネッティが、王都騎士団の魔法師団第三師団長という名誉ある地位を投げ出してまでその元に行くと言い張るほどの惚気っぷりだな』

 クアスのその言葉には、エミリオほどの者が女にべた惚れするなど余程のことがあったのだろうな、そんなに魔力交換の相性が良くて離れられないほど惚れてしまったなど情けない、そんな女のどこがいいのだ、といったやや邪推的なものが含まれていた。
 社交界において貴族間で交わされるそんな会話の建前中の建前など、ど庶民根性極まるスイにはさっぱりわからない。

「あたし、額面通りにしか受け取れないから、本音で話してもらったほうが気が楽というか」
「あ~、確かに吾輩も人間の貴族連中の極限までの遠回しな物言いがまだるっこしいと思っておったわ」
「この際言いたいことがあるなら言っちゃったほうがさっぱりしません?」
「いや、私は……」
「クアス、俺もへらへら自分のことばかりでお前の気がかりなことを聞いてやれなかった。この機会に話してみないか? 不満や心配なことは一緒に解決していこう。俺たちは友人だろう?」
「エミリオ……」

 三人にそう向けられてクアスは戸惑いつつも、確かにわだかまっているものをはっきり口に出してしまったほうがいいかもしれないと、ポツリポツリと話し始める。

「先のシャガ地方の魔物討伐で、我が騎士団から討伐隊を派遣し、私はその隊長の任についておりました。こちらのエミリオはその討伐隊の魔術師長を担っていたのは、シュクラ様もご存じの事と思います」
「であるな。そなたらが我が神殿に祝福を受けに来たのも覚えておるぞ。まあ『あのときは大勢』いたのでぇ? 顔などはもう忘れておったがのぉ~?」

 あのときは大勢、というところを強調して言うのは、神であるシュクラといえどマナー違反じゃないだろうか。何といってもあの討伐隊はクアスとエミリオ、それにほか若干名だけしか生き残れなかったからだ。討伐隊を率いていたクアスにはよく耐えているというほどの屈辱に違いない。

 ――てか、やめてやりなよ、あんまそこ突っつくと大人の男性といえどそのうち泣くぞきっと。

「私はシャガの被害状況を報告で聞いて、一刻の猶予もならないと思い、冒険者ギルドが止めるのも聞かず、マッピングの終了していないあのダンジョンに乗り込みました。……結果はご存じのとおりです。私とエミリオ、そして若干名の仲間だけしか生き残れず、それを危惧したエミリオが、残り僅かな魔力を使って自分以外を緊急脱出させたのです」

 その現場が阿鼻叫喚たる凄まじい修羅の庭だったことは、想像に難くない。あのサルベージ作業で残骸散らばる現場を見ただけで、吐き気を催すほどだった(実際吐いた)のだから、エミリオとクアスの体験した当時のことは、本当によく生き残れたと思わざるを得ない。
 実際に、パブロ王国の王が任命した討伐隊に任命された騎士や魔術師たちは相当の実力者だっただろうに、あのダンジョンは自動発生するシャガのダンジョンの中でも過去最大最悪なものであったのだろう。土地神シュクラの祝福も届かぬほどの魔素の巨大な塊が溜まる場所だったのだ。
 最悪の場所、最悪のモンスター、最悪の出来事。ある意味、「仕方がなかった」という言葉が一番しっくりくる状況だった。

「エミリオは当時既に魔力が尽きかけていました。それでもなけなしの魔力を使って我らを脱出させてくれました。そのような状況で彼が生き残れるはずがないと思い、私は絶望していました。それでも、エミリオはこうして五体満足で戻ってきてくれました。しかし……」
「クアス……」
「その代償が、騎士団を自ら退団することだったなんて……それが私には納得がいかないのです。愛する人がシャガにいるから丁度良かったなどと言って……。彼は今回のことでは英雄です。それが栄誉ある騎士団を自ら去るなどと。……スイ殿、貴方は男が自分のために騎士団を辞めるということについて、どう思っていらっしゃるのですか」
「えっと……」
「なるほど、そなたの不満の種はそこか、カイラード卿」

 流石に現代社会と違って男性と女性の立場の違いというものが王都でははっきりしているみたいだ。特に騎士階級から上の階級になると職業婦人というものは極端に少ないと聞いている。
 エミリオ自身は騎士階級だけれど、実家は子爵家で商売も上手く回っていてわりと裕福な貴族だ。しかし実際にドラゴネッティ子爵家を動かしている働き手はエミリオの父ドラゴネッティ子爵とその長男で後継者であるエミリオの兄。全て男手だ。
 ゆえに男性の仕事というのは一族を養う上での重要なものであるので、それをおいそれと手放すことは今後の事を考えても無謀に等しい、それに名誉を失うことと等しいというのが彼らの考え方だろう。
 まして、騎士団という華々しい場所の魔術師団団長をしのぐとされる実力者であるエミリオが、その地位を全て捨ててまで女を取るということに、クアスは納得がいっていない。
 先日エミリオから事前情報として聞いていたけれど、クアス・カイラードという人物は、昔かたぎのやや固い頭の持ち主のようだ。王都、貴族、騎士団という男社会。そういったものを考えれば彼のような考え方を持つのは、ここでもまた「仕方がない」といえる。

 問いかけられてスイは、とりあえず紅茶を一口飲んで乾いた唇を湿らせてから、視線をちょっと上に向けてうーん、と考えて答えた。
 俺は騎士団を辞めてくる、そうエミリオに言われたとき、自分がどう思ったか。

「……うーん、正直なとこ、ちょっと重いかなって思いました」
「えっ」
「ス、スイ……?」
「……? そうなのかスイ? 吾輩はてっきり……」

 スイの言葉に向かい合ったエミリオが絶望した顔をしていた。そんなエミリオを見てクアスはますます眉根を寄せてしまったし、スイの隣に座っていたシュクラは鳩が豆鉄砲食らったみたいに驚いていた。

「だってほら、エミさんみたいなすっごい人の人生変えちゃったって思ったらちょっと……いやかなり荷が重いなって思って。だっていきなり無職だよ?」
「うっ!」

 エミリオは心臓のあたりを抑えて蹲った。

「騎士団の仕事辞めて無職でこっちに来て、冒険者登録しても軌道に乗るまではあたしが養わないとなあと思ったら、あたしも一応貯金はあるけど無限じゃないから大丈夫かなって思ったし」
「うぐっ!」

 エミリオは蹲った状態で今度は頭を抱えた。

「それにエミさんやっぱお貴族様チックで高給取りだったからなんだろうなって思うけど、ちょっとだけ金遣い荒いとこあるし」
「ぐあっ!」

 エミリオは今度は殴られたように仰け反った。

「あと、魔力使いも結構荒いよね。お人よしなんだろうけど自分の体調考えないで人の為に魔力使いきる癖あって、誰か悪い人に騙されないかちょっと心配になって胃が痛いときある」
「ぐはあっ!」
「エミリオ!」
「スイ、スイ! もうやめてやれ、ドラゴネッティ卿の精神はもうズタボロじゃぞ!」

 この際だから腹割って話そうじゃないかと、本当に歯に衣着せぬ言い方で色々言い放ったら、エミリオがパンチドランカー状態になっていて、流石にかわいそうになったのかシュクラとクアスが止めに入った。エミリオもここでスイが自分に攻撃してくるとは思っていなかっただろうに。

 スイは今一度紅茶を飲んでからおもむろに頬杖して、へにゃりと微笑んだ。

「でもね、エミさんが魔力全回復して王都へ帰った日にね、あたし思わず泣いちゃったんだよね」
「えっ……」
「はい、エミさんあーん」

 そう言いながらスイはチェリーパイを一口切り分けてエミリオのぽかーんと開いた口の中に入れてやった。エミリオは突然のスイの言動に目を白黒させながらもとりあえず口の中のパイを咀嚼した。

「なんかこう、最初からエミさんは王都の人だから、帰っちゃったらもう二度と会えないだろうなって思い込んでたこともあって、エミさんはエミさん、あたしはあたし、って別に気にしないって自分で思ってたはずなんだけどね。……エミさんが魔法陣で帰っちゃったあと、何か突然、こう……ものっすごい寂しくなっちゃって。ばっかみたいと思ったけど、子供みたいにボロッボロ涙出てきて。なんか、自分で思ってた以上に寂しかったみたい。エミさんと居たのってたった一週間だったのにね」
「スイ……」

 たった一週間、されど一週間。とんでもなく濃厚な一週間だった。濃厚過ぎて割り切ってたつもりがすっかり心奪われてしまった。一緒に食事して、一緒に行動して、夜には愛し合って。子供のことを夢見るくらいに彼に夢中な自分がいる。
 会えない日々がもどかしく、こうして手の届く場所に彼がいるということがたまらなく嬉しくて。
 一年前はもう恋愛なんて自分にはできないと思っていたし、したくもなかった。でもエミリオと出会って過去を忘れられた。彼を愛することができるようになった。
 エミリオと知り合う前の生活にはもう戻れそうもない。

 スイは改めてクアスに向き直る。

「ごめんね、カイラードさん」
「……?」
「エミさんをもうそちらに返すことはできないの。あたしたちは、少なくともあたしはもう、離れていられないから。彼が欲しいの。だからごめんなさい。騎士団の名誉とか、男性のアイデンティティとか、そういうのエミさんに全部捨てさせても、あたしは彼がほしい」
「スイ殿……」
「すっごい我儘言ってるの承知してますよ。でも本心なの」

 おもむろにエミリオの手を取って恋人繋ぎに握りしめて、それに驚いて目を見開いたエミリオにむかってスイはにかっと微笑んで言った。

「エミさん、絶対にエミさんを幸せにしてあげるからね。安心してお婿においでね」
「ス、スイ……!」
「あは、お弁当ついてるー」

 エミリオの口の端に、先ほど無理矢理食べさせたチェリーパイのくずが付いていたので指でぬぐってやった。やはりエミリオはちょっとカッコ悪いのが可愛い。

「ス、スイ! 俺も、俺もスイを幸せにできるように頑張るから……!」
「もちろん、そうしてくれないと困るからね」
「うん……! うん……! ああ、スイ……!」

 そんなやりとりをしばし眉間にしわを寄せながら見ていたクアスだったが、呆れたように一つ大きなため息をついた。

「……エミリオ。お前がそんなにプライドのない男だとは思わなかった」
「えっと……クアス?」
「スイ殿、シュクラ様。こんなプライドの欠片もない男でよければ、どうぞ勝手に持って行ってください」

 そう言ってクアスはガタリと音を立てて立ちあがり、一礼をして去って行ってしまった。行きがけに伝票を掻っ攫って行ったので、ちょっと昔かたぎなツンデレだけど小粋な人だとスイは思った。
 だが、そんなスイとぽかんとしたエミリオをよそに、シュクラがぷるぷる震えたかと思うとガタリと彼も立ち上がる。

「おい貴様、なんじゃその態度と物言いは! 不貞腐れるのも大概にせんか!」
「ま、まあまあ、シュクラ様!」
「大丈夫だよシュクラ様、クアスさん寂しいの隠してるだけだから」
「お前たちもお前たちじゃ、あんな態度取られて悔しくないのか! それこそあ奴の言うとおりプライドが無いのか?」
「無いよそんなもん」
「俺もあんまりないです」

 がくー、と肩を落としたシュクラが脱力したように座りなおした。

「そなたら、お似合いじゃ」

 呆れた顔して言うシュクラに顔を見合わせたスイとエミリオはどちらかともなくぶふっと吹き出して笑いだしてしまった。
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