大量閉店「ヴィレヴァン」経営が犯した最大の失敗

ヴィレヴァン創業者の菊地敬一は、この「センス」を自著の中で繰り返し述べている。例えば、こんな感じだ。

「本というのは特別な消費財なんだ。まず、本を売ることに矜持を持とう。コンビニで本を買うようなセンスの悪い奴は相手にするな」(菊地敬一『ヴィレッジ・ヴァンガードで休日を』、p.50)
 

これ以外にも社員における「センス」の重要性など、菊地はとにかく「センス」という言葉を多く用いているのだ。そこで重視された「センス」は、確かにヴィレヴァンに通う顧客たちを刺激しただろう。人とはちょっと違う、というところが魅力になったのである。

ヴィレヴァンにおいては、そこで売っているものよりも、「そこに何かを買いに行く」という行動が、顧客にとっての一つの魅力になっているといえるのだ。

「センスを売る」ことの難しさ

しかし、この「センス」がベネフィット、というのは、実は諸刃の剣である。

というのも、「センス」自体、言語化しづらいし、それを伝えていくことが難しいからだ。

菊地は「センス」について次のように述べている。

本屋のセンスは、この本の隣になにを置くかで決まる(永江朗『菊地君の本屋』、p.112)
 

ある本を売るとして、その隣に何を置き、どのようにしてその本を演出していくか。その能力こそがセンスだというのだ。しかし、では実際にどんなものを置けばいいのか、それはなかなか言語化が難しいし、実際菊地の本を読んでいても、「わかるようで、わからない……」というのが正直なところでもある。とてつもなく継承するのが難しい能力なのだ。

初期のヴィレヴァンはそれでもよかっただろう。初期のヴィレヴァンで働いていた正社員について菊地は「ヴィレッジヴァンガードが好きで来てくれていたので一番大事な『センス』をある程度持ち合わせてくれているので助かる」と書いている。ヴィレヴァン好きがそこに集まり、しかも人数も少なければそれだけ菊地の言う「センス」を肌で感じることができたのだ。

しかし、ヴィレ全さんのインタビューで述べられていた通り、近年では社員教育がなかなかうまく進まないこともあって、この「本の隣に何を置くか」という「センス能力」が著しく低下してしまった。

そして、それに拍車をかけたのが、ヴィレヴァンの多店舗化だ。ショッピングモールを中心として出店が進んでいくなか、菊地が当初言っていたような意味での「センス」がなかなか理解されなくなっていく。

しかも、店舗が増えれば「他の人とちょっと違うことをする」感じがなくなってしまう。ありとあらゆる面で、ヴィレヴァンはベネフィットを失っていったのである。

こうした「理念」をどのように継承していくのかは、とても難しい問題だ。これを考えるときに参考になるのが、世界最大のコーヒーチェーン「スターバックス」である。

スタバは、家庭でも職場でもない第三の場所「サードプレイス」を提供する、といった理念のもとで経営戦略を進めている。よく言われる話だが、スタバを利用する人の多くは、「コーヒー」という具体的な商品を求めてそこに来ているのではない。むしろ、その「サードプレイス」が喚起する空間や、「そこにいる私たち」というような特権意識を刺激されるからこそ、そこに行くのだ。まさにスタバのベネフィットは「サードプレイス」ということになる。その点でヴィレヴァンと同じように「スタバ」という「イメージ」を売っているともいえる。

とはいえ、この理念もまた、曖昧だ。「サードプレイス」は目に見えない概念だし、しかも元々の「サードプレイス」という意味からも少しズレている。スタバ(というよりも、その実質的な創業者であるハワード・シュルツ)オリジナルの概念だからだ。