プロジェクトに失敗する人と成功する人の決定差

バスク州はかつて重工業や造船業の中心地として大いに繁栄していた。だが今やその栄華は見る影もなかった。「ビルバオはデトロイトほどひどくはないが、それに近かったね」とゲーリーは後年に語っている。「鉄鋼業が消え、海運業が消えた。とても寂れていたよ」

ビルバオは外国人が名も知らない、色あせた遠くの街で、スペインやマドリードに毎年押し寄せる、膨大な観光客の恩恵をまるで受けていなかった。グッゲンハイム美術館なら、ビルバオに観光客を呼び込み、経済を活性化できると州政府は考えた。オペラハウスがシドニーとオーストラリアに与えた恩恵を、ビルバオとバスク州にもたらしてくれる建物がほしい。なんとかしてビルバオを再び世界地図に載せ、成長を取り戻したいのだと、高官たちは訴えた。

ゲーリーは古い倉庫を見て回った。建物自体は気に入ったが、そのような目的のプロジェクトにふさわしいとは思えなかった。建物を解体して一から新しい美術館を建てることもできるが、ほかの用途に使える建物を壊してしまうのはしのびない。

ゲーリーには別のアイデアがあった。彼は川沿いの工場跡地に目をつけていた。改築のことは忘れましょう、と彼は言った。この川沿いの土地に、目を見張るような新しい美術館を建てるのです。

政府高官はこのアイデアを受け入れた。それも当然のことだった。経済活性化という野心的な目標を達成するためには、観光客を呼び込むことが欠かせない。建物を改築して、その中に新しいグッゲンハイム美術館をつくれば、理屈の上では大きな注目を集められるかもしれない。

しかしその可能性が現実にどれだけあるというのか? 改築が世界に衝撃を与え、世界中から観光客を呼び寄せたことが過去にあっただろうか? そんな例は思いつかない。だが、すばらしいロケーションに新しく建てられた斬新な建物なら、世界の熱い注目を集められるし、実際に集めている。シドニー・オペラハウスのように、膨大な観光客を引きつけている実例がある。

大変な挑戦であることに変わりはないが、それでもバスク州の望みを実現できる可能性は高いと、ゲーリーは論じた。

「達成したいこと」を最後まで見失わない

そうして完成した建物は、建築の批評家や一般人からも一様に絶賛され、グッゲンハイム・ビルバオは一躍世界の脚光を浴びた。観光客はビルバオに押し寄せ、お金を落としていった。開館後の3年間で、かつてスペインの知られざる辺境だったビルバオに400万近くもの観光客が詰めかけ、経済効果は10億ドル(2021年の金額)に達した。

グッゲンハイム・ビルバオが、フランク・ゲーリーの想像力と才能、そしてプライドによって生み出されたのは間違いない。だがこの建物の原型を形づくったのは、プロジェクトの「目的」だった。

ゲーリーの実績を見ればわかるように、彼はもっとささやかで地味な建物を設計することもできた。実際、ビルバオの数年後にも、フィラデルフィアの小規模な美術館の改築を手がけている。

だがビルバオのクライアントは壮大な目的を持っていた。だから、それを最善の方法で実現するために、ゲーリーは美術館を今ある場所に、今あるかたちでつくったのだ。

プロジェクトは、それ自体が目的であることはなく、目的を達成する手段に過ぎない。高層ビルの建設や、会議の開催、製品の開発、本の執筆等々は、それ自体を目的として行われるのではない。ほかの目的を達成するために行われる。

これは単純で当たり前のことだ。だが、「見たものがすべて」の錯誤に陥り、明白で議論の余地のなさそうな結論に飛びつくとき、私たちはこのことをいとも簡単に忘れてしまう。

「答え」から始めるとアイデアは生まれない