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人は偶然の出逢いによって結ばれます。その出逢いを縁と呼び、ときに偶然の出逢いを必然と思うことがあります。特に時代の節目にあたるような出来事にかかわると運命に翻弄されたと感じることがあります。でも、その縁は偶然によってもたらされたものであり運命ではありません。運命だと思いたいのは現実を受け入れようとするためではないでしょうか。
この作品が取り上げた新潟県長岡市の周辺では大規模な地震や洪水による被害を幾度となく受けています。また江戸時代末期の戊辰戦争(ぼしんせんそう)と第二次大戦の空襲によって市街地のほとんどが消失しています。それでも人々は優しく毎年の厳しい冬をのりこえて自然と向き合いながら暮らしています。その長岡のシンボルは毎年信濃川の河川敷で行われる大花火大会であることは広く知られています。そして長岡の山間部に位置する山古志地区は世界的に需要が高まる錦鯉(にしきごい)の発祥地でもあります。
この作品は戊辰戦争のおおよそ10年前から一人の長岡藩士が激動の時代を生きぬいて妻とともに医師の道へと進む物語です。
文字数 76,860
最終更新日 2024.12.26
登録日 2024.12.26
いまロシアのことが気になると感じた方と情報を共有したいと思って書きました。でも、なんとなくロシアと日本の歴史を学術的にひも解くことに抵抗があったのでフィクションを入れました。フィクションの建てつけは江戸時代中期にロシアがはじめて日本に通商をもとめてきた実際の記録を別の角度からとらえたものです。この作品はロシアと初めて相対した人物とされる田沼意次の史実をもとに、彼と関わる剣豪たちが時代の流れにほんろうされる状況をイメージしました。
またタイトルにある赤蝦夷風説《あかえぞふうせつ》の赤蝦夷とは当時の日本がロシアを呼ぶときに使った国名です。
18世紀のはじめロシアはモスクワ周辺の小国の一つでした。そこから周辺国との戦いに勝利して約200年の間に世界最大の帝国となりました。この過程で18世紀後半、ロシアは中国(清国)との国境紛争を30年以上も続けながらカムチャッカ半島に侵攻して領土としました。そこからさらに日本に向けて南下を開始したのが、かの有名な田沼意次の時代でした。これはアメリカのペリーが来航して開国を迫った100年以上もまえのことです。そのときすでにロシアは日本侵略をもくろみ松前藩の領地である蝦夷地に拠点をつくり日本の出方をみていました。この強圧で巧妙なロシアに対して当時どのように動いたかが作品のテーマです。
文字数 75,853
最終更新日 2024.12.22
登録日 2024.12.22
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