テレ東と愛知県警、協力して「やらせ」・捏造し冤罪を生む…『警察24時』で

 結果的に逮捕した4人のうち、3人について検察は不起訴処分にしていますので、警察の事実確認が不十分なことは明らかです。あくまで想像ですが、捜査1課・2課というスポットライトが当たる部署ではなく、生活経済課という比較的地味な部署の警察官が「功を焦って」テレビの前での見せ場を作って、テレビがそれに乗っかったという、警察とテレビが一体になって「事実を作り上げた」=捏造した疑いが出てきます。

 つまり、平たい言葉でいえば、警察とテレビがグルになって「やらせ」を行ったケースだという疑いがかなり濃いと評価できます。警察という公権力と報道機関が共謀して犯罪を“でっち上げた”ケースなので、より重大です。日本は警察が立件するとほとんどが有罪になってしまう国ですが、それでも刑事裁判には推定無罪の原則があります。警察の捜査対象者や逮捕者も裁判で判決が確定するまでは無罪として扱わなければならないという原則です。警察が誰かを有罪だと見て、その見立てのままに報道して、あとから裁判で無罪になるケースもあります。無罪の人をテレビが有罪だと断じて報道してしまうことは著しく人権を傷つける行為です。冤罪が深刻な社会問題になっていますが、こういうケースを見逃してしまうと日本はロシアなどと変わらない恐ろしい警察国家になりかねません。テレビなど報道機関は公権力に対して行き過ぎをチェックする立場です。捜査権の濫用に目を光らせて市民の人権を守っていくべき立場です。なのに、それをしないで警察と一緒になってしまう。このことの問題の重大さをテレビ東京はどのように認識しているのでしょうか。

「情報バラエティー」だから許されるわけではない

 テレビ東京の社長らの記者会見では、この番組が報道番組ではなく「情報バラエティー」だということを強調しています。ただ、テレビ局は報道機関であり、権力をチェックする役割があることは、情報バラエティー番組だからといって変わってくるわけではありません。警察の捜査に密着する取材をする以上、常に権力の暴走を記録してしまう可能性はたえずあるということです。

 今回のテレビ東京のような警察密着番組の取材過程でテレビと警察との関係が議論されたケースとしては、2013年にTBSが警察の暴走を撮影していたケースがあります。鹿児島市内で警察官が男性会社員を取り押さえた末に圧死させてしまった事件で、警察は放送前の映像をTBSから押収していたのにTBSはその事実を公表せず、警察密着番組の放送でもその映像を使いませんでした。18年になって毎日新聞がこの問題を報じて明らかになりました。死亡した男性の遺族が損害賠償を求めた裁判でも、そのオリジナル映像を証拠として使うことを認められず、TBSの姿勢が問題視されました。

 テレビが警察側と癒着して一体化した関係で制作されることが多いこうした「警察24時」ものの番組のあり方は、どうあるべきなのか。民放連やBPO(放送倫理・番組向上機構)でも基準を示すべきだと思います。テレビ東京がやめることにしたから解決したというわけではありません。他の民放局も含めて、この際、「警察24時」もの全体をどうするか見直すべきです。

権力機関とメディアが結びついた冤罪、経営責任は?

 結果として公権力との関係においてテレビ局が間違った行為をしてしまった場合、経営トップの責任が問われるのも当然です。08年、日本テレビの『真相報道バンキシャ!』が、岐阜県庁の職員による裏金づくりが行われているという匿名の建設会社役員の証言を「スクープ」として放送しました。ところが、この建設会社役員が2カ月後に別の事件で逮捕され、面会した日本テレビの社員に対して一連の証言がすべて虚偽であったことを認めたことで、日本テレビは岐阜県に対して公式に謝罪し、当時の社長が辞任しました。今回の愛知県警のケースでは、警察官の見立て通りに撮影して番組を制作したら、結果的に見込み違いで逮捕した4人のうち3人が不起訴になったというケースです。推定無罪の原則を忘れてしまい、結果的には冤罪だった人まで犯罪者として報道してしまったのです。警察の見立てを信用してしまったからといって、テレビ局の責任が小さくなるというわけではありません。

 そういう意味では、テレビ東京の石川一郎社長の役員報酬30%を2カ月間返上というのは、報道機関のトップとしてあまりに軽い責任の取り方だと感じます。テレビ東京は推定無罪の原則をどう考えるのか。その議論を有耶無耶(うやむや)にして幕引きをしようとしている印象があります。「今後こうした番組をつくりません」と宣言したからといって、そこで許されるわけではありません。『警察24時』モノだけでなく、犯罪者を取り締まる公権力に密着するスタイルの番組は、麻薬取締官、税金Gメン、入国管理官などさまざまな分野に及びます。これを機会にそうした番組制作のあり方を根本的に考え直す必要があるのではないでしょうか。

(文=Business Journal編集部、協力=水島宏明/上智大学教授)