このところ、住友商事は既存のビジネスモデルを見直し、新しい収益源の確立を急いでいる。収益源候補の一つとして、脱炭素分野でのビジネスが注目を集めているという。過去、住友商事は大阪を中心に商社ビジネスを展開してきた。政治、経済の中心地である東京圏では、三菱商事や三井物産が存在感を発揮した。一方、住友商事は中国経済の成長などを背景に資源やエネルギー関連ビジネスを強化し、競争力を高めようとしてきた。ただ、資源事業の収益は、世界経済の環境変化、それに伴う需要の増減などに大きく影響される。長期にわたって安定して収益を獲得することは容易ではない。
過去の教訓、反省をもとに、住友商事は脱炭素関連の事業運営体制を強化し、自己変革を加速させようとしている。現在、世界全体で地球温暖化による異常気象などの問題は深刻だ。問題解決に総合商社の知見が活用できる部分は多い。洋上風力発電プロジェクトへの参画強化など、さまざまな取り組みが考えられる。そのなかでも、同社が強みを持つ資源関連ビジネスに脱炭素の知見を持ち込み、どのようにして新しい需要を創出するか、より多くの注目が集まりつつある。
創業以来、住友商事は主に大阪圏を主な地盤として事業を展開し、資源や化学品、金属、建機や輸送機器などの貿易取引やプロジェクト・ファイナンスなどのビジネスに取り組んだ。それは、今日に至るまで同社の事業運営に無視できない影響を与えた要素の一つと考えられる。
第2次世界大戦後、わが国の経済は繊維などの軽工業から復興を歩み始めた。その後、鉄鋼や石炭などの供給力引き上げに向け「傾斜生産方式」が導入されるなど、重工業分野への生産要素(ヒト、モノ、カネ)の再配分は加速した。それに伴い、京浜工業地帯の存在感は高まった。政治と経済の中心地である東京圏で事業運営体制を強化する企業は増えた。三菱商事や三井物産などは、東京に本社を置く主要企業との取引関係を強化し、安定的に口銭(売買を仲介することによって得られる収益)を手に入れることができたといえる。なお、今日の日本経済のダイナミズムは、自動車産業が集積する中京工業地帯にシフトしている。
一方、大阪を中心とする阪神工業地帯では繊維を中心に軽工業が発達した。大阪を「天下の台所」と呼ぶように、食品関連の産業も成長した。第2次世界大戦後は家電をはじめ電機関連産業も成長を遂げたが、重工業化の加速とともに経済のダイナミズムは関西から東へシフトした。その上、1990年の初めに資産バブルが崩壊すると、日本の経済環境は急激に悪化した。1980年代半ば以降、バブルが膨張する経済環境下、大阪圏の地価は急騰した。しかし、1990年の1月に株価が下落し始めた。1991年中ごろには日本全体で地価も下落し始めた。東京圏を上回るペースで大阪圏の商業地、住宅地の下落ペースは勢いづいた。資産価格の下落によって国内経済は冷え込み、需要は停滞した。不良債権問題も深刻化し、住友商事および顧客企業の事業運営体制は不安定化した。さらに、新興国企業の成長によってパナソニックやシャープなど、国内電機メーカーの競争力は低下した。
そうした事業環境の変化に対応するために住友商事は、資源関連ビジネスを強化した。それに加えて、世界経済の環境変化の影響も大きかった。1990年代の初頭以降、中国では改革開放路線を背景に工業化が加速した。農村部からの安価、かつ豊富な労働力供給は、中国経済の工業化を支えた。地方政府は民間の不動産デベロッパーに土地の利用権を譲渡し、その収益や地方融資平台と呼ばれる地方政府傘下の投資会社による資金調達を重ねて、インフラ投資を実施した。マンションなど不動産の開発、鉄道や道路の建設、自動車の利用増加などを背景に、中国は鉱山資源やエネルギー資源をより多く需要するようになった。