だが、経済は常に合理的に動くとは限らない。先ほどから説明しているように、何らかの形で物価上昇が進んでいる時に、中央銀行が過剰にマネーを供給すると、多くの人が将来、さらに物価が上がるのではないかと考え、インフレが予想外に加速してしまうことがある。
実は、今の日本経済は、実体経済に比してマネーの量が多く、供給過剰となっており、インフレが加速しやすい状況にある。マネーが供給過剰になっている最大の理由は、言うまでもなく日銀が行ってきた量的緩和策である。
量的緩和策というのは、日銀が国債を積極的に買い入れることで、大量のマネーを市場に流通させる金融政策である。大量の貨幣が流通すると、個人や企業はインフレが進むのではないかと予想するようになる(期待インフレ)。インフレ期待が高まると実質金利(名目金利から物価上昇率を差し引いた金利)が低下するので、銀行の融資姿勢が積極的になり、設備投資が増えて景気が拡大するというメカニズムが想定された。
残念なことに設備投資はあまり増えず、量的緩和策はあまり効果を発揮しなかったが、日銀が市場にマネーを大量に供給しているという状況に変わりはなく、日銀がマネーを回収しない限り、供給過剰の状態が続く。
経済学の理屈上、原油や食糧など、一次産品の価格が上昇しただけで、全体の物価が大幅に上昇することは通常、あり得ない。広範囲なインフレというのは、コスト的な要因に加え、マネー的な要因が絡み合うことで発生するケースがほとんどであり、今回もその条件を満たしている。多くの専門家が物価上昇の影響が大きいと考えているのは、量的緩和策というマネー的な要因が絡んでいるからである。
ひとたびインフレが加速すると、多くの人が現金を手放してモノに変えようとするので、さらに貨幣の価値が下がってしまう(物価が上昇してしまう)。このような状態になった場合、インフレを沈静化させるためには、拡大した信用創造を縮小するしか方法がなくなる。現実的には中央銀行が金利を引き上げ、強制的に市場に出回るマネーの量を減らすという政策である。
米国はこれまで物価上昇ペースに合わせて賃金も上がっていたことから、インフレは何とか制御できると思われていた。ところが今年に入って、賃金上昇ペースが物価の上昇ペースに追い付かなくなり、インフレ懸念が急速に台頭している。米国はクルマ社会なので、ガソリン価格の上昇は政権にとって大きな痛手となる。バイデン政権は11月に行われる中間選挙を前にインフレ対策に必死だ。
米国の中央銀行にあたるFRB(連邦準備理事会)は、インフレが加速する場合には、躊躇せず金利を引き上げる方針を示しており、バイデン大統領もこうしたFRBの方針を支持している。インフレがさらに進むような状況となった場合、FRBは金利の引き上げを前倒しするだろう。
金利の引き上げは、インフレを沈静化する効果があるが、一方で景気にはマイナス要因となる。インフレのもっともやっかいなところは、インフレを退治するためには金利を引き上げる必要があり、一方で金利の引き上げは景気に逆風になるという矛盾を抱えてしまうことである。
景気が落ち込んだ場合、通常は財政出動などの需要拡大策を実施するが、経済学の理屈上、需要を拡大すれば、総需要曲線が右にシフトして価格を引き上げてしまう。つまり、せっかくインフレを沈静化させても、需要を喚起すると再びインフレに逆戻りしてしまうのだ。
終戦後の日本や70年代の米国はこの矛盾に苦しみ、インフレからの脱却にはかなりの期間を必要とした。このようにインフレというのは非常に厄介な現象であり、インフレが本格化する前に対処するというのが原理原則となる。
(文=加谷珪一/経済評論家)