だが、大学入試でこのような実用文が出題されるなら、これからの国語の授業はそれに対応せざるを得ない。しかし、それでは何とも味気ない授業になってしまう。
こうした動きを受けて、日本文藝家協会は、国語改革に関して問題提起する表明を出し、「実学が重視され小説が軽視される」「国語教育は実用的な力をつけるための内容に変えるべきだという意見が強まり、結果として大学入試問題や教科書から文芸作品が減っている」とし、「おそらく戦後最大といってもいい大改革であり、日本の将来にとって大変に重要な問題をはらんだ喫緊の課題」であり、この流れをより良い方向に修正するために一丸となって取り組んでいくとしている(文藝家協会ニュース2019年1月号より)。
いくらなんでも、そんな改革が行われるはずがないと思われるかもしれない。だが、2022年の高校1年生から年次進行で順次適用される高等学校学習指導要領によれば、それは杞憂ではないのだ。分厚い資料なので、ごく簡略化すると、これまで高校2・3年生が学んできた「現代文B」という科目が「論理国語」と「文学国語」に分かれ、いずれかを選択することになる。
学習指導要領によれば、新たな科目である「論理国語」では、論説・評論・学術論文などの論理的な文章のほかに、報道や広報の文章、案内、紹介、連絡、依頼などの文章、法令文、キャッチフレーズ、宣伝の文章などの実用的な文章が盛り込まれることになっている。
大学入試で実用文の読解問題が出題されるなら、文学を鑑賞したりするよりも、実用文を中心に論理的に読解する授業をせざるを得ない学校が多くなるだろう。その場合、「文学国語」でなく「論理国語」の教科書で学ぶことになる。それにより、従来は文学史に名を刻む文学作品に国語の授業を通して触れていた高校2・3年生が、そうしたものに触れずに実用文中心の授業を受けることになる。
これまでの国語の授業では、小説や詩を鑑賞したり、評論や随筆を読んで作者の言いたいことを読み取ろうとしたりすることで、想像力や思考力が鍛えられるとともに、深い教養を身につけることができた。だが、広報や契約書など実用文の内容を理解しようとする授業になってしまったら、そうした知的鍛錬にもならなければ教養を身につけることもできない。
実用文が読めないのでは社会に出てから困るというのはわかる。ただし、国語の授業は、実用文の読解ができるようにすること以上の役割を担ってきた。大学入学共通テストの出題者も、新学習指導要領を元にした新たな教科書の作成者も、こうした事情を踏まえて、実用文をしっかり理解できる程度の読解力を身につけるのは最低限の目標とし、それ以上の読解力の鍛錬の場にすべく、国語の授業の質を落とさないような工夫をぜひお願いしたい。
(文=榎本博明/MP人間科学研究所代表、心理学博士)