ある調査で、日本の研究者たちが「最後通牒ゲーム」という単純な課題を設定した。
ルールは簡単だ。プレイヤーは100円を楽々手に入れることができる。2人のプレイヤーの一方がランダムに選ばれて提案者になる。もう一方のプレイヤーは応答者となる。提案者は100円の分割案を提示する。
ゲームの参加者が公平なら、50円ずつ分けることを提案するだろう。もし利己的なら、80円と20円、あるいは90円と10円といった分け方を提案するかもしれない。
だが、1つ条件がついている。もし応答者がその申し出を拒絶すれば、2人とも1円ももらえない。
このゲームは、私たちが生まれ持った公平性への願望と経済的な利己主義とを競わせるようにできている。
たとえば、もしあなたのパートナーが利己的で、95円と5円の分割を提案したら、平手打ちを食らわせたくなるかもしれないが、客観的に考えれば、その申し出を受けるほうが経済的な利益には適っている。そうすれば5円もらえ、申し出を拒めば1円も手に入らないからだ。
だが、私たちには利己的な行動を罰したいという本能的な願望があり、それが利己主義に優先することがよくある。実験を行うと、人々は70円/30円という分配を限界と見る傾向を示す。それ以上不公平だと、提案者と応答者はたいてい1円ももらえない結果になる。
このゲームをしている人々の精神病質の特性を評価したらどうなるか、と日本の研究者たちは思った。
サイコパスのほうが合理的で、不公平性を気に掛けないだろうか――自己利益に適うかぎりは?
善か悪か、公正か不正か、公平か不公平かという疑問から自分を切り離すことができるような、冷徹で計算高い爬虫類(はちゅうるい)の脳を、彼らは持っているのか?
調べてみると、まさにそういう結果になった。精神病質の度合いが高い人ほど、利益になるのであれば不公平な申し出であっても気にせずに受け容れた。
さらに詳しく調べるために、研究者たちは「皮膚伝導度反応」も測定した。奇妙なことに、私たちは情動を喚起されると、皮膚の電気伝導度が上がる。したがって科学者は、皮膚の伝導度を測定すれば、情動的反応をおおざっぱに捉えることができる。
日本の調査では、精神病質の特性がない人が公平な提案を受けると、皮膚電導度はあまり変化しなかった。ところが、彼らを餌食にしようとするヘビのような人間から不公平な提案を受けたときには、激しい情動が湧き起こった。彼らは動揺した。
一方、精神病質の特性が強い人は、提案が公平でも不公平でも、皮膚電導度には識別可能な違いが出なかった。彼らにはあまり影響がないようだった。