そう考えると、おおいに合点がいく。なにしろ、規則に従って行動していれば、たとえばノルウェーでは昇進するかもしれないけれど、ウズベキスタンでは永遠に権力が得られないことは請け合いなのだから。
権限のある地位に就いている人のうちには、真に素晴らしい人もいて、他者のために尽くし、利己的に振る舞ったりはしない。したがって、権力の魅力と、権力を握ることの影響とは、状況次第なのだ。
ありがたいことに、状況も制度も変えることができる。そこで朗報がある。私たちは、指導者が虐待的であるのが必然の世界に生きることを運命づけられてはいないのかもしれない。この世界は、正すことができるのかもしれない。
インドのベンガルール(旧称バンガロール)で行われたある調査が、そのような楽観的な見方を裏づける証拠を提供してくれる。
その調査を実施した研究者たちは、公共部門で贈収賄が日常茶飯事であるような場所では、どのような人が公務員のキャリアに引きつけられるかが知りたかった。
インドの行政職は、絶好の試験場を提供してくれた。腐敗がはびこっていることで悪名が高いからだ。ベンガルールで役人になれば、帳簿に記載されないような報酬を家に持ち帰る機会が得られることは、誰もが知っている。
2人の経済学者が企画した実験では、何百人もの大学生に、標準的なサイコロを42回振って、結果を記録するように求めた。どんなサイコロもそうなのだが、どの目が出るかはまったく運次第だった。
ただし、サイコロを振る前に、運良く大きい目が出れば多く報酬をもらえる、と学生たちに告げておいた。4や5や6の目が出れば、より多くの現金が手に入る、と。
だが、結果は自己申告なので、学生たちは出た目について?をつくことができた。そして、多くの学生が現に噓をついた。全体の25%で6の目が記録され、1の目はたった10%でしか記録されなかった。
そのような偏った結果が偶然には起こりえないことは、統計的に考えて研究者には明らかだった。なかには呆れるほど厚かましい学生も数人いて、なんと42回続けて6が出た、と主張した。
だが、別の興味深い事実をデータが示していた。実験で不正を働いた学生と、結果を正直に報告した学生とでは、志望するキャリアに違いがあった。
大きい目が出たという虚偽の自己申告をしていた学生は、平均的な学生よりも、インドの腐敗した行政職に就くことを志望する割合がはるかに高かったのだ。
行政職が清廉で透明なデンマークで別の研究者のチームが同様の実験をすると、結果は逆だった。
出た目を正直に自己申告した学生のほうが、公務員を志望する割合がはるかに高く、噓をついたのは、とんでもない大金持ちになれそうな他の職種を志望する学生たちだった。
腐敗した制度が腐敗した学生を引き寄せ、公正な制度は公正な学生を引きつけたのだった。
ひょっとすると、権力が人を変えるのではなく、これは環境の問題なのかもしれない。
善良な制度は、倫理的な人が権力を求めるという好循環を生み出しうるのに対して、劣悪な制度は、平気で噓をつき、不正を働き、盗みをし、ついには頂点に立つような人間の悪循環を生み出す可能性がある。
もしそうであれば、私たちは権力のある人に注目するのではなく、破綻した制度の修復に的を絞るべきだ。
(翻訳:柴田裕之)